「マジありえねぇし。いくら次のターゲットが難しいからってこれはねぇだろ。俺の意思
なんて全く無視だしよ。」
家の鏡の前に立ちながら宍戸はブツブツと文句を言っている。今鏡に映っているのは、豊
満な胸を持ったまるでモデルのような女性の体。もともと髪も長く、女顔であったが、ま
さか任務のためにここまでされるとは思わなかった。そんな宍戸の仕事は、上から言われ
たターゲットを殺すという、いわゆる『殺し屋』というやつだ。まだ知らされていないが、
次のターゲットは今までにないほど手強い相手らしい。そのままで近づいても全く相手に
されないどころか、逆に返り討ちにあってしまうと、宍戸のボスは宍戸を眠らせ、勝手に
性転換の手術を施した。つまり、宍戸は体は完璧に女になってしまったというわけだ。
「はあー、まあ、文句ばっか言ってても仕方ねぇか。女性ホルモン打ってるつーから、勝
手に女らしくなるらしいし。でも、まだ、この体には慣れらんねー。」
つい最近まで男だったのだ。すぐに変われと言われても無理な部分がある。気晴らしに買
い物にでも出かけるかと、宍戸はしっかりと女物の服を着て、家を出た。
街に出ると、男達の視線は宍戸に釘付け。抜群のスタイルに、絹のような黒髪、きりっと
しつつも可愛げのある瞳に、すらっとした背の高さ。そんな美人が街を歩いていたら、誰
だって振り返ってしまう。
(これは逆効果なんじゃねーのかあ?こんなに目立っちまってたら、仕事もまともに出来
ねぇじゃねぇか・・・)
溜め息をつく姿もまた綺麗で、周りの男達を魅了する。本当に困ったなあと思いながら歩
いていると、宍戸は信号が赤であることに気づかずに道路に出てしまった。
キキ―――ッ!!
大きなクラクションとともに激しいブレーキ音が宍戸の耳に入る。気づいた時には大型ト
ラックがもうすぐ側まで迫っていた。
(うわっ、はねられる!!)
もうどうすることも出来ず、目をつぶった瞬間、突然体がふわっと浮いたような感覚を覚
える。すぐに体は倒れたが、それは車にはねられる衝撃ではない。しかも、倒れたはずな
のにどこも痛くない。宍戸は恐る恐る目を開けた。
「ったく、ぼーっとしてるんじゃねぇよ。」
目の前には、金色の髪とサファイアのように綺麗な青い瞳。自分は今この目の前にいる人
物に助けられたのだと、宍戸はすぐに悟った。しかし、驚きのあまり言葉が全く喉から出
てこない。宍戸はその人物の腕の中にしっかりと包まれているのだ。
「あっ・・・えっと・・・・」
「怪我はねぇか。」
「あ、ああ。あの、助けてくれて・・・ありがとうございます。」
誰かは分からないが命の恩人だ。宍戸はいつもは使わないような口調でお礼の言葉を述べ
た。宍戸を助けたこの人物は跡部景吾。実はある意味宍戸と同業者だったりする。そんな
ことなど知る由もなく、宍戸はただただその綺麗な顔に見惚れていた。
「どうした?俺の顔に何かついてるか?」
「い、いや、全然そんなことない。綺麗な顔だなあと思って・・・・」
まさに宍戸は一目惚れ状態。あんな状況を助けてもらったのだ。しかも、今は自分は女に
なっている。気持ち的にもそうなってしまっても全くおかしくはない。
「テメェも相当美人だと思うぜ。なあ、もしこれから時間あるなら少し茶でも飲まねぇ?」
「えっ?」
「こんな美人に会ったのは久しぶりだからな。テメェ、すげぇ俺好みの顔してるぜ。」
顎を上げられ、そんなことを言われれば否が応でも心臓はドキドキしてきてしまう。ぼー
っとなりながら、宍戸は跡部の誘いに頷いていた。
運命とも思える衝撃的な出会いをしてから、跡部と宍戸の二人はお互いにどんどん惹かれ
ていった。この時ばかりは、宍戸は女にされてよかったと思った。もし男のままであれば、
こんなに素直に跡部に恋することは出来なかった。最近は毎日どちらかの家に泊まり、暇
さえあれば一緒に過ごしている。
「なあ、今日も泊まってくか?」
「ああ。今日は特に仕事もねぇしな。」
プルルル・・・・プルルル・・・・
今日も一緒に過ごせるとウキウキしながら話をしていると、ほぼ同時にそれぞれの携帯電
話が鳴る。
『もしもし?』
意識しなくともハモってしまう声に二人は吹き出しそうになる。どちらの電話の相手も仕
事場の上司、すなわちボスであった。ボスからの電話ということは、もちろん任務の電話
だ。宍戸はここでやっと、自分がこれから殺さなければならないターゲットについての特
徴を伝えられた。
「はい、はい。この姿ですか?もうだいぶ慣れましたよ。それで、今回の仕事の相手は?
えっ?・・・はい、金髪で碧眼、名前は・・・」
ターゲットの特徴を聞きながら、宍戸は跡部に目をやる。今、言われた特徴はまさに跡部
を表しているようなものだったのだ。そして、名前を聞いて、宍戸の顔は凍りつく。
「跡部・・景吾・・・?」
跡部に聞こえないように宍戸は小さな声でそう聞き返す。ボスは確かに頷いた。自分の次
のターゲットが、跡部など信じられない、むしろ、信じたくない。初めて出会った時から
宍戸の心は跡部にすっかり囚われている。しかし、ボスの命令は絶対だ。もし、命令に反
したなら自分が殺されてしまう。
「どうしよう・・・」
電話を切り、宍戸は悲痛な面持ちで跡部を見る。そんな宍戸に気づかず、跡部は電話を続
けていた。
「は?どういうことですか、それ・・・?」
『だから、お前の今度のターゲットの「宍戸亮」は性転換をして、今は女になっている。
特徴はこの間話したよな?体が女だってこと以外はそのままだ。』
跡部はここで初めてターゲットの名前を聞かされた。もちろん出会ってすぐ、二人は自己
紹介をし合っている。「りょう」という名前は女の名前としてもありえるので、特に気に
していなかった。確かに激しく男言葉なのは少し気になってはいたが、まさか性転換をし
ているとは欠片も思っていなかった。
「了解しました。・・・出来るだけやってみます。」
ピッ・・・
電話を切って跡部は大きな溜め息をつく。まさか宍戸が自分のターゲットだなんて、夢に
も思わなかった。跡部も宍戸と同じく初めて会った時から、宍戸に一目惚れ。今は宍戸が
いない生活など考えられない程好きになっていた。
『・・・・・・・』
二人とも目を合わせられず黙りこくる。今、この目の前にいる相手を殺すか。それとも自
分が死ぬか。答えは二つに絞られる。
「な、なあ・・・」
「どうした?」
「お前の名前ってさ、『跡部景吾』であってるよな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「い、いや、別に・・・」
外見の特徴からもこの跡部であることは間違いない。本当にこれは人生で最大の決断をし
なければならないと宍戸は頭を悩ませる。
「テメェさ・・・」
「ん?何だ?」
「亮って名前だろ?随分、男っぽい名前じゃねぇ?」
「そ、そんなことねぇと思うけど。何で?」
「いや・・・何でもねぇ。」
気まずい空気が二人の間に流れる。もちろん跡部も宍戸を殺すことなど出来るはずがなか
った。
「やっぱさ、今日は泊まりは無理だわ。いきなり仕事入っちまって・・・」
「奇遇だな。俺もだ。」
一緒に居れば任務を遂行しなければならなくなってしまう。ここはひとまず離れた方がよ
いと二人は今日一緒に居ることを取りやめた。跡部が帰ろうと立ち上がると、宍戸は跡部
を呼び止める。
「跡部っ。」
「どうした?」
「帰る前に、キスしてくれよ。」
「へぇ、テメェからキスねだってくるなんて珍しいじゃねぇか。」
「きょ、今日はそういう気分なんだよ!」
「いいぜ。ほら、こっち来いよ。」
どうすればよいか分からない不安を紛らわすべく、宍戸は跡部にそんなことを頼む。跡部
とキスをしている間は何もかも忘れられる。ほんの一瞬の安らぎを感じながら、宍戸はゆ
っくり目を閉じた。
跡部が帰ってしまってから、宍戸はベッドに突っ伏し、頭を抱えていた。跡部のことを殺
すなんて出来ない。しかし、殺さなければ自分が殺されてしまう。胸が締め付けられるよ
うなその感覚に、宍戸は息さえもまともに出来なくなるような錯覚に襲われる。
「くそ、どうすりゃいいんだよ・・・」
ぐるぐると頭の中でそんなことを巡らせていると、携帯電話が鳴る。ボスからの催促の電
話ではないかと、宍戸はドキッとする。恐る恐る携帯電話を開くと、そこには『跡部景吾』
という表示が出ていた。ホッとしつつ、宍戸は電話を取る。
「もしもし?」
『宍戸か?』
「あ、ああ。」
『俺はテメェに話しておかなきゃならねぇことがある。』
「な、何だよ・・・?」
いつになく真剣な声色の跡部に、宍戸の鼓動は早くなる。少しの沈黙が宍戸を不安にさせ
る。ほんの数秒のことだったのだが、宍戸にとっては何十分も黙られているように感じら
れた。
『俺はテメェを殺さなきゃならねぇ。俺は殺し屋で、次のターゲットはお前だ。』
「えっ・・・?」
宍戸は耳を疑った。跡部が殺し屋なんて信じられない。しかも自分が次のターゲットだな
んて、冗談だと思いたかった。
『だが、困ったことに俺はそれが出来そうにねぇんだ。俺はテメェを一度助けてるんだぜ。
それをわざわざ殺すなんて・・・・』
跡部は言葉に詰まる。その隙をついて、宍戸も自分が殺し屋だということと、そのターゲ
ットが跡部であることを話した。
「実はな、俺も殺し屋なんだ。さっきの電話もボスからの任務の電話。ターゲットは跡部
景吾。」
『は?・・・マジかよ。』
「俺もテメェのことは殺せねぇよ。だって、跡部は俺の命の恩人だもんよ。でもな、任務
が遂行出来なきゃ、俺はどっちにしても殺されちまうんだ。」
『・・・・・』
お互いがお互いのターゲットだということを打ち明けると、二人は黙り込む。どちらもお
互いを殺す気はないことは分かっている。しかし、それが出来なければ、上からの制裁が
下る。これからどうするか、少ない選択肢の中でどれが一番有効か、二人は一生懸命考え
た。
「なあ、どうすればいい?跡部。」
『いっそ二人で心中するか?』
「はあ?・・・冗談だろ?」
跡部の言葉に宍戸はドキっとする。その声はとても冗談と思えないような声であった。
『ああ、冗談だ。それじゃあ、お互いに殺し合うのと変わらねぇからな。・・・さて、ど
うしたもんか・・・』
跡部としては、さっきの言葉は半分本気で半分冗談であった。しかし、宍戸の声があまり
にも不安気だったので、こう切り返したのだ。
「メチャクチャ危険で、成功する確率はすげぇ低いかもしれねぇけどよ・・・」
『ああ、何だ?』
「ボスを殺すってのは?そしたら、俺らはお互いに殺さなかったとしても、他の奴らに殺
されるってこともねぇじゃん。」
『確かに危険だが・・・やってみる価値はあるな。むしろ、それ以外に俺らが助かる方法
はねぇ。』
「それじゃあ・・・」
『ああ、やってみるか。テメェ、腕に自信は?』
「それなりにあるぜ。そっちはどうよ?」
『俺様を誰だと思ってる。俺様が手強いからって、テメェはわざわざ性転換させられたん
だろ?』
「知ってたのか!?」
『初めは普通に女だと思ってたけどな、ボスに聞いて驚いた。よし、今からお前は俺のパ
ートナーだ。しくじるんじゃねぇぞ。』
「ああ、任せとけ!」
自分達が生き残るため、二人はお互いのボスを暗殺しようと計画し始めた。ボスが相手だ
と言えども、二人はプロの殺し屋だ。その計画性と腕には、他にはないカリスマ性がある。
絶対に二人で生きると誓い合い、跡部と宍戸は電話を切った。
それからしばらくして、二人は考え抜いた計画を実行する。街外れの小さな教会で、二人
は今、純白の衣装を身に纏っている。周りには自分の知っている同業者。もちろん二人の
ボスも一番前に座り、式に参加していた。跡部と宍戸は殺すためにお互いに近づき、この
式で相手を殺すとボスには連絡していたのだ。そのため、いい余興が見れると思って、何
の疑いもなしに参加しているのだ。
「それでは、誓いの言葉に移ります。」
この式の進行役の祭司は、跡部の旧友だった。この祭司に跡部と宍戸は全ての計画を話し
ていた。どのタイミングでボスを殺すか。もしそうなった場合にこの場はどういう状況に
なるのか、それを知っていないければ、この後起こることに対しての対処が出来ない。
(ねぇ、計画の実行って、誓いのキスのときでいいんだよね?)
(ああ。一番油断してるだろうからな。)
(撃ち合いが始まったら、この下にちゃんと隠れるんだぞ。)
(分かってるって。)
招待客には聞こえないような声で三人はこの後のことの確認をする。誓いの言葉は問題な
く終わり、指輪交換の後、遂に誓いのキスとなる。
「それでは、誓いのキスを。」
何のためらいもなしに口づけを交わしながら、二人はお互いの服に隠してあったピストル
を取り出す。そして、気づかれぬようそれぞれのボスに向けて同時に引き金を引いた。
ドギューン、ドギューンッ・・・
まさかこんな場面で自分に向かって撃たれるとは思っていなかったので、二人のボスは撃
たれた弾をよけることが出来なかった。跡部も宍戸もピストルを撃つ腕は、他の者に比べ
抜きんでている。放たれた弾が急所にあたり、二人のボスは即死した。当然周りにいた人
々は、状況が掴めずざわめく。しかし、その中でも冷静な者がいる。この状況にいち早く
気づいた者が二人に向かって引き金を引いた。
「おっと、危ねぇ。」
「さーて、ここからが披露宴の始まりだぜ。」
その銃声を合図に激しい撃ち合いが始まる。ここに来ている招待客は皆、殺し屋なのだ。
誰もが銃やピストルを持っている。かなりの大人数を相手にしながら、跡部と宍戸は、的
確に自分達に向かってくる相手を倒していった。
ドギューン・・・ドギューン、ドギューン・・・・
あまりに大人数を相手にしているため、宍戸のピストルの弾が切れてしまった。しまった
と思った瞬間、跡部が宍戸の名を呼ぶ。
「宍戸!!」
跡部は宍戸に向かって替えの弾を投げた。宍戸のピストルは下から弾を替えるタイプのも
のなので、殻の弾を抜くと、宍戸は空中でその弾を自分のピストルに入れた。そして、そ
のまま、向かってくる相手に向けて撃つ。
ドギューン、ドギューン!!
「サンキュー、跡部。」
「礼はいらねぇよ。さて、もう一息だ。行くぜ。」
「ああ。」
この計画を成功させるためには、目撃者を残してはならない。跡部と宍戸は一人残らず、
そこにいた人を撃ち殺した。全ての人が自分達の周りに倒れるころには、二人の純白だっ
たウエディングドレスとスーツは、半分近く赤く染まっていた。
「ふぅ。これで全員だな。滝、そろそろ出てきていいぞ。」
「うわっ、何これ!?超血の惨劇って感じじゃん!」
祭壇の下から出てきて、滝は驚く。目の前に広がる光景はまさに地獄絵図と言った感じだ。
「仕方ねぇだろ。こうしねぇとお前だって殺されかねないんだぜ?」
「そりゃそうだけどさあ。で、この後どうすんの?」
「ここに火つけて、証拠隠滅させる。うちらのグループの重役はみんな殺しちまったから
な。殺し屋による犯罪ってのは、ちょっとは少なくなるんじゃねーの?」
「うわあ、えげつない。しかも、さっきまでは純粋な花嫁と花婿って感じだったのにその
衣装じゃ全然そんな雰囲気ないね。」
血で染まったドレスとスーツを見て、滝はそんなことを呟く。
「でも、まあ、こっちの方が俺ららしいんじゃねぇ?元殺し屋同士だし?」
「確かにな。もう堕ちるとこまで堕ちたし、後はもう上昇するしかねぇよ。この際だから
本当に結婚しちまうか?宍戸。」
「おっ、いいんじゃねぇ?俺、もう女ってことになってるし。別に問題ねぇよな。」
楽しそうにそんな話をする二人を見て、滝は呆れながら苦笑する。本当にすごい奴らだな
あと感心の意さえ示す。
「ホント、お前らってすごいよね。二人とも顔はいいのに、してることは堕天使か悪魔っ
て感じだもん。好き合ってるのは分かるけどさあ、ちょっとやりすぎ。」
「そんなの気にしてたら殺し屋稼業なんて出来ないぜ。でも、ま、これ以上続ける気ない
けどな。」
「同感。さてと、そろそろ外出ねぇ?ここに居ても血の匂いで息が詰まりそうだし。」
「そうだな。滝、お前は先に出てろ。俺らはここに火つけてから行くからよ。」
「分かった。じゃあ、先、行くね。」
滝が教会の外へ出るのを確認すると、跡部と宍戸はじっとお互いの顔を見つめ合った後、
しっかりと抱き合う。どちらの体も計画をやりきった喜びと今まで張りつめていた緊張が
解れたことで、小さく震えていた。
「やったな、跡部。これでずっと一緒に居られる。」
「ああ。もう狙われる心配もねぇし、これ以上誰かを殺すこともねぇ。」
「なあ、もっかい誓いのキスやり直そうぜ。今度こそ、本当の誓いのキスだ。」
「そうだな。」
本当に自由になれた二人は、これからずっと一緒だということを誓いつつ、深い口づけを
交わす。心ゆくまでキスをすると、二人はゆっくりと唇を離した。
「よし、そろそろ行くか。」
「ああ。」
十分にお互いの気持ちを唇から伝え合うと、跡部は持っていたライターで火をつける。火
が広がる前に二人は手を取り合って、扉に向かって走り出した。跡部のつけた火はだんだ
んと周りに広がり、建物自体を燃やしてゆく。それはさながら二人の想いのようで、メラ
メラと音を立て、大きくなっていった。そして、二人は光差す入り口の扉の向こうへと駆
け抜けた。
END.