一年生もそろそろ終わるという二月の上旬。宍戸は駅の近くのデパートに買い物に来てい
た。
「ノートも買ったし、消しゴムも買ったし、これでとりあえず必要なものはオッケーだな。」
学校で必要な文房具をいくつか買うと、宍戸は文房具屋を出る。せっかくデパートに来た
のだからと、文房具屋を出た後もスポーツ用品の店や雑貨屋などを適当に見て回る。だい
たい見たいものを見終えると、宍戸は出口のある一階へと下りた。
(そういやここの一階は、食料品だったんだっけ。)
一階に下りるとどこからか美味しそうな匂いが漂ってくる。フードコートやパン屋がある
ため、どこからともなくいい匂いがしているのだ。そんな中、この季節ならではの特設コ
ーナーが宍戸の目に入る。そのコーナーにあるのは、多種多様なチョコレートやそれに類
するお菓子やケーキ。そうバレンタインコーナーだ。
「そっか。もうすぐバレンタインだもんな。」
赤やピンクのリボンやハートが溢れるそのコーナーを見て、宍戸はそう呟いた。しかし、
自分は男であるのだから別に見る必要はないだろうと、宍戸はそのコーナーをスルーしよ
うとする。そんなとき、宍戸の目に少々気になる文字が飛び込んできた。
『動物が大好きな彼にオススメ!バレンタイン限定☆犬・猫チョコレート』
犬が大好きな宍戸にとってはかなり気になるうたい文句に、思わず足を止める。見るだけ
なら別に構わないだろうと思いながら、宍戸はそのコーナーに向かって歩き出した。
「うわあ・・・」
ガラスケースの中に入っていたのは、様々な種類の犬や猫の形をしたチョコレートであっ
た。リアルでありながら、可愛らしいたくさんの犬のチョコレートに宍戸は目を輝かせる。
そんな中、一際宍戸の興味を引きつける犬型のチョコレートがあった。
(この犬、すっげぇマルガレーテそっくりだ!)
ビターチョコを使っているのか他のチョコレートよりやや黒みを帯びたチョコで作られた
それは、跡部の飼い犬であるマルガレーテそのままの形をしていた。これは是非跡部にも
見せてやりたいと思いながら、宍戸はガラスケースに手をつき、じーっとそのチョコを眺
める。
「いらっしゃいませ。バレンタインの贈り物ですか?」
優しそうな店員のお姉さんがあまりに真剣にチョコレートを見ている宍戸に声をかける。
髪が長く、私服の上にコートを着ていることもあり、その店員には宍戸がバレンタイン用
のチョコを買いに来た女の子に見えていた。
「あ、あの・・・えっと・・・・」
まさか声をかけられるとは思っていなかったので、宍戸はドギマギしながら言葉を放つ。
「この犬のチョコが気になっているんですか?」
「あ・・・えっと・・・これ、友達の飼ってる犬にすごく似てて・・・だから・・・」
「この種類の犬のチョコはこれ一つだけなんですよ。他のより少し大きいんで、少しだけ
値は張りますけど。」
そう言われて、宍戸はその犬のチョコのすぐ横にある値札を見る。確かに他の種類の犬の
形をしたものより若干高い値段であった。
(さすがマルガレーテだ。)
さすが跡部の飼っている犬に似ているだけあると、宍戸は心の中でそんなことを思う。し
かし、買えないほど高い値段ではない。しばらくの間眺めていると、もうそのチョコが気
になってしまい、宍戸はそこから離れられなくなってしまっていた。
(これ、跡部に見せてやりてぇなあ。でも、男なのにチョコ買うのってやっぱ気がひける
っつーか・・・・うーん、どうしよう・・・)
「犬好きの彼なら絶対喜んでくれると思いますよ。」
「えっ・・・?」
「それにあなたみたいな可愛い女の子にもらえたら、もっと嬉しいと思うはずですよ。」
ニッコリと笑いながら、そう言ってくる店員の言葉を聞いて、宍戸はこの店員が自分のこ
とを女の子だと思っていることに気づく。普段なら怒るべきところだが、この犬型のチョ
コを欲しいと思っている今なら、その勘違いは好都合だ。
(女の子だと思ってるなら、別に買ってもおかしいとは思われないよな?)
「それじゃあ、この犬のチョコ下さい!」
男とバレないように、いつもより少し高い声で宍戸はそう言い放つ。そんな宍戸の言葉を
聞くと、店員はありがとうございますと言って、ガラスケースからマルガレーテそっくり
のそのチョコレートを取り出し、ハート型の箱に入れると、バレンタインらしいラッピン
グを施した。
「お品物になります。」
「ど、どうも・・・・」
お金を払い、可愛らしくラッピングされたそれを受け取ると、宍戸はそそくさとその場か
ら立ち去った。跡部に見せてやりたいという気持ちだけで、衝動買いしてしまったが、落
ち着いて考えると、跡部に渡すためにバレンタインチョコを買ったのと同じではないかと
思えてくる。それが何だか恥ずかしくて、宍戸はドキドキと胸を高鳴らせながら、そのデ
パートをあとにした。
バレンタイン・デー当日。跡部は学園中の女子から数えきれないほどのチョコレートをも
らっていた。モテるとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかったので、宍戸
や岳人、忍足は唖然としてしまう。
「跡部の奴、すっげぇな。」
「俺らも結構もらったけど、アレには敵わんやろ。」
「あんないっぱいもらっても食いきれねぇよな。」
山積みになっているチョコレートを見ながら、三人はそんなことを話す。跡部はと言えば、
それだけのチョコレートをもらえるのは当然とばかりに、特に驚きもせず、戸惑いもせず、
もらえるだけもらうという感じだ。
「とりあえず、部活行くか。」
「せやな。部活終わる頃にはチョコレート攻撃も終わるやろ。」
「チョコレート攻撃って、何だよそれ?」
せっかくもらえるのに攻撃はないだろと笑いながら、岳人はそう返す。バレンタイン・デ
ーでも部活はある。とにかく部活は行かないとということで、三人はテニス部の部室に向
かった。
部活が終わった後、宍戸はいつものように少し残って自主練をしていた。岳人や忍足は部
活が終わったと同時に帰ってしまい、練習用のコートに残っているのは宍戸だけであった。
「ハァ・・・今日はこれくらいにしとくか。もうだいぶ暗くなってきちまったし。」
冬真っ只中ということもあり、日が沈むのは春や夏に比べてだいぶ早い。夕闇がコートを
包もうとしている時分になって、宍戸は惜しみつつ、練習を切り上げることにした。
「そういえば跡部の奴、まだ残ってるかなあ・・・」
テニスに夢中になっていてすっかり忘れていたが、宍戸の鞄の中にはついこの間買ったマ
ルガレーテそっくりのチョコレートが入っていた。別にバレンタインのチョコレートとい
うつもりで渡すわけではないので、帰ってしまっているならいるで別の日に渡せばいいか
と思っていた宍戸であったが、せっかくなので早く見せてやりたいとも思う。まだ跡部が
帰っていないことを期待しながら、宍戸はテニス部の部室へと向かった。
ガチャ・・・
「誰だ?こんな時間に。」
「跡部。」
部室のドアをあけると、部長の使う机に向かって跡部が何か書き物をしていた。跡部がま
だ残っていることに、宍戸は嬉しく思いながらも、ドキドキと鼓動が速くなっていくのを
感じる。
「まだ残っていやがったのか。」
「別にいいだろ。誰に迷惑かけてるわけでもねぇんだし。」
いつものケンカ腰な口調で答えながら、宍戸は制服のしまってあるロッカーへと向かう。
部活着から制服に着替え、鞄の整理をしていると、跡部に渡そうと思って買ったチョコレ
ートの箱が目に入る。
「今日は随分とチョコレートもらってたみたいじゃねぇか。」
鞄の中からそっと箱を出し、宍戸はそんなことを口にする。これからこれを渡すのかと思
うと、宍戸の心臓は大きな音を立て、いつもより速いペースで全身に血液を送る。その所
為か宍戸の顔は若干赤く染まり始める。
「俺様はモテるからな。あのくらい当然だ。何だよ?うらやましいのか?」
自信満々に笑ってそう返す宍戸に、ほんの少しだけムッとしながら、宍戸はぎゅっと手に
持っている箱を握る。
「別にそんなんじゃねーよ。ただあんなにいっぱいもらって、食いきれんのかなあって思
っただけだ。」
「あの量を一人で全部食いきれるわけねぇだろ。俺様が口にするのなんて、ほんの数個だ
ぜ。」
「へぇ。」
頷くような反応を見せながら、宍戸は手に持っているハート型の箱を後ろに隠し、ゆっく
りと跡部に近づいて行く。そして、跡部の前までやってくると、手に持っていた箱を机の
上にポンと置いた。
「だったら、コレ食えよ。数個しか食わねぇんだろ?」
思ってもみない宍戸の言葉に、跡部は一瞬固まってしまう。しかし、目の前に置かれたハ
ート型の箱を見て、跡部はニッと笑った。
「まさかお前からバレンタインチョコをもらえるなんて、予想してなかったぜ。」
「そ、そんなんじゃねぇよ!!たまたま気になる形のチョコを見つけたから、跡部に見せ
てやりたいと思って買っただけだ!!勘違いすんなよな!!」
「でも、これはどう見ても本命チョコな感じだろ。」
「外装はいいんだよ!!勝手に店員がやったんだからっ!!とにかく開けろよ!」
バレンタインチョコだと言われ、宍戸は真っ赤になりながらそれを否定する。可愛い反応
を見せてくれるなあと思いつつ、跡部は箱に巻かれたリボンをほどき、包装紙を丁寧に剥
がした後、そのふたを開けた。中に入っているチョコレートを見て、跡部の胸はドキンと
高鳴る。
「マルガレーテだ。」
チョコを見て、跡部は思わずそう口にする。リアルな犬の形をしたそのチョコレートは跡
部の目から見ても、マルガレーテそのものであった。
「な、すげぇだろ。俺も店で見つけたとき、すっげぇマルガレーテそっくりだと思ってよ、
跡部に見せてやりてぇって思って、思わず買っちまった。」
「すげぇ。本当そっくりだ。」
「だろ?よかったぁ、跡部も同じ反応してくれて。」
跡部が期待通りの反応をしてくれたので、宍戸は何だか嬉しくなってしまう。先程とは打
って変わって、宍戸は素直に可愛らしい笑顔を跡部に見せた。
(やっぱ、可愛いよな。)
無邪気な笑顔を見せる宍戸に、跡部は心の中でそんなことを思う。こんなに嬉しそうな顔
を見せられては、もらったチョコを食べないわけにはいかないと、跡部はマルガレーテそ
っくりのそのチョコを手に取る。しかし、あまりにもそっくりであるが故に、食べるのを
ためらってしまう。
「何かあまりにも似すぎてて、食べるのもったいねぇな。」
「あー、確かにな。でも、チョコだし、ずっと残しておくわけにもいかねぇだろ。」
「だよなぁ。じゃ、ちょっと可哀想だけど思いきって食べるか。」
冗談っぽくそんなことを口にしながら、跡部は手に持ったチョコレートを口へと運ぶ。頭
の方からかじるように食べたが、その瞬間口の中に広がったのは、深いコクのあるカカオ
の香りととろけるような甘さであった。
「美味い・・・」
「そっか。そりゃよかった。跡部は高価な菓子ばっか食ってるから、俺が買えるようなチ
ョコじゃ口に合わないかなあと思ってたからよ。」
「普通に美味いぜ、このチョコ。お前も一口食ってみろよ。」
そう言いながら、跡部は犬の足の方をパキッと割って、宍戸に渡す。自分も味見をして買
ったわけではなかったので、宍戸は跡部から受け取ったそれをパクッと口に入れた。
「本当だ。美味いなこのチョコ。」
「だろ?テメェにしては、いいもん選んできたじゃねぇか。形も味もどっちも俺好みだぜ。」
ニッコリと笑いながらそんなことを言ってくる跡部に、宍戸は今までになくドキドキして
しまう。別にバレンタインのチョコとして渡したわけではないのだが、そう言われると本
当にバレンタインチョコをあげた気分になってしまう。
「ま、まあ、気に入ってくれたなら・・・よかったぜ。」
「ありがとな、宍戸。」
「ふえっ・・・?」
素直にお礼の言葉を口にした跡部に驚いた宍戸は、顔を上げて跡部を見る。その瞬間、跡
部の顔が触れるほどに近づいた。唇に何か柔らかいものが触れる。それは甘い甘いチョコ
レートの味であった。
「〜〜〜〜〜!!??」
「お前の唇もチョコレート味になってるぜ。」
「なっ・・・なっ・・・・」
かなり驚いた様子で、顔を真っ赤にしながら口をパクパクしている宍戸を見て、跡部は楽
しそうに笑う。また、怒鳴られるんだろうなあと思っていると、思ってもみない反応が返
ってくる。
「何・・・すんだよぉ・・・」
「っ!!」
いつもの威勢を完全に失って、真っ赤になりながらうつむく宍戸に、跡部の心臓はドキン
と跳ねる。あまりの宍戸の反応の可愛さに跡部は言葉を失い、それ以上は声をかけること
も触れることも出来なくなってしまった。
「い、いきなりキスすんな!跡部のアホっ!!」
ほんの少し落ち着きを取り戻した宍戸は、やっといつものような反応を返す。あまりの恥
ずかしさにその場に留まっていることが出来なくなり、宍戸はロッカーに入ったままであ
った鞄を肩にかけ、部室のドアに向かって駆け出す。
「宍戸っ!!」
部室を飛び出す前に跡部は思わず宍戸の名を口にする。その声を聞いて、振り返りはしな
いものの、宍戸はドアの前でピタっと止まった。
「このチョコ、本命チョコとして受け取っておくぜ。」
「か、勝手にすればいいだろ!!その代わり、ホワイトデーは3倍返しだからな!!」
照れ隠しにそう言い放つ宍戸の言葉を聞いて、跡部はどうしようもなく胸がときめき、何
とも言えない高揚感を感じる。
「3倍返しじゃ足りねぇよ。少なくとも30倍返しにはしてやるから期待してろよ?」
「それなりには期待しといてやるよ。じゃあな!!」
とにかくその場から立ち去りたいと、宍戸は最後まで振り向かず、部室を後にした。宍戸
が部室から出てってしまうと、跡部はカアァっと顔を真っ赤にし、手の平で顔を覆う。
「ヤバイ・・・マジで可愛すぎだ。」
宍戸がいなくなったことで、自分の中だけで留めておこうと思った感情が一気に溢れだし
てくる。どんな宍戸の態度も跡部にとっては、胸をときめかせる要素にしかなり得なかっ
た。いつの間にこんなに好きになってしまったのであろうと思いつつ、跡部は机のところ
に戻り、宍戸からもらったチョコレートの入っていた箱に目を落とす。ピンク色のハート
に真っ赤なリボン。それが宍戸の本当の気持ちの表れだと思うと、跡部は顔が緩むのを抑
えられなかった。
一方、部室を慌てて後にした宍戸は、昇降口の前まで来ると、いったん気持ちを落ち着か
せようと大きく深呼吸をする。しかし、走ってきたのとは別に速いリズムを刻む胸の鼓動
はなかなか治まってはくれない。
「どうしよう・・・すげぇ嬉しい。どんだけ俺、跡部のこと好きになってんだよ。」
そんなことを呟きながら、宍戸はコツンと下駄箱に額をつける。恥ずかしい気持ちもだい
ぶ強いが、それ以上に嬉しいという気持ちが胸の奥から込み上げてくる。顔がニヤけてし
まいそうになるのを必死で堪えながら、宍戸は今までに感じたことのないときめきに甘い
幸せを感じるのであった。
END.