ひねもすときめきたり

『ごちそうさまでしたー!!』
水軍館の食堂では、今しがた朝食の時間が終わり、食事を終えた後のあいさつが元気に響
く。それぞれ自分の使った食器を台所の洗い場に持って行く。今日の食事当番は鬼蜘蛛丸
で、朝食を作ったのも鬼蜘蛛丸であれば、食器を洗うのも鬼蜘蛛丸の仕事になっていた。
「ごちそうさまでした!先に仕事行ってますね、兄貴。」
「片付けお願いします。美味しかったです。」
「おう、仕事、サボるんじゃねぇぞ。」
重や間切の言葉に鬼蜘蛛丸は笑顔で返す。由良四郎や疾風の年長組も食器を鬼蜘蛛丸に渡
すと、それぞれ朝の仕事に向かった。一番最後まで食堂に残っていたのは、義丸であった。
ほんの少し寝坊してきたので、他の者より食べ始めるのが遅くなってしまったのだ。義丸
が朝食を食べるのを眺めながら、鬼蜘蛛丸は汚れた食器を洗う。
(義丸が寝坊するなんて、珍しいよなあ。いつもは一番に起きて、朝の支度してるのに。)
そんなことをぼんやりと考えていると、朝食を食べ終えた義丸が鬼蜘蛛丸の前までやって
くる。
「ごちそうさまでした。」
「おう。義丸、お前が寝坊するなんて珍しいじゃねぇか。どうしたんだ?」
「昨日の夜、本を読んでいたらちょっと夢中になっちまって。それで、眠るのが遅くなっ
ちまったんだよな。」
「へぇ。まあ、お前らしいって言ったらお前らしいな。」
夜更かしをしてしまった理由が読書であると聞いて、鬼蜘蛛丸はふっと笑う。その笑顔に
義丸はドキンとしてしまう。
「今日の朝飯は、鬼蜘蛛丸が作ったんだよな?」
「ああ、そうだぜ。」
「やっぱり、鬼蜘蛛丸は料理上手だよな。俺、鬼蜘蛛丸の作る料理なら何でも大好きだぞ。」
「お、おう・・・そっか。ありがとう。」
料理の腕を素直に褒められ、鬼蜘蛛丸は照れたようにはにかむ。一生懸命作ったものを褒
められるのは嫌な気はしないものだ。にこっと笑いかけながら、義丸の使った食器を受け
取ると、鬼蜘蛛丸は再び洗いものを始める。
「洗いものはしておくから、義丸も先にお頭のところに行ってろよ。」
「ああ。鬼蜘蛛丸もすぐ来るんだよな?」
「ああ。洗いものが終わったらすぐ行くぜ。」
「鬼蜘蛛丸。」
「ん?何だ?」
「鬼蜘蛛丸の作る料理は大好きだけど、俺が一番好きなのは・・・」
途中でためるような間をあけるので、鬼蜘蛛丸は何だろうと不思議に思いながら、続く言
葉を待つ。ニヤリと口元を上げると、義丸は鬼蜘蛛丸の耳元でそっと囁いた。
「鬼蜘蛛丸自身だぞ。」
「っ!!??」
「じゃ、また後で。」
何事もなかったかのように、義丸はひらひらと手を振り、仕事に向かう。物凄いことを耳
元で囁かれ、鬼蜘蛛丸の心臓は爆発しそうなくらいドキドキと高鳴る。
「信じらんねー。いきなりあーいうこと言うなよ。」
半ば腰砕け状態になりながら、鬼蜘蛛丸は真っ赤になって顔を覆う。このドキドキを誤魔
化そうと、鬼蜘蛛丸は洗いものをがしゃがしゃと洗い始めた。

昼過ぎになり、休憩時間になると、各々好きなところで休み始める。水練の二人は海へ探
索に出かけ、水夫の者は適当に散らばっておやつを食べたり、魚釣りをしたりしていた。
「そういや、義丸に手ぬぐい借りっぱなしだったな。」
午前中の仕事で、義丸から手ぬぐいを借りていた鬼蜘蛛丸は、それを返そうと義丸を探す。
しかし、何故だか義丸の姿は見つからない。
「あれ?どこ行ったんだろう?」
しばらく歩きまわってみるが、全く見つかる気配がない。どこにいるか誰か知っている者
がいないかと、鬼蜘蛛丸は近くにいた間切や網問に尋ねてみた。
「おい、お前達。義丸がどこに居るか知らないか?」
「義兄?間切知ってる?」
「確か寝不足だから、丘の方で昼寝してくるとか言ってましたけど。」
「丘かぁ。分かった、ありがとな。」
浜辺の近くに小高い丘があるのは知っているが、鬼蜘蛛丸はそこに行くのは気が引けた。
海から離れてしまうが故に、そこまで行くとどうしても陸酔いしてしまうのだ。しかし、
用があるのだから仕方ないと、鬼蜘蛛丸はそこへ向かった。
「ハァ・・・気持ち悪い・・・」
案の定、そこに向かう途中で陸酔いしてしまう。ふらふらとした足取りで、丘の上まで上
がると、その真ん中あたりで義丸が横になっていた。ぐっすりと眠っていた義丸だったが、
後ろから誰から来る気配を感じ、目を覚ます。
「ハァ・・・ハァ・・・」
義丸のところまでやってきた鬼蜘蛛丸は、そろそろ限界であった。
「よ、義丸・・・」
「鬼蜘蛛丸か?」
声を聞いて鬼蜘蛛丸だと気づいた義丸は、体を起こし、そう答える。起き上がって声のす
る方を見ると、鬼蜘蛛丸がしゃがみこんでいた。どうやら、ここまで来るまでに陸酔いが
最高潮に達した鬼蜘蛛丸は、耐えきれずにその場で吐いてしまったようだ。
「大丈夫か?鬼蜘蛛丸。」
「ハァ・・・全然大丈夫じゃない・・・」
「だよなー。で、こんなに無理してここまで何しに来たんだ?」
「さっき、お前に手ぬぐい借りてたろ・・・?それを返しに・・・うっ・・・」
「そんなの後でもよかったのに。」
「でも・・・借りたものは、返さなきゃだろ?」
「全くお前は・・・」
こんなことで律義にならなくてもよいのにと思いながら、義丸は苦笑する。口を押さえて
いる鬼蜘蛛丸の背中をさすりながら、義丸は懐から小さな巾着袋を取り出した。
「これ、酔い止めの薬だ。一応、飲んでおいた方がいいだろ?」
「おー、悪いな。すごい助かる・・・」
「せっかく持って来てくれた手ぬぐいは受け取るけど、次からはこんなに無理してまで、
わざわざ渡しに来なくていいからな。」
「・・・分かった。」
陸酔い止めの薬の飲むと、いくらか鬼蜘蛛丸の顔色は良くなる。しかし、それでもまだ、
気分は悪そうだ。このままここにいると、またいつ鬼蜘蛛丸の陸酔いがぶり返すかも分か
らないと、義丸は浜辺の方へ戻ることにする。
「ここに居ても、鬼蜘蛛丸の陸酔いがぶり返すかもしれないしな。海の方へ戻ろうか。」
「悪いな。昼寝の邪魔しちゃって。」
「いや、昼寝よりも俺は、鬼蜘蛛丸と一緒に居れる方が楽しいからな。」
「ヨシ・・・」
「まだ、歩くのキツイだろ?浜までおぶって行ってやるよ。」
「いいって!!今、薬も飲んだし、少しくらいなら平気だって!!」
義丸の優しい言葉にほんの少しキュンとしつつも、鬼蜘蛛丸は義丸の申し出を断る。しか
し、義丸はそう簡単に諦めなかった。
「俺がそうしたいんからさせてもらうぞ。」
「け、けど・・・」
「鬼蜘蛛丸。」
「わ、分かったよ・・・」
義丸の気迫に押され、鬼蜘蛛丸はおぶわれることを了承してしまう。鬼蜘蛛丸が頷くと、
義丸は嬉しそうな顔で、鬼蜘蛛丸の前にしゃがみ、背中の方に腕を差し出す。しぶしぶと
義丸の背中に寄りかかると、鬼蜘蛛丸は落ちないようにと義丸の首に腕を回した。
「みんなが居るところより手前で下ろせよ。」
「分かってるって。」
鬼蜘蛛丸を背負いながら、義丸は海へ向かって歩き出す。おぶわれることなんで、そう滅
多にないので、鬼蜘蛛丸はドキドキしてしまう。
「鬼蜘蛛丸。」
「な、何だよ?」
「鬼蜘蛛丸の心臓、すごくドキドキしてるな。」
「なっ・・・う、うるさい!!こういうの慣れてないんだから、仕方ねぇだろ!!」
背中に押し付けられている胸から、バッチリと鼓動が伝わっていた。それを指摘されるの
が恥ずかしくて、鬼蜘蛛丸は怒鳴るようにそう言い放つ。そんな態度を取る鬼蜘蛛丸が可
愛くて仕方がないと、義丸は歩きながらクスクスと笑った。

それから数時間が過ぎ、夕方頃になると、兵庫水軍の治める海に敵船が現れた。敵船を見
つけたら、その船が悪いことをしないようにするのが水軍の仕事だ。兵庫第三協栄丸の指
示で、いつもより少し大きな船に乗り、敵船退治に向かった。
「今回の相手は、かなり大きな船なようだから油断するなよ!」
『おー!!』
夕焼けが空や海を赤く染めている中で、兵庫水軍と敵船は木製の大砲や投げ焙烙、飛爛珠
などで、お互いに攻撃し合う。海での戦いは当然のことながら、兵庫水軍の方が何倍も有
利である。もう少しで敵船を撃退出来ると誰もが思ったその時、船の前方で指揮を執って
いる鬼蜘蛛丸に向かって、船戦火箭が飛んできた。
『兄貴、危ないっ!!』
『鬼蜘蛛丸っ!!』
「えっ・・・?」
他の者に注意され、振り向いた時には時既に遅し。避けることが出来ないほど、船戦火箭
は鬼蜘蛛丸の近くに飛んできていた。
(避けられないっ・・・!!)
当たるのを覚悟でぎゅっと目を閉じると、ふわっと体が傾き、力強く支えられた。しかも
飛んできた船戦火箭もその身に当たってはいない。
「よかった。間に合って。」
「義・・丸・・・?」
鬼蜘蛛丸がゆっくりと目を開けると、自分の体は義丸の腕の中に抱かれていた。飛んでき
た船戦火箭は、義丸が素手で受け止め、そのまま海に投げ捨てていた。
「すごーい!!義兄、カッコイイー!!」
「本当、心臓止まるかと思ったぜ。」
「怪我はないか?二人とも。」
「へい。わたしは無傷です。鬼蜘蛛丸も・・・」
「あ、ああ。大丈夫だ。」
鬼蜘蛛丸が無事だったことを、船に乗っていた者達は喜ぶ。鬼蜘蛛丸を危険にさらさせた
お返しだと言わんばかりに、兵庫水軍は反撃を開始した。
チュドーン、ドカーンっ!!
兵庫水軍の反撃に、敵船は撤退してゆく。今日も海の平和は守れたと、満足気に水軍は、
浜の方へ戻って行った。
「あ、あのよ・・・義丸。」
船を下りる時、鬼蜘蛛丸は義丸の着物をきゅっと握りながら、声をかける。
「何だ?鬼蜘蛛丸。」
「さっきは本当にありがとう。義丸が庇ってくれなきゃ、俺は・・・」
「別に礼を言われることではないだろ。当然のことをしたまでだ。」
「当然のことって、一歩間違えれば、お前が怪我してっ・・・・」
「鬼蜘蛛丸。」
「えっ・・・?」
他の者達が全員船から降り、水軍館に向かって歩いていくのを見計らい、義丸は先程のよ
うに、鬼蜘蛛丸のことを抱きしめる。
「自分の愛する者をこの手で守りたいと思うのは、男として当然のことだろう?」
「なっ・・・!?」
「もしこういう扱いを受けるのが、鬼蜘蛛丸の癪に障るのなら謝る。でも、あんな状況で
何もしないなんてことは俺には出来ない。たとえ自分が傷を負おうとも、鬼蜘蛛丸が無事
であるなら、俺はそれで・・・。」
こんなことを言えば、鬼蜘蛛丸は女扱いされていると思い、きっと怒るだろうと思ってい
た義丸であったが、鬼蜘蛛丸の反応は違った。耳まで赤くなり、黙って義丸の言うことを
聞いている。
「・・・格好よすぎだろ、お前。」
「えっ?」
「こんな顔じゃ、他の奴らに顔合わせられねぇ。お前の所為だからな!義丸。」
バッと顔を上げた鬼蜘蛛丸の顔は、照れからかゆでダコのように赤く染まっていた。確か
にこの顔は、他の水夫や年長組には見せられないと、義丸は苦笑する。
「だったら、もう少しこのままでいようか。」
「・・・おう。」
抱きしめられたままの状態で、鬼蜘蛛丸は小さく頷く。今日は本当に義丸にドキドキさせ
られっぱなしだと思いながら、鬼蜘蛛丸はいつまでも船の上で助けられてから治まらない
胸のときめきを持て余していた。

日が沈み、夜も更けると、夕飯を食べ、夜の見張りの時間になる。
「鬼蜘蛛丸、義丸、今日の船の見張りはお前達二人でやれ。」
『へい。』
兵庫第三協栄丸に言われ、鬼蜘蛛丸と義丸は海にある船に向かった。朝から夕方にかけて、
義丸にはドキドキさせられっぱなしなので、鬼蜘蛛丸は義丸と二人きりになることを意識
してしまう。
「お頭もやってくれるな。」
「はっ?な、何が?」
「夕方にあれだけ派手に撃退したんだから、今日の夜に攻めてくるような敵はいないだろ。」
「あー、確かにそうだな。」
「好きなことし放題だな。」
そう言いながら、義丸は鬼蜘蛛丸の肩に手を回す。意識しているところでそんなことをさ
れると、無駄にドキドキしてきてしまう。
「い、一応、見張りなんだからな!ちゃんと仕事しろよ。」
「分かってるって。何そんなに意識してるんだよ?鬼蜘蛛丸。」
「べ、別に意識なんかしてない!!」
「本当か〜?」
「ほ、本当だ!!意識してるのは、義丸の方だろうが!!」
「あー、そうだな。今から鬼蜘蛛丸と二人きりになれるって思うと、すごく興奮する。」
「なっ!?」
「さ、早く船に乗ろうか。」
「ちょっ・・・よ、ヨシ!!」
半強制的に船に乗せられるような形で、鬼蜘蛛丸は船に上がる。夜の海は真っ暗で、こち
らから他の船は見えても、向こうからこちらの船の様子は見えない。船の甲板に出ると、
義丸は舳先に鬼蜘蛛丸の体を押しつけ、無理矢理唇を奪った。
「んっ・・・んんっ・・・!!」
抵抗しようとも考えたが、突然そんなことをされた驚きと今日一日のときめきから、鬼蜘
蛛丸の体は思うように動かなかった。いつの間にか義丸の手は、鬼蜘蛛丸の懐に入ってお
り、この後されることを想像し、鬼蜘蛛丸はよりドキドキしてしまう。
「ふ・・はっ・・・ヨシっ・・・」
「悪いな、今日は本当に我慢出来ない。」
「わ、俺だってな、今日はお前にドキドキしっぱなしで・・・」
「そりゃ嬉しいな。じゃあ、いいよな。」
鬼蜘蛛丸のそんな悪くない反応にニヤニヤしながら、義丸はそんなことを尋ねる。もうこ
こまで来たらどうにでもなれと、鬼蜘蛛丸は黙って頷いた。
(どうしよう・・・本当、好き過ぎる・・・)
何をしてても義丸にときめいてしまう鬼蜘蛛丸は、そんなことを考えながら義丸の首に自
ら腕を回した。眩暈にも似たこの気分をどうしてくれようかと、義丸のすることに鬼蜘蛛
丸は身を任せた。

事が終わると、その疲れから鬼蜘蛛丸はぐっすりと眠ってしまう。そんな鬼蜘蛛丸を横目
に見ながら、義丸は見張りの仕事のため、海の様子を眺める。
「お前は、どれだけ俺をときめかせたら気が済むんだろうな。」
すやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている鬼蜘蛛丸に向かって、義丸は呟く。
「今日はドキドキしっぱなしって言ってたけど、俺なんか、昼も夜も毎日お前のことを考え
て、ドキドキしてるっての。」
「んん・・・」
「鬼蜘蛛丸・・・」
ゆっくりと眠っている鬼蜘蛛丸の近くへ行くと、義丸は寝息を盗み取るように接吻する。
唇が触れ合う瞬間に感じる愛しさと充足感。そんな心地よさをじっくり味わいながら、義
丸はふっと微笑む。
「明日ももっとドキドキさせてくれよな、鬼蜘蛛丸。」
独り言のように呟くと、義丸は優しく鬼蜘蛛丸の髪に触れながら、ニッコリと笑った。

                                END.

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