ザーザーという音が外からするのを聞き、跡部はふと窓の方へ目を向ける。天気予報では
今日は夕方から雨だと言っていた。
「降ってきちまったか。」
まだ、仕事が終わっていないために帰ることは出来ない。雨足が強くなる前には終わらせ
なければと思い、書きかけの部誌に目を落とすと、バシャバシャと雨の中を走る音が聞こ
えて来る。
バンっ!
「あー、マジありえねぇ! いきなりあんなに降ってくるなよな!」
そんなことを言いながら部室に入ってきたのは、濡れ鼠と化した宍戸だ。部活を終えてか
らも自主練に励んでいたのだが、突然の雨にどうすることも出来ず、ビショビショになっ
てしまったというわけだ。
「ちゃんと濡れた床拭いとけよ。宍戸。」
部誌に目を落としたまま、跡部はそう宍戸に声をかける。跡部に声をかけられ、宍戸はそ
ちらの方へ目線を向けた。
「跡部。まだ残ってたのか?」
「お前と違ってやることがたくさんあるからな。」
「ふん、そりゃ御苦労なこった。」
いつもの口調でそう言いながら、宍戸は自分のロッカーを開ける。そこで宍戸はある重大
なことに気づいた。
「あー、やっちまった・・・」
ビショビショになった髪や体を拭こうとタオルを出そうとしたのだが、ロッカーの中にタ
オルはなかった。いつも余裕を持って、数枚持ってきているのだが、今日は朝練で一枚使
い、部活で一枚、そして、部活後の自主練で一枚使ってしまった。しかも、部活後に使っ
たタオルは、雨が降って慌てて戻って来たために、コートにあるベンチへ置いてきてしま
ったのだ。
「どうした?」
「いや・・・タオルがなくて・・・」
「俺のロッカーに入ってる奴、使っていいぞ。」
「へっ?」
思ってもみない跡部の言葉に、宍戸はポカンとした表情を見せる。
「聞こえなかったのか?」
「い、いや、聞こえたけど・・・」
「そんな格好のままいたら、風邪ひいちまうだろうが。それに、雫が落ちて床が濡れる。」
「お、おう。」
そう言われてしまったら、使わないわけにはいかない。跡部のロッカーを開けると、中に
はまっさらな白いタオルが入っていた。
「じゃあ、タオル借りるぜ。」
「ああ。」
跡部のタオルを使い、髪や顔を拭いた後、ビショ濡れになったポロシャツとハーフパンツ
を脱ぐ。下着一枚の状態で体を拭いていると、跡部が声をかけた。
「宍戸。」
「何だよ?」
「下着もビショ濡れじゃねぇか。タオルのあった下の棚に新しい下着があるから、着替え
とけ。」
「下着まであるのかよ? 随分と用意周到なんだな。」
「着替えられるもんは、予備があって当然だろ?雨に濡れなくとも、汗で濡れたら着替え
たいこともあるしな。」
「まあ、使ってもいいなら、着替えさせてもらうぜ。」
やはり濡れているのは気持ち悪いもので、跡部の言葉に甘え、宍戸は下着も着替える。そ
んな宍戸の行動を跡部はじっと見ていた。
「見てんじゃねぇよ、変態。」
「アーン?今更だろ。減るもんじゃねぇし。女子じゃねぇんだから、恥ずかしがることも
ねぇだろ。」
「そりゃそうだけどよ、あんまり見られていい気はしねぇだろ。」
跡部に文句を言いつつ、宍戸はささっと下着を穿き、制服に着替える。跡部のタオルはか
なり吸水力が高く、あれほど濡れていた髪もすっかり乾いている状態になった。
「とりあえず、オッケーだな。」
「着替え終わったみてぇだな。俺もちょうど部誌が書き終わったところだぜ。」
「見てたくせに早ぇーな。」
「俺様を誰だと思ってやがる。それぐらいのこと出来て当然だ。」
自信満々にそう言う跡部に、はいはいと軽く返事をしながら、宍戸は帰る用意をする。帰
る用意を終えると、宍戸は窓から外を見た。
「マジで本降りになってきちまってるな。今日、傘持ってきてねぇのになあ。」
このままでは帰れないと溜め息をつく宍戸の横に立ち、跡部は宍戸の肩に手を置いた。
「俺様の傘に入れてやろうか?」
「えー、テメェと相合傘かよ?」
「随分と不満そうじゃねぇか。入りたくねぇなら、別にいいぜ。俺一人で帰るからな。テ
メェは濡れて帰れよ」
「冗談だって。せっかく着替えて髪乾かしたのに、また濡れて帰るなんて勘弁だからな。」
「なら、さっさと帰るぞ。」
これ以上残っていても雨がひどくなりそうなので、二人は部室を後にする。普通の傘より
も若干大きな傘を開くと、跡部は宍戸の方を振り返った。
「さっさと入らねぇと置いてくぞ。」
「ちょっと待てよ。」
この雨の中置いて行かれては困ると、宍戸は跡部の差す傘の中へ入る。大きな雨粒が大き
な傘を叩き、パタパタと音を立てる。そんな音を聞きながら、二人は校門へ向かって歩き
出した。
「すげぇ雨だな。」
「ああ。天気予報通りではあるが、ここまで強くなるとは思ってなかったぜ。」
「今日は天気予報は見てねぇからなー。雨が降るなんて知らなかったぜ。」
「ふっ、激ダサだな。」
「ウルセー。朝はいろいろ忙しいんだよ。」
一つの傘の中で、そんな会話を交わしながら二人は濡れた道路を歩く。始めは駅の方へ向
かって歩いている跡部であったが、ふと途中で方向転換をする。
「おい、そっちは駅じゃねぇぞ。」
「分かってるぜ。せっかくだから、寄り道しようと思ってな。」
「はあ?この雨ん中、何で寄り道なんかすんだよ?」
こんな大雨の中、寄り道する意味が分からないと宍戸は怪訝そうな顔をする。しかし、傘
を持っているのは跡部だ。跡部がそちらに向かえば、ついて行かざるを得ない。
「とりあえず、この近くの公園にでも行くか。」
「マジかよ・・・」
「随分と不満げだな。」
「当たり前だろ。こんな雨ん中、公園に行ったって特に面白いことねぇわけだし。」
「そりゃ行ってみなきゃ分かんねぇだろうが。」
意見は食い違っているものの、二人の足は既に公園へ向いている。公園に到着しても、い
まだに雨は強い勢いで降り続き、当然のことながら、その公園には人の姿は見当たらなか
った。誰もいない公園には、雨の音だけが響き、雨の日独特の草と土の匂いが辺り一面に
充満していた。
「悪くねぇ雰囲気だな。」
「そうか?」
「人もいねぇし、二人で静かに過ごすには絶好のシチュエーションだと思うぜ。」
確かに辺りを見回しても、人一人見つからない。二人きりで、相合傘をして公園にいると
いうことを意識し、宍戸の胸の鼓動はほんの少しだけ速くなる。
「あそこのデカい木の下なら、少しは雨宿り出来るだろ。行くぞ。」
宍戸の返事も聞かぬまま、跡部は公園内にある大きな木に向かって歩き出す。本当に自分
勝手だよなあと思いつつ、宍戸は跡部と共にその木の下まで移動した。
「あー、確かにここなら雨の勢いもだいぶ弱まって感じるな。」
「まあ、傘が必要ねぇってほどではないけどな。」
「で、こんなとこに来させてどうすんだよ?」
「別に何もする予定はないぜ。それとも、テメェは何かして欲しいのか?」
傘を傾け、跡部は宍戸の顎をぐいっと上げる。急に接近する跡部の顔に、宍戸はドキっと
してしまう。
「べ、別に・・・何かして欲しいとか思ってねぇし・・・」
「その態度は、俺様を誘ってるようにしか見えねぇんだが?」
目をそらしながら、顔を赤らめている宍戸は、跡部にとってはひどく胸をときめかせるも
のであった。
「こっち向けよ、宍戸。」
そらしていた目をおずおずと跡部の方へ向けると、さらに跡部の顔は近づき、唇同士が触
れ合う。目を開けたままでキスをされ、宍戸の心臓は飛び出しそうなほどに大きく跳ねた。
「んんっ・・・んぅ・・・・」
二人の姿を隠すかのように、大きな傘は傾く。パタパタと雨が小気味よいリズムを刻む中、
跡部は宍戸の唇を貪った。始めは押し返そうとするような抵抗を見せていた宍戸であった
が、何度か口づけを繰り返すうちに跡部にしがみつくような仕草を見せる。
「ふはっ・・・ハァ・・・」
「文句言ってたわりには、随分とノッてきてるじゃねぇか。」
「・・・るせ、テメェが勝手にしてきたことだろうが。」
軽く息を乱しながら、跡部の制服をぎゅっと握り、宍戸はそう口にする。あまりに可愛ら
しい顔を見せる宍戸に、跡部は顔が緩むのを抑えられずにいた。
「本気で嫌だったら、突き飛ばしたっていいんだぜ?」
「別に嫌だなんて言ってねぇだろ、アホ。」
「なら、もっとしちまうぜ。」
そう言って顔を近づけようとすると、宍戸はぎゅっと目をつぶる。キスをされるのを期待
しつつも、ドキドキしすぎてどうしようもないという表情に、跡部の胸はひどく高鳴った。
その表情をしばらく堪能した後、今度は触れるだけの口づけをして、跡部はパッと唇を離
す。予想とは少し違うキスに、宍戸はパチクリとした瞳で跡部を見た。
「今日はこれくらいにしといてやるよ。」
「・・・お、おう。」
「もっとして欲しいって顔してるぜ。」
「そ、そんな顔してねぇよ!」
「ま、雨も上がったみてぇだし、今はこれくらいにしとこうぜ。」
跡部とのキスに夢中になっていた宍戸は、いつの間にか雨が上がっていることに全く気づ
いていなかった。先程まで雨の降っていた空を見上げると、西日が雲を照らしている。
「もう雨止んでるのかよ。そしたら、学校でちょっと待っててもよかったかもな。」
「俺はそうは思わねぇけどな。」
「何でだよ?」
「アーン?そんなこと言わなくても分かるだろ?」
雨の中、宍戸と相合傘が出来て、雨の日独特の雰囲気の公園で、満足ゆくまで口づけを交
わすことが出来た。それは跡部にとっては、部室で雨が止むのを待つよりも何倍も楽しい
ことであった。
「分かんねぇよ。」
「そりゃ、残念だな。ま、アレを見ればテメェも少しは外に出てよかったと思うんじゃね
ぇの?」
そう言って跡部が指差した先には、大きな虹がかかっていた。大きくくっきりと見える虹
を見て、宍戸の目は輝き、一気にテンションが上がる。
「虹だ!」
「部室で雨が止むのを待ってたら、気づかなかったかもしれねぇだろ。」
「うわあ、すげぇハッキリ見える。何か虹とか見れるとテンション上がるよな!」
「そうだな。」
「寄り道してよかったかも。そのまま帰ってたら、虹見れなかったかもしれねぇし。」
虹を見れたことが相当嬉しいようで、宍戸はニコニコしながらそんなことを口にする。嬉
しそうにしている宍戸を見て、跡部はもう少し宍戸と一緒にいたいと感じる。
「宍戸、これからうちに来ねぇか?」
「これから?」
「夕飯ご馳走するぜ。それにさっきの続き、してぇだろ?」
さっきの続きと言われて、宍戸の顔はほんの少し赤く染まる。急な誘いにどうしようか迷
ったが、虹を見れて気分は最高。非常に機嫌のよくなっている宍戸は、跡部のその誘いに
乗ることにした。
「んー、まあ、別に行ってやってもいいぜ。」
「なら、決まりだな。とりあえず迎えを呼ぶか。」
「あー、まだ、呼ぶなよ。もう少し虹見ててぇし。」
「分かった。じゃあ、虹が消えたら帰ろうぜ。」
「おう!」
跡部の家に行く前に、大きな虹を目に焼き付けておこうと、宍戸も跡部もしばらく虹を眺
める。雨に洗われた空とまだ空に残る雲は夕焼け色に染まる。太陽が沈むと同時に虹もだ
んだんとその姿を消していった。七色の橋が夕闇に消えると、跡部と宍戸は満足気な笑み
を浮かべ、雨の匂いの残る公園を後にするのであった。
END.