天の川のひとしずく

「宍戸、星が見に行きてぇ。」
宍戸が帰り支度をしていると、跡部が突拍子もなくそんなことを言い出す。
「はあ?なら、一人でプラネタリウムにでも行ってくりゃいいだろ。」
跡部の思いつきに付き合っている暇はないと言わんばかりに宍戸は、鞄を背負いながらそ
んな言葉を返す。しかし、跡部はそう簡単には引き下がらなかった。
「一人で作りモノの星見て、何が楽しいんだよ。テメェと見に行きてぇんだよ、本物の星
を見に。」
「テメェはいつもことが突然すぎんだよ。いきなり星を見に行きたいっつったって、今か
らどこに行くんだよ?ここらへんじゃ、そんなに星なんて見れないぜ。」
「そりゃ百も承知だ。でも、行きたいものは行きてぇんだ。少し付き合え。」
本当にわがままだなあと思いつつも、放課後にこれといった予定もなかったので、宍戸は
仕方なしに了承した。こんな突然な思いつきでも、簡単に実行してしまうのが跡部だ。そ
れを知っているが故に、断るにも断れないのだ。
「仕方ねぇなあ。」
「悪い気分にはさせねぇ。それは保障するぜ。」
「当然だろ。こんなに無理矢理連れてかれて、つまんなかったら承知しねぇからな!」
文句ばかりが口をついてしまう宍戸だが、本気で嫌なわけではない。本気で行きたくない
と思っていたら、キッパリと断るのが宍戸だ。しかし、こんな跡部のどうしようもないわ
がままにも付き合ってしまうのは、やはり跡部と一緒に居ることが、嫌ではないからであ
ろう。

跡部の車に乗せられて、宍戸が連れてこられたのは、都心から一時間ほど離れた場所にあ
る緑の多い山だった。途中までは車で登ったが、さらに上まで登りたいと跡部は宍戸の手
を引き、頂上へ向かって歩き出す。
「今からこの格好で山登りとか、激ありえねぇんだけど。」
「別にそんな険しい山登ってるわけじゃねぇんだから、文句言うな。」
「それに、あの車どうすんだよ?俺らが下りてくるまで、待たせてるのか?」
「いや、一度帰らせる。そんなすぐに下りるつもりもねぇしな。」
確かに星を見るとなると、夜になるのを待たないといけない。何時間も待たせるのはさす
がに可哀想だろうということで、跡部は自分達が登り始めたら帰ってもよいという指示を
出していた。
「つーかさ、何でいきなり星が見たいとか言い出してんだよ?」
「アーン?別に何となくだ。」
「何となくで、こんなとこまで来んのかよ?」
「ああ。」
普通に頷く跡部に、宍戸は呆れる。別に星が突然見たくなることは、誰にでもあるだろう
し、驚くことでもない。しかし、跡部はそのために多少無理のある行動も、躊躇うことな
く実行してしまうのだ。そんなことに付き合わされる身にもなってみろ、と心の中でぼや
きつつ、宍戸は小さな溜め息をついた。

頂上に到着するころには、だいぶ日が傾いていた。他の登山者は既に下山する準備をし始
めている。慣れない山登りにへとへとになった宍戸は、少し大きな平らな石の上に座り込
む。
「はあ〜、疲れた・・・」
「体力ねぇなあ。そんなんじゃ、テニスでもスタミナ負けするぜ。」
「テニスと山登りはまた別物だろ!使う筋肉が違うんだよ!!」
「まあ、少し休んどけ。これからがお楽しみだからな。」
ふっと笑う跡部のその笑みは、いつもの何かを企んでる笑みとは違う。それに気がついた
宍戸は、何だろうと首を傾げる。こんな純粋に笑う跡部はそう滅多に見れない。そう思う
と何だかドキドキしてきた。しばらく、そんなドキドキ感から跡部を見れないでいると、
赤くなった太陽が山の上から見える地平線にゆっくりと触れる。
「宍戸、見てみろ。」
「へっ?」
跡部が指差す西の空を見てみると、そこには目を瞠るような光景が広がっていた。山の頂
上からは他の山や海が見え、沈んでゆく太陽がその何もかもを赤く染めている。空や雲も
その色を変え、まるで光の衣装を纏っているようだ。
「すげぇ・・・」
「綺麗だな。」
「おう。うわあ、こんな景色、絶対ぇ都心じゃ見られねぇ。」
言葉では表せないほど美しい景色に、宍戸はキラキラと目を輝かせる。宍戸の顔も太陽に
照らされ、空と同じように赤く染まっている。
「こんな景色がさあ・・・」
「何だよ?」
「ずっと昔から、毎日繰り返されてるんだぜ。何かすげぇと思わねぇ?」
だんだんと沈みゆく太陽を眺めながら、跡部は何気なく呟いた。自分達が生まれるずっと
前から、気の遠くなるようなはるか昔から、今見える美しい景色は静かに繰り返されてい
るのだ。そう思うと、何とも言えない感動が心の中に生まれる。
「そう考えると確かにすげぇな。ここでは当たり前の景色なのに、俺達にとっては全然当
たり前じゃねぇ。」
普段は見れない景色に感動しながら、宍戸は跡部より少し前へ歩み出る。赤から紫へと変
わる空は、時間の流れをひどくゆっくりにさせる。そんな時間を同じように感じたいと、
跡部は宍戸の手を軽く握った。少し驚いたような顔で、振り返る宍戸だったが、ニッと笑
ってその手を握り返した。

太陽が完全に地平線の向こうに沈んでしまうと、辺りは静かな闇に包まれる。ほとんどの
登山者はもうとっくに下山していた。誰もいない、自然の音しか聞こえない山の上で、跡
部と宍戸は、空を見上げ星々が瞬き始めるのを待つ。今日は月の出が遅いようで、まだ、
月は見当たらない。月明かりもない純粋な黒の空には、東京では決して見えないほどの星
が姿を現し始めた。
「うわあ、山ってこんなにたくさん星が見えるんだ。」
「プラネタリウムなんて、比にならねぇだろ?」
「おう!これだけ星があると、星座とか見つけろとか言われても無理があるよな。」
「はは、確かにそうだな。なあ、宍戸。あそこに見える薄い雲みてぇなの、何だか分かる
か?」
「えっ?雲じゃねぇの?」
「あれは天の川だ。」
細かい星が集まり、川のように広がっているところを指差し、跡部はハッキリとした口調
で言う。人工の明かりに溢れている都心では、ここまでハッキリと天の川を見ることは出
来ない。だから、宍戸はそれがすぐに天の川とは分からなかったのだ。
「へぇー、天の川ってこんななんだ。」
「あの細けぇ塵みてぇなのは、全部星なんだぜ。すごい数だと思わねぇか?」
「あれ、全部星なのか!?うわあ、ありえねぇ。」
「しかも、俺達が見てるのは、恒星だ。要するに太陽みたいに自分で光ってる星のことだ
な。つまり、あの星の周りには地球みてぇな小さな惑星が無数にあるってわけだ。」
それを聞いて宍戸は驚く。今見えている星の数にさえ驚いているのに、今見えていない星
も無数にあるというのだ。その数はもう想像を絶している。
「こんだけの星を見てるとよ・・・」
「おう。」
「今の状況って超奇跡的だと思わねぇ?同じ空の下で、同じ空を見てるんだぜ。想像出来
ねぇくらいの数の星があって、地球なんて他の星からは見えもしねぇ星だ。そんな星で、
こんなふうに二人で同じ空を見れるなんて、考えられねぇくらい奇跡的なことだぜ。」
数え切れないほどの星を見ていると、跡部の言っていることは宍戸にもはっきりと理解出
来る。そう思うと、今跡部と一緒に居るこの時間が、どんな宝石よりもどんな宝物よりも
貴重で価値のあるものだと感じる。
「何かそう考えると、当たり前なものが当たり前じゃなく感じるよな。」
「ああ。」
「跡部とさ、こうやって星見たり、一緒にテニスしたり、同じ教室で勉強したりするのっ
て、普段は当たり前のことだよなあって感じるけどよ、こんなにたくさんの星見てると、
何かそういうこともすげぇことなんだなあって感じる。」
「そうだな。」
宍戸の言葉に頷きながら、跡部は座っている宍戸の体を後ろからぎゅっと抱き締める。ド
キンとする宍戸だが、今の会話からこんなことさえも何だか嬉しく感じてしまう。

抱き締められたまま、宍戸はふと跡部に声をかける。
「なあ、跡部。」
「何だ?」
「他の星から見たらさ、きっと地球も天の川の一部に見えるんだろうな。」
「ああ、見えはしねぇだろうけど、そういうことにはなるかもしれねぇな。」
「そしたらさあ、そこに住んでる俺達も天の川の一部ってことになるだろ?」
「まあ、そうなるな。」
「じゃあ、俺達は天の川のひとしずくだな。」
何がそんなに嬉しいのか、宍戸は満面の笑みでそんなことを言う。天の川のひとしずくと
いう言葉を聞いて、跡部は温かい光が胸の中に差し込むような感覚を覚える。
「天の川のひとしずくか・・・」
「だって、そうじゃねぇ?さっきの話が成り立つならよ。」
「そうだな。たまにはテメェもいいこと言うじゃねぇか。」
「へへへ、俺だって、たまには詩人っぽいこと言えるんだぜ?」
跡部に褒められ、ご機嫌な宍戸は、自慢げにそんなことを言ってみる。すると、跡部が先
程よりも、少し強い力で宍戸の体を抱き締める。
「跡部?」
「天の川のひとしずくっつーことは、俺達はあそこに見える星と同じってことだよな?」
「そ、そうなるんじゃねぇ?」
抱き締められながら、耳元で囁かれ、宍戸は心臓の高まりを抑えられない。跡部に伝わっ
てしまうのではないかと思うほどドキドキしていると、ふと跡部の言葉が途切れる。風が
草を揺らす音しか聞こえないような沈黙があった後、跡部がゆっくりと口を開いた。
「だったら、テメェは俺の目に見える星の中で、一番綺麗で一番光ってる星だ。」
「えっ・・・」
「俺の目を一番楽しませてくれて、俺の頭の中に一番ある、たった一つの天の川のひとし
ずくだ。」
あまりにも率直な跡部の台詞に宍戸は恥ずかしくなり、顔を真っ赤に染める。どうして、
何の照れもなしにこういうことが言えるのかと、宍戸は心の中で文句を言いながら、黙っ
てうつむくことしか出来なかった。
「どうした?宍戸。」
宍戸が突然黙り込んでしまったので、跡部は不思議そうな顔でそう尋ねる。
「テメェが・・・ポンポンと恥ずかしいことばっか言いやがるから・・・」
「俺様がこんなこと言うのは、テメェしかいないぜ?」
「そりゃ分かってるけど・・・つーか、他にいたら殺す!」
「ははは、だったら素直に喜べよ。」
斜め後ろから、頬にちゅっとキスをされ、宍戸の顔はさらに赤く染まる。しかし、夜の闇
がそれをいい感じに隠してくれていた。宍戸の反応を楽しみつつ、跡部はふと時計に目を
やる。そして、たくさんの星が瞬く夜空を見上げた。
「そろそろだな。」
「は?何が?」
「これから見れる景色をテメェと見たくて、俺はテメェをここに連れてきた。」
このたくさんの星や天の川を見ることが目的ではなかったのかと、宍戸は不思議そうな顔
をする。もう少しすれば分かると言わんばかりに、跡部は宍戸の視線を星空の方へ向けさ
せた。

しばらくすると、宍戸は跡部の言っていた理由を理解した。星々の間を一筋の流星が現れ
て消える。その流星を合図に次から次へといくつもの流星が夜空に降り始めた。
「すっげぇ!!流れ星だ!!」
「今日は流星群が見れる日だってのを知ってな。どうせだったら、星空が綺麗なところで
見たいと思ってよ。」
「何だよ。じゃあ、星が見たいだなんて言い出したのは、全然何となくじゃねぇじゃねぇ
か。」
「言ったらここまで驚かなかっただろ?テメェを驚かせてやろうと思ってな。わざとその
ことは言わなかった。」
「まあ、そうだけどよ。でも、マジすげぇ!!光の雨が降ってるみてぇだ。」
数え切れない流星が地球に向かって降り注ぐのを見て、宍戸はおおはしゃぎ。流れ星を見
る機会など、そうそうない。宍戸が喜んでいるのを見て、跡部の顔に自然と微笑みがこぼ
れた。
「なあなあ、跡部。こんなに流れ星があるんだったら、きっと願い事3回どころか、10
回でも言えるぜ。何か願い事とかしねぇのかよ?」
「俺は別にそういうのはしたいとは思わねぇよ。この景色が見れるだけで十分だ。」
「何だよ、夢のねぇ奴。じゃあ、俺が跡部の分まで祈ってやる!」
星が降る夜空に向かって、宍戸は思いつくまま願い事を言い出した。テニスがもっと強く
なりますように、テストでいい点が取れますように、お小遣いがもっとたくさんもらえま
すように・・・、宍戸らしい願い事だと跡部は隣で笑う。しかし、とある願い事を聞いた
瞬間、跡部の胸はトクンと高鳴った。
「跡部とずっと一緒に居られますように。跡部ともっともっと楽しいことが経験出来ます
ように。」
それを聞いて、跡部は思わずとある願いを口に出していた。
「これからもずっと、宍戸が俺の隣に居てくれますように。」
「えっ?」
無意識に言葉にしていた願いに跡部はハッとする。気づくと宍戸が驚いたような表情で、
跡部の顔を見ていた。何故だかどうしようもなく恥ずかしくなって、跡部は宍戸から目を
逸らした。
「い、今のは別に、流れ星に願い事したとかじゃねぇからな。」
「ふーん、じゃあ、俺に言ったのか?」
ニヤニヤと笑いながら、宍戸はそんなことを問う。跡部からこんなことを言ってきてくれ
ると思わなかったので、内心嬉しくて仕方がないのだ。
「そういうつもりでもねぇけどよ・・・別にいいじゃねぇか!ちょっと口が滑っちまった
だけだ!!」
「へへ、素直じゃねぇなあ。」
くるっと跡部の方に向きを帰ると、宍戸はそのまま跡部の目の前まで近づいて行き、ぎゅ
うっと跡部に抱きついた。
「お、おいっ、いきなり何だよ!?」
「テメェだって、さっき俺のこと抱き締めてたじゃねぇか。・・・なあ、さっきの願い事さ、
嘘の願い事じゃねぇよな?」
「・・・・どうだろうな。」
ドキドキと速くなる鼓動を必死で抑えようとしながら、跡部はそう宍戸に返す。しかし、
宍戸にはさっきの跡部の言葉が本心であると分かっていた。
「跡部がそう思っててくれてるなら、俺、すっげぇ嬉しいぜ!本当に、激嬉しい・・・・」
肩に顔を埋めつつ、しみじみとそう言う宍戸に跡部は何も返せなくなってしまう。この何
とも言えない気持ちをどう表せばよいか分からず、跡部は宍戸の体を黙って抱き締め返し
た。

しばらく抱き合っていた二人だったが、せっかくの流星群を見ないでいるのは勿体無いと
ゆっくりと離れる。そして、手を絡めた状態で、大地の上に寝転がった。仰向けの状態で
目に映るのは、満天の星といまだに降り続く光の雨。ずっと眺めていても飽きない光景だ
と、二人は感嘆の吐息を漏らす。
「跡部。」
「ん?」
「今日は、ここに連れてきてくれてあんがとな。」
「何だよ?あんなに乗り気じゃなかったくせに。」
「まさか、こんなもんが見れるなんて思ってなかったんだもんよ。」
「ふっ、だから言っただろ?悪い気分にはさせねぇって。」
そういえば、そんなことも言われたような気がすると宍戸は数時間前のことを思い出す。
でもまさか、ここまでたくさんの美しい風景が見れるとは予想だにしてなかった。しかも、
普段は聞けないような跡部の言葉がいくつも聞けた。それだけでもう、宍戸にとっては、
十分に楽しめる時間であった。
「跡部ってやっぱすげぇよな。」
「何、当たり前のこと言ってんだ?」
「そういう自信過剰すぎるところを直せば、もっともっとよくなるんだけどよ。でも、そ
こを含めたとしてもやっぱり跡部はすごいぜ。」
「ほう、どこがどうすごいのか言ってみろよ。」
「そんなに具体的には言えねぇけどよ、さっきの跡部の言葉を借りるなら、跡部は俺の中
で一番光ってて、どんな星も比べ物にならねぇほど、俺の心を捉えてる星だぜ。」
星空に手を伸ばしながら、宍戸はそんなことを言う。それを聞いて、跡部はムクッと起き
上がり、伸ばされた手に自分の手を絡めた。そして、そのまま宍戸の体に覆いかぶさるよ
うに、ゆっくり距離をせばめてゆく。
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。」
「跡部、それじゃあ、星が全然見えねぇんだけど。」
「テメェにとっては、俺様が一番の星なんだろ?今は俺だけを見ろ。」
「ったく、しょうがねーなあ。いいぜ。俺の頭ん中、テメェでいっぱいにしてやるよ。」
近づく跡部の顔を拒むことなく、宍戸は跡部の施す口づけを受け入れる。眩しいほどの光
が自分の中へと注がれる感覚。それは、まるで銀河の腕に抱かれているような大きな幸福
感を伴っていた。

星の雨が降り注ぐ中、天の川のひとしずくがきらきらと眩しい光を放ち始めた。

                                END.

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