「長次、明日の放課後、一緒に花見に行かないか?」
夕食を食べながら、仙蔵は長次にそう持ちかける。確かに桜が咲き始めてきている時期で
はあるが、まだ花見をするには少し早すぎるように長次には思われた。
「少し・・・早くないか・・・?」
「一昨日の実習で、裏々山に行った時、満開になっている桜の木を見つけたんだ。だから、
一緒に見に行こう。」
「外出許可は・・・?」
「もちろん取ってある。長次の分もな。」
ニッと笑いながら、仙蔵は二枚の外出許可証を長次に見せる。そこまでしてあるなら、断
れないと、長次は仙蔵の誘いに頷いた。
「まあ、特に用もないし・・・図書委員の仕事は、不破にでも任せるか。」
「じゃあ、決まりだな!明日の午後は、合同実践演習だから、それが終わったら私服に着
替えて出発しよう。」
「ああ。」
長次と花見に行けることが嬉しくて、仙蔵はご機嫌な様子で残っているおかずを口に運ぶ。
たまには、こういう外出もいいだろうと、長次はニコニコしている仙蔵に目をやりながら、
熱い味噌汁をすすった。
そして、次の日、午後の実習の授業が終わると、二人はそそくさと長屋に戻り、外出用の
服に着替える。準備が整うと、事務員の小松田に外出届を提出して、学園の門をくぐった。
「それじゃあ、行くぞ、長次!」
「ああ。」
久しぶりに外出デートが出来ると、仙蔵はひどくご機嫌だった。裏々山までは、かなりの
道のりであるが、そんな長い道のりも、二人ならとにかく楽しいと、仙蔵は始終笑顔だっ
た。一方で、長次はいつもと変わらず無表情であるが、内心は仙蔵と同じくらいかそれ以
上にわくわくしていた。
「着いたぞ、長次。」
裏々山に着いたのは、もう日が沈む間際であったが、沈みゆく夕日が放つ色彩が、目の前
にある桜の色をより艶やかに彩っている。そんな桜の木を眺め、長次はあまりの美しさに
息を飲んだ。
「私の言った通りだろう?」
「・・・ああ。すごいな。」
満開の桜は春の穏やかな風に吹かれ、その淡紅の花びらを散らす。夕日に照らされたそれ
は、さらに赤みを増し、キラキラと二人の周りで舞い踊る。
「この桜はな、普通の桜より早めに花を開かせる桜だそうだ。」
「へぇ、そうなのか?」
「ああ。だから、他の桜が咲き始めるこの時期に満開になっている。」
「なるほどな・・・」
「花の形も普通の桜とは少し違う。ほら、見てみろ。」
それほど高い木ではないので、少し手を伸ばせば届くところに花が咲いている。確かにこ
の桜は、今咲き始めている桜とは少し異なり、萼の部分が筒状になっている。変わった桜
だなあと思い、長次がその桜の花をじっと眺めていると、仙蔵が何かを意味ありげな笑み
を浮かべ、長次を見た。
「あまり見たことのない桜だったので、この桜について本で少し調べてみたんだ。どんな
桜なのかとな。」
「ああ。」
「調べてみて、私はこの桜がとても気に入った。この桜の名前が。」
「名前・・・?」
確かに山桜や枝垂桜と、桜にはいろいろな種類があるのは知っているが、その名前がどう
して気に入るのかが長次には理解出来なかった。どんな名前なのか、早く聞きたかったの
だが、仙蔵はなかなかその名前を口にしなかった。
「どんな・・・名前なんだ?」
「聞きたいか?」
長次が尋ねると、仙蔵はニヤリと笑う。そんなことを言われれば、余計に気になってしま
う。コクンと長次が黙って頷くと、仙蔵は花がついたまま落ちている細い枝を一本拾い、
その花びらに口づけながら、その名前を口にした。
「この桜はな・・・」
「ああ・・・」
「『チョウジザクラ』というそうだ。」
仙蔵がそう口にした瞬間、少し強い風が吹き、一際多くの花びらが舞い散る。沈みゆく夕
日を背に、桜の花びらで彩られた仙蔵は、まるで桜の化身であるかのように、長次の目に
は映った。そして、仙蔵が口にした名前が頭の中で繰り返される。
「チョウジ・・・ザクラ・・・?」
「ああ。お前の名がついている桜だ。私が好きにならないはずがなかろう。」
微笑みながらそんなことを言う仙蔵の言葉を聞き、長次の心臓は壊れそうな程高鳴ってい
た。自分と同じ名を持つ桜。それ故に仙蔵はこの桜を好きだと言う。自分の一番愛しく想
っている人物にそんなことを言われる感動は、言葉には代えられない。高まる想いを胸に、
長次は仙蔵の細い体を力強く抱きしめた。
「ちょ、長次・・・?」
「・・・・何て言ったらいいか・・・分からないから。」
「そ、そうか・・・」
突然抱きしめられ、仙蔵もドキドキと胸の鼓動が速くなっていた。言葉はなくとも、長次
の仙蔵に対する想いは、その腕の強さからハッキリと伝わっていた。しばらくそのまま、
長次の抱擁を受けていたが、今日の目的はお花見だということを思い出し、そのことを長
次に伝える。
「長次、そろそろ花見をしよう。せっかくこんなに綺麗に咲いているのだから。」
「あ、ああ・・・すまん。」
「別に謝らなくてもいいぞ。今のは・・・結構嬉しかったからな。」
照れながらそんなことを言う仙蔵は、顔がほのかに桜色に染まっており、普段よりも愛ら
しさが増していた。仙蔵から離れると、長次は少し落ち着こうと、仙蔵ではなく桜の方へ
視線を移した。
「せっかくの花見だからな。食堂のおばちゃんに頼んで、花見弁当を作ってもらった。」
「本当か?」
「ああ。ほら。」
桜の下に大きめの風呂敷を敷き、仙蔵はその上に持ってきた弁当を広げる。それと共に、
もう一つ仙蔵は花見には欠かせないものを風呂敷の上に置いた。
「仙蔵・・・それ・・・・」
「花見の時くらいいいだろ?この間、町に買い物に行った時に買っておいたものだ。」
弁当と一緒に仙蔵が出したものは、瓢箪の入れ物に入った酒であった。二人で飲むつもり
で、お猪口も二つしっかり用意していた。
「飲みすぎるなよ。」
「分かってるって。じゃ、これから花見の始まりということで。」
「ああ。」
お猪口に酒を注ぐと、二人はそのお猪口同士を軽くぶつけ、まずは一杯飲み干す。そして、
食堂のおばちゃんの作ってくれた花見弁当を食べ始めた。
豪華なお花見弁当を堪能し、花びらを浮かべた酒を飲み、二人はとてもよい気分であった。
日は暮れ、夜の闇が辺りを包む。しかし、それと同時に大きな月が輝き始め、春霞の中、
ぼんやりと二人を照らし出していた。
「綺麗だな、長次。」
「ああ。」
酒の入ったお猪口を片手に、二人はひらひらと舞っている桜を眺める。深い闇の中に舞い
散る桜は、夕暮れとはまた違った魅力を醸し出していた。ちょうどよい酔い加減の仙蔵は、
長次の肩に頭を乗せ、また一口花見酒を口に運ぶ。
「長次、お前は桜の花言葉という奴を知っているか?」
「いや・・・知らない。」
「花にはそれぞれ意味があるそうだ。桜の花には、精神美、純潔、高尚、優れた美人とい
うような意味があるらしい。」
「ほぅ。何だか・・・仙蔵のことを表しているような意味だな。」
何気なく長次が口にした言葉に、仙蔵はドキンとしてしまう。格好つけるためでなく、自
然とこのような言葉を放つのが長次だ。そんな長次をちらりと横目で見て、仙蔵は顔を赤
らめながら口元を緩ませた。
「なかなか嬉しいこと言ってくれるな。」
「ただ思ったことを言ったまでだ。」
「はは、だったら尚更だ。」
こういうところが、さらにカッコイイと、仙蔵は長次を見ながら嬉しそうに笑う。長次の
顔はいつもの仏頂面であるが、酒のためか照れのためか、その顔がほのかに赤くなってい
るように見えた。
「さっきの花言葉もなかなか気に入っているのだがな・・・」
「ああ。」
「この桜のような、淡い紅色の桜にはまた別の意味の花言葉があって、私はそちらの花言
葉の方が好きだ。」
「どんな・・・花言葉なんだ?」
「永遠の愛。」
そうハッキリと言い放つ仙蔵の顔に、長次は思わず目を奪われる。微笑むように細められ
た目が、自分の姿をしっかりと捉えており、口元には柔らかな微笑が浮かんでいる。言葉
では表わされていないが、その表情は『我々にピッタリの言葉だろう?』と言っているよ
うであった。
「いい言葉だと思わないか?長次。」
「そ、そうだな・・・」
「そんな意味を持つ桜をお前を見ることが出来て、私は本当に幸せ者だ。」
「仙・・・」
「大好きだぞ、長次。」
桜の香りと花見酒に酔い、仙蔵は驚く程大胆なことを口にする。その顔は、桜色に染まり、
心から幸せそうな笑みが浮かんでいる。仙蔵の口から放たれる一つ一つの言の葉が、長次
にとっては、酒よりも自分を酔わせてくれるものであった。
「仙蔵っ・・・」
「何だ?長次。」
仙蔵のあまりの愛らしさに長次もだんだん我慢が出来なくなってくる。切羽詰まった声で、
名前を呼びながら、長次は仙蔵の肩を抱く。顔が向かい合うような形になると、仙蔵も自
ら長次の首に腕を回した。
「桜の花には人を惑わせる効果があるらしいぞ。」
「えっ・・・?」
「だから、我々も今宵ばかりはその桜の幻惑に魅せられようじゃないか。な、長次。」
その妖しげな微笑みは、完全に長次の心を虜にする。仙蔵の言葉に同意した長次は、仙蔵
の体を抱き直し、その愛らしい唇に口づけを施す。桜の芳香が漂う闇の中、朧月の淡い光
に照らされながら、二人は自らの想いを何度もその唇から伝え合うのであった。
もうだいぶ夜が更けた頃、二人の花見はようやく終わる。すっかり疲れてしまった仙蔵は、
そのまま桜の下で眠ってしまった。もう夜も遅いということで、長次は仙蔵を背負い、空
になった弁当や瓢箪を持って、忍術学園に向かって歩き出す。
「んん・・・長次ぃ・・・」
背負われながら、仙蔵は寝言で長次の名を紡ぐ。二人で眺めた桜が名残惜しくて、長次は
後ろを振り返り、もう一度満開の桜に目をやった。少し離れたところから見る桜は、思っ
た以上に大きなもので、どこまでも妖しく艶やかな雰囲気を醸していた。
「また、来年も来たいものだな・・・」
そんなことを呟きながら、長次は方向を変え、今度こそ忍術学園に向けて歩みを進める。
背中に仙蔵のぬくもりを感じ、幸せな時間の余韻に浸りつつ、長次は山道を歩き続けた。
コンコン・・・
もう忍術学園の門は閉まっていたため、長次は門を叩いた。すると、眠そうな顔の小松田
がその門を開ける。
「あー、お帰りなさい。遅かったね。」
「すいません、思ったより遅くなってしまって・・・」
「いいよいいよ。あっ、二人ともお花見行ってきたんだね。」
「えっ・・・?」
「着物にたくさん桜の花びらがついてるし、仙蔵くんが花のついた桜の木の枝持ってるん
だもん。もうお花見出来る場所があるなんて知らなかったなあ。」
お花見とはうらやましいと、小松田はニコニコしながらそんなことを言う。小松田に言わ
れて、仙蔵の手を見てみると、確かにその手には小さな桜の枝が握られていた。
「じゃあ、もう遅いから気をつけて長屋に帰ってね。ぼくは見回りがあるから、先に行く
よ。」
「はい。」
小松田と別れると、とりあえず仙蔵を部屋に運ぼうと、長次はそのまま長屋へと向かう。
仙蔵の部屋に着くと、いったん仙蔵を下ろし、布団を敷いてから、その上に仙蔵を寝かし
た。そして、仙蔵が握っていた桜は水を入れた一輪差しに差し、枕元に置いてやった。
「おやすみ、仙・・・」
部屋を出る前に、長次は仙蔵の額に軽く口づけ、そんなことを呟く。仙蔵を起こさないよ
うに静かに部屋を出て行くと、長次は自分の部屋に向かった。
「今日は・・・いい一日だったな・・・」
寝巻きに着替えつつ、ぼそっと呟く。脱いだ着物には本当にたくさんの桜の花びらがつい
ており、これは確かに花見に行ってきたことがバレるなあと、一人で納得してしまった。
しばらくその花びらを見ながら、花見の余韻を味わっていた長次だったが、ふとあること
を思いつく。
「そうだ・・・この桜、押し花にしよう。」
仙蔵と花見をした証を残しておきたいと、長次はそんなことを思いつく。押し花にして、
しおりにでもすれば、いつでも手元に置いておける。それはよい考えであると、長次は早
速花びらを集め、部屋にあった本にそれらを挟んだ。
「押し花が出来たら、仙蔵にもあげよう・・・」
そんなことを考えつつ、長次は床につく。体についた桜の残り香はいまだに消えていない。
そんな心地よい匂いに抱かれながら、長次は気分よく眠りにつくのであった。
END.