とある日の部活。銀は他のメンバーよりも少し遅れてやってきた。着替えてテニスコート
に移動すると、少し離れたところで財前がドリンクを飲んでいる。銀がそちらの方に目を
やると、財前も銀に気づき、軽く会釈をする。と、次の瞬間、後ろから金太郎が財前に飛
びついた。
「財前―!!」
「うわっ、何やねん。」
「なあなあ、今日の帰りタコ焼き奢ってや!」
「何でやねん。自分で買うか白石部長に頼めや。」
「何でやー。買うてやー。」
財前の首に後ろから腕を回して、金太郎は駄々っ子のようにそんなことを言う。いつもは
微笑ましく見える光景なのだが、何故だか今日はそれを見て銀はもやもやしていた。
(ん?何やろ?何やちょっと変な気分やな。)
健康管理には気をつけているが、少し体調が悪いのかもしれないと銀は小さく溜め息をつ
く。二人の後輩のやりとりを眺めていると、そこへ白石がやってくる。
「こら、金ちゃん。財前困っとるやないか。」
「あっ、白石。ほんなら、白石がタコ焼き奢ってくれるん?」
「奢る言わないとコイツ離してくれそうにないんで、嘘でもええんで奢る言うてください。」
「しゃあないなー。タコ焼きは俺が奢ってやるから、財前のこと離してやり。それから、
そろそろ休憩終わりで、テニスの練習再開するで。」
「よっしゃー!!おおきに、白石!」
白石がタコ焼きを奢ってくれるということを聞き、金太郎は財前から離れ、白石に抱きつ
く。困ったように笑いながら、白石は財前の頭をくしゃっと撫でる。
「来年はこのゴンタクレを財前が制御するんやで。」
「分かっとります。というか、頭撫でるのやめてもらえます?気安く触らんといてくださ
い。」
「あはは、堪忍な。いつも金ちゃんにしてるから、ついな。」
「えー、ほんなら白石、ワイのこと撫でてや。」
「何や金ちゃん頭撫でて欲しいん?しゃあないなー。」
抱きついてきている金太郎の頭を白石はわしゃわしゃと撫でる。白石が来てからのやりと
りも銀はずっと眺めていた。三人は少し離れたところにいるため、やりとりは見えても話
している声は聞こえない。今はそうでもないが、ほんの少し前は心の中のもやもや感が強
くなっていた。どうしてこんな気分になっているのだろうと考えていると、銀より後に来
た千歳に声をかけられる。
「どないしたと?銀さん。」
「ああ、千歳はん。どうしたと聞くということは、ワシの様子がおかしく見えたんか?」
「銀さん、さっきからたいぎゃ難しい顔しとるばい。」
「そうか。自分でもよく分からんのやけど、少し変な気分でな。もやもやするというかイ
ライラにも近いような・・・」
「銀さんでもそんなふうになるとね。まあ、テニスでもすれば、ちょっとは気分も晴れる
んじゃなかと?」
「そうやな。千歳はん、練習に付き合うてもろてもええやろか?」
「もちろんたい。」
このもやもや感はテニスで解消しようと、銀はラケットを持ってテニスコートに入る。千
歳と銀がテニスコートに入るのを見て、近くにいた謙也が声をかける。
「おっ、千歳と銀、コートで練習する感じか?せやったら、ダブルスの試合形式で練習せ
えへん?」
「よかよ。な、銀さん。」
「うむ。」
「ほんなら・・・おーい、財前。こっちでダブルスの練習するんやけど入ってくれへん?」
謙也に呼ばれ、財前は面倒くさそうにそちらの方を向く。テニスコートを見ると、謙也の
他に銀と千歳がいる。それを見て、財前はラケット持って移動する。
「相手が師範と千歳先輩なら、練習付き合うたります。」
「よろしゅうな。」
「よっしゃ、ほんなら始めるで!」
やる気満々の謙也の一言から、銀・千歳ペアと謙也・財前ペアの試合形式が始まる。何度
かラリーが続いた後、財前がポイントを決める。
「おー、やるやん!財前。」
「別に大したことないっスわ。」
「いや、銀と千歳相手にすごいで。」
いつも通りクールな雰囲気を保っている財前の肩に、いつも通り高めのテンションで謙也
は腕を回す。それを見て、銀の胸は再びピリつく。もやもやイライラする感覚。テニスを
していれば解消されると思っていたが、むしろ、大きくなったその感覚に銀は顔をしかめ
る。
「ちょっとやめてもらえます?うっとおしいっスわ。」
謙也の腕を払いのけるようにして、財前はそんなことを言う。謙也が財前から離れたこと
で銀は少しホッとしていた。
「先輩に向かって何やその口の利き方は。」
「うるさいっスわ。ほな、練習続けますよ。」
謙也がギャンギャン文句を言うのを無視して、財前はサーブを打つ準備をする。財前がサ
ーブを打つと、銀はまだもやつく気分のまま波動球を打つ構えを見せる。自分の目の前に
ボールが来ると、謙也の方に向かって力強くその球を打ち返した。
「うっわ!!」
銀の返した球にラケットを当てることは出来たが、あまりに強い勢いに謙也のラケットは
手から離れコートの外に飛んでいく。
「さっすが銀さん。なかなかやるばい。ただ練習にしては、ちょっと力みすぎやなか?」
「うむ。何や今日は調子が悪くてな。すまんな、ケンヤ。」
「調子悪いって、大丈夫っスか?師範。」
「大丈夫や。ほんなら、もう少し続けよか。」
ついイライラする気持ちを球に込めてしまい、力の加減をすることが出来なかった。本当
に今日はどうしてしまったのだろうと思いながら、銀は練習を続ける。そんな銀をすぐ側
で見ていた千歳は、銀より先にその理由に気づく。
(さっき銀さんが難しい顔しとったときは、金ちゃんと白石が財前とじゃれてたときだっ
たはずばい。んで、今はケンヤが財前と肩を組んだとき・・・あー、なるほど!ばってん、
銀さんは気づいとらんのごたる。もうちっと様子ば見とくのがよかね。)
銀が気づいてない感情に気づいた千歳は、わくわくとした様子で銀を見守ることにする。
何か面白いことが起こりそうだと思いつつ、千歳はテニスをしながら銀の様子をうかがっ
た。
部活の時間が終わり、テニス部のメンバーは部室に戻って着替えをする。ある程度着替え
終わったところで、財前は小春とユウジに絡まれる。
「財前ちゃーん、昨日テレビで出てたアイドルのダンス一緒に練習しましょ。」
「いや、しないっスわ。」
「こらー、財前、小春とくっつくなや。」
「くっついて来てるのは小春先輩の方なんスけど。」
財前の右腕には小春が抱きつき、左腕はそんな小春から財前を引きはがそうとユウジが掴
んでいる。いつものことではあるが、さすがに部活終わりに絡まれると面倒くさいと、財
前は溜め息をつく。部室の中で騒いでいるために、他のメンバーも苦笑しながら三人のや
りとりを眺める。そんな中、銀はまたもやもやした気分でいっぱいになる。
(触れて欲しくない。)
銀は心の中でそう呟く。目的語が何かを考えるより先に銀の体は動いていた。財前の後ろ
に回り、その体をぎゅっとその太い腕に収めると、小春とユウジから引き離した。
「えっ・・・?」
『・・・・!?』
財前の腕を掴んでいた小春とユウジは思わず手を離し、他のメンバーもポカンとした表情
で銀を見る。財前も驚いたような表情で銀を見上げ、そして、誰よりも銀自身が自分のし
た行動に驚いていた。
「えっと・・・師範・・・?」
「あっ・・・」
首を傾げて自分のを見てくる財前の顔を見て、銀の顔は赤く染まる。ゆっくりと財前から
手を離すと、言い訳をするように言葉を紡ぐ。
「いや・・・財前はんが嫌がってるように見えてな。体が勝手に動いてしもうて・・・」
「財前が嫌がってるんじゃなくて、銀さんが嫌だったんじゃなかと?」
これは面白いことになってきたとにやにやしながら、千歳はそんなことを言う。その言葉
を聞いて、銀の心臓はドキンと跳ねる。
「あらー、そうなの?銀さん?」
「確かに財前が小春とユウジに絡まれとるなんて、ようあることやしな。」
「い、いや・・・その・・・」
「いや、俺が嫌がっとるってのは合っとるんで、師範が正しいっスわ。ありがとうござい
ます、師範。」
銀が非常に困ったような表情になっているので、財前はそう言って助け舟を出す。
「財前がそう言うならそうやな。」
「銀は優しいからなあ。放っておけなかったんやろ。」
白石と小石川は財前の言葉に納得する。他のメンバーも何となくそれで納得してしまう。
ただ、千歳だけはまだ納得していなかった。銀が自分のロッカーへ戻ってくると、こそっ
と銀に話しかける。
「財前はああ言っとったばってん、ホントは銀さんヤキモチ焼いとったとね?」
「ヤキモチ・・・?」
千歳の言葉を聞いて、銀は部活の間中感じていたもやもや感の正体を理解する。財前に抱
きついていた金太郎に、財前の頭を撫でていた白石に、財前の肩に腕を回していた謙也に、
財前の腕を掴んでいた小春とユウジに嫉妬していた。そんなことに気がつき、銀は自分の
気持ちを理解する。
(そうか。他の者に財前はんを触って欲しくなかったんか。)
「・・・修行が足りんな。」
まさか自分がこんな気持ちになるとは思っていなかったので、銀はボソッとそんなことを
呟く。しかし、千歳はにこにことしながら、その言葉に答えた。
「それだけ財前のことを好いとるってことばい。悪いことじゃなかよ。」
「師範。」
こそこそと話している銀と千歳の間に財前が入ってくる。急に財前に話しかけられ、銀は
ドキドキしてしまう。
「どないしたん?」
「今日一緒に帰りたいんスけど、ええですか?」
「あ、ああ、もちろん構わんで。」
「ありがとうございます。」
銀の返事にふわっと笑う財前を見て、本当にこの二人は好き合っているんだなーと、千歳
はくすぐったくなってくる。
「着替えも終わったし、俺は先に帰るばい。財前はほんなこつ銀さんに愛されとるね。そ
いじゃ、また明日。」
『っ!?』
ニヤリと笑いながら千歳はそう言い残し、部室から出て行く。千歳の残していった一言に
どちらも胸を高鳴らせながら、お互いの顔を見た。
「ワシらも帰るか。」
「そ、そうっスね。」
千歳の言葉には触れずに銀と財前は帰ることにする。いつの間にか白石と金太郎以外のメ
ンバーは帰っていた。
「白石―、タコ焼き買うてくれる約束忘れんといてなぁ。」
「はいはい。銀と財前ももう帰るん?」
「うむ。」
「ほんなら、気をつけて帰りや。お疲れ。」
「お疲れ様です。」
「お疲れさん。」
「また明日なー。銀、財前。」
白石と金太郎に見送られ、銀と財前は部室を出た。日が傾き、オレンジ色に染まっている
テニスコートを横目に、しばらく黙ったまま銀と財前は歩き始めた。
部活中のこともあり、銀はまだもう少し財前と一緒に居たいと思っていた。
「財前はん。」
「何です?師範。」
「少し寄り道してもええやろか。」
「ええですよ。何か買い物とかっスか?それとも修行っスか?」
「さすがに今から修行はないわ。財前はんと少し話したいと思うてな。」
財前の言葉に苦笑しながら銀はそう返す。自分と話したいということを聞き、財前は嬉し
くなる。
「ほんなら、近くの公園とか行きます?」
「せやな。公園なら座れる場所もあるやろし。」
もう少し銀と一緒に居られることが嬉しくて、財前はご機嫌な様子で公園へと向かう。財
前の機嫌がよさそうな様子を見て、銀はふっと笑った。公園に到着すると、人があまりい
なさそうな場所のベンチに座る。ベンチに腰を下ろすと、財前は部活中に調子が悪いと言
っていた銀を気遣うような言葉をかける。
「そういえば、部活のとき調子悪い言うてましたけど、もう大丈夫なんスか?」
「ああ、大丈夫や。調子の悪い原因も分かったしな。」
「何やったんスか?」
そう尋ねられ、銀はバツが悪そうな表情で頬を掻く。しばらくの間をおいて、その原因を
話し出す。
「実はな・・・財前はんが他の仲間に触られてるの見て、ヤキモチを焼いとったんや。こ
ないな気持ちになるの初めてで、初めは気づかんかったんやけどな。」
「師範がヤキモチ?ホンマですか?」
信じられないといった顔で財前は聞き返す。間違いなく本当のことだと銀は気まずそうに
頷いた。
「師範でもヤキモチ焼くんスね。ちょっと意外っスわ。」
「嫉妬なんて煩悩中の煩悩やのに、まだまだ修行が足りひん証拠や。それが高じて財前は
んを小春はんやユウジはんから引き離すみたいなこともしてしもうたし。」
「アレはホンマ助かったんで、気にする必要ないっスよ。それに・・・」
「?」
「師範が俺のことでヤキモチ焼いてくれてるいうの聞いて、メッチャ嬉しいです。」
嬉しそうに目を細めながらそう言ってくる財前を見て、銀の胸はドキンと高鳴る。どうし
てこう自分を喜ばすことを財前は言ってくれるのだろうと、銀は財前のことを一際愛おし
く思う。
「どうして嬉しいと思うんや?」
「ヤキモチ焼くいうことは、それだけ俺のこと好きってことやと思うんスわ。師範が俺の
こと想うてくれてるのは、やっぱり嬉しいです。」
「千歳はんも似たようなこと言うてたな。ワシより先にヤキモチ焼いてることに気づいと
ったみたいやしな。」
「そういう勘はええっスよね、千歳先輩。あー、だから、帰り際にあんなこと言っとった
んっスね。」
千歳が帰り際に放ったセリフを思い出し、財前は納得する。他の部員にバレるくらいにそ
ういう態度を見せていたのかと思うと、財前は更に嬉しくなる。
「師範。」
「何や?」
「師範は普段修行もぎょーさんしよるし、煩悩を払いたいと思っとるかもしれないっスけ
ど、俺の前では無理に煩悩消さんでもええです。むしろ、どんどん見せてください。」
「せやけど・・・」
「もちろん煩悩消すのやめて欲しい言うてるわけやないです。師範がそうしたいなら、そ
うすればええと思ってますし。けど、俺には煩悩含めたありのままの師範を見せて欲しい
っスわ。ヤキモチ焼く師範も、独占欲の強い師範も、俺とええことしたいと思ってる師範
も・・・どんな師範でも俺は大好きです。」
銀の目をしっかりと見据えながら、そんなことを言ってくる財前に、銀の顔は赤く染まっ
ていく。こんなに素直に気持ちをぶつけられたら、どう返してよいか分からない。銀が言
葉に詰まっているので、財前は更に言葉を続ける。
「師範の煩悩は、俺が全部受け止めて、全部赦したりますわ。それで、もっと師範のこと
好きになってみせます。」
自信満々に財前はそう言い放つ。その想いを受け取ったということを表すため、銀は財前
の背中に腕を回し、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「っ!!」
「嬉しくて、ドキドキしすぎて・・・何て言うたらええか分からへん。」
「別に無理に言葉にせんでもええです。」
そう言われても、銀はどうにかして今自分の思っていることを財前に伝えたかった。少し
考えた後、銀は想いを伝えるために言葉を紡ぐ。
「財前はんにそう言うてもらえて、ホンマに嬉しくて幸せで・・・『煩悩即菩提』って感じ
や。」
「どういう意味っスか?それ。」
「煩悩は苦しみや悩みの原因になるんやけど、完全にそれを消すことは出来ひん。煩悩が
ある状態でもそれを幸せと感じられる境地。それが『煩悩即菩提』や。」
「それなら、俺が師範にしてあげたいと思うとることと一緒っスね。」
銀に抱きしめられながら、財前はふっと笑う。部活の間はもやもやした気分でいっぱいだ
ったのが嘘のように、銀の心は大好きな財前を腕に抱いていることで、幸せな気持ちでい
っぱいになっていた。
「財前はんと一緒やとホンマにええ気分や。」
「俺も師範といる時間は、メッチャ幸せですよ。」
「おおきにな。大好きやで。」
銀の声で『大好き』だと言われ、財前の胸はこの上なくときめく。銀の顔を見上げるよう
に顔を上げ、幸せそうな笑みを浮かべる。
「何度も言うてますけど、俺も師範のこと大好きです。」
好きな者と一緒にいたいという煩悩がこの上ない幸せな時間をもたらしている。まさしく
『煩悩即菩提』という状況。そんな満ち足りたひとときを二人はしばらくの間楽しんだ。
END.