雪が降りそうなほど寒い2月のとある日。宍戸は、珍しく空いている跡部の席を見て首を
傾げる。
「あれ?跡部の奴、どうしたんだろ?休むなんて激珍しいし。」
しばらくして担任が教室に入ってきて、HRが始まり、出席をとり始める。跡部の名前を
初めから飛ばして呼んだので、既に欠席の連絡が入っているのだと宍戸は悟った。
(マジで休みなんだ。欠席の理由、HRが終わったら先生に聞いてみるか。)
跡部が休むことなどそう滅多にないことなので、宍戸はその理由が気になってしかたがな
い。HRが終わり、担任が教室から出て行こうとするのを呼び止め、宍戸は跡部の欠席の
理由を尋ねた。
「先生。」
「どうした、宍戸?」
「今日跡部、どうしたんっスか?」
「ああ、跡部はインフルエンザだそうだ。かなり熱が高いらしくてな、一週間くらいは学
校に来られないらしい。」
「そうですか。」
インフルエンザでは仕方がないと、宍戸は少し残念だなあという顔をしながら席に戻る。
(インフルエンザになるなんて、激ダサだぜ。・・・でも、やっぱ心配だよなあ。しかも、
一週間も休まなきゃいけねぇなんて・・・ちょっと寂しいかも。)
一週間も会えないとなると、さすがに寂しいと、宍戸の顔は何となく暗くなる。そんな気
分を少しでも振り払おうと顔を上げると、黒板に書いてある今日の日付が目に入った。
「あっ・・・」
黒板に書かれた日付は、『2月13日』。宍戸の頭に真っ先に思い浮かんだのは、次の日が
鳳の誕生日ということだが、それと同時にもう一つ特別な日であることに気がつく。
「明日、バレンタインじゃねぇか。」
毎年、バレンタインには跡部は数え切れないほどのチョコレートをもらっている。しかし、
今年は学校自体に来ることが出来ないので、跡部にチョコをあげたい女子はさぞかし残念
がっているだろう。だが、それは宍戸も同じであった。最近は毎年跡部にチョコレートを
あげている。ところが、今回はとてもあげられる状況ではない。
「インフルエンザにチョコはきっついよなあ。今年はあげんの諦めるか・・・」
そんなことを考えつつ、宍戸はぼんやりと宙を眺める。しかし、何となく胸の中心がもや
もやして、すっきりしない。どうすればいいか考え始めようとしたその時、一時間目の授
業が始まってしまった。
次の日、学校から帰ってから宍戸は跡部に電話をしてみようと考えた。担任によると少し
は熱は下がったらしいのだが、まだとてもベッドから起き上がれる状態ではないと言う。
熱がそれほど高くなければ、少しは話が出来るだろうと、宍戸は跡部の携帯に電話をかけ
た。
トゥルルル・・・トゥルルル・・・
『・・・もしもし?』
「あっ、跡部?俺だけど・・・」
『ああ、分かってる。テメェじゃなきゃ電話取らねぇよ。ゲホッ・・・ゴホ・・・』
「マジ、辛そうだな。熱、下がったのか?」
『昨日よりはな。でも、まだ38度以上ある。』
「うわあ、さすがインフルエンザだな。見舞いとか行ったらダメか?」
『バカヤロウ。ゴホ・・・そんなことしたら、テメェにうつしちまうだろうが。』
「だよなあ。・・・なあ。」
『アーン?何だ?』
「・・・いや、何でもねぇ。やっぱテメェのインフルエンザが治ってから考えるわ。」
『何なんだよ、テメェは。・・・ゴホッ・・・』
「あー、あんまり無理させちまうと悪ぃからな。とりあえず、今日はこのへんで切るわ。」
『まだ・・・大丈夫・・・ゲホっ・・・ゲホ・・・』
「全然大丈夫じゃねぇじゃねぇか。また、もう少しよくなったら電話してやるからよ、今
はゆっくり休んどけ。」
『・・・分かった。少しよくなったらメールするからな。』
「ああ。じゃ、お大事にな。」
ピッ
電話を切ると宍戸は深い溜め息をつく。本当はバレンタインについてのことを尋ねたかっ
たのだが、今の状態で聞くのはあまりよくないと感じて聞けなかった。
「チョコレート、今年はどうするかなあ・・・」
とりあえず、今日は無理だと考え、宍戸は頭を悩ませる。その当日に渡さなければ意味が
ないと考えるか、一週間過ぎても渡すのがいいのか、そうすぐには決められない。また、
もやもやとした気持ちを抱えたまま、宍戸はベッドの上に突っ伏した。
一週間と一日が過ぎ、完全に体調の戻った跡部が学校にやってきた。さすがにそれだけの
時間が経ってしまっては、バレンタインデーに何もあげられなかった者もチョコレートを
あげる気にはなれない。
「おー、跡部、久しぶり。インフルエンザ治ったのか?」
「ああ、もう完璧に治ったぜ。今からテニスの試合も出来るくらいだ。」
「病み上がりであんまり無理すんじゃねぇよ。それより、今日の放課後暇か?」
「ああ。特に用事はないぜ。どうしたんだよ?」
「んー、ちょっと寄りたいところがあってな。」
意味深なニュアンスを含みつつ、宍戸はそんなことを言う。一週間前に何もしてあげられ
なかったことをいまだに引きずっているのだ。
「へぇ、どこだよ?」
「久々に跡部に会ったわけだし、ちょっとくらい遊びに行きてぇと思ってよ。」
「なるほどな。あっ、そういや宍戸・・・」
「ん?何だよ?」
宍戸だけでなく、跡部も心の内に何か引っかかっているものがある。それは、宍戸と大し
て変わらないものなのだが、なかなかそれを伝えるのは難しい。微妙に時期がズレてしま
ったので、余計に口に出しにくくなっている。
「・・・いや、何でもねぇ。」
「何だよ?変な奴だな。」
(今更バレンタインデーのチョコレートが欲しいなんて言えねぇよな・・・)
本当の気持ちを誤魔化すかのように、跡部は自分の席に戻り、次の授業の用意をし始める。
何が言いたかったんだろうと首を傾げながら、宍戸はしばらく跡部の行動を目で追ってい
た。
(マジで何なんだよ?絶対何か隠してるよなあ。まあ、いいや。どうせ、今日は一緒に帰
るし、ちょっと様子を探ってみるか。)
詮索するのは放課後にしようと、宍戸も授業の用意を始める。そんな宍戸をちらちらと見
ながら、跡部は小さく溜め息をついた。
放課後になり、跡部と宍戸は一緒に下駄箱に向かう。校門を出ると、宍戸は中心街に向か
って歩き始めた。
「おい、どこ行くんだ?」
「んー、とりあえず、街行って適当にぶらぶらしねぇ?あっ、もしまだだるかったりした
ら別に無理に付き合えとは言わねぇけどよ。」
「別にだるくはねぇよ。昼休みにも言ったろ?もう完治したって。」
「そっか。じゃあ、ちょっと遊ぼうぜ。」
ニッと笑って宍戸は跡部の方に顔を向ける。そんな顔されたら、余計に断るわけにはいか
ないと跡部は宍戸の誘いに応じることにした。しばらく歩いて、中心街に入ると、宍戸が
向かったのは、何の変哲もないゲームセンターであった。
「ゲーセンか。」
「ちょっと寄ってくだけだからよ、いいだろ?」
「まあ、暇つぶしにはいいんじゃねぇ?」
たまにはこういうところで遊ぶのも悪くないと跡部は宍戸に従って、ゲームセンター内に
足を踏み入れた。入ってすぐに二人の目に留まったのは、いくつものUFOキャッチャー
だ。どんなものがあるかと、しばらく様子を見つつ歩いていると、二人の目にあるものが
飛び込んできた。
『あっ・・・』
ぬいぐるみなどには全く興味がなかったのだが、今目の前にあるものはどうしても気にな
ってしまうものであった。それは一週間前のとあるイベントに大きく関係するお菓子。そ
うチョコレートだ。しかも、ただのチョコレートではなく、景品用として作られた特大の
板チョコである。普通のチョコレートの何倍も大きなチョコレートを前にし、二人はその
場所から動けなくなってしまった。
「す、すげぇデカイチョコレートだよな!」
「・・・そうだな。」
チョコレートの話題を振られ、跡部はドキッとする。自分の思っていることがバレてしま
うのではないか。そんなことを考えつつ、跡部は他のUFOキャッチャーに目を移す。
「試しにやってみようかな。」
ボソっとそんなことを呟き、宍戸は100円玉を2枚、その機械に投入する。そんな宍戸
の行動を見て、跡部はさらに動揺した。
(ヤベェ・・・こんな安物のチョコでも欲しいと思っちまってる。まあ、大きさはそれな
りだから、普通の板チョコよりは全然マシだけど・・・)
ウィーン・・・
跡部がそんなことを考えていることなど露知らず、宍戸はボタンを押し、アームを動かし
始める。アームはチョコレートの端を掴んだが、少し位置がずれただけで落ちるとこまで
はいかなかった。しかし、あともう少し動かすことが出来れば、真ん中に空いている穴に
落ち、取ることが出来そうだ。
「あー、おしいっ!!もう一回やったら、取れそうだぜ。」
もう一度やれば必ず取れると、宍戸はもう200円機械に小銭を投入する。中心より少し
後ろの方に狙いを定め、宍戸はアームを動かす。
ウィーン・・・ドサッ!!
「よっしゃー!!取れたぜ!!」
後ろの方を持ち上げられた特大チョコレートは、その重心が移動し、見事に穴に落ちた。
それを見ていた跡部は、なかなかやるなあと素直に関心する。
「へぇ、やるじゃねぇか。」
「へへーん、すげぇだろ?何かビターチョコみたいだぜ。跡部、ビターチョコなら食える
よな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
今の流れなら、何の違和感もなしにチョコレートがあげられると、宍戸はそんなことを尋
ねる。ここで今取ったこのチョコレートを跡部に渡せば、バレンタインのプレゼントを遅
れながらもあげたことになる。
「それならこのチョコ、テメェにやるよ。」
「・・・は?」
跡部は一瞬、自分の心が読まれていたのかと思った。しかし、宍戸は跡部がチョコレート
を欲しがっていることなど、全く気がついていない。自分が跡部にあげたい。純粋にそう
思う気持ちからこんな行動を起こしたのだ。
「ほ、ほら、今年のバレンタインはテメェがインフルエンザで休んでたから何も出来なか
っただろ?かなり遅れちゃったけどよ、一応、バレンタインのチョコレートってことで。」
まさか本当に宍戸からチョコレートをもらえるなどと思っていなかったので、跡部は内心
嬉しくてたまらなかった。しかし、ここで素直に喜ぶのは何だか恥ずかしいとわざとあま
り喜んでないフリをする。
「フン、こんな安物のチョコなんざ俺様は食わねぇけどな。・・・今回は特別だ。テメェ
がせっかく取ったもんだしな。もらっておいてやるよ。」
馬鹿にするような笑みで、本当に嬉しいという気持ちからくる顔の緩みを誤魔化している
が、宍戸には跡部の本当の気持ちが分かっていた。なので、こんなことを言われても、そ
こまでイラっとすることはない。
「ったく、素直じゃねぇなあ。」
「アーン?何がだ?」
「嬉しいんだったら、素直に嬉しい顔すりゃいいだろーが。」
「な、何自惚れてやがる。別にそんなこと・・・」
「まあ、とりあえず、それ俺の気持ちだからよ。ホワイトデーは三倍返しだぜ?」
ニコッと笑われ、そんなことを言われれば、これ以上何も言えなくなってしまう。照れて
いる顔を見られないようにと跡部はふいっと宍戸から顔を背けた。しかし、耳まで赤くな
ってしまっては、さすがに宍戸も気づく。クスクスと声を殺して笑いながら、宍戸は跡部
の肩をポンッと叩いた。
「なあ、これからお前んち行きてぇ。」
「どうしてだ?」
「何となく。」
「別に構わねぇぜ。なら迎えに来てもらうか。」
「おう!」
もっと外で遊ぶのも悪くないが、これだけ大きなチョコレートを抱えながら遊ぶのはなか
なか大変である。それ以上に跡部と二人きりでゆっくり話をしたいと宍戸はそんなことを
跡部に頼んだ。もちろん跡部がそんな嬉しい頼みを断るはずがない。すぐに迎えを呼び、
車で屋敷に向かった。
「今、飲み物持って来させるからそこのソファに座ってろ。」
「おう。」
鞄を壁際に置くと、宍戸はふわふわのソファに腰かけた。コートを脱ぎ、ネクタイを緩め
ると、跡部も宍戸の隣に座った。
「つーかさ、何でいきなりインフルエンザにかかったりなんかしたんだ?健康には人一倍
気をつかってんだろ?」
「所用で最近忙しくてな。免疫力が弱ってたみてぇだ。」
「ふーん、俺、毎年結構バレンタイン楽しみにしてるんだぜ。だから、今年は・・・」
「へぇ、そうなのか?」
ニヤニヤと笑いながら自分のことを見ている跡部の視線に気づき、宍戸は流れでとは言え
すごいことを言ってしまったと、顔を赤く染める。
「あっ・・・いや、その・・・・」
「俺もすげぇ残念だと思ってるぜ。バレンタインは年に一度しかねぇのになあ。」
「テメェがインフルエンザになんかかかるからいけねぇんだ!」
「ああ、そうだな。だったら、バレンタインを一緒に過ごせなかった分、今日は・・・」
すっと跡部の手が宍戸の頬に触れ、その顔が近づいたその瞬間、後ろの方からノックの音
が聞こえる。
コンコン・・・
「坊ちゃま、お飲み物をお持ちしました。」
「ああ、ちょっと待て。今、開ける。」
何事もなかったかのように宍戸から離れ、跡部はメイドが持ってきた飲み物を取りに行く。
しかし、宍戸の心臓はありえないほど高鳴り、すっかり平常心を失っていた。
「テメェ、顔真っ赤だぜ。何期待してたんだよ?」
「べ、別にそんなことねぇよ!!」
「フン、まあ、俺も邪魔が入るとは思ってなかったからな。とりあえず、続きはこれを飲
んでからにしようぜ。」
跡部が宍戸に差し出した飲み物は、黒に近い茶色で甘い匂いを漂わせていた。跡部ももち
ろん同じ飲み物だ。
「ココア?」
「ココアっつーより、ホットショコラって感じだな。」
「ふーん、なかなか美味そうじゃん。」
ふーふーと軽く冷ましながら、宍戸はホットショコラを口に含む。甘すぎもせず苦すぎも
しない、しかし、非常に濃厚なカカオの味が一気に口の中に広がった。
「うわあ、激うめぇ!」
「だろ?」
「どんなチョコ使ったらこんな味になるんだろうな?さぞかし高いチョコなんだろ?」
そんな宍戸の質問に跡部はフッと意味ありげな笑みを浮かべながら首を振る。
「そんなことないぜ。」
「えー、でも・・・・」
「これは、テメェがさっき俺様にくれたチョコだ。」
「えっ・・・?」
意外な跡部の言葉に宍戸は唖然とする。ゲームセンターで取ったあの特大チョコレートが
こんな美味しい飲み物に変わるとは信じられない。もう一度、液体状の熱いチョコレート
を口に含むと、宍戸はその味をじっくり味わった。何度味わってもこのホットショコラが
あのチョコレートであるとは信じられない。
「マジかよ・・・?全然信じらんねぇ。」
「まあ、少し手は加えてあるがな。ベースは正真正銘さっきのチョコだぜ。」
「へぇ、すげぇな。何かすげぇ得した気分。」
あまりにホットショコラが美味しいので、ニコニコしながら宍戸はそんなことを言う。想
像以上に宍戸が喜んでくれたのを嬉しく思いながら、跡部もそのチョコレートをじっくり
口の中で味わった。
「なんかよ・・・」
「アーン?何だ?」
「こんなの飲んでると、メチャメチャ日にち的には過ぎてるけど、雰囲気バレンタインっ
て感じしねぇ?」
「確かに・・・そうだな。」
チョコレートの香りが宍戸をそんな気分にさせる。跡部にとっては、宍戸からあの特大チ
ョコレートをもらった時点で気分はバレンタインだった。それが、今に宍戸の言葉でさら
に助長される。
「一週間遅れだけどよ、今から俺達だけのバレンタインしねぇ?」
「フン、テメェにしてはいいアイディアだな。」
「テメェにしてはが余計だ!!」
「チョコレート、冷めちまうぜ。これ全部飲んだら、始めるか。」
「・・・・おう。」
せっかくの美味しいチョコレートを残してしまうのはもったいないと、跡部はそんなふう
に宍戸を誘う。ホットショコラを飲み終えると、跡部は宍戸の制服のネクタイを解いた。
「一週間遅れだけどよ・・・」
「おう。」
「ハッピーバレンタイン、亮。チョコありがとな。」
「へへ、どういたしまして。ホワイトデー、期待してるからな!」
「もうホワイトデーのことかよ?まずは、バレンタインを存分に楽しもうぜ。」
「そうだな。景吾♪」
お互いのことを名前で呼び合い、二人はバレンタインに見合う行為を始める。甘いチョコ
レートの香りがする部屋で、二人は先程のホットショコラよりも何倍も甘くてとろけるよ
うな口づけを交わし合うのであった。
END.