サイレント・ベビー (2)

 8月12日 萩之介
最近、長太郎は大きな仕事があって大変そうだ。だけど、もうそろそろ夏休みが取れるら
しい。夏休みになったら豊と三人でどこかに遊びに行きたい。温泉でも山でも海でもいい。
ただ、最近は本当に暑い。かなり夏バテ気味。豊は元気に遊んでるんだから、俺がバテて
ちゃダメだ。だけど、かなり疲れているので、体調には気をつけないといけないなあ。
「あー、あっつい!!暑いねー、豊。」
「あー。」
「最近、寝不足なんだよなあ。毎日、毎日、熱帯夜で本当やんなっちゃう。」
豊と遊びながら、滝は暑い暑いを連発している。今年の夏は例年より気温が高く、蒸し蒸
ししていて、かなり過ごしにくい。冷房をガンガンかけたいのはやまやまだが、豊がいる
ので、健康のため扇風機で我慢しているのだ。
「豊ー、見てうさぎさんとくまさんだよ。」
「だあー。」
「あっ、今、ちょっとだけ笑ったかも。だいぶ、俺達の言うことに反応してくれるように
なったし、もう少しで笑顔見せてくれるかな?」
「あうー、あー。」
最近の豊は表情も少しだけ変わるようになってきた。あーとかうーとかいう声もだいぶ上
げるようになっている。そんな変化が滝はうれしくてたまらなかった。
「豊、いいこだねー。そうだ、アイス持ってきてあげる。一緒に食べよう。」
滝はキッチンへアイスキャンディーを取りに行った。豊に食べさせたいというより、自分
が食べたくてしょうがないのだ。オレンジ味のアイスキャンディーを持って豊のところに
行く。
「あー、冷たくておいしいー。はい、豊あーん。」
「あー。」
「可愛いーVvこれで少しは涼しくなるかなあ。」
ペロペロと二人でアイスキャンディーを舐めながら、ほのかな涼しさを満喫する。鳳が夏
休みになるまであと三日。暑いのはそれまでの我慢だ。

鳳が夏休みに入ったその日。まだ、どこに行くかなどは決めていなかったので、三人は家
で過ごすことになった。滝の体調はいつにもまして悪かった。夏バテがかなりひどいらし
い。
「あー、だるい。」
「大丈夫ですか?滝さん。顔色悪いですよ。」
「最近ちょっと夏バテ気味でさ、力が出ないんだよね。」
「大変じゃないっスか!じゃあ、今日の昼飯は俺が作ります!!」
「ゴメンね。長太郎。せっかくの夏休みなのに。」
「いえ、いいっスよ。いつも、滝さん頑張ってるんですからたまには家事も休んでくださ
い。」
「ありがとう。じゃあ、俺は豊と遊んでるね。」
「はい。」
というわけで、鳳はキッチンへ向かい、滝は豊と遊ぶことになった。しばらくなんの問題
もなしにことは進んでいたが、その事件は突然起こった。
あー、ヤバイ・・・マジで頭くらくらしてきちゃった。でも、豊がすぐそばにいるんだか
ら倒れたりなんかしちゃダメだ。まだ大丈夫・・・まだ・・・
ドサッ
頭で考えてた以上に滝の体調は悪かったのだ。意識に逆らって滝の体は床に倒れた。目の
前で起こったことに豊の頭はついていっていなかった。ただ、本能的にこれは危険なこと
だと察知したのだろう。どうすればいいかなどすることは一つしかなかった。
「うわああ―――ん!!」
豊は大声で泣いた。キッチンにいる鳳に聞こえるくらい大きな声で。やっと、心を開けた
人が目の前で大変なことになっている。とにかく泣きじゃくり、誰かに知らせようと精一
杯頑張った。その尋常ではない泣き声を聞き、鳳は慌てて部屋に戻る。
「豊、どうしたの!?」
「ああ――、ああ―――!!」
豊は抱っこを求めるように鳳に手を伸ばした。鳳はまず豊を抱き上げ、状況を把握しよう
とあたりを見回す。そこには力なく床に倒れる滝の姿があった。
「滝さん!!」
豊を抱いたまま鳳は滝のもとへ駆け寄った。どうやら意識はないらしい。鳳は慌てて電話
に手をかける。すぐに119番をし、救急車を呼んだ。
「滝さん!滝さん!!しっかりしてください!!滝さん!!」
長太郎の声・・・でも、体が動かない・・・・目が開けられない・・・・
鳳の声は聞こえていたが、全く体が動かなかった。反応したいのにできないのだ。
俺・・・どうなっちゃうんだろう・・・
一瞬戻りかけた意識もすぐに薄れてしまった。

・・・・う・・ん・・・俺、どうなっちゃったんだ?
やっと、意識を取り戻した滝はゆっくりと目を開けた。目の前にはボロボロと涙を流して
いる鳳の姿がある。
「・・・長太郎?」
名前を呼ばれ、鳳はバッと滝の顔を見る。そして、再び泣き始めた。
「わああ―――、滝さーーん!!」
滝が目を覚ましたことに安心して、ホッとしたのだ。豊も鳳につられて大泣きだ。
「ああ―――!!」
「心配させてゴメンね。そんなに泣かないでよ。長太郎も豊も。・・・・・?」
滝は今自分の言っていることが一瞬理解出来なかった。
そんなに泣かないでよ。長太郎も豊も・・・?・・・・ええっ!!
「あーー!!」
「どうしたんですか・・・?滝さん。そんな大きな声出して。」
「ゆ、豊が泣いてる!!長太郎、豊が泣いてるよ!!」
気が動転していて、当たり前のこととして捉えていた鳳だったが、滝に言われ、豊の今ま
でにないものすごい成長に今更ながら気がついた。
「本当だ!!すごいですよ、滝さん!!」
「豊、すごいよ。本当、すごい・・・」
あまりの感動に滝は泣き始めてしまった。しばらく感動の場面と思いきや、バタバタと廊
下から何人もの走る音が・・・。
「滝、大丈夫か!?」
「あんまり無理すんじゃねーよ、バーカ!!」
「長太郎から滝が倒れたって聞いてさ。」
「ホンマに無理したらアカンって、岳人から聞いて心臓止まるかと思ったわ。」
「本当に大丈夫?滝ー。」
「ウス。」
跡部や宍戸、岳人に忍足、慈郎や樺地が鳳からの連絡を受け、みんなで慌てて病院にやっ
てきたのだ。
「みんな・・・どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ。心配させやがって。」
「ゴメンね。ただの夏バテと寝不足みたい。」
「よかったあ。鳳がね、大泣きしながら電話してくるんだもん。だから、すごくヤバイの
かなーと思って慌ててきたんだよ。」
「俺達も。鳳の言い方、なんか滝が死んじゃうーみたいな感じだったから、驚いちゃって
さあ。」
滝は鳳を見た。他のメンバーも笑いながら鳳を見て、大袈裟すぎーとつっこむ。
「だって・・・本当にどうしていいか分からなくて・・・・」
恥ずかしそうな顔でうつむきながら、鳳はボソボソを呟く。そんな鳳の手をぎゅっと握っ
てニッコリ笑った。
「そんなに心配してくれたんだ。ありがとう長太郎。長太郎がいなかったら俺、今どうな
ってたか分からないよ。」
「お礼なら豊に言ってください。滝さんが倒れた時、大声で泣いて俺に知らせてくれたん
ですよ。」
「そうなの!?そっかー、俺が助かったのは豊のおかげなんだね。」
滝は豊を抱いた。そして、優しく抱きしめて心からお礼を言う。
「ありがとう豊。豊が泣いてくれたおかげで、助かったんだよ。本当にありがとう・・・。」
豊は滝を小さな手で抱きしめ返した。あーうーと何かを必死で言っている。滝は涙を浮か
べながら最高の笑顔で豊に笑いかけた。
「大好きだよ、豊。」
それと同時に鳳が豊の頭を撫でた。すると、今まで無表情だったのがうそのように、豊は
赤ん坊らしい無邪気な笑い顔を二人に見せる。夢にまで見た豊の笑顔。それを見て、二人
は再び涙をポロポロ流す。
「わあー・・・豊、笑ったあ。」
「やっと・・・笑ってくれましたね。滝さん。」
跡部達他のメンバーもその感動的な光景を目にし、涙を目に浮かべていた。ついこの間、
滝と鳳の二人から豊がサイレント・ベビーだということを聞かされていたのだ。
「なんか、感動的な場面やな・・・。」
「うん。滝も鳳も頑張ってたもんね・・・。」
「どうしよ、跡部。涙が止まんねぇ・・・」
「いいんじゃねぇか。こういう時は素直に泣くべきだと思うぜ。」
「うわーん、樺地ー。マジこれ感動的だよぉ。」
「・・・ウス。」
この日、とある病院の一室で奇跡が起きた。そこにいたメンバーは誰もがその天使の微笑
みに心を動かされたのであった。

 8月15日 萩之介・長太郎
今日は人生の中で一番うれしい日だった。豊が泣いて、そして、笑ってくれたのだ。あん
なに純粋で可愛くて汚れのない笑顔を見たのは初めてだと思う。赤ちゃんの笑顔がどれだ
け俺達大人の心を癒してくれるかを深く感じた。言葉では言い表せないくらいうれしくて
胸がいっぱいで、豊は笑ってくれているのに俺達はボロボロ泣いてしまった。こんな感動
は普通じゃ絶対に味わえないと思う。豊に出会えて本当によかった。こんな短い言葉でま
とめるなんて、本当はいけないのかもしれない。だけど、言わずにはいられない。豊、君
は俺達の宝物だよ。たくさんの感動をありがとう。これからも君のことを精一杯大切にし
ていくからね!!

このことをきっかけに、豊の表情の変化は一気に発達した。名前の通り、表情豊かで感情
を外に出せる素直な子になったのだ。そして、二年後・・・・

「パパー、ママー。」
「どうしたの豊。」
「うわあ、ドロドロじゃん。どこで遊んできたの?」
「ジローさんとね、こうえんであそんだのー。」
「ジロー先輩、今日バイト休みだったんですね。」
「そうみたいだね。遊んでくれるのはありがたいけど、一体どんなことしたら、ここまで
泥だらけになるんだよ。」
豊の汚れた服を脱がせながら、滝は苦笑して言った。まだ、夕方にもなっていないのに、
もう何時間も遊んだかのように豊の洋服は泥で真っ黒だった。
「あのね、あのね。」
「何?豊。」
「ジローさんがいってたんだけど、ママとパパはすっごくラブラブなんだって。」
『へっ!?』
意外なことを豊が言うので、二人はすっとんきょうな声を思わず上げてしまった。
「んとね、ラブラブだとね、ほっぺとか、おくちにちゅーってしたり、ぎゅうってだっこ
したりするんだって。ママもパパもいつもしてるからラブラブだよね。」
つたない言葉で無邪気に話す豊を見て、滝も鳳も真っ赤になってしまった。意外と見られ
てるんだなーと照れてしまう。
「ジローってば、何つーこと教えてんだよ。」
「ジロー先輩らしいっスけどね。」
「えっと、だからね、ぼくもママとパパとラブラブになりたいのー。だからね、ほっぺに
ちゅーってしてほしいの。」
一生懸命自分のして欲しいことを二人に説明する。そんな豊に滝も鳳もメロメロだった。
(可愛いーVv豊ってば何でこんなに可愛いんだよ〜。)
「いいよ。してあげる。」
二人は笑顔で豊のお願いを聞き入れた。滝が右のほっぺに鳳が左のほっぺに軽くキスをす
る。豊は頬を赤く染めてニコッと笑った。
「わあ、ぼくもママとパパとラブラブだあ。」
「豊、パパと一緒にお風呂入ってきちゃいな。出たらアイス食べさせてあげるよ。」
「アイスたべるー。パパぁ、はやくおふろはいろー。」
「分かった、分かった。じゃあ、滝さん、着替えお願いしますね。」
「うん。長太郎の分もちゃーんとアイス用意してるから。」
「ありがとうございます。」
滝の言葉に鳳はうれしそうに返事をする。こんな日常的な出来事が滝と鳳にとっては何よ
りも幸せな時だった。まるで、本当の親子のように三人は毎日を過ごす。いや、本当の親
子以上にこの三人の絆は深いのかもしれない。たくさんの試練と苦労を乗り越えて、手に
入れた幸せ。この幸せはいつまでも終わらないだろう。

                                END.

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