日が昇るまで、あと一時間弱。そんな時間帯に宍戸はとある夢を見ていた。見慣れた部屋
に、大きなソファ。夢の中で宍戸は跡部の部屋にいた。真っ白でふわふわのソファに二人
で腰かけ、いつものように他愛もない話をする。
『でな、そんときボールがこっちの方へ飛んできて・・・』
『なあ、宍戸。』
『ん?何だよ?』
『キスしていいか?』
『別に聞かなくても勝手にすりゃあいいじゃねぇか。』
『サンキューな。』
夢の中のためか、この場での跡部は宍戸に対してひどく優しい。それがあまりにも心地よ
く、宍戸は思わずゴロゴロと甘えてしまう。キスをされた後は跡部の背中に手を回し、顔
を跡部の肩へと埋める。
『跡部ー。』
『どうした?』
『跡部は俺のことどれくらい好きだ?』
普段なら絶対に聞かないようなことを夢の中の宍戸は恥ずかしげもなく跡部に尋ねる。そ
んな質問をされ、跡部は極上の微笑みを浮かべながら宍戸の耳元で囁いた。
『・・・・、・・・・・・。』
それを聞いた瞬間、宍戸の心臓はとくんと高鳴る。心が満たされ、温かくなっていくのを
感じる。そんな感覚に浸っていると、ふと夢の世界から現実の世界へと引き戻された。
チュン、チュン・・・・
窓から朝日が差し込み、スズメがちゅんちゅんとさえずっている。朝日の眩しさに目を開
けると、ふとさっきの夢の感覚が蘇る。
「俺、さっきまですげぇ夢見てなかったか?」
起きた瞬間に感じた不思議な感覚に宍戸の顔は自然と赤く染まる。細かい内容はハッキリ
とは思い出せないが、起きる直前のことくらいはさすがに頭に残っている。自分は跡部に
どれだけ自分のことが好きかと聞いていた。しかもそれに跡部は普段は見せないような笑
顔で答えてくれていた。しかし、何と言っていたかは思い出せない。
「うわあ、何かところどころ思い出しても恥ずかしい。跡部のヤツ、最後に何て言ったん
だ?・・・うーん、思い出せねぇな。」
かなりいい気分であったことは覚えているのだが、肝心な言葉はさっぱり忘れてしまって
いる。もやもやするなあと思いながらも、いつまでもこんなことを考えているわけにはい
かないので、宍戸は学校へ行く用意を始める。
「まあ、いいや。どうせ夢の中のことだしな。」
「亮ー、早くしないと学校に遅刻するわよー。」
「はーい。今、行くー。」
母親に呼ばれ、宍戸は鞄を持って自分の部屋を出た。いい夢だと思うが、それほど気にす
ることでもない。家を出る頃には、すっかり夢のことなど宍戸の頭には残っていなかった。
登校時、朝練時はすっかり朝見た夢を忘れていた宍戸だったが、HRの時間になり、ふと
そのことについて思い出す。夢の内容が内容だったために、跡部のことが気になって気に
なってしょうがない。
(何か・・・思った以上にあの夢って、俺への影響力大きいんじゃねぇ?)
自然と跡部の動向を目で追ってしまっていることに気づき、宍戸は何となく恥ずかしくな
る。跡部を見ながら考えるのは、やはり最後に言われた言葉。自分のことがどれだけ好き
かというものだ。しかし、本物の跡部を目で追っていたところで思い出すことは全く出来
ない。
「なーに、そんなに熱視線送ってきてんだよ?」
宍戸に見つめられていることに気づいた跡部は、からかい半分にそんなことを言ってくる。
「べ、別に熱視線なんて送ってねぇよ!!」
「じゃあ、何だよ?俺様に用でもあんのか?さっきからずっと俺のこと見てるじゃねぇか。」
「う・・・」
確かにそれは否定出来ないが、別段何か用があるわけでもない。あえて言うなら夢の中で
跡部は何を言ったのか、それが知りたいというだけだ。
「別に何でもねぇよ。」
「ふーん。まあ、用があったとしても大したことじゃねぇんだろ。」
「だから本当に何でもねぇって言ってんだろ!!」
バカにしたような口調で跡部がそんなことを言うので、宍戸は逆ギレちっくに怒鳴る。夢
の中での跡部はあんなに優しかったのに、現実は大違いだ。ぶすーっと不機嫌な顔になり、
宍戸は机の上に頬づえをついた。
「不細工な顔。」
「ウルセー!!さっさとどっか行けよ。」
「そうだな。そろそろ授業始まっちまうし。さっさと移動するか。」
「へっ?」
「今日の歴史は視聴覚室だぜ。さてと、じゃあ、先に俺は行ってるからな。」
ふと見ると、跡部は腕にしっかり教科書、ノート、筆記用具を抱えていた。もちろん宍戸
は何の用意もしていない。
「ちょ、ちょっと待てよ!!てか、そういうことは先に言えー!!」
「テメェが話をちゃんと聞いてないのが悪いんだろ。バーカ。」
慌てて用意する宍戸だが、どうしても歴史の教科書が見つからない。焦っていろんなもの
を床に落としていると跡部がドアのところから声をかけた。
「マジで授業始まっちまうぜ。さっさと来い。」
「だってよぉ、歴史の教科書が・・・」
「そんなもん俺が見せてやる。行くぞ。」
そう言いながら跡部は教室に入り、ノートと筆記用具しか持たない宍戸の手を取った。そ
して、その手を引きながら視聴覚室まで走り出す。別に大したことではないのだが、宍戸
は何故だか必要以上にドキドキしてしまう。
(何だよ、跡部のヤツ。先行くって言ったんだから、先行ってりゃいいのに。結局、俺の
こと待ってるんだもんなあ。)
バカにしたり、焦らせるようなことをして、面白がっているが、最終的には宍戸を待って
いる。そんな跡部の態度がムカツクと思いながらも、優しいじゃんなどと思ってしまう。
宍戸は自分よりいくらか冷たい跡部の手を握り返しながら、速くなる鼓動を何とか抑えよ
うとした。
一時間目が終わっても、二時間目が終わっても、お昼の時間になっても、宍戸はいつもよ
りも跡部のことが気になってしょうがなかった。時間が経てば経つほど、朝方の夢の最後
で跡部が何を言っていたが気になってしまう。
「はあ・・・」
「どうした?溜め息つくなんて珍しいじゃねぇか。」
昼ごはんを一緒に食べながら、跡部は何故だか元気のない宍戸にそう尋ねる。まさか跡部
に直接夢で聞いたことと同じことは聞けないので、この場では適当に嘘をつくことにした。
「いや、テメェの飯と俺の飯、随分差があるよなあと思ってよ。」
「別に食いたいなら好きなもん食ってもいいぜ。で、本当は何が原因で溜め息なんてつい
てやがんだ?」
宍戸のついた嘘を跡部は一瞬で見破ってしまう。さすが、特技がインサイトなだけある。
これ以上、他の嘘をついても無駄だなあということに気づき、宍戸は本当のことを言うこ
とにした。しかし、ことがことだ。そう簡単に言えるわけがない。
「今日、夢でさぁ・・・・」
「ああ。」
「夢がな・・・・」
今日見た夢が原因だということまでは言えるのだが、その先が出てこない。
「悪夢でも見て、それで溜め息なんてついてるってか。まだまだガキだな。」
「違ぇよ!!テメェが夢で・・・・」
「俺?俺が夢に俺が出てきたのか?」
またバカにするようなことを跡部が言うので、宍戸は思わず怒鳴ってしまう。跡部が夢に
出てきたというところまで言ってしまった。ここまで言ってしまったら、最後まで言わざ
るを得なくなる。
「笑うなよ。」
「ものによるな。でも、俺が出てくる夢で笑えるような夢ってあんのか?」
自分が宍戸の夢に出てきたということが嬉しいと跡部は既にニヤニヤと笑っていた。何と
なく腹が立つなあと思いながらも、宍戸は今日の朝見た夢を話出す。
「今日の朝見た夢なんだけどよ、いつもみたいにお前の部屋で話したり、その・・・キス
とかそういうことしてたんだよ。」
「へぇ、それはどちらかと言えばいい夢なんじゃねぇの?」
「まあな。で、俺がな、テメェに、俺のことどれくらい好きかって聞いて・・・・」
そこまで言って宍戸の顔はかあっと赤くなる。自分で話しててこんな反応するなんて、や
はり宍戸は可愛いなあと思いながら、跡部は口元を緩ませながら話を聞いていた。
「聞いて?どうしたんだよ?」
「テメェはちゃんと答えてくれたんだけどよ・・・それが、何て言ってたかどうしても思
い出せねぇんだ。だから、何か朝からずっともやもやしててよ・・・」
宍戸がそんな夢を見たということ自体が跡部は嬉しかった。だから、宍戸は今日は無駄に
自分のことを気にしてたのかと納得する。話終わって恥ずかしくなったのか、宍戸はそそ
くさと弁当をしまい、教室から出て行こうとする。
「今日、昼休みに長太郎と練習する約束してんだ。ごちそうさま。じゃあな!」
「ああ。」
その話を聞けただけでも、跡部としては満足だったので特に宍戸のことを引きとめようと
はしなかった。パタパタと教室を出て行く宍戸を見送りながら、くっと小さく笑う。
「どれくらい好きかか。夢の中の俺は何を言ったかは知らねぇが、後で言ってやるっての
も悪くはねぇな。」
そんなことを呟きながら、跡部は窓の方へと向かう。テニスコートに行くためにはこの窓
の下を通らなければならないことを跡部は知っていたのだ。案の定、しばらくして、その
窓から宍戸の姿が見えた。
「宍戸!」
窓を開けて、跡部は大きな声で名前を呼び、宍戸のことを引き止める。
「跡部?何だよ?」
宍戸も上にいる跡部に聞こえるような声で、返事をした。
「さっきの答え、夢とは違うかもしれねぇが言ってやるよ。」
さっきの答えと言われ、宍戸はすぐには何のことだか分からなかったが、ちょっと考えて
何のことかを理解する。
「はぁ!?そこから言うのかよ!?ちょっと待て!!」
こんなとこで言うなと宍戸は、慌ててやめさせようとするが、跡部は聞く耳を持たず、下
にいる宍戸に聞こえるような大きな声でその言葉を口にした。
「俺はお前のこと、タナトスの岸でもニルヴァーナでもミクトランでも一緒に居たいと思
うほど好きだと思ってるぜ。」
宍戸も含め、それを聞いていたものには跡部の言っている言葉の意味がさっぱり分からな
かった。タナトスやニルヴァーナ、ミクトランとは一体何のことか。そればかりが気にか
かり、跡部が宍戸にものすごい告白をしているとは誰も気づかなかった。
「悪ぃ!!お前の言ってることさっぱり意味が分からねぇ!!」
「だったら、今言った言葉が分かりそうなヤツに意味を聞いてみろ。」
「分かった。あっ、もうこんな時間じゃねぇか!!じゃあ、また後でな!」
時計を見て、宍戸は慌ててテニスコートの方へ走り出す。宍戸が走っていくのを見送りっ
た後、自分の席に戻り、本を開いてぼそっと誰にも聞こえないように呟いた。
「周りのヤツらに分かるようにそんなこと言えるわけねぇじゃねーか。」
どうやら意味を分かるように言ったら、跡部にとってもかなり照れる言葉らしい。照れて
赤くなる顔を誤魔化すかのように、跡部は本のページをパラっとめくった。
宍戸がテニスコートに到着すると、鳳が既に待っていた。たまたま来る時に会ったという
ことで滝と一緒に話している。
「悪ぃ。遅れた。」
「あっ、宍戸さん。」
「遅いぞー、宍戸。長太郎のこと待たせすぎー。」
「何でテメェがこんなとこに居んだよ。あっ!!」
「どうしたんですか?」
滝ならば、跡部がさっき言っていたわけのわからない言葉が分かるかもしれないと、宍戸
は思わず声を上げる。
「滝、お前さ、タナトスとかニルヴァーナとか、あと・・・ミク・・・トラン・・・だっ
たけなあ?それの意味分かるか?」
「タナトスとニルヴァーナとミクトラン?分かるけど・・・」
「どういう意味なんだ?」
「えーと、タナトスはギリシャ語で死って意味で、ニルヴァーナは仏教用語っていうか、イ
ンドの言葉で涅槃って意味。ミクトランは確かアステカ神話での冥界の意味だったと思う
よ。」
「・・・悪い、もっと簡単な言葉で表せねぇ?それじゃあ、全然分かんねぇ。」
「うーん、あえてこの三つの共通点を表すとしたら、死後の世界って感じかな?てか、何
でいきなりそんなこと聞いてくるのさ?」
ニルヴァーナを除き、あまりよいイメージではない言葉を並べられ、滝は不思議そうに宍
戸のことを見る。
「跡部がな、俺のことその三つの場所でも一緒に居たいくらい好きだって言ってくるから
よ。」
それを聞いて、滝は爆笑する。何故そこまで笑うかが、宍戸や鳳には理解出来なかった。
「あははは、マジで跡部そんなこと言ったの?」
「ああ。てか、何がそんなにおかしいんだよー!?」
「跡部の言ったこと、宍戸が分かるように言ってやろうか?」
「おう。」
「跡部は宍戸のこと、死後の世界でも、つまり死んでも一緒に居たいって思うほど好きだ
って言ったんだよ。すごいねー、こんなこと学校で、しかも二人きりじゃない時に言える
なんて。」
ようやく跡部の告白の内容を理解し、宍戸はこれ以上なく恥ずかしくなる。
「さすがですね、跡部さん。そんなこと普通思ってても口には出せませんよ。」
「あー、もう!何てこと言ってやがんだ、アイツ!!うわあ、もう恥ずかしくて教室戻れ
ねぇ。」
「でも、さっきの言葉を使ったってことは、クラスメートはほとんど跡部が何言ってたん
だか分からないと思うよ。宍戸が分からなかったみたいにね。」
「本当か?」
「うん。俺はたまたまどれも本読んで見たことある言葉だったから、知ってたけど、普通
の人は知らないでしょ。ねぇ、長太郎。」
「はい。俺も滝さんに説明してもらわなかったら、さっぱり分からなかったですもん。」
「そっか。」
それなら別に大丈夫かなあと思いながら、宍戸はベンチに座る。しかし、跡部がそれほど
までに自分のことを思っているのかと考えると、いつも通りの態度ではいられなくなって
しまう。
「あー、ヤベェ。ダメだ。顔が勝手に赤くなる。」
「そりゃそうだろうねー。そんな大胆な告白されたんだから。」
「でも、跡部さんもどうしていきなりそんなこと言ったんでしょうね?」
「そうだね。いくら跡部でもきっかけなしにはそんなこと言わないでしょ。」
「滝さんだったら、どんな時にそういうこと言います?」
「そうだなあ・・・長太郎に、どれくらい自分のこと好きですかって聞かれたら、そんな
ふうに答えるかもしれないね。」
となると、宍戸もそういうことを言ったことになるのではないのかと、二人はじっと宍戸
の方を見る。半分は図星な部分があるので、ひどく慌てた様子で宍戸は首を振った。
「お、俺、そんなこと・・・言ってないからな!!」
「でも、随分動揺してるよね。実は図星なんじゃないのー?」
「そうですよ。本当に言ってなかったら、そこまで必死になって否定しないですもん。」
「ウ、ウルセー!!もう今日の練習はなしっ!!こんな状態じゃ、まともに練習出来ねぇ
よ。滝とでもやってろ!!」
あまりにもからかうようなことを二人が言ってくるので、宍戸は恥ずかしくてその場にい
られなくなってしまう。校舎に向かって走り出す宍戸の顔はゆでだこのように真っ赤であ
った。
午後の授業でも、跡部は午前と何ら変わらない様子であったが、宍戸は違った。跡部がも
のすごい告白を自分にしてきたと知ってしまい、もう気が気ではない。跡部と少し目が合
うだけでもドキンとしてしまい、始終胸の鼓動は速いリズムを刻んでいた。
(あんなこと話すんじゃなかった。う〜、跡部見てるとドキドキしてきちまう。学校であ
んなこと言うなよな!)
跡部のことを意識する宍戸は、まさに恋する乙女。一つ一つの反応が妙に初々しいと跡部
はいつもとは違う態度をとっている宍戸を見て楽しんでいた。
(可愛いじゃねぇの。こんな宍戸見てると、うちに持って帰りたくなるよなあ。)
そんなことを考えていた跡部は、部活が終わると宍戸に声をかける。
「おい、宍戸。」
「な、何だよ?」
「今日、うちに泊まりに来ねぇか?」
「は?でも、明日も学校あるぜ。」
いきなりそんなことを言われ、戸惑う様子を見せる宍戸の耳元で、跡部は静かに囁いた。
「今日お前が見た夢、正夢にしてやるよ。」
「っ!!」
その瞬間、宍戸の身体にその夢の中で感じた何とも言えない心地よさが蘇る。その感覚が
宍戸を頷かせていた。
「普通に泊まるだけだからな。」
「ああ。気分がそういうふうにならなければ、そうしてやるよ。」
「な、何だよそれっ?」
「どうすんだよ?来るのか、来ないのか?」
「・・・・行く。」
跡部の引っかかるようなセリフも宍戸に行かないという選択を選ばせる力はなかった。夢
の中で味わった感覚を味わいたいという欲求の方が、宍戸の中では俄然強かったのだ。
「さっきのセリフ、お前にちゃんと分かる言葉で言ってやるよ。」
「いや、それは滝に聞いて分かったから。」
「でも、俺の口からも聞きたいだろ?」
「うっ・・・それは・・・」
「聞かせてやるよ。」
「おう・・・」
滝が説明してくれたのと、跡部に直接言われるのとはまた違うだろうと宍戸はこれにも頷
いてしまった。夜明け頃に見た甘い夢。宍戸の見たその夢は、どうやら正夢になりそうだ。
END.