風もほとんど吹いていない静かな夜。医務室の奥の方で、伏木蔵は一人布団に横になって
いた。冬真っ只中のこの季節。ひょんなことから伏木蔵は風邪をひいてしまったのだ。
(すっごい静かだなあ・・・)
横にはなっているものの、完全には眠っていない伏木蔵はそんなことを考える。風邪をひ
いていると、なんとなく人恋しくなるもので、伏木蔵は少し寂しいなあと思い始めていた。
カタ、カタ・・・
すると、廊下の方から何か物音が聞こえる。障子の開く音が聞こえ、誰かが入って来たと
伏木蔵はちらりとそちらの方に目をやる。
「大丈夫か?伏木蔵。」
「左近先輩!!」
医務室に入ってきたのは、左近であった。風邪で寝込んでいる伏木蔵のために、食堂のお
ばちゃん特製のおかゆを持って来たのだ。
「おかゆ持って来たんだけど、食えそうか?」
「はい。ちょうど少しお腹が空いたなあと思ってたところです。」
先程までは、熱の所為でかなり辛そうな伏木蔵であったが、左近がやってきた瞬間、その
顔に笑顔が灯る。おかゆを食べるのなら、起き上がらないとと、その身を起こす伏木蔵だ
が、熱の所為で少しくらっとしてしまう。
「おっと、本当に大丈夫か?」
ふらついている伏木蔵の上半身を支えながら、左近は心配そうにそう尋ねる。
「ちょっとフラフラしますけど、大丈夫です。」
「そうか。辛かったらちゃんと言うんだぞ?」
自分を心から心配してくれている左近に胸をときめかせながら、伏木蔵は頷いた。伏木蔵
が起き上がると、左近は持って来たおかゆのふたを開け、おぼんごと自分の膝の上に置い
た。そして、匙でおかゆを掬うと、ふーふーと冷ますかのように息を吹きかける。
「ほら、口開けろ。」
「は、はい・・・」
まさか食べさせてもらえるとは思っていなかったので、伏木蔵の胸はドキドキと高鳴る。
ぱくっ
口元まで運ばれたおかゆをパクンと口に入れると、ほどよい熱さのお米の味が口の中に広
がり、伏木蔵は何とも幸せな気分になった。
「熱すぎないか?」
「はい、ちょうどいい温度です。」
「そっか。それならよかった。」
「おばちゃんのおかゆってのもありますけど、左近先輩に食べさせてもらうと、もっと美
味しく感じます。」
ニッコリと本当に嬉しそうな笑顔で、伏木蔵はそんなことを口にする。それを聞いて、左
近の顔はかああっと赤く染まる。
「お前は、どうしてそう恥ずかしくなるようなことを・・・・」
「だって本当のことですもん。」
「〜〜〜っ!!」
あまりに素直な伏木蔵の言葉に、左近は赤面したまま何も言えなくなってしまう。とにか
く伏木蔵におかゆを全部食べさせてやろうと、左近は黙ったまま先程と同じようにおかゆ
を掬い、冷ました後で、伏木蔵の口へと運ぶという動作を繰り返した。
「ほら、これで最後の一口だ。」
「あーん。」
何度見ても口を開けて入れてもらうのを待つ仕草は可愛らしいなあと、左近はドキドキし
ながら、伏木蔵のそんな顔を眺める。最後の一口を伏木蔵の口に入れると、左近は匙をお
ぼんに置き、小さな鍋のふたを閉めた。
「ごちそうさまでした。ありがとうございます、左近先輩。」
「飯食ったんだから、ちゃんと薬飲めよ?」
「はい。今日は伊作先輩や新野先生はいないんですか?」
用意されていた風邪薬を飲む前に伏木蔵は、左近にそう尋ねる。
「ああ。伊作先輩は野外実習で、新野先生は出張だ。それをみんな知ってるから、今日は
あんまり医務室に人が来ないんだよな。だから、ゆっくり休んどけよ?」
薬を水で流しこんで、ゴクンと飲み込むと伏木蔵は頷いた。誰も来ないということは、し
ばらくは、左近と二人きりで居られる。そんなことを考えながら、伏木蔵は再び横になっ
た。
(もっと左近先輩と話してたいけど・・・何か、眠くなってきちゃった・・・・)
風邪薬の副作用で、伏木蔵は眠くなってしまう。少しうとうとした後、伏木蔵はすぐに夢
の中へと落ちていった。
「たくさん寝れば、早く治るだろ。」
眠りに落ちた伏木蔵の頭を軽く撫でながら、左近はそう呟く。いったんおかゆの鍋を食堂
へ返しに行った後、左近は再び医務室へと戻ってきた。
風邪薬のおかげで、咳き込んだりすることもなくぐっすりと眠っている伏木蔵だが、熱が
高いため、その呼吸は少し苦しそうであった。もともと自分がひいていた風邪が移ってし
まったため、左近は少しの罪悪感と責任を感じる。
「はあ・・・ぼくが風邪ひかなきゃ、伏木蔵にもうつらなかったんだけどなぁ。」
伏木蔵の額の手拭いを冷たい水で濡らしたものに取り替えながら、左近はぼやく。時折、
苦しそうに声を漏らす伏木蔵を前にし、左近はチクリと胸が痛んだ。自分が寝込んでいる
時はそうでもなかったが、大好きな伏木蔵が寝込むとなっては、胸の苦しさが倍になる。
何とか早く治って欲しいと、汗を拭いてやったり、水枕を用意してやったりと、左近は献
身的に伏木蔵の看病をした。それから、一刻と少し経つと、伏木蔵は目を覚ます。
(あれ・・・?ぼく、眠っちゃってたんだっけ?)
ゆっくりと目を開けると、自分のすぐ横に左近が座っているのが目に入る。
「左近先輩。」
声をかけると、左近は伏木蔵の方へ顔を向けた。伏木蔵が目を覚ましていることに気づき、
左近はすっと額に手を伸ばす。
「熱はだいぶ下がったみたいだな。」
伏木蔵の顔色もだいぶよくなっていたので、左近はホッとしながらそんなことを口にする。
手拭いを濡らしたり、水枕を作ったりと水に触れていることが多かったため、左近の手は
いつもよりだいぶ冷たかった。そんな手で熱のある額に触れられ、伏木蔵は何とも言えな
い心地よさを感じる。
「左近先輩の手・・・冷たくて気持ちいいです。」
伏木蔵が何気なく呟いたその言葉に、左近は何故だかドキっとしてしまう。そんな左近を
さらに煽るように、伏木蔵は左近の手を取って、自分の頬へ持っていった。
「ふ、伏木蔵・・・?」
「今日の左近先輩は、すごく優しいです。」
口元に笑みを浮かべながら、伏木蔵はそんなことを言う。それを聞いて、左近は苦笑する。
「“今日の”は余計だろ。」
「だって、左近先輩いつもはちょっと意地悪じゃないですか。」
「そうか?」
「そうですよ。」
そんな会話をしながら、二人はくすくす笑う。何となくいい雰囲気になり、左近はいつも
より少しだけ大胆なことをした。
ちゅっ
伏木蔵の前髪をかきあげ、軽く額に口づける。そうした後で、恥ずかしそうに笑う。
「早く治せよ、伏木蔵。」
「左近先輩・・・・」
ドキドキして、しかし、それが嬉しくて、伏木蔵の顔は自然と緩んできてしまう。おでこ
も十分嬉しいが、どうせならもっと分かりやすいところにして欲しいと、伏木蔵は甘える
ような口調で、左近にあることをねだった。
「左近先輩。」
「何だ?」
「・・・口にもキスして欲しいです。」
「っ!!」
伏木蔵の大胆な発言に、左近の心臓は大きく跳ねる。それを悟られるのが何だか悔しくて、
左近は赤くなる顔を背けながら、言葉を返す。
「そ、そんなことしたら、ぼくに風邪がうつっちゃうだろ!」
「この風邪、左近先輩からうつったんですよ?だからもう左近先輩にはうつらないですよ。」
ああ確かにと、左近は素直に納得してしまう。納得するなよと自分自身につっこみつつ、
ちらっと伏木蔵の方へ目をやった。熱がまだ少しあるにも関わらず、伏木蔵は何かを期待
するような目で、しっかりと左近の姿を捉えていた。
(そんな目で見られたら、しないわけにはいかないじゃないかっ!!)
ここはもう覚悟を決めてしてやろうと、左近はぎゅっと目をつぶる。してもらえると捉え
た伏木蔵も、きゅっと目を閉じた。次の瞬間、唇と唇が触れ合う。それだけでも、二人の
心臓は、いつもより数倍速いペースでリズムを刻んでいた。
「・・・・何かちょっと熱が上がっちゃった気がします。」
もともと赤かった顔をより赤くしながら、伏木蔵は冗談めいた口調でそう呟く。そんな伏
木蔵より、左近の方がよっぽど顔は真っ赤であった。
「だったら、早く寝ろ!!ちゃんと寝てないとよくなるものもよくならないぞ!!」
「はーい。」
まだもうちょっと起きていたいなあと思いつつも伏木蔵は素直に返事をする。ドキドキが
なかなか止まらないなあと思っていると、恥ずかしさからそっぽを向いている左近のボソ
っと呟いた言葉が耳に入る。
「・・・・一晩中ついててやるから。」
「本当ですか!?」
「風邪ひいてる奴を一人で寝かせられないだろ!!」
恥ずかしさを誤魔化すために怒り口調になっているが、その内容は伏木蔵のことを思って
の言葉であった。左近のその言葉を聞き、伏木蔵は嬉しそうな顔で目を閉じる。今日は一
晩中、左近が自分と一緒に居てくれる。そんな幸せを噛みしめながら、伏木蔵は再び深い
眠りに落ちていった。
伏木蔵が眠ってからしばらくすると、左近も眠くなってきてしまう。一生懸命起きていよ
うと頑張ったが、結局伏木蔵の眠っている布団に突っ伏すかのように眠ってしまった。
「はあー、疲れたあ。でも、今日はそんな失敗しなかったぞ。」
そんなことを言いながら、野外実習から帰って来た伊作は医務室に入って来る。何か変わ
ったことはなかったかと医務室内を確認する。少し奥まで来たところで、伊作は伏木蔵と
左近が一つの布団で寝ていることに気づいた。
「うわっ、可愛い〜vv」
あまりに可愛らしく眠っている二人に伊作はきゅんきゅんしてしまう。しばらくそんな二
人をほんわかした気分で眺めていた伊作であったが、左近が何もかけていないで眠ってい
ることに気づき、もう一枚毛布を出してくる。
「左近もついこの間まで風邪ひいてたんだから、このままじゃまたぶり返しちゃう。」
左近の体に毛布をかけつつ、伊作はそんなことを呟く。他に変わったことがないことを確
認すると、伊作は医務室を出ていった。
「二人の邪魔しちゃ悪いし。今日はきっともう誰も医務室には来ないだろ。」
そんな独り言を漏らしながら、伊作は長屋に向かって歩いて行く。廊下を歩きながら、先
程の実に可愛らしい光景を思い出し、伊作は図らずもニヤニヤしてしまっていた。
「なーに、ニヤニヤしてんだ?伊作。」
と、一足先に風呂に入っていた文次郎と鉢合わせする。
「んー、別に。ちょっといいもの見ちゃっただけ。」
「いいもの?何だそりゃ?」
「内緒♪」
変な奴だなあと思いながらも、文次郎はそれ以上伊作につっこみはしなった。
次の日の朝、伏木蔵はだいぶいい気分で目を覚ます。熱はもうすっかり下がり、風邪の症
状は跡形もなく消えていた。
(熱、下がってる。喉も痛くないし、風邪治ってる!)
起き上がってみると、自分の足の近くで左近が突っ伏して眠っていた。本当に一晩中一緒
にいてくれたのだということに気づき、伏木蔵は嬉しくなる。
「左近先輩・・・本当に一緒にいてくれたんだ。」
伏木蔵がそう呟いた瞬間、左近も目を覚ます。
「ん・・・んん・・・・」
いつの間に眠ってしまったのだろうと、目を擦りながら左近は起き上がった。背中には何
故か毛布がかかっている。不思議だなあと思っていると、聞き慣れた声が耳に入る。
「おはようございます、左近先輩。」
「伏木蔵。どうだ?熱は下がったか?」
「はい。全然熱はないですし、他の風邪の症状もすっかりよくなりました。」
「そうか。そりゃよかった。」
すっかり風邪が治った様子の伏木蔵を見て、左近はホッとしたように笑う。そんな優しい
笑顔を見て、伏木蔵は何となくドキっとしてしまう。
「左近先輩。」
「ん?何だ?」
「ありがとうございます!!左近先輩が、ずっと一緒にいてくれて、たくさん看病してく
れたおかげで、こんなに早くよくなりました!」
満面の笑みを浮かべ、伏木蔵はハッキリとそう言う。照れくささと伏木蔵の笑顔のあまり
の可愛さに、左近の胸はひどく高鳴り、その顔はほのかに赤く染まっていた。
「べ、別にそんな大したことはしてないぞ!」
「いえ、そんなことないですよ。熱が下がったのも、今こんなに気分がいいのも、全部左
近先輩のおかげですvv」
そこまで言われたら、さすがに少し嬉しいなあと感じる。まだ少しツンとした感じが残っ
ているが、左近はすっかり元気になった伏木蔵の小さな手に触れ、ボソっと何かを呟いた。
「今日は休みだし・・・どこか出かけるか?」
「ふえ?」
「まだ外出するのがキツイっていうんなら、全然休んでても構わないんだけどよ。」
「いえ、もう全然平気です!!」
「なら・・・」
「出かけます!!うわあ、左近先輩とデートだぁ。すっごい嬉しいです!!」
「で、デートとか言うな!!」
「でも、デートですよね?二人で出かけるんですから。」
伏木蔵のデートという言葉に過剰に反応してしまう左近であったが、それは本当にそのつ
もりで誘ったので、みなまで言われると逆に恥ずかしくなってしまうからであった。左近
にデートに誘われ、かなり上機嫌な伏木蔵はニコニコしながら、布団から這い出す。
「それじゃあぼく、軽くお風呂入って着替えて来ちゃいますね!それまで、少し待ってて
下さい!!」
「あ、ああ。ぼくもその間に出かける準備しとくよ。」
「はい!!じゃ、また後で。」
そう言い残し、伏木蔵は医務室を出ていった。伏木蔵を見送ると、左近は熱くなっている
顔を手の平で覆って、大きく息を吐く。
「可愛すぎだ・・・もう。」
そんなことを呟き、左近は立ち上がる。伏木蔵が寝ていた布団と自分にかけられていた毛
布を片すと、自分も出かける準備をしに、医務室を出て、長屋に向かって歩き出した。こ
れからまた伏木蔵と一緒にいられる。そんなことを考え、自然に緩んでくる頬をどうにか
繕いながら、左近はどこに出かけようかを考えるのであった。
END.