本日は2月14日。誰もがほんの少しわくわくする一年に一度の特別な日だ。兵庫水産大
学付属高校の教師陣もこの日にそわそわしているのは例外ではなかった。
「鬼蜘蛛丸。」
「ん?何だ、義丸。」
「今日は少し寄っていきたいところがあるから、先に帰っててくれないか?」
「ああ、構わないぞ。帰りはどれくらい遅くなるんだ?」
「夕飯前には帰るさ。」
「了解。んじゃ、俺は先に帰るな。」
義丸がどこかへ寄って帰るということを聞いて、鬼蜘蛛丸はそそくさと学校を後にする。
今日の鬼蜘蛛丸にとっては、義丸より早く帰れることが都合がよかった。
「アイツが帰ってくる前に、ちゃんと作り終えないとな。」
学校からそれほど離れていないアパートに向かって歩きながら、鬼蜘蛛丸はボソッとそう
呟いた。
家に到着した鬼蜘蛛丸は、家着に着替えると、いつも家事をするときにつけるエプロンを
つける。そして、昨日のうちに買っておいたあるものの材料を台所に並べる。
「チョコレートにバターに生クリーム、卵にグラニュー糖に薄力粉、ココアにラム酒。よ
し、全部そろってるな。」
今日はバレンタインということで、鬼蜘蛛丸は義丸のために何かお菓子を作ろうと考えて
いた。生チョコレートやトリュフ等いかにもチョコにしようかとも考えたが、食べるとき
に少しでも楽しめるものがよいということで、温めると中からチョコレートが溢れ出すフ
ォンダンショコラを作ることにした。
「まずは中のチョコを作るか。」
そう言って、鬼蜘蛛丸は手際よくチョコを刻み、生クリームとラム酒と混ぜ、中に入れる
ガナッシュを作り始めた。もともと料理が得意な鬼蜘蛛丸は、用意したレシピをほとんど
見ず、頭の中に入っているがごとくテキパキと作業を進めていく。義丸がお酒が好きなの
で、ガナッシュに入れるお酒の量を少し増やし、アルコール感が強めになるように工夫を
したりもした。
「これを冷やしてる間に、外側の生地を作らなきゃだな。」
ガナッシュを冷やしている間に、ケーキの部分となる生地を作る。
「普段、こういうお菓子はほとんど作らないからなあ。うまくいくかちょっと心配だ。」
そう呟きつつも、鬼蜘蛛丸の手は迷ったり止まったりはしない。レシピ通りに材料をボー
ルを入れ、混ぜ合わせ、順調に調理を進める。生地が出来、最初に作っておいたガナッシ
ュもいい感じに冷えたところで、鬼蜘蛛丸はこの日の為に買っておいたハートの形の型を
出す。
「ハート型なんてちょっと恥ずかしいけど、バレンタインだし構わないよな。」
そのハートの型に生地を入れ、ガナッシュを入れ、またさらに生地を入れる。せっかく作
るのだから自分も食べたいと思い、鬼蜘蛛丸は二つのハートに生地を注ぐ。生地を作って
いる途中でしっかり予熱をしておいたので、オーブンはいい感じに温まっていた。
「あとは焼くだけだな。ちゃんと出来てくれるといいなあ。」
ケーキ系のお菓子は、焼き上がるまでちゃんと出来ているかが分からない。しっかり綺麗
に焼き上がることを祈りつつ、鬼蜘蛛丸は二つのハートをオーブンに入れる。
「よし、焼いてる間に夕飯も作っちまおう。」
焼き上がるまでの時間、何もせずに待っているのは勿体ないので、鬼蜘蛛丸は使った道具
を片付けつつ、夕飯を作り始めた。
夕飯が出来、テーブルに運んでいる最中にオーブンのチーンという音がなる。それは、焼
き上がったことを知らせる合図だ。と、同時に玄関のドアが開いた。
「ただいま。」
「あっ、おかえり。義丸。今、ちょうど夕飯が出来たとこだぞ。」
「確かにすごくいい匂いがする。でも、これは夕飯っていうよりは・・・」
「今日はバレンタインだからな。まあ、とりあえず、早く手洗って着替えて来いよ。夕飯
冷めちまうぞ。」
「ああ。」
バレンタインに何を作ったかは教えずに、鬼蜘蛛丸は早く夕食を食べようと義丸を誘う。
せっかくなので夕食も少し豪華にしたいと、鬼蜘蛛丸は腕によりをかけて、夕食を作って
いた。
「へぇ、何だか今日は豪華だな。」
「分かるか?今日はバレンタインだからな。」
「鬼蜘蛛丸は、イベント事が好きだもんな。クリスマスのときはすごいご馳走だし、お正
月のおせちやお雑煮もすごいし、節分は恵方巻きを自分で作るし、雛祭りなんかも俺達男
には関係ないはずなのに、ちらし寿司とか作ったりするもんな。」
「その方がイベントって感じがしていいだろ。」
「そうだな。まあ、俺は鬼蜘蛛丸の手料理が大好きだから、ご馳走が食べれる日が増える
のは嬉しいことだ。」
「なら、早く食べようぜ。いただきます。」
「いただきます。」
しっかりと手を合わせ、いただきますをすると二人は夕食を食べ始める。魚料理を中心に
バランスの取れたメニューを食べながら、義丸は舌鼓を打つ。
「ホント、鬼蜘蛛丸の作る料理は美味いよな。」
「そう言ってもらえると、作った甲斐がある。」
「俺の舌にピッタリ合ってるというか、美味しいって評判の店でどんなものを食べても、
鬼蜘蛛丸の料理には敵わないよなあっていっつも思うし。」
「さすがにそれは褒めすぎだろ。」
義丸があまりにも料理を褒めてくれるので、鬼蜘蛛丸は照れたように笑いながらそう返す。
しかし、義丸の言葉が嬉しくて仕方がないのは確かであった。美味しい夕食を一通り食す
と、鬼蜘蛛丸は食器を片づけながら、義丸に声をかける。
「今日はデザートもあるから、少しそこで待ってろよ。」
「デザート?」
「ああ。甘い甘いデザートだ。」
ご機嫌な様子で鬼蜘蛛丸は台所へ入る。焼き上がったフォンダンショコラを見てみると、
かなりいい感じに焼き上がっていた。オーブンの余熱でまだまだ温かい状態なので、温め
直さず、鬼蜘蛛丸は二つの皿にそれを乗せた。ハート型のケーキの上に仕上げと言わんば
かりにココアをまぶすと、それを義丸のもとへ持っていく。
「俺からのバレンタインチョコだ。」
「これ、鬼蜘蛛丸が作ったのか?」
「もちろんだ。フォンダンショコラって言ってな、フォークで生地を刺すと、チョコレー
トが溢れてくるんだぞ。」
「そりゃすごいな。ハート型ってのもまたバレンタインらしくていいというか。これは、
鬼蜘蛛丸の気持ちだって思っていいんだよな?」
「あ、ああ。」
そう言われると少し恥ずかしいと思いつつも、鬼蜘蛛丸は素直に頷いてしまう。とりあえ
ず、作ったものを食べてみようと鬼蜘蛛丸は義丸より一足先に、フォークを刺した。生地
に亀裂が入ると、その隙間からトロッとチョコレートが溢れてくる。
「わあ、マジですごいな。そんなになるのか。俺もやってみよう。」
鬼蜘蛛丸のフォンダンショコラの中からチョコレートが溢れ出るのを見て、義丸も同じよ
うにフォークを刺してみる。熱々のチョコレートが溢れてくるのを見て、義丸のテンショ
ンは一気に上がった。
「すごいな、これ!」
「面白いだろ?」
「ああ、面白いしすごい美味そう!味はどんな感じなんだろ?」
そう言いながら、ケーキ部分にたっぷりチョコレートをつけ、義丸はそれを口に運ぶ。甘
い香りの中にある強いラムの風味。予想以上に自分好みの味で、義丸は感激する。
「うっわ、何コレ!?超美味いっ!!どうしたら、こんな味になるの?」
「どうしたらって言われても、普通に作っただけだけどな。まあ、レシピに書いてあった
のよりはちょっと酒を多めに入れたけど。」
「なんかこう、チョコレートのとろけるような甘さとイイ感じに酔わせてくれる感じのア
ルコールの匂いが混ざって、ふわあってするっていうか、とにかくすごい美味い!一口食
べるたびに、超幸せな気分になるって感じ。」
「そっか。そんなに喜んでもらえると思ってなかったから、嬉しいな。」
「ありがとう、鬼蜘蛛丸。いやー、あんなに美味いご馳走食べれて、こんなに自分好みの
ケーキが食べれて、本当幸せだ。バレンタインっていい日だな。」
思った以上に義丸が喜んでくれ、作ったケーキを絶賛してくれるので、鬼蜘蛛丸はどうし
ようもなく嬉しくなる。義丸がこれほどまでに喜んでくれるフォンダンショコラを鬼蜘蛛
丸も自分の口に運ぶ。
(本当だ。すごく美味しい・・・)
自分で作っておいて美味しいというのもなんだが、鬼蜘蛛丸は素直にそう思った。きっと
義丸と食べてるからだろうなあと、頬を緩ませながら、ゆっくりとそれを味わった。
「はあー、美味しかった。お腹いっぱいだし、満足満足。」
「そりゃよかった。今、お茶でも入れて来るから待ってろよ。口の中、甘いだろ。」
「ありがとう。あっ、そうだ!」
「ん?どうした?」
「あ、いや、何でもない。」
「何でもないことなさそうだが、まあいいか。じゃ、皿片付けてお茶持って来るぜ。」
「ああ。」
鬼蜘蛛丸が台所に行っている間に、義丸は自分の部屋へと向かう。そして、あるものを持
ってすぐに戻って来た。鬼蜘蛛丸がお茶を持って、台所が戻って来ると、義丸はその持っ
て来たものを鬼蜘蛛丸に渡す。
「これは、俺からのバレンタインのプレゼントだ。」
「えっ?」
「日本では、女性が男性にチョコレートをあげる日みたいになってるが、海外では男性か
ら女性へ花をプレゼントするって聞いてな。鬼蜘蛛丸は女性じゃないけど、俺の恋人では
あるから贈りたいと思って。」
義丸が鬼蜘蛛丸のために用意していたのは、白い花の花束であった。あまり見たことのな
い花であったので、鬼蜘蛛丸はそれが何という花なのか尋ねる。
「綺麗な花だな。何ていう花なんだ?」
「ストックって花だ。鬼蜘蛛丸に似合うと思って。」
「へぇ、ストックか。匂いもいい匂いだな。」
白いストックの花束を抱え、その花の匂いを嗅ぐ鬼蜘蛛丸の仕草に義丸はドキッとしてし
まう。そして、そんな義丸にさらに追い打ちをかけるような行動を、鬼蜘蛛丸は見せた。
「ありがとう、義丸。すごく嬉しいぞ。」
可愛らしい笑顔で、ぎゅっと花束を抱え、鬼蜘蛛丸は義丸に向かってそう口にする。あま
りに可愛すぎる鬼蜘蛛丸に義丸の鼓動はさらに速くなる。ふと気付くと、義丸は花束ごと
鬼蜘蛛丸の体を抱きしめていた。
「えっ!?義丸!?」
「本当可愛すぎ、鬼蜘蛛丸。」
「お、俺、何か変わったことしたか?」
「別に変わったことしてなくても、鬼蜘蛛丸は十分可愛いんだよ。」
「そんな可愛い可愛い連呼するなよ。・・・恥ずかしいだろ。」
腕の中でそんなことを言ってくる鬼蜘蛛丸に、義丸はさらにときめく。ぎゅっと抱きしめ
ていると、甘いチョコレートの香りが鼻をくすぐる。
「なんか・・・鬼蜘蛛丸、チョコレートの匂いがする。」
「さっきフォンダンショコラ食べたし、作るときもずっとチョコの匂いがする場所にいた
からな。そのせいじゃないか?」
「そっか。」
鬼蜘蛛丸から放たれる甘い匂いを嗅いでいると、どうしようもなくムラムラした気分にな
ってくる。無性にキスがしたくなり、義丸はいったん抱きしめている腕を緩め、鬼蜘蛛丸
の顔を見た。
「鬼蜘蛛丸。」
「な、何だ?」
「今、すっごいキスしたい。していい?」
義丸のその言葉を聞き、鬼蜘蛛丸の顔は火がついたように赤くなる。そして、義丸の顔か
ら視線をそらし、羞恥心たっぷりの声で文句を言うように言葉を返した。
「い、いつもならいきなりしてくるくせに、何でこういう状況で聞くんだよ。・・・いい
に決まってるだろ、バカ。」
まさかそんな反応と言葉を返されるとは思っていなかったので、義丸はもういろいろ我慢
出来なくなる。とりあえず、思いっきりキスをする。息が止まりそうな深く激しいキスに
鬼蜘蛛丸の心臓もかなりドキドキして、顔も体もひどく熱くなる。
「・・・ぷはっ、ハァ・・・」
「あー、ダメだ。なんかもうキスだけじゃ我慢出来ない!」
「わっ!!」
「ここでと部屋でとどっちがいい?」
鬼蜘蛛丸の体をひょいっと持ち上げながら、義丸は切羽詰まったような声で問う。その質
問が何を意味しているかは、鬼蜘蛛丸には嫌という程分かった。さらに顔を赤らめ、鬼蜘
蛛丸は義丸の質問に答える。
「・・・じゃ、じゃあ、部屋で。」
「了解。」
部屋がいいというなら即移動と、鬼蜘蛛丸を抱えたまま義丸は寝室へと移動する。これか
ら、チョコレートの匂いがするもう一つのデザートが食べれると、義丸の胸はひどく高鳴
っていた。
バレンタインらしい甘い夜を過ごした後、鬼蜘蛛丸は義丸からもらった花束を寝室に飾る。
花瓶にその花をいけながら、鬼蜘蛛丸は義丸に尋ねた。
「ストックって、それほどメジャーっていうほどメジャーな花だとは思わないんだけど、
どうしてこの花を選んだんだ?」
バラやユリ、チューリップなどとは異なり、この花はパッ見て名前が出てくるほどメジャ
ーではない。そんな花をどうして選んだのだろうと、鬼蜘蛛丸は気になったのだ。
「んー、あえて理由をつけるなら、その花の花言葉がすごくいいなあと思ったからかな。」
「へぇ、どんな花言葉なんだ?」
「いろいろあるけど、俺が特に気に入ったのは、愛の絆、豊かな愛、永遠の恋だな。」
「確かにいい感じの花言葉だな。」
「だろ?永遠の愛じゃなくて、永遠の恋っていうところが個人的にはいいと思うんだよな。」
「どうしてだ?」
「愛っていうと、もう完成されたっていうか、どちらかと言えば落ち着いた感じがあるん
だよ。けど、恋っていうと、ときめいたり、ドキドキしたり、ちょっとしたことでも嬉し
くなったり、時々切なかったりするだろ。そのときめきとかドキドキ感とかが永遠にある
って、なんかいいなあと思ってさ。」
確かにそう言われてみれば、似たような二つの言葉でも微妙にニュアンスが違うなあと、
鬼蜘蛛丸は義丸の言うことに納得する。そんな想いが込められた花を贈られたということ
が何だか無性に嬉しくて、鬼蜘蛛丸の顔は自然にほこんでくる。そんな鬼蜘蛛丸をより喜
ばせるようなことを義丸はさらに続けて口にした。
「俺は、ずっと鬼蜘蛛丸のこと愛してるし、ずっと鬼蜘蛛丸に恋してる。永遠にね。」
なんてくさいセリフなんだと思いつつも、鬼蜘蛛丸はその言葉が嬉しかった。胸の奥がき
ゅんとなって、心臓がドキドキする。これがきっと『恋してる』だなあということを身を
持って感じ、その気持ちを義丸に伝えたいと思う。ててててと、ベッドのところまで戻り、
鬼蜘蛛丸はベッドに横になっている義丸の頬にちゅっとキスをした。
「ありがとう。」
「えっ・・・?」
「俺も義丸のこと大好きだし、きっとずっと恋してる。だって、今もこんなにドキドキし
て、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになってるんだからな。」
恥ずかしそうに、しかし、満面の笑みを浮かべ、鬼蜘蛛丸はそう伝える。天にも昇る気持
ちとはまさにこのこと。鬼蜘蛛丸の腕を引っ張り、自分の腕の中へ収めると、義丸はぎゅ
うっとその身体を抱きしめた。
「本当、鬼蜘蛛丸はどれだけ俺を喜ばせたら気が済むんだ?」
「義丸だってそうだろ?今日は義丸がしてくれること全部嬉しかったぞ?」
「まあ、これはやっぱアレだな。」
「そうだな。俺達はお互いに・・・」
『恋してるから。』
ハモるように同時にそう口にして、二人はくすくすと笑う。お互いのことを想い、相手が
喜ぶことを為し、為されたことを素直に喜ぶ。溢れんばかりの想いで心が満たされる感覚。
それはとても心地よく、二人をこの上なく幸せな気分にさせていた。
触れれば溢れるフォンダンショコラのチョコレートのような甘く幸せな気持ちで満たされ
た寝室。そこに二人の寝息が響くのは、もう少し夜が更けてからであった。
END.