ダンデライオン

合宿所のすぐ近くにある山に橘はやってきていた。自主練のための下見であったが、ふと
いつもは行かない場所へと引き寄せられるように行きたくなる。そちらの方へ歩みを進め
ると、森を抜け、開けた野原のようなところに出る。そこには、一面に黄色の花が咲き乱
れていた。そして、その黄色の花に囲まれているかのように、千歳が寝転んでいた。
「千歳・・・?」
思わずそう口に出すと、寝転がっていた千歳の視線が橘の方に向けられる。橘がいること
に気づき、千歳は嬉しそうに起き上がり笑顔で橘に声をかける。
「桔平!どぎゃんしたと?」
「いや、山ん中散策しとったら、ここに辿り着いて。」
「せっかく会うたんやけん、少し話していかんか?」
「構わんが、こんなところで何しとったと?」
「見ての通りばい。タンポポに囲まれながら昼寝しとった。」
たくさんのタンポポに囲まれ、土の上に腰を下ろしている千歳はそう答える。こんなとこ
ろまで散歩に来て昼寝をしているとは、実に千歳らしいと橘は苦笑する。
「お前らしか。」
そう言いながら、橘は千歳の隣に腰を下ろす。今日の午後は休みになっており、そこまで
時間がないというわけではなかった。こんなところで偶然千歳に会えたのだ。久しぶりに
二人きりで話すのも悪くないと、橘は口元を緩ませる。
「ここのタンポポすごかね。こぎゃん場所があるなんて、知らんかったばい。」
「最近見つけたお気に入りの場所ばい。こぎゃんいっぴゃタンポポ咲きとう場所、そうな
かよ。」
「千歳はなしてタンポポば好きと?」
橘のその質問に千歳は目を細め、橘を見る。蒲公英色の髪が風に揺れ、同じように周りに
あるタンポポもその花を揺らす。
「タンポポは桔平に似てるばい。」
「えっ?」
「桔平に似とるから、俺はタンポポが好きばい。」
そう言いながら、千歳は両手で橘の髪に触れる。まるで、自分のことを好きと言われてい
るようで、橘の顔は赤く染まる。
「タンポポが好きだけん、蒲公英色が好きってことじゃなかと?」
「んにゃ、桔平の髪の色が蒲公英色だったけん、蒲公英色が好きとよ。」
「なっ・・・!」
ニッコリと笑いながら千歳はそう答える。好きな色の基準が自分だということを知って、
橘は何となく恥ずかしくなる。しかし、自分が好きな色も全く同じような理由であるため、
橘は何も言えなかった。
「桔平の好きな色は何色やったっけ?」
「藍色と黒たい。」
「ふーん、桔平は何でそん色が好いとっと?」
「藍色は獅子楽んときんお前の髪の色やけん。黒は今のお前の髪の色やけん・・・って、
何言わすっとね!」
「あはは、桔平も俺と同じばい!ほんなこつ桔平は俺のこと好いとおね!」
冗談っぽくそんなことを言う千歳に、橘は赤くなりながらも言い返す。
「好いとおけん、悪かか!?」
「んにゃ、いっちょん悪うなかばい。俺も桔平のことたいぎゃ好いとおし。」
橘の頭を両手で固定したまま、千歳は顔を近づける。至近距離にある千歳の顔を直視出来
ず、橘は目を逸らす。
「千歳、近すぎばいっ!!」
「右目、まだあんまし見えとらんばいこぎゃん近づかんと桔平の顔ば見えんとよ?」
その言葉を聞いて、橘の顔色が変わる。その表情を見て、千歳はぞくっとしてしまう。
「あっ・・・すまない・・・」
「桔平はまだ気にしとっと?今は俺も桔平も昔みたいに本気でテニス出来るけん、もう気
にせんでよかよ。」
「ばってん・・・」
「それに、全国大会んときにこん右目でケジメつけてくれたけん、そいで終わりたい。」
橘の右目に優しく口づけながら、千歳はそう囁く。ドギマギしながら橘が何も言えずにい
ると、千歳は少し顔を離し、じっと橘の顔を見る。
「やっぱりむぞらしかねぇ、桔平は。」
「はぁ?」
「こっちの目ぇで最後にハッキリ見たのは何か分かると?」
あまり見えていない右目を指差し、千歳は無邪気に尋ねる。バツの悪そうな表情で、橘は
答える。
「・・・テニスボール、とかか?」
「桔平のあばれ球は凄すぎてハッキリなんて見えんかったばい。この目が最後に焼きつけ
たんは、あばれ球が完成して自信満々に笑ってる桔平の顔たい。」
「なっ・・・」
「あんとき、桔平が笑っててくれてよかったばい。俺は桔平の笑ってる顔が一番好きたい。
そん姿をこの目に焼きつけられたのが俺んとっては・・・」
「千歳っ!!」
千歳の話を聞いて、様々な感情が橘の中で渦巻き、思わず怒鳴るようにして千歳の胸ぐら
を掴む。
「俺がどぎゃん思いで・・・」
その時のことを思い出し、橘は泣きそうな声で千歳を睨む。親友の視力を奪い、大好きな
テニスをも奪った。事故とは言え、その罪悪感は計り知れないものであった。
「それはこっちのセリフたい。」
冷静に橘を見つめ返しながら、千歳はそう言い返す。
「目ば怪我したのはしょんなか。だけん、お前が俺ん前からいなくなったんは納得いかん
かった。右目の視力ば奪われて、テニスも奪われて、お前は俺ん前からおらんくなった。
普通なら恨んでもおかしくない状況たい。ばってんそれでも俺は、お前んこと好きで好き
でたまらんかった。」
「・・・・・」
「だけん、無我の研究にも夢中になったし、四天宝寺に転校してテニスばもう一度始めた。
テニスをしとれば、また桔平に会えると思ってたけん。全国大会で桔平に再会したとき、
どんだけ俺が嬉しかったか分かっとーと?東京ば行って、弱くなったち思うとったけど、
全然そんなこつなくて、心の底から興奮したばい。」
そう語る千歳の表情は実に楽しそうなものであった。千歳の服から手を離すと、橘は複雑
な表情を浮かべ、千歳を見上げる。
「桔平のおかげで、無我の扉を一つ開けられたし、今はこぎゃん二人でいれて、一緒にテ
ニスが出来っばい。もうこぎゃん幸せなことばなかとよ。」
「お前はこすかね。」
「なんね?」
「そぎゃんこつ言われたら、はらかけんごつなるばい。」
橘のその言葉に千歳はにっと笑って、橘をぎゅっと抱き締める。
「ちょっ・・・千歳!?」
「嬉しかぁ。桔平が俺ん腕ん中いるとか嬉しくてたまらんばい。」
ここが合宿所であれば力づくで剥がそうと思うが、ここは自分も初めてくるような山の奥
だ。少しくらい構わないだろうと、橘はきゅっと千歳の背中に腕を回す。
「桔平っ!?」
「うるしゃーばい。」
「桔平、ほんなこつむぞらしかねぇ。」
「さっきからお前ばっかり俺んこと好いとお言いよるばってん、俺だってお前んことたい
ぎゃ好きなんやけんな。」
千歳に抱き締められながら、橘は照れたような声色でそう呟く。そんな橘が可愛すぎると
千歳は顔が緩むのを抑えられないでいた。
「桔平はタンポポの花言葉知っとーと?」
「いや、知らん。」
「タンポポにはいろんな花言葉があるばい。よか意味も悪か意味も。そん中で悪か意味の
『別離』は経験しとっとね、俺らは。それ以外はよか意味ばい。」
「他にどんな意味があると?」
「『愛の神託』『誠実』『幸せ』『真心の愛』とかかね。『愛の神託』は花占いとかに使 うち意味らしいばい。桔平は誠実だし、桔平といると俺はたいぎゃ幸せばい。あとは『真
心の愛』だけん、もらってもよか?」
「どぎゃん意味や?」
「せっかく二人きりでこぎゃん場所にいるけん、キスしたっちゃよかと?」
そんな千歳の言葉に橘は顔を真っ赤にしながら、どう答えるか考える。しばらくの間考え
た後、千歳を見上げるように顔を上げ、返事をした。
「構わんばい。」
(うっわ・・・むぞらしかぁ。)
頬を染め、上目遣いで見上げてくる橘は千歳にとってそれはそれは愛らしく感じられた。
橘の顔を両手で包み、そっと口づける。一度きり軽い口づけをするつもりだったのだが、
一度してしまうと止められなくなってしまう。
「・・・っ、んっ・・・ぅ・・・」
(ちょっ・・・千歳の奴、こぎゃんガチなのするなんて聞いてなか。)
思ったよりも激しい口づけに橘の心臓はドキドキと大きく高鳴っていた。しかし、それが
嫌というわけでは全くない。そのまま千歳の好きにさせていると、非常に気持ちよくふわ
ふわした気分になってくる。
「はっ・・・ち、とせっ・・・」
「『真心の愛』は十分もらったばってん、もう少ししててもよか?」
ふわふわとした意識の中、橘は無意識に頷いていた。嬉しそうに唇を重ねてくる千歳が愛
おしくて、橘は千歳のジャージをぎゅっと掴む。
「あー!!千歳やー!!」
『っ!!』
大人なキスを楽しんでいると、少し離れた後ろの方で聞き慣れた声が聞こえる。二人は慌
てて離れ、声のする方を見た。
「き、金ちゃん、どぎゃんしたと?」
「山ん中探検しとったら迷ってしもて、歩き回ってたらここに出たんや。」
声の主は金太郎であった。金太郎と話している千歳の横で、橘は内心パニックになりなが
ら、激しい鼓動を刻む胸を押さえていた。
「うわー、ここタンポポがぎょーさん咲いとる!!メッチャ綺麗や!!」
「せ、せやね。」
「で、何で千歳はこないなとこで、兄ちゃんとちゅうしとったん?」
やっぱり見られていたかと、千歳と橘は困り顔で顔を見合わせる。見たままのことを他の
メンバーに伝えられると非常に困るので、千歳は何とか誤魔化そうとする。
「ほんなこつ知られちゃならんことばってん、金ちゃん秘密に出来ると?」
「何や?メッチャわくわくするな!」
「実はな、桔平はタンポポの妖精たい。」
「ホンマに!?」
「お、おい、千歳・・・」
千歳がついた嘘に橘はさすがに騙せないのではと困惑する。しかし、金太郎は目をキラキ
ラさせながら千歳の話を聞いていた。
「俺が春の妖精なのは知っとっとね?」
「もちろんやで!千歳がふらっとどっか出かけるんは、春が来る準備してるからやろ?」
「そうたい。これも春の準備の一つばい。タンポポはな、タンポポの妖精と春の妖精とが
ちゅうばせんと花咲かせられんたい。」
「へぇ、そうなんか。ほんなら、ここのタンポポはタンポポの妖精の兄ちゃんが全部咲か
せたんか?」
「そういうことやけん。な、桔平。」
「あ、ああ。そうだな。」
こんな話を信じるのかと思いつつ、橘は千歳の言葉に頷く。千歳の話を聞いて、金太郎は
目を輝かせて橘を見た。
「兄ちゃん頭タンポポみたいやもんな!こないにぎょーさん花咲かせるなんて、メッチャ
すごいわ!!」
「は、はは・・・」
本気で信じている金太郎を前に、橘は苦笑する。
「ここのタンポポば咲かせ終わったけん、そろそろ帰るか、桔平。」
「ああ。」
「金ちゃんも一緒に帰ろか。」
「おん!えへへ、おもろい話聞けてよかったわー。」
「さっきも言ったけん、桔平がタンポポば咲かせた話は内緒とよ?」
「分かっとるって。あっ、千歳、一本だけここのタンポポ持って帰ってもええ?」
「なして?」
「春が来てるん白石にも教えてあげたいねん。白石にお土産や!」
そういうことならと千歳は頷く。
「そんなら一本だけな。よかよな、桔平。」
タンポポの妖精という設定なので、千歳は橘にも了解を取ろうとする。金太郎の頭をポン
と撫でながら、橘は頷いた。
「構わないぞ。」
「おおきに!」
一際大きな花を咲かせているタンポポを選び、金太郎はその花を摘む。白石へのお土産を
手に入れた金太郎は、嬉しそうに千歳と橘の前を走り出した。
「金ちゃん、あんまり先には行かんとよ。」
「はーい。」
また迷子になっては大変なので、千歳は少し離れたところから声をかける。金太郎が普通
に話していては聞こえないくらい前を進んでいるので、千歳は橘に近づき、少し小さな声
で話しかける。
「今日は桔平といっぴゃ話ば出来て、楽しかったばい。」
「俺もたい。」
「あのタンポポが綿毛になるくらいになったら、また一緒に見に来んね。」
「そうだな。」
ふっと微笑みながら答える橘に千歳は心を持っていかれる。金太郎が前を向いて歩いてい
るのを確認すると、橘の腕を引き、軽く屈んで橘の耳元で囁く。
「桔平、たいぎゃ好いとおよ。」
その言葉に顔を赤くしながらも、橘は似たような言葉を千歳に返す。
「俺だって、千歳んこと大好きばい。」
「桔平ー!!」
「ちょっ・・・やめなっせ、千歳!!」
嬉しさから千歳が橘に抱きつこうとし、どちらの声も大きくなっているので、流石に金太
郎が足を止めて振り向く。そのことに気がつき、二人はばっと離れる。
「千歳ー、兄ちゃん、早う帰るでー。」
「今、行くばい。」
「ああ、すぐに追いかける。」
金太郎を追うように少し小走りになりながら、二人は森の中を進む。タンポポの咲き乱れ
る野原で過ごした二人きりの時間。それは実に充実した時間だったと、満たされた気分で
二人は歩みを進める。

三人が合宿所に戻ってしばらくして、橘がタンポポの妖精だという噂が立ったのはまた別
のお話。

                                END.

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