「なあ、宍戸。今日ちょっと放課後いいか?」
「ああ。別にいいけど何か用か?」
「ちょっとな・・・」
HRが終わると跡部は宍戸に話しかけた。微妙に深刻な表情だったので宍戸はかなりドキ
ドキだった。部活や帰宅で教室から誰もいなくなると、跡部は宍戸の机に座り、鞄からあ
るものを出す。
「人の机に座ってんじゃねーよ。」
「そんな細かいことは気にすんな。」
「細かくねぇ!!」
「それよりこの前泊まった時、一緒にテレビ見ただろ?」
「ああ。確か水族館かなんかの話で、えっと、何だっけ・・・寒いとこにいる小さい天使
みたいな海の生物の特集やってたやつだよな?」
「クリオネだ。それでお前そのクリオネ見たいっつってたろ。」
「そうだな。それがどうかしたのか?」
跡部は住所の書かれた白い封筒を宍戸の前に差し出した。それが何を意味するのか宍戸は
まだつかめていない。
「最後に10組20名様をその水族館にご招待ってのがあって試しに出してみたんだ。」
「当たったのか!?」
「まあな。」
「スッゲェ!!じゃあ、クリオネ見に行けるんだな!!」
すごいすごいとはしゃぐ宍戸とは裏腹に跡部はいまいち表情が浮かない。
「でもな・・・」
「何だよ?当たったのにうれしくねぇのか?」
「ちゃんと読んでなかったんだよ。応募資格っつーかどういう奴らが行けるのかってのを。」
「普通に行けるんじゃねぇのかよ?」
「中の手紙読んでみろ。」
「うん。」
封筒からチケットではなく手紙を出し、宍戸はそれに目を通した。そこには信じられない
ことが書いてある。
『ご当選おめでとうございます!このチケットを使い、彼女or彼氏と楽しいデートを満
喫して下さい。もちろんカップルでなければ入れません。クリオネと一緒に愛を育てまし
ょう!!』
読み終わった瞬間、宍戸の顔が青ざめた。何が問題であるかを理解してしまったからだ。
「どうすんだよ?宍戸。」
「こ、これって、ようするに男女じゃなきゃ入れねぇってことだよな?」
「そういうことになるな。もっと完結に言っちまえば、お前が女装でもすれば行けなくは
ないってことだ。」
「そんな・・・せっかく当たったのに・・・」
残念そうにする宍戸に跡部がもう一度言う。
「だから、行けなくはないんだぜ?お前が女装すれば普通のカップルに見えるからな。」
「そんなこと言われたって!!・・・でも、クリオネは見たいし・・・どうしよう・・・。」
本気で悩み始める宍戸に追い打ちをかけるようなことを跡部は発した。
「その決断、出来れば明日までに決めて欲しいんだけど。このチケットが使えるのって日
時指定されてんだよな。」
「いつ?」
「明後日。」
「・・・・・。」
今日は木曜日。送られてきたチケットが使えるのは明後日の土曜日だけなのだ。何かイベ
ントがあるらしくてこの日でなければならない。
「まあ、丸一日あるからじっくり考えろ。俺はどっちでもいいから。」
「おう・・・。」
跡部が強制をしなかったところが宍戸をさらに悩ませる原因となってしまった。家に帰っ
てから次の日まで宍戸はずっと行く行かないか迷うのであった。
あー、どうしよう〜。クリオネは見たい。だけど、そのためだけに女装したまま外を歩く
ってどうだよ?でも、せっかく跡部が当ててくれたチケット無駄にするのもなあ・・・。
うーん・・・どうすりゃいいんだ・・・。
こんなこと誰にも相談できないので、宍戸は一人で悩みまくった。跡部が強制するならふ
っきりがつくというか、しょうがないという感じですぐに決められたはずだ。だが、今回
は強制はしないわ、自分で決めていいだとかで無駄に迷ってしまっている。気を使ってく
れている跡部を裏切りたくはないけど、そのリスクは大き過ぎる。授業も真面目に受けら
れない、クラスメートに話しかけられても上の空で、金曜日はあっという間に夜になって
しまった。
いつものように跡部の家に泊まりに来ている宍戸は自分用にと用意されている枕を抱きな
がら、まだ迷っていた。真剣に考えていると跡部が話しかける。
「宍戸、どうするか決まったか?」
「えっ!!あ、ああ。まだちょっと迷ってる。」
「早く決めちまわねぇと、それによって明日の予定が変わるんだからよ。」
「うーん・・・」
くっそー、何でこんなことで悩まなきゃいけねぇんだよー。もう思い切って行くか。よう
するに跡部と歩いてて俺が女に見えりゃ問題ないんだからな。そんなに可愛い服着なくた
って大丈夫なはずだ。よし、俺も男だ。ここは覚悟を決めよう!
「・・・じゃあ、行く。」
「そうか。じゃあ、明日は早く起きるぞ。確か神奈川の方だったからここからじゃ時間が
かなりかかるはずだからな。」
「分かった。」
結局、二人は明日、水族館に行くことにした。いつもはいろいろしてから寝るのだが、明
日は早く起きなければいけないということで今日はおあずけだ。
次の日の朝、宍戸はまるで着せ替え人形だった。女物の服はもちろん跡部の母親の物。昔
着ていたという可愛らしいのからセクシー系の服まで多種多様の服を着せられたり、脱が
されたりを繰り返している。
「うーん、やっぱり亮君は可愛い感じの服の方が似合うわね。」
「まだかよ。母さん。」
「待ってよ景吾ちゃん。せっかくのデートなんだからおめかしした方がいいじゃない。」
この日にこういうデートをすると知って、跡部の母はノリノリだった。宍戸に一番似合う
服を着せてあげようと頑張っている。宍戸は恥かしくてたまらなかったが、自分のために
やってくれていることだと思うと嫌がる気にはなれなかった。
「うん。こんな感じでどうかしら?」
チェックの膝丈くらいのスカートにタートルネックの水色のトレーナー。その上から薄い
ピンクのベストを羽織るという格好。肩くらいまで伸びた髪の毛は下ろしたまんま。外見
だけ見ればどっからどう見ても普通の女の子だ。
「・・・どうだ?跡部。変じゃねーか?」
「変ではないと思うぜ。いや、むしろ可愛いんじゃねぇの?」
跡部にそう言われて宍戸は真っ赤になった。最後の仕上げだと言って跡部の母はベストよ
りいくらか濃いピンク色のリップを宍戸の唇に塗る。口紅を塗るなんてほとんどしたこと
がないので宍戸は何か変な感じだなあと感じていた。
「よし。これで完璧よ。どう見ても女の子だわ。さあ、二人とも楽しんでらっしゃいね。」
「じゃあ、いってきます。」
慣れない服装で歩きにくいと感じながらも宍戸は跡部の母に軽く会釈をして跡部を追いか
ける。外に出ると驚くほどの快晴でいかにもデート日和という感じだった。
「誰にも会いたくねーな。」
「会わないだろ。水族館に行くんだからよ。」
跡部の予想は大はずれ。駅までの道の途中で岳人と忍足にバッタリ会ってしまった。宍戸
は思わずうつむき跡部の後ろに隠れる。
「あー!!跡部じゃん。」
「あれ?その女の子誰や?」
「ああ。こいつ?こいつは俺の彼女だぜ。」
跡部は自信満々に答える。宍戸は無駄なこと言うなー!!と心の中で叫んでいた。
「うっそー!?じゃあ、宍戸は?宍戸は遊びだったのかよ!?」
「そうや。どういうことや跡部?」
跡部には宍戸がいるはずなのにと二人はかなり怒り気味。その女の子が宍戸だということ
に全く気づいていない。
「宍戸が可哀想だよ。跡部サイテー!!」
「ホンマや。今度宍戸にあったら言ってやらんとな。」
「勝手にすりゃあいいじゃねーか。行くぞ。」
宍戸の手を引き、跡部は駅に入る。岳人と忍足はイライラがおさまらない。何だかんだ言
って二人とも宍戸とは仲のよい友達なのだ。だから、その宍戸が裏切られているとなって
は黙っていられない。即座に携帯に電話をしようとしたが、宍戸は跡部とデートなので電
源を切っている。
「宍戸のやつ出ないよー。」
「来週、学校行ってからでもええんとちゃう?」
「でも・・・」
心配モード全開の二人とは裏腹に跡部と宍戸は切符を買ってから、大爆笑していた。
「あははは、あいつら全然気づいてねーよ。」
「その格好なら完璧だな。あいつらが騙せたんだから絶対バレねぇよ。」
「そうだな。」
恥かしさはどこへやら。岳人達を騙したことに味を占めて宍戸のテンションは一気に上が
った。ホームへ降りるとたくさんの人が電車に乗ろうと並んでいる。どうやら満員電車に
乗らなければならないらしい。
「うわあ、超満員じゃん。ヤダなあ・・・。」
「俺だって嫌だ。でも、これに乗らねぇと行けないんだからしょうがねぇだろ。」
「まあな。」
押し込められるような感じで二人は電車に乗り込む。ドアのところに押し付けられるよう
な感じになり、かなりの圧迫感が二人を襲った。
「大丈夫か?宍戸。」
「ああ。何とか・・・うわっ!」
ガタンッと電車が揺れると宍戸は跡部に抱きとめられるような形になってしまった。跡部
はそんな宍戸をしっかりと支える。とその時、宍戸はある違和感を感じた。
「跡部、手・・・」
「手?手がどうかしたか?」
「お前の手、俺の尻のところにあるんだよ。どかせ。」
「この状態でんなことできるわけねぇだろ。」
「でも・・・」
「別に撫でたりしねぇから大丈夫だよ。つーか、できねぇし。」
超満員のこの状態では体はおろか手さえも動かすことができない。だが、普段はかないス
カートなどというものをはいている宍戸にとっては、手がその部分にあること自体気にな
ってしょうがなかった。その上、抱きしめられている同然の格好では普通でいろという方
が無理だ。
この体勢はヤベェよ。あー、もう何でこんなにこの電車混んでんだよ!?このままじゃ、
駅までもたねー。
ドキドキという心臓の音が跡部にもバッチリ伝わっていた。宍戸を支えながら、跡部もか
なりドキドキだった。
宍戸のやつ、何でこんなに緊張してやがんだ。格好のせいか?それにしても、この体勢な
んとかならねぇかな。ずっとこんな体勢させられてたら、理性が保てなくなっちまいそう
だ。
目的地の駅に着いた時にはもう二人ともくたくた。やはり満員電車なんてものには乗るも
んじゃない。はあっと溜め息をついて、地図の通り水族館へと向かう。地図の通りと言っ
ても駅から直通のバスが出ていたのですぐに行くことができた。
「やっと、着いたー!!」
「宍戸、こっからはあんまりしゃべるな。中に入ったらしゃべってもいい。さずがに声だ
けは誤魔化せねぇからな。」
「オッケー。じゃあ入るまでは黙ってるぜ。」
入り口をくぐるとチケットを渡す場所があり、そこで送られてきたチケットを渡す。受付
のお姉さんは宍戸のことをじっと見ている。宍戸はヤバイと思った。
何でこの人こんなに俺のこと見てくんだよー。まさか俺が男だってことがバレたのか?
「あなたの彼女、すごく可愛いわね。うらやましいわー。カッコいいあなたにピッタリよ。
はい。じゃあ、記念品のペアネックレス。」
この日ではならなかった理由はこの記念品のためだ。クリオネがハートを抱き、そのハー
トのなかには『いつまでも一緒に・・・』と書かれている。これは非売品な上、あのテレ
ビ番組で当選をした人しかもらえないとーっても貴重なものなのである。
「それではごゆっくり。」
受付のお姉さんに見送られると二人は水族館内に入って行く。やっと宍戸はしゃべれると
はあーっと大きく息を吐いた。
「これって激レアものじゃねぇ?」
跡部につけてもらったネックレスを見ながら宍戸はうれしそうに言った。
「そうだな。こんなのもらえるとは思わなかった。とにかく来てよかったな。」
「ああ。」
このあと二人は大きな水槽をいくつも見て、イルカのショーを見て、アシカのショーを見
て、昼食を軽く済ませたあと最後の最後に宍戸の一番楽しみにしていたクリオネを見るこ
とになった。クリオネが飼われている部屋は薄暗いがいい感じにライトアップされていて
幻想的な雰囲気が漂っている。
「へぇ、意外と人少ねぇんだな。」
「ああ。もっと混んでるものかと思った。」
「クリオネってどこにいるんだろう?」
「あそこじゃねーか?」
跡部が指差したのはちょうど部屋の真ん中にある水槽。結構大きなもので二人の胸くらい
から頭をこすくらいの高さがあった。二人はその水槽の中を覗く。よく目を凝らすと、小
さな天使が可愛らしくふよふよと泳いでいる。
「うわあ、小せぇ。でも、可愛い。」
「テレビで見るより断然いいな。ホントに天使みてぇだな。」
「本当。あー、やっぱり来てよかったぜ。」
本当にうれしそうにする宍戸を見て、跡部は優しく笑った。頭を軽くポンッとたたくと顔
を自分の方へ向かせる。
「何だよ、跡部。」
「なあ、今なら誰もいないしここでキスしていいか?天使の前でやるなんて最高じゃねぇ?」
「えー・・・」
宍戸は周りを確認した。本当に誰もいないようだ。宍戸は頬を赤らめながら頷いた。
「しょうがねーな。ちょっとだけだぞ・・・。」
そういうと軽く目を閉じる。跡部はクリオネと同じくらい可愛いと思うその顔に優しく口
づけた。誰かに見られても今の宍戸は女の子の格好。怪しまれることはないだろう。
カシャッ
『!!』
シャッター音とフラッシュのような光が二人の目を開かせた。
「邪魔しちゃって悪かったな。これも一つのサービスだ。これ、受け取ってくれ。」
そこにはポラロイドカメラを持った三十代くらいの男が立っていた。今、撮ったと思われ
る写真を二人に渡し、このサービスのことを説明した。
「この水族館にはな、クリオネの前でキスをしたカップルは永遠に幸せになれるというジ
ンクスがあるんだよ。で、一度そういうふうなカップルをこれで撮って、記念だと渡した
らとても喜ばれたんだ。だから、君達のことも見つからないように見てて撮らしてもらっ
たというわけ。」
宍戸は文句を言いたかったが声を出すと男だとバレてしまうので、何も言えなかった。そ
うこうしているうちにポラロイド写真の画像が浮き出てくる。それを見て二人はとても驚
いた。自分達の姿もそうだが、その後ろにハッキリとあの小さなクリオネ達が写っている
のだ。こいつはプロのカメラマンなのかとその男を見た。
「すごいな。あんたプロか?」
「そんなことないよ。普通にこの水族館で働かせてもらっている従業員さ。」
「へえ。この写真ありがたくもらっておくよ。」
跡部はその写真をしっかり受け取り、鞄にしまった。カメラマンの男もどこかへ行ってし
まった。二人は大満足という感じで水族館を出る。そして、家路へと帰るのだった。
帰りの電車はガラガラだった。朝があれだけ混んでいたので二人は開いている席に座り、
一息ついた。
「よかったな、空いてて。」
「ああ。行きは散々だったからな。」
「今日、楽しかったぜ。また、行こうな。」
「また、そういう格好でか?」
「違げーよ。今度は普通の格好でに決まってんだろ!」
「その格好似合うのになあ。」
「ウルセー。とにかく今度はこういう格好はしねぇ。」
「何だよ、つまんねぇ。」
格好のことはさておき、宍戸はまた跡部とこんなふうに出かけたいようだ。二人とも疲れ
てしまったのか、そのまま眠ってしまった。お互いに肩に頭を置いて仲良さげに眠る。そ
れの光景は周りから見てとても和むものだった。美少年、美少女(?)のカップルに見え
るのだから当然であろう。自分達の住む駅のアナウンスが聞こえた時、跡部は目を覚まし
た。宍戸を起こそうとするがいっこうに起きる気配はない。起きないうちに駅に着いてし
まった。しょうがないので跡部は宍戸をおぶって電車を降りる。
「おら、宍戸。着いたぞ。」
「んー・・・跡部?えっ、もう着いたの?」
「熟睡してんじゃねーよ。帰るぞ。」
「ああ。」
跡部の家までの帰り道。星がキラキラと光り、黄金色の満月が輝いていた。夜は冷えるの
で跡部を宍戸の手を握る。宍戸はその手を握り返し、笑顔で言った。
「今日だけは、なんか跡部の本当の彼女って感じだったぜ。」
「いつもは違うのかよ?」
「いつもは彼女っつー感じはしねぇだろ。恋人同士っつーんならまだ分かるけどさ。」
「どっちも変わらねぇじゃねーか。ま、女の格好してようが男の格好してようがお前はお
前だもんな。俺は宍戸が好きなんだ。それは変わらねぇだろ?」
「お前、どうしてそういう恥かしいこと言うわけ?・・・うれしいけど。」
「えっ、何か最後の方聞き取れなかったんだけど。」
「何でもねーよ。ほら、さっさと帰ろうぜ。」
ある冬の夜。小さな天使を身につけた二人が笑顔を交わしあうのであった。
END.