ここはとある小さな教会。今日ここで、一組の結婚式が行われる予定になっている。教会
内にある小さな部屋で、純白のウエディングドレスに身を包まれた新婦が鏡の前にたたず
んでいる。
「とても綺麗よ。」
嬉しそうな顔を浮かべ、新婦である宍戸に言葉をかけているのは宍戸の叔母である。宍戸
は幼い頃に事故で両親を亡くし、成人になるまで父親の姉である叔母に育てられた。宍戸
の叔母は、豪邸に住んでいるというまではいかないが、一般の人に比べれば裕福な家柄で
ある。そんな環境であるため、宍戸は先日無理矢理お見合いをさせられ、この結婚式まで
勝手に話を進められてしまった。もちろん宍戸自身はそんなことを望んでいなかった。そ
れ以前に自分は男なのだ。他の男のもとに嫁ぐことなどありえない。しかし、より安定し
た生活を望み、自分の思い通りにことを進めたい叔母は、以前から交わりのある自分の家
より裕福な家庭の御曹司との結婚を宍戸にさせようとしている。普通ではありえないこの
結婚は、金持ち同士ならではの特権で成立してしまうことになった。
「まだもうしばらく時間があるから、亮さんはこの部屋でゆっくりしていなさいね。」
そう言いながら宍戸の叔母は、結婚式の準備をするために部屋から出て行った。一人残さ
れた宍戸は鏡の前の椅子に座り、大きな溜め息をつく。鏡に映る憂鬱な顔。こんな結婚は
したくない。そんな気持ちで宍戸の心の中はいっぱいだった。
「跡部・・・」
自然と口から漏れる名前。跡部は宍戸の恋人である。跡部と宍戸は幼馴染で、家庭の状況
は全く違うにも関わらず、幼い頃からいつも一緒であった。ある程度成長して気がついた
お互いを思う気持ち。それは、友情というより愛情に近く、初めは戸惑っていた二人であ
ったが、いつの間にかその気持ちを当たり前のように受け止められるようになっていた。
そして、その気持ちはより強くなる。一緒に過ごす時間は長くなり、恋人のような振る舞
いをすることも当たり前になった。それは跡部にとっても宍戸にとっても、幸せな日々で
あった。
そんな日々を宍戸は頭の中に巡らせる。穏やかで、それでいてドキドキと胸が高鳴るよう
な気持ち。跡部と過ごす日々にはそんな何とも言えない楽しさが当たり前のようにあった。
ある時は、お互いを感じあう行為を終えたベッドの上で思いを語り合った。
「宍戸。」
「ん・・・何だよ?跡部。」
「平気か?」
「ああ。ちょっとだるさはあるけど全然余裕だぜ。・・・それに、俺、跡部とこういうこ
とするのすげぇ好きだし。」
「ふっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。」
「ちょっ、おい、くすぐってぇよ。」
「何か猫みてぇ。お前の顔みてると無性に撫でたくなるんだよな。」
「だからって、首の周り撫でんのはやめろよ。くすぐってぇだろ。」
「じゃあどこならいいんだよ?」
「髪とか・・・頭なら別にくすぐったくねぇからいいぜ。」
「素直に頭撫でて欲しいって言えよな。」
「べ、別にそんなこと言ってねぇだろ!」
「照れるなって。ほら、撫でてやるからもっと近づけよ。」
「・・・おう。」
『・・・・・・』
「なんかさ・・・・」
「あーん?どうした?」
「こういう感じって、すげぇいいな。」
「こういう感じ?どういうことだよ?」
「こんなふうに同じベッドで寝てたりさ、一緒に居て話したり・・・・頭撫でてもらった
りとか、俺、小さい時に父ちゃんも母ちゃんも死んじまったから、こういう感覚って跡部
としか味わえねぇんだよ。」
「俺は家族みてぇなもんってことか?」
「うーん、家族とはちょっと違うんだよなあ。だってさ、家族と居ても別にドキドキした
することってねぇだろ?跡部といると、確かに落ち着きはするけど、さっきみたいなこと
してる時はありえないくらいドキドキするし。」
「ははは、そりゃするだろ。しない方がおかしいって。」
「わ、笑うなよ!!でも・・・本当家族とか友達とか、そういう感じじゃねぇんだよな。
しいていうなら・・・・」
「恋人だろ?」
「・・・おう。ちょっと普通じゃありえねぇかもしれねぇけど。」
「別にいいと思うぜ。もう男同士でさっきみたいなことしてる時点で、普通じゃねぇんだ
からよ。俺らがいいと思ったらそれでいいんだ。他人がどう見てるかなんて関係ねぇ。」
「だよな。あー、何か跡部としゃべってんと本当気分が楽になるぜ。」
「当然だろ?俺様に愛されてるんだ。こんなに幸せな奴、世界に二人といねぇぜ。」
「それはちょっと大袈裟すぎんだろ。でも、ま、今がすげぇ幸せだってことは間違ってね
ぇな。」
「だろ?・・・・愛してるぜ、宍戸。」
「俺も。」
幸せな気分のまま口づけを交わす。こんな他愛もない会話をして、お互いに好きだという
気持ちを確認して、眠りにつく。二人にとって、こんな日常は当たり前であった。しかし、
それと同時にそれは最高に心地よいひとときでもあった。
またある時は、泡だらけの浴槽の中でふざけ合いながら、二人で楽しい時間を過ごすこと
もあった。
「やっぱこの風呂ってすげぇよな。激泡だらけだし。」
「湯船にもつかれて、体を綺麗に出来て、しかも二人で入れる。いい風呂じゃねぇか。」
「一石三鳥だな。」
「一石三鳥か。そんな言葉ねぇけど、まあ、間違ってはねぇな。」
「おー、ちょっとすくっただけでこんなに泡取れたぜ。これ吹いたらシャボン玉とか出来
ねぇかな?」
「さあ?出来るんじゃねぇか?あっ、でも、こっちに飛ばすんじゃね・・・」
「あはは、跡部の顔、泡だらけだぜ!!」
「・・・宍戸〜、俺様にこんなことしやがって。ただで済むと思ってんのか?あーん!?」
「ちょっと泡がかかっただけじゃねーか。そんなに怒んなよ。」
「かかったんじゃなくて、テメェがかけたんだろ?もう許さねぇ。」
「うわっ、ちょっとたんまたんまっ!!」
「俺様から逃げられると思うなよ?」
「悪かったって!!謝るから、それだけは勘弁!!」
「謝り方次第だな。俺が納得する謝り方したら許してやらなくもねぇ。」
「う〜、分かったよ。・・・・・」
「・・・・・」
「悪かった。・・・うわ、泡の味、超苦ぇー。」
「自業自得だろ。でも、今の謝り方は合格だな。なかなかいい感じの顔してやがったし。」
「なっ・・・人がキスしてん時に目開けてんじゃねーよ!」
「許して欲しくないんだな。それなら・・・・」
「あー、違っ!今のなし!!ゴメンナサイ!!」
「ははは、本当面白ぇーなお前。」
「何だよー、お前、マジムカツクし!!」
「悪ぃ悪ぃ。あまりにもお前の反応が面白いからよ。これで機嫌直せ。」
「わっ・・・ぅん・・・ん・・・」
泡の苦さなど忘れてしまうほど、深く甘いキスを跡部は宍戸に施す。そんな跡部のキスに
自然と宍戸は夢中になっていた。心地よいお湯の温度に浮かべられたきめ細かい泡の感触。
それらは天国の雲の中にいるような錯覚を跡部と宍戸に起こさせた。
そんな楽しい日々を過ごす中、お見合いの話が浮上する。否応なしに参加させられ、話は
自分の意見を全く無視した形で進められた。どうすればいいか分からず、頭がパニックに
なっている中、宍戸は跡部の家に行く。その日の跡部はひどく疲れていたようで、宍戸と
ソファで話をしているうちに、宍戸の肩を借りる形で深い眠りに落ちてしまった。
「・・・跡部。」
お見合いの話、結婚させられるという話をしなければいけないのは分かっているが、すぐ
に言えるはずがなかった。自分の肩を借り、本当にリラックスした表情で眠る跡部の顔を
見て、愛しいと思うと同時に宍戸はひどく切ない気持ちで胸がいっぱいになった。こんな
幸せな日々がもうすぐ終わってしまうかもしれない。不安と絶望。自分にはどうすること
も出来ないもどかしさ。そんなマイナスな気持ちを掻き消すかのように、宍戸は跡部の頬
に自分の頬をよせ、ゆっくりと目を閉じた。
そして、昨日になり、もう黙っているわけにはいかないと宍戸は跡部にこの政略結婚のこ
とについて話す。あまりにも突然の告白に跡部は愕然とし、宍戸に怒りをぶつけた。明日
が結婚式となるともうどうすることも出来ない。どうしてもっと早く言ってくれなかった
のかと宍戸を責める。
「もう少し早く知ってたら、何とかなったかもしれねぇじゃねぇか!!どうして・・・ど
うして今まで黙ってたんだよ!!」
「俺だって、何度も言おうとしたんだよ!!でも、言えるわけねぇじゃねぇか、こんなこ
と!!跡部のこと傷つけたくなかったし、こんな事実を口にすることだって嫌だったんだ
よ・・・・」
宍戸は自然に溢れてくる涙を止めることが出来なかった。跡部と過ごす日々を終わらせる
ことなんてありえない。しかし、現実は着実にその方向へと向かっている。もし、この結
婚が完全に成立してしまえば、跡部の家に来ることなど許されるはずがない。そんな不安
と悲しみに押しつぶされんばかりに宍戸の心はズタズタになっていた。
「明日が結婚式なんだよな・・・?」
「ああ・・・」
「俺は行かねぇから。他の男に嫁ぐお前の姿なんて見たくねぇ。」
「・・・・・・。」
あまりのショックに宍戸を一番傷つける言葉を跡部は放ってしまった。そう言われるのは
ある程度覚悟していた。しかし、実際に言われてみるとそれは思った以上につらく胸を抉
るような言葉である。胸を切り刻まれるような痛みを感じながら、宍戸はゆっくりと立ち
上がり、跡部に背を向ける。
「じゃあな。きっと、もうお前には会えねぇよ。」
「・・・・・」
跡部の部屋を出る前、宍戸はもう一度だけ跡部の方を振り返る。悲しみだけを含んだ視線
が跡部の胸に突き刺さる。そして、そのまま宍戸は何の言葉も発することなくドアの向こ
うへと姿を消した。
今までのことを思い出し、宍戸は跡部からもらったシルバーのペンダントを見つめ、ポロ
ポロと涙を流す。今感じられるのは切なさと跡部に会いたいという気持ちだけ。幸せな日
々はもう取り戻せない。そう思うと死んでしまいそうなほど、ぎゅっと胸が締め付けられ
た。
「跡部・・・俺達、本当に終わりなのかよ・・・?」
そう呟きながら、宍戸はペンダントを握り、涙で滲む窓から見える空を見上げた。
一方、その頃の跡部は宍戸のことを思いながら、自宅にあるピアノを弾いていた。切なさ
を含んだその音色は、跡部の心をそのまま表しているようだ。
「宍戸・・・」
そう跡部が呟くと同時にピアノは音を奏でるのを止める。次第に募る宍戸への思い。跡部
は何かを決心したように顔を上げる。そして、着の身着のまま部屋を飛び出した。
教会では、ついに結婚式が始まった。宍戸は覚悟を決める。そろそろ行かなければならな
いと叔母に呼ばれると、跡部からもらったペンダントをぎゅっと握り、キリリとした顔に
なる。これからは絶対に涙は見せない。そんな決意がその表情には表れていた。
「新郎新婦の入場です。」
司会の言葉と同時に教会の大きなドアが開く。沸き上がる拍手。様々な思いを巡らせなが
ら、宍戸は好きでもない男の腕を取り、一歩一歩真っ赤な絨毯の上を歩いて行った。
(余計な期待はするな。跡部と俺はもう終わったんだ。)
そう言い聞かせるようにして、宍戸は祭壇の前まで来る。神父が祭壇にの前に立ち、聖書
を手にする。これから誓いの言葉が始まるのだ。
「それでは、誓いの言葉を・・・」
バタンっ!!
司会がそう言いかけた瞬間、閉じていたはずの扉が激しい音を立て開く。そこにいた誰も
が扉の方を振り返った。
「宍戸っ!!」
真っ白な光の中にいたのは、紛れもなく跡部だった。
「跡・・・部・・・?」
驚いたような顔で跡部の顔を見つめていると、跡部は宍戸のもとへ駆け寄ってきた。そし
て、軽々と宍戸の体を抱き上げる。跡部はそのまま入り口に向かって走り出した。あまり
に突然のことで、周りにいた人々はただただ呆然としてその光景を眺めていることしか出
来なかった。
「お前は俺のもんだ。他の奴の花嫁になるなんて絶対に許さねぇ!!」
宍戸の一番聞きたかった言葉。そんな言葉を真っ赤なバージンロードを駆けながら、跡部
は宍戸に囁いた。宍戸にとっては、自分を苦しめていた鎖が粉々に砕け散った瞬間だった。
自然と溢れてくる涙を隠すように宍戸は跡部の首にぎゅっと抱きつく。そのまま二人は鮮
やかな青い空から注がれる明るい光の中に消えていった。
ざわめきと混乱だけが残る教会から少し離れた古ぼけた教会に、跡部は宍戸を連れ、逃げ
て来た。誰も追ってきてはいない。そのことを確認すると、跡部は優しく宍戸を地面へ下
ろす。
「宍戸・・・」
そのまま跡部は宍戸の体を強く抱きしめる。いつもの腕に包まれる感覚、大好きな匂い、
ぬくもり、声・・・・もう感じることの出来ないと思っていた多くのものに包まれ、宍戸
は跡部の背中に腕を回し、静かに涙を流した。今までの不安や切なさがその涙によって、
全て洗い流される。しばらくそのままでいると、次第に二人の気持ちも落ち着いてくる。
「少しは落ち着いたか?」
「・・・ああ。」
ある程度落ち着いたことを確認すると、跡部はポケットから小さな箱を取り出した。
「何だよ?その箱。」
「お前へのプレゼントだ。だいぶ前に買ってあったんだが、なかなか渡すタイミングがつ
かめなくてよ。」
跡部はその場でその箱を開けた。中にはシルバーのリングが二つそろって並んでいる。
「宍戸、左手出せ。」
「おう・・・」
宍戸に左手を出させると、跡部は指輪の一つを薬指にはめてやった。もちろんサイズはピ
ッタリである。
「跡部・・・これって・・・」
「ああ、結婚指輪って奴だな。」
跡部からの結婚指輪を受け取り、宍戸は感動のあまり言葉を失う。
「あんな奴と結婚するよりは全然マシだろ?」
「全然マシどころじゃねぇよ・・・・」
「ここでそんな格好つけるような言葉言っても仕方ねぇからな。率直に言うぜ。俺と結婚
しろ。少なくともあいつと結婚するよりは数百倍いいと思うぜ。」
「そんなの決まってるじゃねぇか。」
「何がどう決まってるって?」
次に言われることが分かっているので、跡部は笑いながらそう聞き返す。宍戸はその大き
な瞳に涙を浮かべながら最高の笑顔で笑った。
「俺は一生お前のそばを離れねぇよ。」
宍戸がそう言い放った瞬間、この教会の鐘がリンゴンと鳴り出した。古びた鐘の深い音色。
それは二人のことを祝福するように高らかに響いた。
「もう絶対お前のことを離さねぇ。絶対にだからな。覚悟しとけよ?」
「覚悟なんていらねぇよ。それはずっと俺が一番望んでいたことだからな。」
お互いに顔見合わせて笑い合うと、二人は自然の流れで口づけを交わす。何度も何度もお
互いの思いを確かめ合うかのように、その口づけは次第に甘く熱いものになっていった。
一度は失いかけた幸せな日々。それを再び取り戻した喜びに宍戸はひどく酔いしれる。触
れ合う唇から伝わる愛されているという感覚に、宍戸は一滴の温かな涙を流すのであった。
END.