4月 テニス部入部

たくさんの入部希望者と現部員が盛り上がっている後ろで、財前はすぐ隣に立っている修
行僧のような格好をした銀を見上げる。
「テニス部のシャツを着てるいうことは、新入部員の一年生か?」
「えっ・・・あ・・・はい。」
急に声をかけられ、財前はドギマギとしながら返事をする。
「ワシもこれから着替えに行くんやけど、せっかくやから少し話でもするか?」
よく分からないテンションになっているこの場にいるよりは、そちらの方がマシだと思い、
財前は銀の言葉に頷く。
(修行って何の修行やろ?というか、着替えに行くっちゅーことは、この人もテニス部の
先輩ってことやんな。)
自分より遥かに大きな体に完全に修行僧のような風貌。おそらく先輩ではあるが、とても
中学生には見えない。あまり他人には興味を持たない財前であるが、今目の前にいる銀に
は興味津々であった。銀の後をついて行くように、財前は先程までいた部室に戻る。
「自己紹介がまだやったな。ワシは石田銀や。二年生やで。」
部室に入り、かぶっていた笠を外すと銀は自己紹介をする。自分と一学年しか変わらない
ことに財前は驚く。
「二年生って、一つ上なだけやないですか。」
「はは、老けてるとはよう言われるな。それで、おぬしは?」
「あっ、財前光です。今日からテニス部に入りました。」
「財前はんやな。よろしゅう。」
「よろしくお願いします。」
見た目は少しいかつい感じではあるが、優しそうな雰囲気の銀に財前の緊張はふっと緩む。
(この先輩は、他の先輩らと何や雰囲気違う気がするな。というか、先輩っちゅーよりは
もっとずっと大人っぽくて、先生・・・ちゃうな、あっ、師範って感じやな。)
部活用のジャージに着替えている銀を見ながら財前はそんなことを考えていた。財前と同
じシャツに袖を通すと、銀はちらりと財前の方に目をやる。財前は銀を見ていたために、
バチっと目が合う。
「あ、あの・・・」
「どないしたん?」
「先輩のこと、『師範』って呼んでもええですか?」
(って、俺、何言うとんねん!今日会ったばかりの先輩に意味分からんこと言うてるやん。
うわー、やってもうた。変なヤツと思われる。)
突然意味の分からないことを言ってしまったと、財前は顔には出さないが心の中ではかな
りパニくっていた。
「んー、何の師範かはよう分からへんけど、財前はんがそう呼びたいならかまわへんで。」
「あっ・・・えっと、急に変なこと言うてすいません。」
「大丈夫や。試しに呼んでみてもええで。」
そう言われて、財前はドキドキしながら銀のことをそう呼んでみる。
「師範。」
(ああ、やっぱりしっくりくるな。『師範』ってピッタリや。)
「うん、悪くないんちゃうか。少しくすぐったい気もするが、ええな。」
「ほんなら、『師範』って呼ばせてもらいます。」
財前の声で『師範』と呼ばれるのが思いのほか心地良く、銀はふっと笑う。急におかしな
ことを言い出したにも関わらず、すんなりと受け入れてくれた銀に対して、財前は好感を
抱く。
「財前はんはテニス経験者なんか?」
「少しだけやったことあるくらいっスわ。他の先輩らに意味分からんお笑いぎょーさん見
せられて無理矢理勧誘されて、仕方なく入ったって感じですけど。」
「ははは、そうか。きっかけはどうであれ、ワシは財前はんが入ってきてくれて嬉しいと
思うで。それに、他のみんなもきっとそう思ってるはずや。」
まだほんの少ししか話をしていないのに、自分が入ってきて嬉しいと言ってくれる銀に、
財前はもう少し心を開いてもいいかもしれないという気分になる。
「先輩らは無理矢理笑かそうとしてくるんスけど、俺、そういうボケるとかツッコむとか
お笑い強制されるの苦手で、ホンマ嫌なんスよ。」
「まあ、この学校のノリは独特やからなあ。ワシも去年東京から大阪へ来て、ココに入っ
たときはちょっと戸惑ったからなあ。」
「えっ、師範、東京から来はったんですか?」
「中学入学と同時にな。テニスの特待生で入れたというのもあるんやけど、東京にいると
きに空気があんまりようなくて喘息になってしもてな。ここは自然も多くて空気も綺麗や
からということで、一人で大阪に来たんや。この学校は寮もあるしな。」
「すごいっスね。俺なんてここに入った理由、家から近いからですよ。しかも、テニス特
待でってことは、テニスも相当強いってことっスよね。」
「まだまだ、修行中の身やけどな。」
単身で大阪に来て、テニスの特待生として四天宝寺に入ったという銀の話を聞き、財前は
尊敬の眼差しを向ける。そんな財前の表情を見て、銀はふっと笑う。
「今はまだ慣れていなくて、戸惑うことも多いかもしれん。せやけど、他のテニス部の仲
間もこの学校も、ええところぎょーさんあるで。ワシと同じように、この学校に入ってよ
かったと思う日が必ず来るから、一緒に頑張ろうな。」
優しく微笑みながら、穏やかな口調でそう言う銀の言葉を聞き、財前は胸の奥にあった氷
の塊が融けていくような気分になる。入学してからこの学校のノリについていけず、毎日
が憂鬱だった。そんな気持ちが一瞬で融けていく。
(師範が言うなら、きっとそうなんやろな。)
「俺、師範と一緒なら、テニスも頑張れそうですし、学校も楽しくなりそうです。」
「ホンマか?それはよかった。」
「ありがとうございます。テニス部に師範がいてくれてよかったっスわ。」
「はは、そう言われると照れてまうな。」
「手始めに俺と一緒に練習してもろてもええですか?」
「もちろんええで。」
銀と一緒に練習が出来るのが嬉しくて、財前はその幼い顔に笑みを浮かべる。財前のほこ
ろんだ顔を見て、銀は素直に可愛いと思ってしまう。
(ちょっと気難しい子なのかと思ったけど、こないな顔で笑うんやな。後輩いうんは可愛
いもんやなあ。)
「ほんなら、テニスの練習しに行くか。」
「はい。」
もうとっくに銀は着替え終わっているので、二人はそろって部室の外に出る。入部希望の
他の一年生とオサムは入部受付をするためにいなくなり、他のメンバーはコートで練習を
始めていた。
「おっ、もう練習始めとるで、銀、財前。」
二人の姿を見つけた白石はそんなふうに声をかける。
「遅れてすまんなあ。」
「銀は今日も波動球の練習するんか?」
「いや、今日は財前はんとちょっと練習しようと思てな。」
「なんやもう財前と仲良くなったん?俺らには全然心開かんのに。」
冗談っぽく白石がそんなことを言うと、面倒くさそうな口調で財前が口を開く。
「師範と練習するんで、空いとるコート使いますから。ええですよね?」
「師範??」
「財前はんがワシにつけてくれたあだ名みたいなもんや。なかなかええやろ?」
銀が嬉しそうにそう言うので、白石は少し驚いたような表情を見せる。さっきの今でどれ
だけ仲良くなったのかと、白石は信じられないといった顔になる。
「師範、早く練習しましょ。」
「せやな。ほんなら、白石はん、向こうのコート使わせてもらうで。」
「お、おお。」
やる気満々な財前と嬉しそうな表情の銀。白石は包帯の巻かれている左手を顎に当てて、
そんな二人を少し離れた場所から眺める。
「えー、財前をあんなにやる気にさせるって、銀の奴すごいな。まあ、それぞれ自分の持
ち味出して自由にさせるって決めたんやから、財前はある程度銀に任せてみてもええかも
しれんな。」
やる気になってくれるのは悪いことではないと、白石はコートに入った二人を見てクスっ
と笑う。優秀な新入部員が一人増え、そして、さらに部員が増えそうな四天宝寺のテニス
部。今年はいいところまでいけそうだと、白石は自由に練習に励む仲間を楽しげな表情で
眺めるのであった。

                                END.

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