ある朝、跡部の家に泊まった宍戸は学校へ行く用意をしている。跡部ももうすっかり用意
し終えて、宍戸の準備が終わるのを待っていた。
「用意出来たか宍戸?」
「ああ。あとは髪の毛結ぶだけだ。」
肩を少し越すくらいまで伸びた髪の毛をまとめようと宍戸はいつも髪を束ねているゴムを
探した。だが、どうにも見当たらない。
「跡部、俺のゴム知らねぇ?」
「ああ。昨日、俺がほどいたよな。」
昨日の夜、跡部は宍戸の髪をほどいた覚えがあった。ところが、それをどこに置いたかま
では覚えていない。
「どこに置いた?」
「あー・・・分かんねぇ。どっかいっちまったかも。」
どうしても置いた場所を思い出せない跡部はこう宍戸に言った。すると、宍戸は突然表情
を変え、跡部を怒鳴りつけた。
「何でなくすんだよ!?」
「何お前そんなに怒ってんだ?」
「あのゴムは俺にとって、すっげぇ大事なものなんだ!!ちゃんと探せよ!!」
「たかがゴムじゃねぇか。いくらでも代わりあんだろ。確か母さんも持ってたはずだし。」
跡部は宍戸がただの髪を束ねるゴムをなくしたくらいでそこまで怒る理由が分からなかっ
た。しかし、この跡部の言葉によって宍戸は完全にキレた。
「ふざけんな!!アレに代わりなんてねぇ!!跡部のアホ!!」
「なっ!?たかがゴムくらいでなんでお前にそこまで言われなきゃいけねーんだよ!?」
「ウルセー!!もう知らねぇ。俺、もう学校行くからな!!」
かなり怒った様子で宍戸はさっさと跡部の家を出て行ってしまった。跡部は訳も分からず
怒鳴られ、キレられ、置いていかれ、イライラだけが残る。
「全く何なんだよ宍戸の奴・・・。」
小さな舌打ちをして、跡部も学校へ行こうと家を出た。
学校に着いても二人はかなり険悪なムード。最近、とても仲がよかっただけあり、クラス
メートはかなりドキドキだった。だが、この程度のケンカは結構頻繁にあるので、そこま
で心配するということはしない。ただ、いつもと様子が違うなと思うのは宍戸の容姿だっ
た。
「宍戸、今日は髪の毛下ろしてんだな。」
「まあ、たまにはな。」
「いいなあ、サラサラで。宍戸君の髪の毛ってホント綺麗だよね。」
そう、さっきの一件で宍戸は髪を下ろしたままなのだ。氷帝学園はそれほど校則が厳しく
ないので、髪を結んでいないからといって怒られるわけではない。まして、男子となれば
先生もわざわざ注意しないだろ。
跡部の奴、本当ムカツクよなあ。謝るまで絶対俺からは話しかけないし、ずっとこのまま
の髪型でいてやる。はあー、跡部あのことホントに忘れちゃってるのかな・・・。
表情は普段のままだが心の中で大きな溜め息をつく。今回のケンカの原因は本当に跡部に
あるらしい。だが、跡部はそれに全く気づいていない。ただ宍戸のすることが気に入らな
いとイライラモードをもろに外に出していた。この雰囲気にはクラスメートも先生もたじ
たじだ。
くそっ、宍戸の奴、何であのまんまの髪型なんだよ。あそこまで怒ってる理由分からねぇ
し。俺が何したっつーんだよ。
自分では気づいていないが、すごい形相で宍戸を後ろから睨んでいる。隣の席の人はそれ
が怖くてたまらなかった。思わず逆隣の友人に話しかける。
「跡部の奴、超怖ぇーよ。絶対、宍戸と何かあったよな。」
「ああ。宍戸のあの髪型といい、跡部の態度といい、またケンカしたみたいだな。」
跡部に聞こえないように小声でヒソヒソと話す。まあ、普通に話していたとしても今の跡
部には何も聞こえていないだろうが・・・。いつものように授業が始まり、時間がいくら
過ぎても跡部のイライラは消えない。宍戸は態度で怒っていることを示し、表情や言葉に
はあまり出さいない。跡部以外とは普通に会話をし、いつも通り笑ったりもしていた。
「ねぇ、宍戸君。ちょっとだけ髪の毛いじってもいい?」
「あー、私もやりたーい。」
「うーん、まあ、少しなら別にいいぜ。」
休み時間、髪の毛をいじったりすることが好きな女子が宍戸のところへ集まってきた。三
つ編みをしたり、おだんごにしてみたりといろいろな髪型を宍戸にさせる。いつもならこ
ういうことは絶対にさせないのだが、跡部に対する反抗心からわざとこういうことをする
のだ。そんな宍戸を見て、跡部はやり場のない怒りとくやしさを感じていた。
あの髪型が見られるのも、あの絹みてぇな髪に触れるのも俺だけなはずなのに・・・。何
であんな奴らが触ってやがんだ。ムカツク・・・許せねぇ・・・俺のものに触るな・・・。
バンッ!!
無意識に跡部は自分の机を拳で叩いていた。まわりのクラスメートはビクッとして、固ま
る。だが、宍戸は全く動じない。そんな跡部を無視して、近くにいる女子を普通に会話を
交わす。
「なーんか、跡部、怒ってるみたいだけど、あんな奴気にしなくていいから。」
「でも・・・」
「本当、気にすんなって。」
『うん・・・・。』
女子は顔を見合わせて頷く。でも、やはり気まずいので、宍戸から離れることにした。
「あっ、じゃあ、宍戸君ありがとう。また、今度触らせてね。」
「ああ。」
女子が自分の机のまわりからいなくなると、宍戸はチラッとだけ跡部の方を見た。一瞬目
が合ったがすぐにそらす。この後も跡部と宍戸は一言も会話をすることがなく、自分の家
へと帰っていった。
家に帰り、宍戸は自分のベッドに突っ伏した。そして、あの赤いゴムのことを思い出す。
二年前、ふとしたことがきっかけで手にしたあのゴムのことを・・・・
「お前、確か宍戸だっけ?」
「そうだけど。一年でレギュラーになった天才君が俺になんか用かよ。」
入学してすぐにレギュラー入りをした跡部に宍戸は突然声をかけられた。自分とは全く格
の違う同級生に宍戸は皮肉まじりに何の用かと尋ねた。
「お前さ、その髪邪魔じゃねぇの?」
「あー?別に邪魔じゃねーよ。好きで伸ばしてるんだし。」
「見ててすげーウゼェ。切るか結ぶかどっちかにしろよ。」
「なっ!?お前に何でそんなこと言われなくちゃいけねーんだよ!?」
「テニス上手くなりたいんだろ?その髪やっぱ邪魔だと思うぜ。俺の言うこと聞いておい
た方がおりこうだと思うけど。」
バカにされたように言われ、宍戸は頭に血がのぼった。
「そんなの俺の勝手だろ!!お前に指図される筋合いはねぇ!!」
ラケットを持って部室の方へ走って行く。跡部は腕を組み、ふぅっと溜め息をついてゆっ
くりと歩き始めた。その次の日、宍戸は再び跡部に呼び出される。部室の裏に呼ばれ、嫌
々ながらも跡部に会いに行った。
「何だよ?今度は。」
面倒くさそうに宍戸は跡部に言い放つ。跡部はポケットの中から小さな袋を出した。それ
を宍戸に手渡す。
「やる。」
「何だよこれ?」
宍戸はその小さな袋を開けてみた。中には髪を結ぶための赤いゴムが入っている。
「赤ならお前に似合うと思ってよ。せっかく俺様がプレゼントしてやったんだ。ちゃんと
使えよな。」
「・・・・・。」
この時、宍戸は親以外の人から物をもらうということが初めてだった。言い方的には少々
気にいらないと思ったが、そのセリフを言っていたときの跡部の頬がほんの少しだけ赤く
なっていることを宍戸は見逃さなかった。思ってもみなかったことをされ、宍戸は素直に
その赤いゴムを受け取り、それで髪を束ねる。
「えっと・・・サンキュー。一応、もらっておいてやるぜ。」
「やっぱ、赤にしてよかった。よく似合ってるぜ。」
宍戸にとって、これが跡部から初めてもらった最初のプレゼントだったのだ・・・。
それから宍戸は、さらに髪を伸ばし、その赤いゴムでいつも一つに束ねていた。レギュラ
ー復帰をかけ、髪を短く切ってしまった時もそのゴムだけは決して捨てなかった。結ぶこ
とは出来なくとも肌身離さず持ち歩いていた。まるで、それがお守りであるかのように。
それを跡部がなくしてしまった。そのうえ、そのゴムがどんなものだったかを全く覚えて
いない。そんな跡部に宍戸はものすごく腹が立ったのだ。
次の日もその次の日も宍戸は髪を下ろしたまま学校へ行った。そして、髪を下ろしたまま
登校して三日目、ついに跡部は我慢しきれなくなり、感情を爆発させた。宍戸のところま
で行き、思いっきり怒鳴りつける。
「お前、その髪すっげーウゼェよ!切るか結ぶかどっちかにしろ!!」
「ウルセーよ。そんなの俺の勝手だろ!!」
あれ?このセリフ・・・。
宍戸は今自分が言ったことが以前言ったことがあるということに気がついた。それは、跡
部も同じだった。
今、俺が言ったセリフ確か大分前に言った覚えがあるぞ。えっと、いつだっけ・・・・。
『あっ!!』
二人はこのセリフが二年前のあの日、宍戸が髪を結び始める前日に言ったものだというこ
とを鮮明に思い出した。この記憶から跡部は宍戸が何故あの赤いゴムにそんなにこだわっ
ていたかに気がつく。その瞬間、跡部は鞄を持ち、急いで自分の家へと帰っていった。
「跡部の奴、思い出してくれたかな・・・。」
さっきハッキリと蘇った記憶から宍戸はこう呟いた。もし、思い出してくれているのなら
仲直りすることもそう難しくない。宍戸は少しの期待を胸の中に宿らせた。
家に戻った跡部は自分の部屋の中をくまなく探し、あの赤いゴムを見つけようとする。だ
が、いっこうに見つかる気配はない。
「くそ、俺、どこに置いたんだ!?何で、あんな大事なこと忘れちまってたんだろ。」
自分に対する怒りを感じながら必死で探す。いくら探しても見つからないので誤って捨て
てしまったのだろうかという不安感にも駆られる。もう諦めようかと思い始めたその時、
メイドの一人がノックをし部屋に入ってきた。
「坊ちゃま、洗濯物をお持ちしました。」
洗濯物を持って入ってくるメイドを全く無視して跡部はゴムを探し続ける。
「何かお探しでしょうか?本日この部屋の清掃を担当したのは私ですので、探しものがあ
れば、分かると思うのですが。」
「赤い髪ゴムを・・・」
「こちらでしょうか?」
「それだ!!」
「ベッドの下に落ちていました。」
「それ宍戸のゴムなんだ。返さなくちゃいけねぇから、返してくれ。」
「どうぞ。」
メイドは事情を聞き、跡部にそのゴムを渡した。跡部は今すぐにでも宍戸に会って、謝
りたいと携帯に電話をかける。
トゥルルル・・・トゥルルル・・・・
『もしもし?』
「宍戸か。俺だけど。」
『跡部・・・。何の用だよ?』
跡部からの電話だと分かると宍戸の声は一気に不機嫌になった。
「今から、学校の部室の裏に来い。渡したいものがある。」
『・・・・・。』
「絶対来いよ!!」
『・・・・・分かった。』
ピッ
電話を切ると跡部は急いで学校へ向かった。あの赤いゴムをしっかりと握って・・・。
跡部が学校に着いた時、日はもうすでに沈み、あたりは薄暗かった。一本の木に寄りかか
り、宍戸が来るのを待つ。しばらくして、息を弾ませた宍戸が跡部の前に現れた。
「何だよ?渡したいものって。」
まだ少し怒っているのか、声のトーンがいつもより微妙に低い。跡部は宍戸の手を取り、
ずっと握っていた赤い大事な大事なプレゼントを無理やり宍戸に握らせた。
「やる。」
「えっ・・・?」
「赤ならお前に似合う思ってよ。せっかく俺様がプレゼントしてやったんだ。ちゃんと使
えよな。」
あの時と全く同じセリフを言いながら、跡部は宍戸にゴムを返す。宍戸は唖然として、し
ばらく固まっていたが、ハッと今の状況を理解し、渡されたそのゴムに目を落とす。
「見つけてくれたのか?」
「ああ。ゴメンな。俺、すっげぇ大事なこと忘れてた。」
ここまで跡部が素直に謝るのは、ものすごく珍しい。ケンカをした時は大抵宍戸の方が先
に折れるのがこの二人の日常だった。だが、今回は跡部の方から謝ってきたのだ。
「俺の方こそゴメン。こんなゴム一つにあんなに怒っちまって。」
「いや、いい。だってそれ、俺が一年の時にお前にあげたあのゴムなんだろ?」
「・・・ああ。」
照れながら宍戸は少しだけうつむき頷いた。それがハッキリすると、跡部は思わず宍戸の
ことを抱きしめる。
「うわっ!?」
「サンキューな、宍戸。そのゴムそんなに大事にしてくれてるとは思わなかった。マジで
うれしいぜ。」
「だって、これ、お前が俺に一番最初にくれたもんだぜ。それにテニスの強い跡部がくれ
たものだから、いつも身に着けてりゃ少しは強くなれるかなあって思ってたんだ。まあ、
お守りみてぇなもんだな。」
「そうだったのか。そんなのも知らねぇでこの前はあんなこと言って本当ゴメン。」
「もういいって。じゃあさ、お詫びにキスしてくれよ。ケンカ中は話もろくに出来ねぇし、
こんなのだってもってのほかじゃん?だから、結構たまってたんだよなー。」
「いいぜ。つーか、俺もだ。」
仲直りした印とこの数日間何の接触もなかったことを埋めようという目的で二人はいつも
のようにキスを交わす。何度か軽くした後に深い深いキスをする。それで、少しはこの数
日間離れていた時間が埋まったような気がした。ある程度満足すると二人はもう一度しっ
かりと抱き合い、お互いのぬくもりを確かめ合う。
「やっぱ、この感じ最高だな。」
「ああ。すっごく落ち着く・・・。」
「もう少しこのままでいようぜ。」
「うん。」
もうすっかり暗くなってしまった中、二人はしばらく抱き合い続けた。さっきまでの夕日
の残り日はもう全く消えてしまったが、そのかわりに上弦の月が夜空に光を放ち始めるの
であった。
END.