廊下でこけたり、他の学年が仕掛けた罠に引っかかりながら、やっとのことで伊作は医務
室から文次郎の部屋までやってきた。
「はあ、やっと着いた・・・」
ボロボロになりつつ、襖を開けると文次郎が血の滴る腕を押さえて座っていた。
「お待たせ、文次郎・・・って、うわあ、結構重傷だね。」
「この程度の傷、大したことない。それにしても、伊作、医務室からここまで来るのにど
うしてそんなにボロボロになっているんだ?」
「あはは、ちょっとね。それよりほら、上着脱いで傷口見せて。」
ここまで来るまでにあったことは誤魔化し、伊作は文次郎の制服を脱がす。何かに引っ掛
けたような傷が、腕に痛々しくついていた。伊作はその傷を消毒し、テキパキと包帯を巻
いて、止血を試みる。
「たぶんこれで、血は止まると思うよ。どう?包帯とかキツくない?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとな。」
伊作に包帯を巻いてもらった腕を上下に動かしながら、文次郎は答える。救急箱に包帯や
薬をしまいつつ、伊作は文次郎に話しかける。
「でも、文次郎が訓練中にそんな怪我するなんて珍しいよな。」
「ちょっとな・・・」
「何があったの?」
「・・・・これを取ろうと思って・・・」
文次郎の怪我をしていない方の手には、見慣れない薬草が握られていた。
「っ!!この薬草っ!!」
「この間の授業で習ったあの珍しい薬草だ。忍術学園の薬草園には生えてないし、何かに
使えるかと思ってな。」
「すごいよ!!文次郎っ!!この薬草は効能はすごいけど、そう滅多に生えないものだか
ら、手に入れるのはすごく難しいのに。どこに生えてたの?」
「裏山の崖の中腹だ。少し出っ張ってるところに生えていた。持って帰ったらお前が喜ぶ
かと思ったんだが・・・」
そこまで言って、何故か文次郎は口ごもる。首を傾げて、伊作が文次郎の顔を見ていると、
気まずそうに文次郎は言葉を続ける。
「すぐ側にあった木の枝に腕を引っ掛けてしまった。で、この有様だ。」
「そんなに無理して取ることなかったのに。」
「俺もそう思ったんだが・・・お前の喜ぶ顔を想像したら、どうしても取らずにはいられ
なくなって・・・」
「文次郎・・・」
照れたようにそう話す文次郎の言葉に伊作は感動する。あまりにも伊作が純粋な瞳で自分
を見ているので、恥ずかしくなって、文次郎は伊作から目をそらす。
「き、きっと、お前のことを考えたから、不運がうつったんだ。」
「な、何でだよ!?」
「だってそうだろう?そうでなければ、俺がこんな怪我などするはずがない。」
照れ隠しとして出る言葉は、伊作を怒らせてもおかしくないようなことばかりだ。しかし、
伊作は少しヘコんだ様子を見せるが、決して怒ることはなかった。
「確かにぼくは、ありえないほど不運だけどさぁ・・・・」
「何たって不運委員長だしな。」
「だから、不運委員長って言うなよ!これでも結構気にしてるんだぞ!!」
珍しく食ってかかってくる伊作を文次郎は何故だか可愛いと思ってしまう。ふっと笑って
怪我をしていない方の手で、伊作の腕を引っ張り、自分の腕の中に収めた。
「うっわぁ、な、何!?文次郎!?」
「何だかちょっと可愛いなあと思って。」
「は?誰が!?」
「だから、伊作が。」
「な、何でだよ!?やっ、ちょっと離し・・・」
「いーや、離さねぇ。別に暴れてもいいんだぞ?まあ、そうしたら、こっちの腕の傷口が
がっつり開くかもしれないけどな。」
「うっ・・・」
そう言われてしまうと、下手に動けない。文次郎の腕に収まったまま、伊作は何も言わず
に動かずにいた。
「何でこんなことするのさ?」
「何故だと思う?」
「・・・文次郎が、ぼくのこと嫌いだから嫌がらせに。」
「アホ。嫌がらせでこんなことする奴がどこに居る?」
「ここに居る。」
本気で言っているのか、冗談で言っているのかは分からないが、伊作の言葉に文次郎はカ
チンとくる。
「何でそう思うんだ?」
「だって、文次郎、いつもぼくのこと、不運でヘタレな保健委員って言うし、さっきもぼ
くの所為で怪我したみたいなこと言ってたし。」
「た、確かに不運でヘタレだとは思ってるが・・・」
「ほら、やっぱり。」
「だが、嫌いだなんて一言も言ったことないだろうが。」
「じゃあ、文次郎はぼくのことが好きだって言うのかい?」
「ああ、そうだ。」
「えっ・・・?」
「あっ・・・」
抱き合ったままの状態で、半言い争い的な会話を交わしていた二人であったが、話の流れ
から、文次郎は素直に伊作のことが好きだということを認めるような発言をしてしまった。
「え・・・嘘・・・?」
「い、いや、今のは何だっ・・・口が滑ったというか何というか・・・」
そこまでハッキリと想いを伝える気はなかったので、文次郎はかなり動揺していた。その
動揺っぷりが逆にさっきの発言が、文次郎の真意であるということを伊作に分からせる。
好きであることを前提にして、抱きしめられているという状況は、かなり恥ずかしいと、
伊作の顔は真っ赤に染まる。どちらも恥ずかしさから何も言えなくなって、気まずい沈黙
があたりを包んだ。
「も、文次郎・・・・」
「な、何だ?伊作。」
先に口を開いたのは伊作の方であった。
「そ、そろそろ離してもらえると・・・嬉しいんだけど・・・」
「あ、ああ。すまん!」
さすがにこれ以上そのままの状態でいるのは、恥ずかしくて耐えられないと、伊作はそん
なことを頼んだ。さっきのこともあるので、文次郎も素直に腕を解く。
「は、ははは、何か・・・こういうの慣れてないから、すごく照れる。」
「・・・俺の方が恥ずかしいぞ。」
「でも、文次郎に嫌われてないって分かってよかったよ。」
「え?」
恥ずかしそうに笑いながら、そんなことを言う伊作に、文次郎はドキッとする。
「文次郎はさ、本当忍者してるっていうか、すごく忍者に向いてるよね。不運でヘタレで、
怪我人だったら誰でも助けちゃうようなぼくとは、全然違う。」
「伊作・・・」
「分かってるんだよねー、自分でも。ぼくは忍者には向いてないって。それでも、やっぱ
り忍術の勉強は面白いし、実践だって結構好きなんだ。でも、文次郎を見てると、こうい
う奴がすごい忍者になるんだろうなあって思うんだ。」
「・・・・・。」
「だから、そういう部分では、少し文次郎に憧れてるところもあってさ。まあ、やりすぎ
だなあって思うことがほとんどだけど。それでも、やっぱり文次郎は、カッコイイと思う
よ。」
まさか伊作の口から、そんなことを聞けるとは思っていなかったので、文次郎はしばらく
固まってしまう。そして、いつの間にか、怪我をしていない右手が伊作の手を握っていた。
「も、文次郎・・・?」
「確かにお前は、忍者には少し向いてないかもしれん。しかし、お前は不運委・・・いや、
保健委員長として、下級生をまとめているし、救護の知識は誰にも負けてはいない。優し
すぎるくらいのその性格も、忍者としては不向きかもしれないが、人間としては、とても
よい徳だと俺は思う。だから、そんな悲観的に考えるな。少なくとも、俺はお前を必要と
して・・・・」
思わず溢れ出してしまった本音に、文次郎は自分らしくないと途中で言葉を止める。そこ
まで言ってくれたなら、最後までちゃんと言って欲しいと、伊作は自分の手を握っている
文次郎の手に空いている方の手を重ねた。
「そこまで言ったなら、ちゃんと最後まで言え。」
「・・・少なくとも、俺は、お前を必要としている。」
その言葉を聞いて、伊作は嬉しそうな笑みをその顔いっぱいに浮かべる。
「ありがとう、文次郎。」
「えっ・・・いや、礼を言われるようなことは・・・」
「嬉しいよ、本当に。そう思ってくれている人が一人でもいるだけで、すごく自分に自信
が持てる。こんなに不運なぼくでも必要とされているんだってね。」
「あ、ああ。」
「ぼくも、文次郎のこと、好きだよ。」
「えっ・・・」
「じゃあ、ぼく、そろそろ自分の部屋に戻るから・・・」
ほのかに顔を赤らめながら、伊作をさらっとそう言い、立ち上がる。くるっと向きを変え
て部屋を出て行こうとするが、それを文次郎が後ろからその体を捉えることで止めた。
「わっ・・・」
「まだ、帰るな。」
「ちょっ・・・文次郎っ!」
文次郎の腕から逃れようとするが、思った以上に強く抱きしめられているため抜け出すこ
とが出来ない。しかも、文次郎が腕に怪我をしているために、下手に力を込められないの
だ。
「どうすれば、離してくれる?」
「そうだな・・・接吻の一つでもされてくれりゃ、すぐに離してやる。」
「なっ・・・!?・・・し、仕方ないな。」
今の雰囲気ならば、それくらいは許せると、伊作は思いきって、文次郎の方に顔を向け、
目を閉じた。冗談のつもりで言ったのだが、覚悟を決められ、こんな顔をされればしない
わけいはいかない。文次郎は伊作の肩に手を置き、ゆっくりと自分の唇を重ねる。お互い
の唇が触れ合うと、二人の心臓は壊れそうなほど高鳴っていた。
「善法寺せんぱーい!!」「潮江せんぱーい!!」
勢いよく襖が開く音と共に、一年は組の乱太郎と団蔵の元気な声が響く。ふい打ちのその
訪問に文次郎と伊作の二人は心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
『っ!!??』
『・・・・・うっわあ!!失礼しましたー!!』
初めは状況が掴めない二人であったが、すぐに状況を理解して逃げるようにしてその場を
去る。乱太郎は伊作に、団蔵は文次郎に用があり、伊作が文次郎の部屋にいるということ
を新野先生に聞いて一緒にやってきたのだ。しかし、思ってもみない場面遭遇してしまい、
用があるのを忘れて逃げてしまった。
「あいつら・・・何てタイミングに・・・」
「二人とも、きっとぼく達に用があったから来たんだよね?」
「たぶんそうだろうな。というか、お前、随分落ち着いてるな。」
「いやー、そりゃビックリしたけど、いつもの不運に比べたらまだマシかなあって。」
「まあ、確かに少し気まずいだけだもんな。一応、口止めはしとくけどよ。」
「あんまり脅しちゃダメだよ、文次郎。」
「あいつらの気配に気づけなかった俺達にも非がある。脅すなんてことはしない。」
「なら安心だ。それより、ぼく、二人を追いかけて何の用だったか聞いてくるよ。」
「ああ。団蔵は俺に用があったようだから、俺の部屋に戻ってくるように言ってくれ。」
「うん、分かった。」
キスシーンを見られたのは恥ずかしいが、それほど動揺することでもないと、二人は落ち
ついた様子で話を進める。乱太郎と団蔵を追いかけようと、文次郎の部屋を出るとき、伊
作はくるっと文次郎の方を振り返り、ニコっと笑いかけた。
「また、明日、文次郎。今日のことは他の仲間には秘密だよ?」
「あ、ああ。じゃあな。」
去り際になんて可愛いことを言ってくれるんだと、文次郎は伊作のその笑顔にやられる。
ドキドキして顔が緩むのを抑えられない。団蔵が戻ってくるまでには、平常心を保てるよ
うにしておこうと、文次郎は口元を手で覆い、しばらく伊作の可愛さに浸っていた。
END.