「完璧に風邪ですね。」
東京の某ホテルの一室で、木手は体温計を見ながら呟いた。体温計に表示された数字は、
『38.3』。なかなかの高熱である。全国大会の試合も終わり、もうしばらく東京でゆ
っくりしようということになったのだが、試合が終わって気が抜けてしまったのと、沖縄
とは違う東京の気候に平古場は風邪を引いてしまった。
「大丈夫かぁ?凛。」
「全然・・・大丈夫じゃない・・・」
「だからあれほど体調管理には気をつけなさいと言ったでしょう。今日は外出禁止ですか
らね。」
「言われなくても、こんな状態じゃ外には出れないし・・・」
「とにかく今日一日は安静にしてなさいよ。」
そう言いながら、木手は立ち上がる。
「どこ行くば?永四郎。」
「どこって、東京見物に決まってるでしょう。そんなに長く滞在出来ないんですから、今
見ておかないと勿体ないでしょう。」
「人が風邪引いてるってのに、ひどくねぇ?」
「それは自己責任ですから。ちゃんと体調管理をしなかったのが悪いんです。」
「でもよぉ・・・」
「ちゃんとお土産は買ってきますよ。それじゃあ。」
いつもの冷静な調子を崩さずに、木手は平古場が寝ている部屋から出てゆく。冷たいなあ
と木手が出て行ったドアを見つめながら、平古場は大きな溜め息をついた。
「はあ・・・マジへこむし。」
「俺は残るから、そんなに落ち込むなよ。」
「いいのか?裕次郎だって、東京見物したいだろ?」
「そりゃそうだけど、熱出してる凛置いて出かけられないぜ。」
木手とは違う優しい甲斐の言葉に平古場はジーンとする。やはり、甲斐は他のメンバーと
違うなあと思いながら平古場はぼふんと枕に頭を預けた。
「あー、頭痛ぇ。喉痛ぇ。くらくらするー。」
「大丈夫か?薬とか買ってきた方がいい?」
「あー、大丈夫大丈夫。今のちょっと大袈裟に言っただけやし。」
「本当か?何かして欲しいことがあったら、何でも言えよ。」
「お、おう・・・」
「そうだ!熱あるんだったら、おでこ冷やした方がいいだろ?確か俺、この前冷えぴた買
ったんだよな。こっちも結構暑いからって思って。ちょっと待ってろよ、今持ってくるか
ら。」
平古場のために何かをしてあげたいと、甲斐はパタパタ動き出す。自分の鞄の中から冷え
ぴたを持ってくると、ペリッとフィルムをはがし、平古場の額にそれを貼ってやった。
「あー、冷たくて気持ちいーかも。」
「これで少しは楽になるかもな。」
「サンキュ、裕次郎・・・」
額が冷やされる感覚に平古場はふぅっと息を吐いた。熱の所為で多少くらくらしているが、
それほど気分が悪いというわけではない。このくらいなら少し眠ればよくなるだろうと、
目を閉じた。
「飲み物とかも買ってきておいた方がいーよな?何がいい?」
「あー、スポーツドリンクと水。あと、ヨーグルトとかゼリーとか消化によさそうな食べ
もんがあったら嬉しいかも。」
「了解。じゃあ、ちょっと買ってくるな。」
「おー、悪ぃな。」
平古場が寝ようとしているので、その間に必要なものは買ってきてしまおうと甲斐はいっ
たん部屋を出て行く。少し眠ろうと思った平古場だが、甲斐がいなくなると急に部屋の中
がシーンとしてしまい、どうしようもなく寂しくなってくる。
(あー、何かこの感じダメかも・・・。こんな気分じゃ全然眠れんし。)
眠ろうと思って目を閉じるのだが、今この部屋に自分一人しかいないと思うと、妙に切な
くなり、胸のあたりがもやもやするような感覚に襲われる。
(どーして、風邪引くとこんな気分になるんだろ?あー、早く裕次郎帰ってこないかなぁ。)
そんなことを思っていると、甲斐がいない時間がとてつもなく長く感じられ、1分が30
分も経っているような気分になってくる。
「あうー、早く帰って来いよぉ、裕次郎ー・・・」
まだほんの5分程度しか経っていないのだが、平古場にとってはもう何時間も経っている
ように感じられた。寂しすぎて死んでしまうと、ぐすぐすとベソをかきながら平古場はベ
ッドの横の棚に置いておいた携帯電話を手に取った。
「よし、飲み物も買ったし、凛が食べれそうな食べ物も買ったし、風邪薬も買ったし、オ
ッケーだろ。」
必要なものの買い物を終え、平古場の居る部屋に戻ろうとすると、突然携帯電話の着信音
が鳴り響いた。
〜〜♪ 〜〜〜〜♪
「おっと、電話が鳴ってる。はい、もしもし?」
『・・・裕次郎?』
「凛?どうした?」
『ひっく・・・早く帰って来いよぉ・・・ふぇ・・・裕次郎ぉ・・・』
「な、何、泣いてんだよっ!?どっか苦しいのか?」
『ひっ・・ひっく・・・ぐす・・・ふっ・・・』
「あー、今すぐ戻るから!!ちょっと待ってろよ!!」
電話越しに泣き声を聞かされ、甲斐は慌ててホテルの部屋へと戻る。部屋に戻ると、平古
場は枕に顔を埋めてボロボロ涙を流し、泣いていた。
「凛、大丈夫か?」
「裕次郎っ・・・帰ってくんの遅すぎるしっ・・・」
「わ、悪ぃ。結構急いだつもりだったんだけど。」
「俺、寂しくて死にそうだったんだぞっ!!」
熱が出ていつもと違うということは分かっていたが、まさかこんなことを言われるとは思
っていなかったので、甲斐は思わず笑ってしまう。
「な、何で笑うんだよ?」
「い、いや、何でもないさぁ。それより、飲み物と食べ物ちゃんと買ってきたぜ。あと、
風邪薬も。」
「自分じゃ食べれねぇ。裕次郎、食べさせろ。」
熱の所為で情緒不安定になり、わがままになっている平古場を前に、甲斐は困惑するとい
うよりは、可愛くて仕方がないと感じていた。
「ヨーグルトとプリンがあるけど、どっちがいい?」
「ヨーグルト。」
「ヨーグルトな。これ食べたら、薬も飲もうな。」
「おう・・・」
買ってきたヨーグルトのふたを開け、甲斐はそれをプラスチックのスプーンで掬い、平古
場の口へと運ぶ。口元までスプーンが来ると平古場餌をもらう小鳥のように口を大きく開
ける。
(何か可愛いかも。)
平古場にヨーグルトを食べさせながら、甲斐はそんなことを思う。普段の平古場なら、人
に食べさせてもらうなんてそんな恥ずかしいこと出来るかと怒っているところだ。そんな
平古場が今は素直に口を開けて、自分が食べさせるのを待っている。
「うまいか?凛。」
「んー、まあ。」
「そっか。ほい、あーん。」
「あーん。」
あーんと言って口を開ける平古場に、甲斐はドキンとしてしまう。
(凛、本当可愛すぎやし。あー、ちょっとヤバイかも。)
ドキドキを抑えつつ、甲斐はヨーグルトを与え続ける。あと残り一口を口に入れたとき、
手が滑って平古場の口元にヨーグルトが垂れてしまった。
「あっ、ゴメン。」
「んー、平気。」
口元に垂れた白い雫を指で掬って平古場は口に運ぶ。その仕草に甲斐は完璧にやられた。
「っ!!」
「ありがとうな、裕次郎。ヨーグルト、うまかったぜ。」
熱の所為で火照って赤くなっている顔で微笑まれる。その笑顔にも甲斐は撃沈だった。
「ほ、ほら、これ風邪薬だからっ。ちゃんと飲んでおけよ。」
このままではヤバイと甲斐は立ち上がり、トイレに向かおうとする。そんな甲斐の服をぎ
ゅっと掴み、平古場はまた泣きそうな顔になる。
「どこ行くんだよー?」
「どこって・・・ちょっとトイレに・・・」
「俺を一人にすんな・・・」
潤んだ瞳でそんなことを言われれば、そこにとどまざるを得なくなる。ドキドキ感を抑え
られないまま、甲斐はベッドの横に座った。
「わぁーった、わぁーった。だから、ちゃんと薬は飲めよな?」
「うん。」
甲斐が買ってきてくれた薬を開けて、平古場はそれを飲もうとする。しかし、その風邪薬
は錠剤ではなく粉薬だったために、平古場はそれを飲むのに抵抗があった。
「風邪薬ってよぉ・・・」
「何?」
「苦いよな?」
「まあ、薬だからな。苦いんじゃねぇ?」
「苦いの・・・苦手なんだよ。」
「知ってる。」
「苦いんだったら、飲みたくないんだけど・・・」
「でも、飲まないと熱下がらないぜ。我慢して飲まないと。」
「うー。」
薬が苦そうで飲めないという平古場を見て、甲斐は本当に世話が焼けるなあと思いつつ、
その薬を取り上げた。そして、その袋をピッと開けると平古場の口にその中身を入れた。
「ふっ・・・ぅ・・・」
口の中に広がる苦味に平古場は顔をしかめる。このままじゃ飲み込めないだろうと、甲斐
は買ってきた水を口に含み、そのまま平古場の口へと流し込んだ。口が塞がれているため
に流し込まれた水は、薬とともに飲み込むしかない。口の中にある薬が全部飲み込まれた
ことを確認すると、甲斐はゆっくりと平古場から唇を離した。
「けほっ・・・うぇー、苦っ。」
「しょうがないだろ。でも、ちゃんと飲めたじゃん。」
「強制的に飲まされたって感じだけどな。口移しで水飲ますなんて、ずるいし。」
「そ、それは、凛が薬飲めないって言うからよー。」
薬を飲ますためとはいえ、平古場にキスしてしまったことを甲斐は今更ながら恥ずかしく
思う。目をそらしながらそんなことを言うと、平古場はくすくす笑って、甲斐の腕をぎゅ
っと握った。
「いろいろありがとな、裕次郎。薬も飲んだし、俺少し寝るから。」
「う、うん。」
「でな、裕次郎。」
「ん、何?凛。」
「も一つだけわがまま聞いてもらってもいーか?」
「いいぜ。凛の頼みだしな。」
「ちょっと寒いからよー、一緒に寝て欲しいんだけど・・・」
恥ずかしそうに平古場はそう呟く。想定内のお願いであったが、やはり実際言われるとド
ギマギしてしまう。
「す、少しの間だけだったらいーぜ。」
「へへへ、サンキュ。」
嬉しそうに笑う平古場が寝ているベッドに甲斐は潜り込む。甲斐が布団の中に入ってくる
と、平古場は熱っぽい体を甲斐に擦りつけた。
「凛の体、やっぱ熱いぜ。」
「まあ、結構熱高いしな。」
「ちゃんと寝ろよ。早く治して一緒に遊びに行くんだからな。」
「おう・・・」
甲斐に抱きつきながら、平古場はゆっくりと目をつぶる。先程とはうってかわり、甲斐の
ぬくもりに安心感を覚えた平古場は、すぐに夢の中へと落ちてゆく。
「ZZzzz・・・」
「本当に寝ちまったし。」
「んー・・・」
「可愛い寝顔やし。早く治せよ、凛。」
そう言いながら、甲斐は冷えぴたの貼ってある平古場の額にちゅっとキスをした。平古場
に抱きつかれているために、甲斐はベッドから出ることが出来ない。しばらく平古場の寝
顔を見ていた甲斐だったが、平古場の熱で体が温まるとだんだん眠くなってきてしまう。
「ふああ・・・何か眠くなってきちまった。俺も寝ようかな・・・」
完璧にうとうとしてきてしまった甲斐は、そのまま目を閉じて、平古場と一緒に夢の中へ
落ちてしまう。しばらくその部屋には二人分の寝息が響いていた。
夕方近くになって、木手や知念など東京見物に行っていたメンバーがホテルへ戻ってきた。
何だかんだ言っていても、やはりチームメイトのことが心配なので、自分達の部屋に戻る
前に平古場の寝ている部屋へと向かう。
「入りますよ、平古場くん。」
とりあえずドアの外から声をかけてみるが返事がない。寝ているのだろうと思い、ドアを
開けてみると、案の定ベッドで誰かが寝ているのが目に入った。
「どうやら眠っているようですね。」
「ああ。」
「あれ?甲斐はどうした?ホテルに残ったんだよな?」
「はい。残ってるはずですが・・・・」
ホテルに残っているはずの甲斐の姿が見当たらないと、部屋に入ってきたメンバーは辺り
を見回す。しかし、その姿はどこにも見当たらなかった。
「全くどこに行ったんでしょう・・・おや?」
ベッドの近くまで来た木手が甲斐の姿を見つける。それは自分達が予想していなかったと
ころであった。
「どうした?木手。」
「ああ、甲斐くん見つかりましたよ。全く、仲がいいのは悪いことではないですが、ここ
までだとどうなんでしょうね?」
くいっと眼鏡を上げながら木手は小さな溜め息をつく。木手の言葉を聞いて、他のメンバ
ーもベッドの周りにやってくる。
「何で一緒に寝てるんだ?」
「さあ。とにかくそろそろ起こしてやった方がいいんじゃないか?木手。平古場はともか
く甲斐は別に病人じゃないんだろ?」
「そうですね。甲斐くん、起きなさい。もう夕方ですよ。」
「う・・うーん・・・」
「寝ぼけてないで、早く起きなさい。何で君まで寝てるんですか。」
「あい・・・?木手?うわっ!!俺、超爆睡してたしっ!!」
木手に起こされ、甲斐はがばっと体を起こす。その衝撃で隣に寝ていた平古場も目を覚ま
した。
「んー・・・何?裕次郎?」
「随分長いこと寝てたようですが、熱は下がったんですか?平古場くん。」
「うっわ、永四郎!!いつの間にか帰ってきてるし!!」
「少しは元気になったみたいですね。」
まさか他のメンバーが帰ってきているとは思わなかったので、甲斐は慌てて平古場の布団
から出る。
「さっきも聞きましたけど、何で甲斐くんも平古場くんと一緒に寝てたんですか?」
「い、いやー、凛が寒いって言うからよ・・・」
「だから、一緒に寝ていたと。」
「ま、まあ・・・」
「裕次郎がいろいろしてくれたおかげで、かなりよくなったぜ。」
「ほう、いろいろですか・・・」
今の言葉は語弊があったかもしれないと、平古場は慌てて言い直す。
「い、いや、その変な意味じゃなくて、飯食わせてくれたりとか、薬飲ませてくれたりと
か、そういう看病的なな?」
「そ、そうそう!」
「まあ、別にいいですけどね。そこまで元気になってるのなら、心配ないでしょう。これ
君達へのお土産ですから。俺達は自分の部屋に戻りますよ。」
「お、おう。」
「土産、サンキューな。」
思ったよりも元気な平古場を見て、木手を初めとした他のメンバーはちょっとホッとする。
他のメンバーが部屋から出て行ってしまうと、甲斐と平古場は大きな溜め息をついた。
「マジ、ビビったし。」
「いきなり入ってくるなよな。でも、凛、本当よくなったみたいだな。」
「そーだな。だいぶ熱も下がったみたいだし。みーんな、裕次郎のおかげだぜ♪」
「わ、俺は別に何もしてないし。」
「何言ってるば?いっぱいしてくれただろー?ホント感謝してるぜ。」
そう言いながら、平古場は甲斐の頬にちゅっとキスをした。いきなりの平古場からのキス
に甲斐の顔は真っ赤に染まる。
「顔真っ赤やし。俺の風邪がうつったかぁ?裕次郎。」
「り、凛がいきなりちゅうなんてしてくるからだろぉ!?」
悪戯っ子のように笑う平古場に、甲斐はかなり照れながら言葉を返す。慌てまくっている
甲斐を見て平古場はけらけらと楽しそうに笑った。
「そーいえば、永四郎が買ってきた土産って何だろーな?」
「開けてみるか?」
「おう。」
少し大きめの紙袋の中に入っているものを甲斐はベッドの上に出してみる。その中身を見
て、二人は驚愕した。
『っ!?』
お土産として入っていたのは、とっても可愛らしい女の子の制服であった。どういうつも
りで買ってきたのか全く見当がつかないと二人は顔を見合わせる。
「あいつらどこ行ってきたんだろ?」
「だから、東京見物だろー?」
「どういう発想でこんなもん買ってきたんだろーな?」
「さあ。あっ、でも、俺、東京の女の子の制服って可愛いよなって言った覚えある。」
「いや、だからってそれ自体を買ってくるか?ふつー。」
「ウケ狙いじゃねぇの?確かに面白い土産ではあるよな。」
「まあ、凛がそう思うんならいーんじゃねぇ?てか、むしろ、コレ、凛なら似合いそうだ
し。」
「なっ!?何言ってるば!?裕次郎!!着るわけないだろーこんなの!!」
「いやいや、試しに着てみろよ。絶対似合うって。あっ、でも、今は風邪引いてるから治
ってからでいっか。」
「治っても着ないし。」
「せっかく買ってきてもらったんだから着ろよー。」
「着ないって言ってるだろ!!」
「そんな大声出してると、また熱上がっちまうぜ。まだ、完全に治ったわけじゃないんだ
からもうちょっと安静にしてないと。」
「誰の所為だ、誰の!!」
「あはは、まあ、本当に着せるかどうかは治ってから考えることにするさぁ。」
「裕次郎〜。」
平古場に着せることが出来ると考えると、このお土産もなかなか使えるなあと甲斐も思い
始める。着せられるのは勘弁と思いつつも、これ以上テンションが高いままでいると、風
邪が悪化してしまうと、平古場は少し静かにすることにした。もう一度布団の中に入り、
ポスンと枕に頭を預ける。
「あい?凛、また寝るの?」
「だってよぉ、早く風邪治さんと裕次郎と遊べんだろ?」
「へへ、そーだな。じゃあ、俺は凛がよくなるまでつきっきりで看病してやるさぁ。」
「じゃあ、また、さっきみたくご飯食べさせて、一緒に寝てくれるか?」
「お安い御用だぜ。早く元気になれよな、凛。」
横になっている平古場の頭をくしゃっと撫でながら、甲斐は笑顔でそんなことを言う。そ
れが嬉しくて、平古場もふふっと笑う。風邪を引いてしまったのは、あまりいいことでは
ないが、甲斐に看病してもらい、こんなふうに長い時間二人っきりで過ごせるのは、かな
り楽しい時間だなあと思う平古場であった。
END.