キセキ

澄んだ星空の下、真っ白な息を吐きながら、跡部と宍戸は家路を辿っていた。
「寒みぃなあ。」
「そうだな。やっぱ、迎えに来てもらった方がよかったか?」
「いや、これはこれで悪くねぇし・・・」
マフラーに顔を埋めながら、宍戸はほんのり顔を赤く染める。静かな冬の夜道。音のない
道を二人きりで歩くこの時間を、宍戸はとても心地よく感じていた。
(やっぱ、二人きりっていいよなあ。何か昨日よりも今日、今日よりも明日って感じで、
好きだって気持ちが多くなってる気がするなあ・・・)
跡部と同じ歩幅で、同じ道を歩く。それがどうしようもなく嬉しくて、宍戸の胸は高鳴っ
ていた。しかし、照れ屋で強がりな宍戸のこと。どれだけ跡部が好きだと思っていても、
それを言葉にすることはなかなか出来なかった。何となく跡部の顔を眺めていると、その
視線に気づいた跡部が、いつもの笑みで問いかける。
「どうした?」
「べ、別に何でもねぇよ。」
「そうか。」
跡部から一瞬目をそらした後、跡部が前を見ていることを確認し、宍戸は再び跡部の顔を
眺める。
(跡部があの時、あーいうふうに言ってくれなきゃ、俺は今ここにはいねぇんだろうな。
もうあれからだいぶ時間が経つけど、跡部と一緒に全国にも出れたし、たくさん試合が出
来て本当よかった。)
跡部の言葉で、宍戸は一度は離れた氷帝学園テニス部正レギュラーに戻り、再び幾度も試
合に出ることが出来た。しかも、再びレギュラーを勝ち取った後の試合では負けることは
なかった。跡部がくれた正レギュラーとしての日々、そんな日々は既に過ぎ去ってしまっ
たものの、宍戸にとっては紛れもなく跡部と歩いた軌跡であった。
「星、綺麗だな。」
ふと跡部が呟く。空気の澄んだ冬の空には、いつも以上にたくさんの星が見えていた。跡
部の言葉を聞き、宍戸は空を見上げる。そこには数えきれない程たくさんの星が瞬いてい
た。
「そうだな。」
これだけの星がある中で、今自分は跡部と一緒にいる。今では隣にいることが当たり前に
なっているが、跡部と出会えたこと自体すごいことではないかと宍戸はたくさんの星を見
ながら感じていた。偶然にしても、運命にしても、このたくさんの星の中で巡り会えたこ
と。まるで奇跡のようだと、柄にもないことを宍戸は考える。
「すげぇな。」
「ん?何がだ?」
思わず呟いてしまった言葉に、跡部が問いかける。まさか跡部と出会ったのが奇跡みたい
だと考えていたとは言えず、宍戸は誤魔化すような言葉を返す。
「あっ・・・本当、星が綺麗に見えるなあと思ってよ。」
「冬だからな。寒いのはそんなに得意じゃねぇが、こういうところは好きな部分だ。」
「おう・・・」
跡部の言葉に頷きながら、宍戸はほんの少しだけ跡部に近づく。そのことを跡部に気づい
て欲しくて、しかし、気づいて欲しくなくて、宍戸の鼓動は少しだけ速くなる。こんなふ
うにずっと跡部の隣を歩いていたい。いつまでも跡部の横で笑っていたいと、宍戸は心か
ら願う。少しの切なさと言葉に出来ない想い。それが宍戸の胸の中を巡る。
(アリガトウとか愛してるなんて、照れくさくて言えねぇし。ちょっとニュアンス的にも
足りねぇんだよな。どんな言葉なら言えるかなあ・・・)
そんなことを考えていると、宍戸の頭にある言葉が思い浮かぶ。
「何かよ・・・」
「アーン?」
「よく分かんねぇけど、こういう時間、結構幸せだなーって思うんだよな。」
「よく分かんねぇじゃねぇだろ。理由は明確じゃねぇか。」
「えっ?」
「俺様と一緒だからだろ?」
自信満々の笑みをたたえ、跡部はそんなことを口にする。確かにそうなのだが、自分でそ
れを言うかと、宍戸は半分呆れ半分笑いながら、宍戸なりの肯定するような言葉を返す。
「ふっ、とりあえず、そういうことにしといてやるよ。」
「生意気だな。」
「お前が自信過剰すぎんだよ。」
そんなことを言い合いながらも、その表情はどちらも実に嬉しそうな表情だ。
「まだ帰るまでしばらくあるし、今日は寒いからな。」
「何だよ?」
「こうした方が温まるだろ?」
いつものように跡部は自分の左の手の平で、宍戸の右の手の平をそっと包む。寒さのため
どちらの手もかなり冷たかったが、触れ合うことで次第に温度が上がっていった。
「お前の手、冷てーよ。」
「なら離すか?」
「別に離せなんて言ってねぇだろ。」
素直なのか素直でないのか分からないような態度の宍戸を、跡部は心底可愛いと感じる。
恥ずかしいのか宍戸の右手の温度は急上昇していた。
(さっきまで冷たかったのに、もうこんなに熱くなってんのか。顔も赤いし、こいつはど
んだけ俺のことが好きなんだろうな。)
宍戸のぬくもりを手の平に感じながら、跡部はふっと口元に笑みをこぼす。不可能に見え
るようなことも可能にしてしまう跡部は、自分は幸せではないなどということはあまり感
じたことはなかった。そんな中、跡部は一際幸せだと思う時間は、こんなふうに宍戸と過
ごす時間だ。他愛もないことを話す、テニスをする、同じ時間を共に過ごす・・・そんな
何気ない日常は、小さな幸せだった。そんな小さな幸せが時間を経て、いくつもいくつも
重なっていく。二人で過ごした日々、ゆっくりと流れる時間、二人で歩んできた道、それ
は跡部にとって、かけがえのない軌跡であった。
「宍戸。」
「何だよ?」
「さっき、お前はこういう時間は結構幸せだって感じるって、言ってたろ?」
「まあ、そうだな。」
「俺としてもそう思うぜ。こういうのは『小さな幸せ』って感じなんだろうな。でもよ、
こうなる前に俺達が出会ったことは、小さな幸せってレベルじゃねーと思うんだよ。」
「へぇ、ならどんなレベルだと思うんだよ?」
「世界規模で見りゃ、俺達の出会いなんて本当ちっぽけな出来事だろうよ。でも、俺から
したら、お前と出会えたのは、奇跡みてぇなことだと思うんだよな。」
先程、自分が考えていたことをまさか跡部が口にするとは思っていなかったので、宍戸の
心臓は大きく跳ねる。
「また、お前はそういう恥ずかしいことを・・・」
「アーン?照れてんのか?」
「べ、別に照れてなんてねーし!!」
「ははは、まあ、お前がどう思おうが、俺はそう思ってるってことだ。」
(ああ、もう、ずりぃ・・・何でそういうこと言うんだよ。ドキドキするし、顔熱いし、
しかも、すげぇ嬉しいとか思っちゃってるし・・・)
この気持ちをどうしたらよいものかと思いつつ、宍戸は空いている方の手でマフラーの端
を口元へ持って行く。油断をすれば緩んでしまいそうな顔を、跡部に見せたくないと思っ
てのことだ。
(どうしてこんなに好きなんだよ、もう・・・。うまくいかないことがあったって、跡部
とテニスしてたら気分は晴れるし、辛いのを強がって我慢してたり、寂しいと思ってた時
も何だかんだで構ってくれて、いつの間にかそんな気分は忘れちまってたし・・・跡部と
一緒にいるときが、俺が一番俺らしくいられる時なんだよなぁ。)
「どうした?何考え込んでやがる。」
「えっ!?」
「何か言いたいって顔してるぜ。」
「そ、そんなことねぇ・・・し。」
「本当は?」
自分の思っていることを見透かされているようで、宍戸は跡部の言葉にたじたじになって
しまう。そこまで見透かされているのに、何も言わないのは何だか負けたような気がして
宍戸は思っていることをどうにかして言葉にしようとする。
「えっと・・・」
「ああ。」
「お前に、いつも・・・」
「いつも、何だ?」
「・・・・そばに、いて欲しい。」
そう口にした宍戸の顔は、耳まで赤く染まっていた。素直な宍戸の想いを聞いて、跡部の
胸はひどくときめく。繋いでいた手をぐいっと引っ張り、跡部は宍戸の身体を自分の腕の
中へ収めた。
「そんなこと言われなくても、ずっと一緒にいてやるよ。」
「ちょっ・・・こんなとこでこういうことすんなよ!」
「今日はもう送るのはやめだ。おい、お前、家に電話しろ。」
「へっ!?」
「今日は俺様の家に泊まれ。」
そう言うと、宍戸を抱えたまま、迎えに来るようにと連絡を入れる。そして、宍戸のポケ
ットから勝手に携帯を取り出すと、宍戸の家に電話をかける。
「かかってるぞ。」
「おいっ、勝手に・・・・あっ・・・」
跡部に文句を言う間もなく、宍戸の携帯の向こうで電話が取られる。仕方がないので、跡
部の家に泊まるということだけを伝えた。
「ハァ・・・お前、マジ勝手すぎるぞ!」
「アーン?でも、これで今日はずっとお前のそばにいてやれるぜ?」
「っ!!」
さっき自分が言ったことを思い出し、宍戸は再び赤くなる。もうどうにでもなれと思いな
がら、宍戸は跡部の肩にポスンと頭を預けた。
「車の中はやっぱあったけぇな。」
「そりゃな。寒かったら迎えに来させた意味ねぇだろ。」
「まあな。」
それほど時間をかけずに迎えの車が到着したため、二人は今、寒空の下とはうってかわっ
て暖かい車内にいた。
「なあ、ずっと昔のことだけどよ、こんなふうに一緒に帰った日のこと覚えてるか?」
「ずっと前っていつの話だよ?案外お前とは一緒に帰ってるぞ。」
「まだ、中学生になったばっかぐらいの話だ。何かじゃんけんしてどうこうって遊びをし
ながら帰るみてぇなことがあっただろ?」
「あー、確かにそんなこともあったな。お前、全然そういうの知らねぇんだもん。」
だいぶ昔のことを思い出し、宍戸はなつかしいなあとくすくす笑う。イギリス育ちの跡部
は子どもなら誰でも知っていそうな遊びも全然知らなかった。時々跡部と帰ることがある
と、宍戸はそんな遊びを跡部に教え、一緒に遊んで帰っていた。
「それで、それがどうかしたのか?」
「そんなふうにふざけながら帰って、別れ際にした会話をちょっと思い出してな。」
「どんな会話したっけ?」
さすがにそこまでは覚えていないと、宍戸は首を傾げる。
「俺はお前ともっと仲良くなりたくて、俺にもっとこういうのを教えて欲しい。もっとお
前のことを知りたい。的なことを言ったんだ。そしたら、お前はその言葉が相当意外だっ
たのか、今まで見たこともないような顔でポカンとして、しばらく黙ってた。」
そのときのことを思い出しているのか、跡部の顔は実に楽しそうだ。跡部の話を聞いて、
宍戸もそのときのことを少しずつ思い出す。
「少しの間が空いてお前は・・・」
『いいぜ!その代わり、お前も俺にお前のこともっと教えてくれよな!』
跡部の言葉に重ねるように宍戸はそのとき自分が放った言葉を口にする。宍戸が同じ言葉
を口にしたことに跡部は少し驚いたが、しっかりと覚えていてくれたことが嬉しくて、口
元を緩ませる。
「何だ、覚えてるじゃねぇか。」
「今の話聞いてたら思い出してよ。確かにあのときは、まさか跡部がそんなこと言うなん
て思ってなかったから、すげぇ驚いたんだ。」
「そのときのお前の笑顔がすげぇ可愛くてよ。ああ、こいつのことすげぇ好きかもって、
思った瞬間だったな。」
「俺も跡部にそういうこと言われて何かすげぇ嬉しくて、だから、きっとあのときも笑顔
で頷けたんだと思うんだよな。」
お互いに相手のことが好きだということに気づいた幼い日のことを思い出し、跡部も宍戸
も照れたように笑い合う。今でも同じくらい、いや、それ以上に好きになっていると、二
人はお互いの顔を見た。
「で、お前はあのときより俺のことは分かったのか?」
「まあ、あのときよりは分かったことは増えたけどよ、まだまだ知らねぇ部分もたくさん
あると思うんだよな。お前はどうよ?」
「俺もだな。まだ、お前に教えてもらいてぇことはたくさんある。」
「だったら・・・」
「あと、十年でも二十年でも三十年でも、これから先ずっと一緒いて、もっとお互いのこ
と知っていこうぜ。」
自分が言おうとしたことを跡部が続けて言ったので、宍戸はその言葉に迷わず頷いた。そ
んな宍戸を愛しく思い、跡部はそっと宍戸の頭を撫でる。
「お前、本当頭撫でるとき、猫にしてるみたいにするよな。」
「そうか?」
「ああ。跡部んちの猫撫でてる感じとすごい似てる。」
「そうされるのは嫌だって?」
「いや、別に嫌じゃねぇけどよ。跡部、猫撫でてるときすげぇ優しい顔してるし・・・」
「そりゃ愛でてるわけだからな。」
「愛でてるって・・・俺のことも愛でてるのか?」
「当然だ。こんなに好きなんだ。可愛がって当然だろう?」
さも当たり前であるかのように跡部はキッパリとそう言い放つ。それが嬉しいような気恥
ずかしいような気持ちを呼び起こし、宍戸は小さくうつむく。
「なあ。」
「何だ?」
「さっきは思ってたけど言わなかったこと、言っていいか?」
「どんなことかは分からねぇが、構わねぇぜ。」
「あのな・・・」
先程は言葉にはできなかった想いを、宍戸はこの暖かく甘い空気に任せて口にする。
「昔も今もこれからも、ずっと跡部の隣で歩いて行きたい。そしたら、例え明日が来て欲
しくないようなことがあっても乗り越えられる気がする。いや、実際乗り越えられたし。
お前がいたから、俺はここに戻って来れた。」
「それはお前の努力の賜物だろう?」
「そうかもしれないけど、俺だけじゃどうにもならなかったわけだし。本当に今お前の隣
にいれてよかったと思ってる。いつまでもこんな日々が続いて、お前の横で笑っていたく
て・・・ありがとうとか愛してるとか、言いたいことはいっぱいあるけど・・・・」
上目づかいで跡部の顔を見ながら、宍戸は一生懸命に言葉を紡ぐ。そんな宍戸の言葉がど
れも愛おしくて心地よくて、跡部は目を細める。
「俺は、跡部と一緒にいられて、すごく幸せだと思ってる。」
「ありがとな。」
「えっ・・・?」
「俺は本当幸せ者だ。一番好きな奴にこんなに嬉しいこと言ってもらえるんだからよ。」
「そ、そっか。」
「お前もそういうこと言われたら、嬉しいと思うか?」
「そりゃ・・・まあな。」
いつもは恥ずかしいからそういうことを言うなという宍戸であるが、今回ばかりは素直に
認めた。それならばと、跡部は宍戸の手をしっかりと握り、宍戸の目をじっと見据える。
「うまく行かないことがあろうが、不運なことがあろうが、俺にとっちゃお前といるとき
は、晴れの日みたいにいい気分だ。喜びも悲しみも全部、お前と分かち合いたい。お前が
いれば、俺は最高の気分で生きていける。だから、俺がいなくなる最後の一秒まで、俺と
ずっと一緒にいろ。」
跡部らしい言葉であるが、跡部がいなくなる最後の一秒までという言葉を聞いて、宍戸の
胸はぎゅうっと締めつけられ、何とも言えない切なさでいっぱいになる。
「何でそんな泣きそうな顔になってんだよ?」
「いなくなる最後の一秒までとか言うな、アホ。俺より先にいなくなるな。」
「だったら、言葉を変えてやる。俺はお前がいれば、明日が今日より笑っていられる。だ
から、何十年でも何百年でも何千年でも、何回死のうが、何回生まれ変わろうが、ずっと
お前を愛してやるよ。」
そんな跡部の言葉に、宍戸の心はどうしようもなく跡部が好きだという気持ちでいっぱい
になる。
「俺だって、お前に負けないくらいずっとずっとお前のこと好きでいてやるんだからな!」
昔見たあのときの笑顔と全く変わらない笑顔に、跡部は再び心を奪われる。出会えた奇跡、
今共にいられる奇跡、過去から今までの軌跡、現在から未来へと繋がっていく軌跡・・・
たくさんのキセキが二人を繋ぎ、想いをより強く大きなものにしていった。

                                END.

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