Betrayal

(ああ、またか・・・。)
人通りの多い街中を歩きながら、跡部は心の中でそう呟く。跡部は不特定多数の人が集ま
る場所が嫌いであった。自分の意思とは関係なしに流れ込んでくる他人の心の声。幼い頃
から他人の心の声が聞こえてしまうという特殊な能力が跡部にはあった。しかも、悪意に
満ちた声ほどより鮮明に聞こえるので、それはあまり気分のいいものではなかった。
(もともと口が悪かったり、問題を起こしてる奴のがよっぽどマシだな。上辺だけいい人
ぶってる奴らの方がタチが悪ぃ。)
見た目や行動だけ見ればいい事をしている人の心の声がドス黒いものであることは、さほ
ど珍しいことではなかった。一見優しく見える行動の裏に隠された思惑、悪意、嘘・・・
それらが跡部には丸見えだった。
(こんなもん見たくねぇし、聞きたくもねぇ。こんな偽善ばっかの世界に何を望めるって
いうんだ?)
幼い頃、この能力の意味が分かっていなかった跡部は、聞こえたこと思ったことを素直に
大人達に話していた。その言葉を聞いて、今まで優しかった大人が人が変わったように冷
たくなり、心の声が跡部に対してひどく辛辣なものになった。時には、悪事がバラされた
とカッとした大人に、殴られることもあった。今まで優しくされていればいるほど、それ
は跡部にとって大きな心の傷となった。
(本当の優しさなんてありゃしねぇ。俺に優しくしてた奴らは、俺のこの能力を知ったら、
すぐに離れて行きやがった。しかも、俺を不気味がって、心の中では罵って。だけど、最
後まで自分はいい人でしたなフリをするんだよな。)
跡部にとって、優しさはただ残酷なものでしかなかった。優しさが欲しくないわけではも
ちろんなかった。しかし、優しくされた後で裏切られることは、もとから嫌われているよ
りも心を深く傷つけられる。幼い頃から何度もそれを経験している跡部は、既に人の優し
さというものを信じられなくなっていた。

そんな跡部であるが、日常生活は一見すると問題ないように見えていた。しかし、人との
深い付き合いは避けざるを得なかった。本心を語り合わなくても本心が見えてしまう。深
い関わりを避けるため、思ってもいないことを口にする。心の伴わない言葉だけが、彷徨
いながら消えていく。いつの間にか、その場しのぎの嘘ばかりがうまくなっていった。
ざわ・・・
と、突然跡部の心の中にたくさんの声が流れ込んでくる。周りを見てみると、近くにいる
ものは皆、携帯電話やスマートフォンの画面を覗いていた。どうやら何かのニュースを見
ているらしい。
「可哀想。」
「ひどい話ね。」
「こんなこと許せないよな。」
どんな事件かは分からないが、耳に聞こえる声はこのようなものがほとんどであった。し
かし、跡部の心に流れてくるのはそんな声とは全く違うものであった。
(いい気味。)
(調子に乗ってるからだ。ザマアミロ。)
(ここ最近では、面白いニュースじゃん。)
その声は数人ではなく、かなりの数の声であった。明らかに誰かが不幸になっているニュ
ースにも関わらず、興味本位でそれを見て、楽しんでいる声が聞こえる。それが外から見
てそう見えるのであれば、少し気分が悪いだけであるが、誰一人としてそんな様子を見せ
ていない。それどころか、全く逆のことを口にしているのだ。
(ああ、うるさい。他人の不幸に群がって、何が楽しいんだ。嫌な声ばかり聞かせやがっ
て。こんなところにいるのはゴメンだ。)
蜂の羽音を聞いて逃げるように、跡部はその場から離れた。しかし、少し離れただけでは、
まだ人がいて、嫌な声が聞こえてくる。自分の他に誰もいなくなる場所まで、跡部は止ま
ることを許されなかった。

家に帰り、一人自分の部屋で好きな音楽をかけながらくつろぐ。文字からは声は聞こえて
こないので、パソコンを開き、インターネットをしながら情報を集めていた。文字にされ
た理想や夢。しかし、それが幻想で叶えられないものであるかのように憂鬱なニュースで
埋めつくされている。その中から一つのニュースを切り取り、詳しく見てみれば、専門家
やら何やらのいかにも正しそうな意見が書かれている。
「こいつらも会ったら、違う声を聞かせやがるんだろうな。自分がいいことをしてる、正
しいと思ってる奴らほど、何かやらかしたときはもっと大変なことになる。確信犯って奴
は本当やっかいだぜ。」
そんなことを呟きながら、跡部はそのニュースを閉じ、パソコンの電源を切る。そして、
部屋の電気を消し、ベッドに入った。
「今日もいつもと同じ一日だったな。」
小さく溜め息をつき、跡部は目を閉じる。もう誰も信じない、愛せない・・・そんなこと
を考えながら、眠りにつくといつも通りの夢を見る。

『ふぇ・・・ひっく・・・』
『どうしたんだ?』
幼い頃の跡部が泣いていると、長めの髪を上の方で一つに結んだ同い年くらいの少年が声
をかけてくる。真っ黒で綺麗な髪に大きな瞳、自分とは全く違うタイプの可愛らしい顔に
跡部は心を奪われる。
(いやなこえがきこえない。)
その少年と会ったときの第一印象はそれであった。この少年になら、全てを話していいか
もしれないと、跡部は自分の力のこと、大人達に疎まれていること、優しい人が突然怖く
なるというようなことを話した。
『おまえ、すごいな!』
『えっ・・・?』
『そんなチカラあるなら、ほかのひとにはわからないわるいヤツとかみぬけるじゃん。』
『そうだけど、そんなこといってもだれもしんじてくれないし・・・』
『いまはムリかもしれないけど、おおきくなったらつかえるとおもうぜ!』
『ほんとうに?』
『ああ。ていうか、そんなちょっとしたことで、おこるようなおとながゲキダサだぜ!』
その少年の言葉に跡部の心はふわっと温かくなる。心の声を聞いても同じことしか聞こえ
ないため、本当にそう思って言ってくれていることが跡部には分かった。
『ありがとう。』
ニッコリと笑ってそう伝えると、その少年は少したじろぐ。そして、軽く頬を染めながら
素直に思っていることを口にした。
『おまえ、ぜったいわらってるほうがいいぜ。』
『どうして?』
『ど、どうしてだっていいだろ!』
恥ずかしいのか理由を言わない少年であるが、跡部には心の声が聞こえるのでその理由は
分かっていた。こんなに心から嬉しいと思ったことは生まれて初めてかもしれないと思い
ながら、跡部はその少年の顔を見る。と、遠くから少年を呼ぶ声が聞こえた。
『そろそろかえらなくちゃ。』
『ああ。』
『おまえ、おもしろい。また、あえるといいな!』
純粋な笑顔でその少年は跡部に向かって手を振り、向こうの方へ走って行く。少年が見え
なくなると、跡部の心はずしっと石が落ちてきたように重くなった。

何とも言えない切なさを感じながら、跡部は布団の中で目を覚ます。窓からは眩しい朝日
が差し込んでいた。
「もう朝か。」
夢で会う少年は、確かに現実にも出会っていた。しかし、あの時以降、再び会うことはな
かった。あの少年が自分の側にいてくれたならば、どれだけ心が軽くなるだろう。そんな
ことを考えるが、それは見えない星を探すようなものであった。叶えられない想いを持っ
ていれば、それだけ心が辛くなる。
「考えるな。アイツは俺の側にはいない。」
そう言い聞かせなければ、現実が心を裏切るのに耐えられなかった。この能力のせいで、
何もかもが信じられなくなっている。しかし、能力があろうがなかろうが、起こっている
こと、聞こえてくる声は紛れもなく現実なのだ。今日もまた同じ一日が繰り返されるのだ
ろうと思いながら、跡部は大きな溜め息をつき、出かける準備をし始めた。

今日は跡部にとって、かなり不運な一日であった。学校が終わるまではいつも通りであっ
たのだが、雨が降りそうなこの状況で、迎えの車が故障してしまったとの連絡があったの
だ。そうなると、ひどく混み合う電車を使って家に帰らなければいけなくなってしまう。
跡部が帰宅する時間は、ちょうど帰宅ラッシュと重なる時間であるので、どの電車もほぼ
満員であった。
「くそ、ついてねぇ。」
満員電車などは跡部にとっては地獄であった。仕事に疲れ、イライラした人達が大勢いる
電車の中は、嫌な声が大音量で聞こえる場所であった。出来るだけその声を気にしないよ
うに努めながら、跡部は自分の降りる駅につくのを待つ。と、その時、跡部の心の耳に信
じられない声が聞こえる。
(おいおい、冗談だろ。ふざけるなよ。)
「やめてください!この人、痴漢です!!」
自分の前に立つ女性が、そう声を上げる。ちょうどその時、電車は駅で止まった。ざわめ
く車内、その駅で降りる人と共に、跡部はその駅に降ろされた。その女性がそういうこと
を言うことは、跡部には分かっていた。その理由がひどいものであったので、危機感を覚
えたが、何か行動するには時間が足りなすぎた。
「大丈夫ですか?」
「私、駅員さん、呼んできます。」
いかにも正義感の強そうな男や同じような容姿の女性が声を上げた女性を気遣うように声
をかけ、手を差し伸べる。彼らは、跡部を冤罪にかけようとしている女性を後ろから見て、
助けなければと指をさしたものであった。自分は正しいことをやっていると信じて疑わな
い彼らの声も、跡部にとってはただの偽善でしかなかった。
(最悪だ。どうして、あんなに嫌な声をたくさん聞かされて、こんな仕打ちを受けなきゃ
いけねぇんだ。)
そんな心とは裏腹に、跡部はひどく冷静な態度で自分は何もしていないこと、この女性の
誤解であることを周りの者に伝えようとする。しかし、周りの者の声は跡部を非難するも
のでしかなかった。
(こんな大人びたこと言ってねぇで、いっそ子供っぽく泣いてやった方がこいつらは納得
するんじゃねぇの?その方が俺も楽だしよ。)
心の中で溜め息を吐き捨てて、跡部はこのどうしようもない状況に絶望していた。自分は
もうこの世界を見ていたくないし、何も望んでもいない。いつの間にか降り出した雨は、
跡部の目にはその絶望感を表すかのように黒く見えた。ここで、切り抜けられたとしても、
また同じ今日がきて、明日がきて、同じような日々が繰り返される。自分の描く夢など叶
えられないどころか、こんな残酷な出来事さえも起こる。いっそ次の電車の前に飛び込ん
でしまおうかとも考えたとき、跡部の頭に浮かんだのは、毎日夢で見る幼い日に出会った
少年のことであった。
(もし、アイツに会えるのなら、今ここで死ぬなんてことしなくていいかもな。)
心に勝手に流れてくる声には耳を塞ぎ、この状況に怯えながらも、跡部はほんの少しだけ
未来に希望を持つ。しかし、その夢も夢であるからこそ、いいものであるかもしれないと
思った。もし、あの少年が今ここで現れたとしても、幼い頃と同じような想いを持ってく
れているとは限らない。もしかしたら、今周りにいる人々と同じ反応をするかもしれない。
(でも、アイツはこれっぽっちも嫌な声は持っていなかった。本当に心から笑って、大丈
夫だと手を握ってくれて、その手がすごく温かくて・・・。ああ、まだこんなにリアルに
覚えてるのに、どうして・・・)
生きるべきか死ぬべきか、そんなことを自分の心に問いかけていると、周りの嫌な声の喧
騒を一掃するかのような声が響く。
「そいつは何もしてねぇよ!!俺、見てたぜ。そいつ、片手には鞄持って、もう一つの手
は自分の胸のあたりをぎゅっと押さえてた。そんな状況で、触れるわけねぇじゃねぇか!」
この声の主を見て、跡部の心臓は一瞬止まってしまいそうなほど跳ねる。容姿はだいぶ変
わっているが、紛れもなくあの少年であった。その少年の言葉に、周りはざわめく。しか
し、跡部の心に聞こえてくるのは、跡部を疑う声が大多数であった。
「チッ、俺みてぇなガキの言ってることなんて信じられねぇって感じか。だったら、強硬
手段だ。」
そう言いながら、その少年は跡部の目の前に移動し、ぎゅっと跡部の手を掴む。そして、
あのときと同じ笑顔を浮かべながら、思ってもみないことを口にする。
「逃げるぞ!!」
「はっ・・・?」
「冤罪ってのは、逃げたもん勝ちらしいぜ。俺、足の速さには自信があるんだ。」
跡部が頷くのを待たずに、その少年は跡部の手を引いて走り出す。全速力でホームを走り
抜け、階段を上り、改札を飛び出た。状況が分からない者は、ちょっとやんちゃな学生が
ふざけて走っているようにしか見えていなかった。
「ハァ・・・ハァ・・・ここまで来りゃ大丈夫だろ。」
「・・・・悪ぃ、こんな意味分かんねぇことに巻き込んじまって。」
「あはは、気にすんなって。俺は、宍戸亮。お前は?」
「俺は・・・跡部景吾だ。」
あのときと同じように、宍戸の心の声は喋っていることと同じであった。悪意の欠片もな
い心の声に、跡部は今までに感じたことのない安心感を覚える。いつの間にか跡部の頬に
は涙が伝っていた。
「お、おい、泣くなよ!!確かにあんなことがあったら、泣きたくもなるけどよ。」
「・・・・違う。」
「えっ?」
「あんなことはどうでもいいんだよ。俺は・・・ずっとずっと、会いたいと思ってた奴に
会えて、しかも、そいつが俺をかばってくれて・・・・あのときと同じように、俺と話し
てくれてることが嬉しくて・・・それで泣いてんだ。」
涙声になりながら、跡部は宍戸にそう伝える。初めはポカンとしていた宍戸であったが、
跡部の言葉で跡部が幼い頃に出会った不思議な力を持った少年であることに気がつく。
「お前もしかして、人の心が読めるって言って泣いてたあの綺麗な顔の奴か?うわあ、マ
ジかよ!!すげぇ嬉しい!!俺も激会いたいと思ってたんだ!」
本当に嬉しそうな声で宍戸はそんなことを言う。嘘のない言葉でこんなことを言われるの
は初めてであったので、跡部の胸はひどく高鳴っていた。
「俺さー、近々親の都合で転校しなきゃいけなくて、今日はその準備で新しい学校行って
来たんだ。友達も変わっちまうし、ちょっと寂しいなあと思ってたんだけどよ。」
「どこの学校なんだ?」
「新しいとこ?氷帝学園だけど。」
宍戸の言葉を聞いて、跡部はこんなにいいことがあっていいのかといった気分になる。宍
戸に会えたどころか、近々同じ学校に通い始めると言うのだ。
「俺の通ってる学校だ。」
「本当かよ!?だったら、これからは学校でいつでもお前に会えるな!!」
「そうだな。そうか、いつでもお前に会えるようになるのか。」
長年の夢が思ってもみない形で実現することとなった。もう他の人の嫌な心の声が聞こえ
ることなど全く気にならないほど、跡部の心の中に光が灯る。
「なあ、跡部。今もあの力は健在だったりするのか?」
「まあな。お前が昔言ってたみたいに、使えることなんてありゃしねぇけどよ。本当毎日
嫌なことばかりだぜ。」
「俺の心の声も聞こえたりすんのか?」
「ああ。お前は言ってることと思ってることの違いがなくて、一緒にいてすごく安心でき
る。そんな奴は俺の側にはいなかったんでね。」
「そっか。じゃあ、いずれバレちまうし、そのまま伝えとくぜ。」
「何をだ?」
ちょっと照れたような顔を浮かべながら、宍戸は跡部を見る。そして、思っていることを
全て口にした。
「お前に初めて会ったあのときな、泣いてる奴がいて、どうしたんだろって本当そんな軽
い気持ちで声かけたんだ。で、近くで見たら、泣いてるのにビックリするくらい綺麗な顔
で、笑ったらもっともっと可愛くて・・・何つーか、子供心にすごい衝撃を受けたっつー
か・・・マジ俺の初恋?みたいな。仲良くなれたらいいなあってずっと思ってた。でも、
アレ以来、お前とは全然会えねぇし、諦めてたんだけどな。で、また、お前に会ってさ、
やっぱり、俺、お前のこと好きだわって思った。男同士でおかしな話だけどよ。」
「俺も毎日夢に見るくらい、お前のことがずっと頭に残ってた。嫌な声ばっか聞こえて、
毎日毎日辛かったけど、夢の中のお前に励まされてた。けど、だからこそ、現実で会えな
いのがやりきれなかった。だから、お前はいないものだと信じようとしてた。そんなこと
無理だったんだけどな。俺も初めて会ったときから、お前が好きだ。ずっとずっと、会い
たかった。」
跡部の言葉を聞いて、驚くような表情を見せる宍戸であったが、自分も跡部のことは好き
だと思っていたので、すぐに満面の笑みを見せる。
「すげぇな。再会したら、即両思いだぜ、俺達。」
「俺はお前に側にいて欲しい。今までこんな世界じゃ、誰も信じられないし、愛せないと
思ってた。だけど、お前は違う。俺を心から認めてくれて、素直な声を聞かせてくれる。
だから、俺はお前を好きになった。これから俺と一緒にいてくれるか?」
「当たり前だろ。俺だって、お前のことが好きなんだからよ。」
嘘偽りのない宍戸の言葉。その言葉が本物であることは跡部が一番よく分かっていた。今
まで見えない星を探してはこなかったが、これからも探す必要はなくなった。目の前にあ
る自分のものになった星を探す必要があるだろうか。最悪な日だと思っていた今日が、最
高の日になった。これからは、また同じ朝がきて、夜がきて、夢を見ても、現実に会える
宍戸がいる。この喜びをどう表していいか分からなかったが、跡部は今言葉に出来る想い
を宍戸に伝える。
「宍戸。」
「何だよ?」
「俺と出会ってくれて、ありがとう。」
「ふっ、これからもっとお前にありがとうって言わせてやるよ。」
まさかの返しに跡部は思わず吹き出す。やはり、宍戸といるととてもいい気分になるなあ
と、声を上げて笑った。こんなに心から笑ったのはいつぶりだろうか。今まで氷のように
冷たかった心が、宍戸によって一気に溶かされる。今まで跡部の心をことごとく裏切って
きた現実は、宍戸には会うことが出来ないと思っていた跡部の心を見事に裏切った。そし
て、現実が跡部の心を裏切ることは、これが最後となった。

                                END.

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