〜君の居る場所〜

太陽が傾き、空が赤くなり始めた頃、滝は家路を辿っていた。薬を作るための薬草を摘み
に近くの森へと出かけていたのだ。いつもの帰り道を歩いていくと、ふと普段は気にも留
めない細い路地が気にかかる。何かに導かれるように、滝は暗い路地へと入っていった。
そこには小さな、何か小さな生き物が倒れている。滝はそれが何かを確かめるためにゆっ
くりとそこに近づいていった。
「……犬?」
それは、泥や土で汚れてはいるものの毛の色は真っ白だった。まだ、子犬らしい。その小
さな生き物が生きているかを確認するために、滝は子犬を優しく抱き上げる。まだ、呼吸
はしている。そして、温かい。生きているのは間違いないようだ。しかし、見たところひ
どく衰弱している。どうやら何日も食べ物を食べていないらしいことが滝にはすぐに分か
った。そのまま放っておくことは出来ないと、滝はその子犬を自分の家へと連れて帰るこ
とにした。

自分の家へと到着すると、滝は部屋の電気をつけ、採ってきた薬草を棚にしまう。そして、
そのあと、すぐにバスルームへと向かった。先程連れて帰った子犬の体を洗うためだ。ま
だぐったりとしているその白い子犬は、温かいお湯につけた瞬間、小さな鳴き声を漏らす。
どうやら元気になる見込みはあるようだ。シャンプーを使い、泥や土などの汚れを落とす
と、滝はシャワーでその泡を流し、大きなタオルでその体を包む。丁寧に拭いてやったあ
と、すっかり綺麗になったその子犬を自分の部屋へと連れていった。

部屋に入ると、まずは自分が普段寝ているベッドにその子犬をそっと寝かせた。そんなふ
うに休ませている間に、滝は先程採ってきた薬草を使い、薬を調合する。この子犬が衰弱
しているのは、どう考えても栄養失調のためだ。栄養満点の薬を小さな陶器の器に移し、
少しずつ子犬に飲ませてやる。しばらくこの子犬は滝のベッドで眠った。滝が飲ませた薬
が効いたのか、その表情は先程よりもいくらか穏やかだ。この間に、滝は店に出す薬を調
合したり、夕飯の支度をしたりしていた。そんな中、スヤスヤと眠る子犬に明らかな異変
が現れる。それは、普通では考えられないような不思議な現象だ。真っ白で小さな体の子
犬が、人間の、ちょうど成長期の少年のような姿に変わってしまった。

「ん・・・んん・・・・」
しばらくして、ぐっすりと眠っていた子犬は目を覚ました。子犬とは言っても今はもうす
っかり人間の姿だ。見たこともない場所、知らない匂いに驚き、子犬は目をパチクリさせ
る。そして、ふと視線を下にずらすと、そこには人間の手。だが、ここに誰かがいる様子
はなく、子犬は首を傾げた。しばらく考えた結果、とある結論に辿り着く。自分の体が人
間になっている。それはもう、自分が何故ここにいるのかという疑問などぶっ飛んでしま
うほどの驚きであった。
「な、何で!?」
そして、自分の口から出る人間の言葉。それ自体もありえないことだ。かなりのパニック
状態に陥っていると、ベッドの向こう側にあるドアが突然開いた。
「!!」
「あれ?気がついたんだ。」
ホッとしたような表情で、滝は微笑む。しかし、子犬の方は何が何だか分からず、ただ戸
惑うばかり。あまりにも困ったような顔を子犬がしているので、滝はゆっくりと近づいて
いき、ベッドに腰かけながら簡単に自己紹介を始めた。
「驚かせちゃってゴメンね。俺の名前は滝萩之介。薬屋をやってるんだ。それからこれは
他の人には言ってないんだけど、俺、実は人間じゃないんだ。」
「?」
子犬から見れば、滝はどこからどう見ても人間だ。それなのに、人間ではないとはどうい
うことなのだろうと頭にハテナマークを浮かべる。
「俺は妖狐なんだ。狐の妖怪。薬が作れるのも妖怪としての力の一つだよ。」
「妖・・・狐・・・?」
「そう。ある意味、君と同じ動物だね」
そう言われても、子犬にはそう簡単に理解は出来ない。それ以上に自分の体が何故人間に
なってしまっているかの方が気になってしまい、滝が人間かそうでないかなど、ハッキリ
言ってどうでもよかった。子犬はその疑問を率直に滝にぶつける。
「あの・・・俺、何で人間になってるんですか?」
少しの間があったあと、滝は口を開く。このことについて質問されるのは予測済みだった。
「それも俺の力だよ。さっき言ったでしょ?俺は妖狐だって。犬の姿も確かに可愛いんだ
けどさ、人間の姿の方がいろいろ便利だと思ってね」
「妖狐の力・・・?滝さんって、そんなにすごい力、いっぱい持ってるんですか?」
「そんなにすごい力じゃないよ。薬を作る・・・というか、ケガや病気を治したりする力
と姿を変える力、それから火が操れる力があるくらいだよ」
滝は大したことではないようなニュアンスで話すが、普通に考えれば、どれもすごいこと
だ。そんな話を聞いて、子犬は目を輝かせて滝のことを見た。
「ところで、君の名前は何ていうの?」
「鳳・・・長太郎っていいます。」
「鳳って、前の飼い主さんの名字?」
「はい。一応。」
名字まで言われると本当に人間っぽいなあと、滝は笑みを浮かべる。しかし、あんな状態
になっていたということは、おそらく飼い主に捨てられてしまったのだろう。名字で呼ぶ
のはあまりにも可哀想だと思い、滝は鳳のことを名前で呼ぶことにした。
「じゃあ、長太郎って呼んでいい?」
「えっ・・・?」
「名字で呼ぶより、名前で呼んだ方がいいと思うんだよね。嫌かな?」
「い、いえ、全然構わないです!」
「じゃあ、名前で呼ぶよ。俺のことはどう呼んでもいいからね。」
「はい。」
ニコリと笑ってそう言う滝につられ、鳳も笑顔を見せた。滝にとっては、これが初めて見
る鳳の笑顔だった。
「ところで、話は変わるんだけど、長太郎は人間の姿になると相当大きいよね」
鳳の今の姿は、白い毛を思わせる白銀のふわふわした髪の毛に、とても元が子犬だったと
は思えないほどの長身。そして、幼さを残したカッコイイというよりは、むしろ可愛いと
いう感じの顔。滝は自分の想像していた姿とはだいぶ違うなあと思ったが、同時にこれは
これでいいんじゃないかと思っている。しかし、これだけ身長が大きいと着る服がない。
まずはそこが問題であった。
「大きいのはダメですか?」
「いや、全然ダメじゃないよ。ただ、長太郎に合う服がうちにはないんだよね。さすがに
そのままじゃ外に出られないから、明日買いに行ってこようかと思うんだけど、一人で留
守番出来る?」
「はい!!留守番なら得意です!」
元が犬なので、留守番などは得意なようだ。鳳はまだこの状況に慣れないものの、すぐに
滝になついた。奇妙な組み合わせではあるが、ここから妖狐と子犬の共同生活が始まるの
であった。

鳳が滝の家に来てから約一週間。鳳もだいぶ人間の姿に慣れてきた。しかし、ずっと人間
のままでいられるわけではなく、滝の力の効力がきれると犬の姿に戻ってしまう。なので、
滝は力を与える作業を頻繁にやらなければならなかった。そういうわけで、鳳は何とな
く滝に対して悪いなあと思ってしまう。それを何かの形で返そうと鳳は滝の仕事を手伝う
ようになった。
「滝さん、これ店の方に運びましょうか?」
「うん。お願い。」
人間の姿になると、長身でかなりの力持ちになる鳳は、重いものを運んだり、高いところ
に置いてあるものを取ったりすることが、他のことに比べて得意であった。しかし、元は
子犬。慣れない作業で、失敗もたくさんあった。
「うっわ・・・っ!!」
ドサっ!!バタンっ!!
今日も派手に転んで、持っていた箱の中身を床にばらまいてしまう。あららというような
顔をして、滝は鳳のもとへ駆け寄った。
「ゴメンナサイ!!また、俺、転んじゃって・・・」
「気にしてないよ。それより、ケガとかしてない?大丈夫?」
「はい、平気です。・・・本当にゴメンナサイ。」
自分の失敗でまた滝に迷惑をかけてしまったと、鳳の目には溢れんばかりの涙が溜まって
いた。もちろん滝はそんなこと全く気にしていないのだが、鳳からすれば一大事なのだ。
あまりにも必死で謝ってくる鳳が可愛くて、滝は思わず笑ってしまう。
「本当に気にしてないから大丈夫だよ。ほら、泣かないの!!一緒に片付けよう。」
「はい・・・」
ぐしぐしと涙を拭いながら、鳳は滝の言葉に頷く。床に散らばった薬草や紙を片付けて、
滝はそれを今度は一緒に運んでやる。鳳が手伝いたいと思っているのはよく分かっている
ので、出来るだけやらせてやろうと滝は思っていた。失敗も多いけれど、一生懸命手伝お
うとする鳳の姿はまるで小さな子供のようで、滝はそんな鳳が可愛くて仕方がなかった。

夜になるとこれまた大変。一週間経ったとは言えども、鳳はまだ完璧に人間の生活に慣れ
ているわけではない。そのため、ご飯を箸で使って食べたり、お風呂に入ったりするのは
一苦労なのだ。ご飯はフォークやスプーンを使わせれば何とかなるのだが、お風呂はそう
はいかない。犬に入浴という習慣がないのだから当然といえば当然である。滝は鳳と一緒
にお風呂に入ってやり、髪の洗い方や石鹸の使い方、シャワーの使い方を丁寧に教える。
「いい?長太郎。シャンプーはこうやって手に取って、少し泡立ててから髪を洗うんだよ。
分かった?」
「はい!」
返事はいいものの、やってみるとこれがなかなかうまくいかない。髪で泡立ったシャンプ
ーが顔に垂れてきて、目に入ってしまったりと様々な問題が起こる。当然、シャンプーが
目に入ったら痛い。それは犬の鳳とて例外ではなかった。
「う〜、滝さん、目が痛いです〜。」
「あー、ちょっと待って。擦っちゃダメ!!余計痛くなっちゃうよ。」
滝はシャワーを使って顔についた泡を流し、目に入ったシャンプーを洗い流してやる。少
しはよくなったのか、鳳はゆっくりと目を開けて滝を見た。
「滝さん、髪の毛洗うのって難しいですよぉ。」
「そうだね。でも、ちょっとずつ出来るようになればいいからさ。今日はここまで出来た
だけでも十分。あとは俺が洗ってあげる。」
笑いながらそう言って、滝は鳳の髪を優しく洗い始めた。うまく出来ないのがくやしいな
あと思いながらも、滝に洗われるのが気持ちいいので、鳳はリラックスした表情になる。
「流すから目つぶってて。」
「はい。」
髪の毛の泡を流すと、今度は背中の流しっこだ。これは犬の鳳にもすぐ出来た。ゆっくり
時間をかけてバスタイムを楽しむと、二人は湯船に浸かって体を温め、バスルームから出
た。バスルームから出ると、パジャマに着替えなければならないのだが、この作業も鳳に
とってはとても難しいことであった。しかし、毎日の練習の甲斐あって、今日は一人でパ
ジャマを着ることが出来た。
「滝さん、俺、今日は一人でパジャマ着れました!!」
「本当?すごいね、長太郎!エライ、エライ。」
満面の笑みでパジャマが一人で着れたと喜ぶ鳳の頭を滝は撫でやる。鳳も当然嬉しそうな
のだが、それと同じくらい滝も嬉しそうな顔をしていた。
「よし、じゃあ、明日はご褒美を買いに一緒に買い物行こうか。」
「本当ですか!?」
「うん。何でも好きなもの買ってあげるよ。」
「ありがとうございます!」
楽しそうにそんな話をしながら、二人は寝室へと向かった。

ベッドに入ると、二人はしばらく黙っていた。しかし、ふと滝が鳳に話しかけた。
「長太郎、もう眠い?」
「いえ、今はまだそんなに・・・」
「じゃあ、俺の話を少しだけ聞いてくれる?」
「いいですよ。」
同じベッドの中という極めて近い距離で、滝は絵本に書かれた昔話をするように、自分の
過去の話をし始めた。
「俺は長太郎に会うまで、自分が妖狐だってことを他の人に話したことがなかったんだ。
まあ、もちろん同じ妖怪系の友達には話してたけどね。でも、ここに住んでたらどうして
も人間との関わりの方が多いだろ?このことを・・・俺が妖怪だってことをバラしちゃう
とさ、俺は化け物扱いでここで生活が出来なくなっちゃうんだ。だから、表面的な付き合
いはあっても、本当のことを話せる人がいなくてずっと寂しかった。一人暮らしだしね。」
「・・・・・」
滝の話に鳳は真剣に耳を傾け、真面目な顔でその話を聞いていた。話し始めた時は、切な
そうで、どこか寂しげな表情をしていた滝だったが、次の言葉を発する時には表情が一変
していた。
「でもね、長太郎に会ってからここでの生活がすっごく楽しくなった。今まで寂しかった
のが嘘みたい。俺、長太郎に会えて本当によかったと思ってるよ。」
そう話す滝の顔はとても生き生きしている。それを聞いた鳳は驚いたような顔をして、恥
ずかしそうに俯いて黙ってしまった。しかし、しばらくして、ボソボソと鳳も自分がどう
してあんなボロボロな状態になっていたかを少しずつ話し始めた。
「俺・・・少し前まで、お金持ちの家で飼われてたんです。でも・・・この前いきなり首
輪を外されて、知らない街へ連れて来られて、そのまま捨てられました・・・・」
そのときのことを思い出しているのか、鳳の瞳はひどく潤んでいる。それを聞いている滝
の顔もどこか切なげだ。
「知らない街だから・・・全然道とか分からなくて、ずっと迷って、最後にはお腹が空い
て動けなくなっちゃいました。すごく怖くて、寂しくて、もう死んじゃうのかなあって。」
「長太郎・・・」
「でも、もうダメかと思ったとき、滝さんが俺を拾ってくれました。・・・本当に嬉しか
ったです。」
笑顔でそんなことを言われ、滝は照れたような顔をする。
「でも、俺、いつも失敗ばっかりして、滝さんに迷惑ばっかりかけてるから・・・嫌われ
ちゃうんじゃないかってすごく不安なんです。」
まだ人間の姿に慣れていない所為で、失敗の多い鳳は、それが原因でまた捨てられてしま
うのではないかという不安感を持っていた。しかし、滝はもう鳳のことが大事で大事で仕
方がない。滝だって、ずっと一人で寂しかったのだから。
「長太郎はいつも一生懸命で、すごくいい子だよ。何でこんないい子を前の飼い主さんが
捨てたのか分からないくらい。俺は絶対に長太郎を捨てたりしない。いくら失敗したって、
俺に迷惑かけたって、嫌いになんてならないよ。」
「本当・・・ですか?」
滝の言うことが信じられないわけではないのだが、もう一度確認したくて鳳はそう尋ねる。
滝はにっこり笑って、鳳の柔らかな白銀の髪を撫でた。
「うん。俺は長太郎のこと大好きだよ。嫌いになんて絶対になれない。」
「滝さん・・・・」
鳳は今までに感じたことのない温かさを感じていた。髪に触れる手も、言葉も、滝の笑顔
も全てが心地のよいぬくもりを帯びていた。鳳の頬を涙が伝う。悲しくもないし、痛くも
ない。それなのに何故涙が出るのだろうと鳳は疑問に思った。
「長太郎は本当に泣き虫だね」
「何で・・・俺、痛くも悲しくもないのに泣いてるんだろう?」
頬を伝う温かい涙を優しく拭ってやりながら、滝はその理由を鳳に説明した。
「人間はね、すごく嬉しいときにも涙が出るんだよ。」
「そうなんですか?」
「うん。俺も今すごく泣きたい気分だもん。」
「どうしてですか?」
「長太郎がここに居てくれるから。」
穏やかな口調で滝は言う。自分達は確かに人間ではないが、同じくらいの感受性と心は持
っている。だから、今の状況が嬉しくて泣きたくなる。滝はそんなことを考えていた。
「俺がここに居るから・・・?」
「そう。長太郎が俺の側に居てくれるのは俺にとって、すごく嬉しいことなんだ。だから、
今すごく泣きたい。」
「・・・俺も滝さんと一緒に居られるのはすごく嬉しいです!!だからきっと、さっき涙
が出たんですよ!!」
自分の気持ちが分かって、鳳はそれを必死で滝に伝えた。
「そっか。じゃあ、長太郎も俺と同じだね。・・・嬉しいな。」
堪えきれず、滝の目からも涙が溢れた。さっき滝が涙を拭ってくれたのを真似して、鳳は
ペロペロと舌で涙を舐め取る。もとが犬なので、そうするのが自然であった。
「ありがとう、長太郎。そろそろ遅いから寝ようか。」
「はい。」
「おやすみ、長太郎。」
「おやすみなさい、滝さん。」
お互いが居る場所が自分の居場所。そんなことを感じながら、二人はゆっくりと夢の中へ
と落ちていった。

孤独だった二つのいのちがめぐり会う。それは運命のいたずらだったのかもしれない。し
かし、偶然はいずれ必然へと変わる。この二人が出会ったのは必然だったのだ。

                                END.

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