「あー、走ってきたから・・・また、陸酔いが・・・・」
買い物をするための銭を小屋に置いてきてしまった鬼蜘蛛丸は、由良四郎と疾風に言われ、
走って小屋の近くまで戻ってきた。しかし、いきなり走ったために、またいつもの陸酔い
が始まってしまった。近くの木に手をつき、口を押さえてしゃがみこむ。
「気持ち悪・・・・」
陸酔いの気持ち悪さに耐えられず、鬼蜘蛛丸はその場から動けなくなってしまう。そんな
鬼蜘蛛丸を、たまたま側を通りかかった義丸が見つける。
「ん?あれは・・・」
気分が悪そうな人を見つけ、義丸は近づいて声をかける。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
鬼蜘蛛丸がまさか女装をしているとは思っていない義丸は、そう声をかけた。聞き慣れた
声を聞き、鬼蜘蛛丸は真っ青な顔で義丸の方を見る。
「義丸・・・」
「〜〜〜〜っ!!??」
うずくまっている可愛らしい女性が鬼蜘蛛丸だということを知り、義丸は驚いて声になら
ない声を上げる。
「お、お、鬼蜘蛛丸!?」
「陸酔いで・・・気持ち悪くて・・・うっ・・・」
「わっ、ちょっ・・・大丈夫か!?」
「大丈夫・・じゃない・・・うえー・・・」
さすがにもう我慢出来ず、鬼蜘蛛丸は木の下に吐いてしまう。いつものことなので、義丸
はそのこと自体には驚いていないが、鬼蜘蛛丸のその格好に平常心を失っていた。
「と、とりあえず、小屋へ行こうか。この格好を誰かに見られてもアレだし。」
「でも・・・由良さんや疾風さんのところに・・・銭を持っていかないと・・・・」
「そんな状態じゃ無理だろ。他の者に頼んだ方がいいと思うぞ。」
「うー・・・でも・・・・」
「とにかく、移動するぞ。」
とりあえず、小屋に鬼蜘蛛丸を連れていこうと、義丸は鬼蜘蛛丸に肩を貸し、歩き始める。
気分が悪そうにうつむいている女装姿の鬼蜘蛛丸を見て、義丸はドキドキしてきてしまう。
(何で鬼蜘蛛丸はこんな格好で歩きまわってるんだ?一体町で何が・・・・)
そんなことを考えていると、肩に腕を回している鬼蜘蛛丸が空いている手で口を押さえて
何かを呟く。
「義丸・・・また、吐きそう・・・」
「あー、少し我慢しろ!もう少しで小屋に着くから。」
「うっ・・・わ、分かった・・・・」
「そんな格好で、気持ち悪いと言って口を押さえてると、まるでつわりだな。」
呆れたようにそう言うと、鬼蜘蛛丸はキッと義丸のことを睨む。しかし、女装をするため
に化粧して、しかも、気持ち悪さで潤んでいる瞳で見つめられては、その表情は怖いと言
うよりはむしろ、色っぽいと言った方が正しい。そんな鬼蜘蛛丸に若干ムラムラきながら、
義丸は銭が置いてある小屋まで鬼蜘蛛丸を運んだ。
「はい、着いたぞ。水を飲めば少しはよくなるだろ。」
「・・・おう。」
戸口のすぐ側にある大きな甕に入っている水をひしゃくですくって、義丸は一杯の水を鬼
蜘蛛丸に渡す。その水を飲み干すと、鬼蜘蛛丸の顔色はいくらか良くなった。
「はあ・・・」
「忘れていった銭というのはあれだな。」
「ああ。」
部屋の真ん中あたりにある包みを指差し、義丸は言う。そんな義丸の問いかけに鬼蜘蛛丸
はその通りだと頷いた。先に部屋に入り、包みを開けるとそこには紐で繋がれた銭が入っ
ていた。
「これ、由良さん達に届けるよう他の者に頼んで来るな。鬼蜘蛛丸は、少しここで休んで
ろ。」
「・・・ああ。」
本当は自分が届けた方がいいというのは分かっているが、この状態では無事に町まで辿り
つける気がしない。また、迷惑をかけるくらいだったら、陸酔いをしない他の者に頼んだ
方がまだマシだろうと、鬼蜘蛛丸は義丸の言葉に素直に頷いた。
「さてと、誰に頼むか・・・」
「あっ、義兄ー。」
銭を届けるのを誰かに頼もうと、外へ出ると、自分の仕事を終えた網問が声をかけてきた。
「あー、網問。ちょうどいいところに。」
「へ?何すか?」
「この銭を、町に居る由良さんや疾風さんに届けて欲しいんだ。本当は鬼蜘蛛丸が取りに
帰って来たんだが、陸酔いがひどくて動けそうにない。」
「了解しました!あっ、義兄、陸酔いだったら、さっき間切や蜉蝣さんにあげてた薬、鬼
蜘蛛丸の兄貴にもあげたらどうです?」
「ああ、そのつもりだ。それじゃあ、頼んだぞ。」
「はい!任せてください!!」
銭を渡された網問は、パタパタと町に向かって走って行った。網問なら陸酔いもしないの
で、問題なく銭を届けてくれるだろうと思いながら、義丸は鬼蜘蛛丸の居る小屋へと戻っ
て行く。
「鬼蜘蛛丸ー、大丈夫か?」
小屋に入ると、鬼蜘蛛丸は部屋の壁に寄りかかりぐったりとしていた。じっとしていれば、
それほどひどくはならないが、少し油断をするとすぐにまた気持ち悪くなってしまうのだ。
「まだ、全然ダメそうだな。」
苦笑しながら、義丸は鬼蜘蛛丸の目の前に腰掛ける。義丸が戻ってきたのに気づき、鬼蜘
蛛丸は、ゆっくりと顔を上げた。
「銭は・・・?」
「網問に預けた。網問なら陸酔いもしないし、ちゃんと持って行ってくれるだろ。」
「そっか。」
「そういえば、鬼蜘蛛丸。陸酔い止めの薬はどうしたんだ?持ってたよな?」
「もう全部飲んじまって・・・なくなっちまった・・・」
「早いな。まあ、あれはそんなに効果の持続するものじゃないし、仕方ないか。」
「そうなんだよなあ。もうちょっと効果が長続きする薬があればいいんだけど・・・」
鬼蜘蛛丸のその言葉を聞いて、義丸はニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「もし、そんな薬があるって言ったらどうする?」
「えっ!?あるのか!?」
「忍術学園の善法寺伊作くんに教えてもらったんだが、かなり効果の長続きする酔い止め
の薬を作ってみたんだよ。さっき、蜉蝣さんや間切、船に乗ろうとしていたお頭にあげた
んだけど、なかなか効果あるみたいだぞ。」
「本当か!?だったら、俺にも・・・うっ・・・」
急に大きな声を出し、いきなりテンションを上げたため、陸酔いがぶり返してしまう。口
を押さえて、涙目になっていると、義丸が目の前にその薬が入っていると思われる小さな
袋をちらつかせた。
「欲しいか?鬼蜘蛛丸。」
「はぁ・・・欲しい・・・」
気持ち悪さを必死で堪えながら、懸命に言葉を紡ごうとする鬼蜘蛛丸は、何とも言えない
色気を放っていた。しかも、ピンク色の女物の着物を身に纏い、髪を下ろして化粧をして
いるためなおさら色っぽく見える。そんな鬼蜘蛛丸を見て、義丸は少しいじめたくなって
しまう。
「でも、少ししかないしな。もっと切羽詰まったときに飲んだ方がいいと思うけど。」
「今、欲しい・・・もう・・・充分切羽詰まってる・・・」
「結構作るの大変だったから、タダじゃあげられねぇなあ。」
「お願い・・・ヨシっ、何でもするから・・・それ・・・ちょうだい・・・」
本当に切羽詰まったような声でそんなことを言われ、義丸はゾクっと全身が痺れるような
感覚を覚える。そこまで言うならあげないわけにはいかないと、袋から一粒の丸薬を出し、
義丸はそれを自分の口に含んだ。
「えっ!?ヨシっ・・・」
驚いている鬼蜘蛛丸の言葉を遮るように、義丸は鬼蜘蛛丸の口を自分の口で塞いだ。そし
て、自分の口の中にある丸薬を、舌を使って器用に鬼蜘蛛丸の口の中へと移す。口がしっ
かりと塞がれているため、口の中に入れられたそれはもう飲み込むしかない。
「んっ・・・ぅ・・・」
鬼蜘蛛丸が薬を飲んだのを確認すると、義丸はゆっくりと唇を離す。薬を飲んだため、先
程までは真っ青だった鬼蜘蛛丸の顔色は、船に乗っているときと同じくらい良くなる。
「どうだ?鬼蜘蛛丸。」
「どうだって・・・お前っ!!・・・あれ?気持ち悪くない。」
「ちゃんと効いてるみたいだな。顔色も良いし、一粒飲めば、ざっと2時間くらいは持つ
らしいぞ。」
「おー、そりゃありがたいな。って、お前、今、何し・・・」
「陸酔いしてないなら、もう問題ないよな?」
いきなり口移しで薬を飲ませたことに文句を言おうと思った鬼蜘蛛丸だが、その言葉を義
丸に遮られる。いつの間にか、義丸の手は鬼蜘蛛丸の肩を捉え、鬼蜘蛛丸が逃げないよう
にしっかりと押さえていた。
「えっ・・・あっ・・・義丸?」
「そんな格好で目の前に現れたら、誘っているも同然だろ。さっきまでは、陸酔いしてる
みたいだったから、我慢してたけど、もう我慢出来ない!」
「わわっ!!ちょっと待て、ヨシっ!!」
「さっき何でもするって言ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」
「い、いや、そうじゃねぇけど・・・って、おいっ!!」
「少し黙ってろよ。」
切羽詰まったようにそう言い放つと、義丸は再び鬼蜘蛛丸の唇に口づける。初めは何とか
引き剥がそうと頑張った鬼蜘蛛丸だったが、義丸のテクニックにすぐに落ちてしまう。
「んぅ・・・んっ・・・ふぁ・・・・」
「その格好、すごく似合ってるぞ。鬼蜘蛛丸。」
「こんなとこ・・・お頭に見つかったら大変だぞ。」
「大丈夫だよ。お頭は今海に出てるし。それに、たとえ見つかったとしても、罰は今日の
晩飯抜きくらいのもんだろ。」
「・・・確かに。」
町での由良四郎と疾風の話を思い出し、鬼蜘蛛丸は義丸の言葉に頷いてしまう。その程度
だったら、まあいいかなあと鬼蜘蛛丸は完全に義丸に流される。
「この酔い止めの薬、一つあげるごとに鬼蜘蛛丸からキス一回ってのはどうだ?効果から
すれば安いもんだろう?」
「勝手にしろよ、もう・・・」
「じゃあ、それで決定ってことで。」
先程までは青白かった鬼蜘蛛丸の顔は、今ではもうすっかり赤く染まっている。女装をし
た鬼蜘蛛丸を自分の好きに出来ることを嬉しく思いながら、義丸は顔を緩ませ、自分のし
たいことを鬼蜘蛛丸にするのであった。
「はあ〜、由良さんと疾風さんのあの格好はキツイもんがあるよなあ。」
由良四郎と疾風に銭を届けに行った網問は、女装姿の二人を見てゲッソリしながら帰って
来た。とりあえず、ちゃんとおつかいは終えられたということを伝えようと、義丸を探す。
「義兄、どこだろ?さっきあっちの小屋から出てきてたっぽいから、あそこかな?」
義丸が小屋から出てくるところを見ていたので、網問はその小屋へと向かう。玄関の近く
まで来ると、中から人の気配がしたので、網問は迷わずその小屋の中へ入って行った。
「義兄〜、銭届けて来たよー。って、うっわあ!!」
小屋の中に入ると、今まさにそういうことが終わりました的な雰囲気で、その状況に網問
は思わず叫び声を上げる。しかも、義丸の横には、着乱れた着物を纏った一見女性に見え
る鬼蜘蛛丸がぐったりと横たわっていた。
「おー、網問、おかえり。ちゃんと届けられたか?」
「う、うん。あの・・・えっと、今、もしかして入ってきちゃダメだった。」
「いや、今終わったとこだから、別に問題はない。」
「そ、そう。えっと、その横に寝てるの・・・誰?」
「ああ、鬼蜘蛛丸だ。なぜか女装して帰って来てな。」
「あ、兄貴なの!?」
「似合うよなあ、この格好。あっ、このことお頭にバレるとちょっと困るから、網問、黙
っててくれないか?」
「うん。分かった。じゃ、じゃあ、俺、おつかい行ってきたの言いに来ただけだから!ま
た、後でね!!義兄。」
「ああ、後でな。」
その場に居るのが恥ずかしくて、網問はそそくさと小屋から逃げ去るように出る。由良四
郎と疾風が女装していたことを考えると、鬼蜘蛛丸を女装していても確かにおかしくはな
いが、今さっき見た状況は驚かずにはいられなかった。
「なんか今日はビックリしっぱなしだ。心臓に悪いよ、もー。」
顔を真っ赤にして、網問は船のある海岸の方に向かう。今日はいろいろ秘密を抱えさせら
れるなーと、網問は大きな溜め息をつきながら、浜辺までの道を歩くのであった。
END.