バタバタバタ・・・バーンっ!!
「景吾っ!!」
慌てた様子で宍戸は廊下を走り、大きな音を立て、跡部の部屋のドアを開けた。ドアのと
ころに立つ宍戸に目をやりながら、跡部はどうしたのか尋ねる。
「随分騒がしいな。どうした?」
「救急箱、救急箱っ!!」
「救急箱?お前どこかケガしたのか?」
「俺じゃない!こいつが・・・」
そう言う宍戸の腕には、小さな子猫が抱かれていた。黄金色の毛に黒の模様が入ったその
猫は前足をケガしており、宍戸の腕の中でぷるぷる震えている。
「確かに足をケガしてるみてぇだな。ちょっと待ってろ。今、救急箱持って来るから。」
棚の中から救急箱を出すと、跡部はベッドのすぐ近くにある台に置く。ケガをした子猫を
ベッドの上に寝かせると、宍戸は救急箱から必要な物を選び出し、テキパキと傷の手当て
をした。
「よし、これでとりあえずは大丈夫だろ。」
ふぅと小さく息を吐くと、宍戸は包帯や傷薬を救急箱の中へとしまった。なかなか手際が
いいなあと感心しながら、跡部は宍戸に話しかける。
「どうしたんだ?この子猫。」
「さっきまで、庭を散歩してたんだけどな、茂みのとこから『痛い、痛い』って声が聞こ
えて、行ってみたらこいつがいたんだ。」
「その声ってのは、人の言葉でか?」
「まさか。猫の言葉でだぜ。」
猫の血が入っている宍戸は、ほとんど人間の姿であっても、猫の言葉は理解することが出
来た。そのため、人にはただの猫の鳴き声にしか聞こえない言葉も、意味を持った言葉と
して捉えることが出来たのだ。
「聞いてみないと分かんねぇけど、たぶん迷子になってここに迷いこんじまったんだと思
うんだよな。」
「ほう。そんなことまで分かるのか。」
「まあな。なあ、景吾。ケガが治るまで、こいつをここにおいてやってもいいか?」
ベッドに座りながら、宍戸は上目遣いで跡部にそうお願いする。もともと猫は好きである
し、そんなに可愛い態度で宍戸におねだりされてはダメだとは言えない。宍戸のそんなお
願いを跡部は快く了承した。
「いいぜ。完治するまで、しっかり面倒みてやるんだぞ。」
「あんがと、景吾!!よかったな。ケガが治るまで、ちゃんと俺が面倒みてやるからな。」
ベッドの上で小さな体を横たわらせている子猫に、宍戸は優しくそう語りかける。嬉しそ
うに笑う宍戸を見て、跡部もふっと優しく微笑んだ。
宍戸の看病の甲斐もあって、程なくしてその子猫は元気になる。ケガもすっかり完治する
と、宍戸はまるで兄弟が出来たかのようにその子猫と遊びまくる。
「景吾、見ろよ!こいつ、目の色が右と左で違うんだぜ!」
連れてきたときは、目を閉じていて気づかなかったのだが、目を開けるとその子猫は、右
目が綺麗な青色で、左目が濃い茶色であった。
「本当だな。オッドアイか。」
「右目が景吾の目の色で、左目が俺の目の色だ。毛の色も景吾の髪の毛の色と俺の髪の毛
の色を混ぜたみたいな色だよな!何か俺達の子供みてぇ。」
無邪気に笑いながら、宍戸はそんなことを口にする。それを聞いて、跡部はその子猫に並
々ならぬ愛着を感じる。
「確かにそうだな。」
「だろ?」
「俺にもちょっと抱かせろよ。」
「いいぜ。」
高い高いをするかのように抱っこをしていた子猫を宍戸は跡部に渡す。跡部に抱っこされ
ると、子猫はペロペロと跡部の顔を舐めながら、可愛らしく声を上げる。
「みゃあー、みゃあ。」
「可愛いな、こいつ。人懐っこいし。」
「そうだな。はは、こいつも景吾のこと気に入ったって。」
猫の言葉が分かる宍戸は、その子猫が発した言葉を通訳する。二匹の可愛らしい猫を前に
跡部は緩む顔を抑えられないでいた。
宍戸と子猫がかなり仲良くなり、この子猫も家で飼おうかと考えていた矢先、跡部は買い
物の出かけた商店街で、気になるポスターを見つける。それは『迷い猫探しています』と
いう内容のものであった。
(こんな分かりやすい特徴を持った猫なんて、あいつしかいねぇじゃねぇか。)
ポスターの写真の猫は、まさに宍戸が連れてきた猫そのものであった。黄金色と黒の毛並
みに青と茶色のオッドアイ。そんな特徴を持った子猫など、そうそう何匹もいるわけがな
い。そのポスターに書かれた連絡先をメモると、跡部は自宅へと向かった。
「ただいま。」
「おかえりー、景吾。」
「みゃあー。」
宍戸と子猫は跡部の屋敷の庭で遊んでおり、跡部が帰ってくると二匹そろって跡部の元へ
駆け寄ってきた。宍戸の足元にいる子猫に目を落とすと、あのポスターの写真が頭をよぎ
る。
「本当、元気になったみてぇだな。」
そう呟きながら跡部は子猫を抱き上げる。そして、ふぅと小さく溜め息をついた後、ゆっ
くりと宍戸に視線を移した。
「なあ、亮。」
「何?」
「そいつのことなんだけどな・・・・」
子猫を抱きながら、跡部は街で見たポスターのことを宍戸に話す。その話を聞いて、宍戸
の顔はほんの一瞬残念そうな寂しそうな表情になるが、すぐに笑顔になり、跡部に抱かれ
ている子猫の頭を撫でながら話しかけた。
「よかったな。お前、ちゃんと家に帰れるみたいだぞ。」
「んみゃ?」
「景吾、飼い主が探してるって言うんなら、早めに返してやろうぜ。」
「いいのか?」
「だって、飼い主はこいつのことすごく心配してるだろうし、こいつもちゃんとした飼い
主のとこ戻った方が幸せだろ。」
必死で笑顔を作っているが、その笑顔の奥には言いようもない寂しさが滲み出ていた。
「亮・・・」
「今日は一緒に風呂入って、一緒に寝ような!」
「みゃあー!」
跡部から子猫を受け取りながら、宍戸は元気よくそう話しかける。そんな宍戸の言葉に答
えるかのように、子猫も嬉しそうな鳴き声を上げた。
その日の夜、子猫と一緒にお風呂に入った宍戸は、出た後もずっと子猫を抱いていた。
「明日の昼過ぎくらいに引き取りに来るってよ。」
「そっか。」
早く返してやりたいという宍戸の意見を尊重し、跡部はその日のうちに飼い主へ連絡を入
れた。すぐにでも引き取りに行きたいが、さすがに夜遅くには申し訳ないということにな
り、子猫が飼い主の元へ帰るのは明日の昼になった。
「本当にそれでよかったのか?亮。」
「・・・ああ。」
「せっかく仲良くなれたのに残念だな。」
跡部の言葉に宍戸はコクンと頷く。しかし、そこでは悲しい顔は見せずに、しっかりとし
た顔つきで、跡部の顔を見据えた。
「もし・・・俺がこいつみたいに迷子になって、景吾の前からいなくなっちゃったら、た
とえ他の人の家で楽しく過ごしてても、すごく心配するだろ?」
「そうだな。」
「こいつの飼い主もきっとそんな気持ちなんだと思う。俺としても、景吾が一番大事だか
ら、戻れるのであれば出来るだけ早く戻りたいと思うし。」
自分が跡部を心から大切に思い、跡部にも大切にされているという実感があるからこそ、
宍戸はこの子猫をいち早く飼い主の元へ返してやろうと考えた。もちろん寂しさは間違い
なく感じている。しかし、それ以上に子猫の本当にいるべき場所に返してやることの方が
重要だと宍戸は思っているのだ。
「だから、少し寂しいけど・・・元の飼い主に返してやるのがこいつにとって一番だと思
うんだ。」
「ああ、そうだな。」
切ない程に宍戸の気持ちが伝わり、跡部は頷くことしか出来なかった。真っ黒な耳の生え
た頭を優しく撫でると、跡部は軽く触れるだけのキスを宍戸にしてやった。
「今日はこいつとの最後の夜だ。今日だけはお前をこいつに譲ってやるよ。」
「景吾・・・」
「ふっ、俺達の気も知らねぇで気持ちよさそうに眠ってやがる。俺達もそろそろ寝るか。
亮。」
「・・・・うん。」
宍戸に抱かれながら、ぐっすり眠り込んでいる子猫を撫でながら、跡部はそんなことを口
にする。そんな跡部の言葉に頷きながら、宍戸は子猫を抱いたまま、ふかふかのベッドに
横になった。
次の日の昼過ぎ、予定通り、子猫の飼い主は跡部の屋敷にやってきた。
「本当にありがとうございます。」
大事な大事な飼い猫が無事に見つかったということで、子猫の飼い主は深々と二人に頭を
下げ、心から感謝の言葉を述べた。猫耳を隠すための帽子をかぶった宍戸は、飼い主に抱
かれた子猫の頭をぐりぐりと撫でながら、別れを惜しむかのように話しかける。
「よかったなー、本当のご主人様のとこに帰れて。」
「みゃあー。」
「そっかそっか。やっぱ、嬉しいか。」
「みゃあ、みゃあー。」
「短い間だったけど、俺も楽しかったぜ。また、会うことがあったら、一緒に遊ぼうな!」
「みゃあ!!」
傍から見れば、宍戸が一方的に話しかけているように見えるが、会話はしっかりと成り立
っていた。最後の会話を楽しむと、宍戸は子猫から手を離し、ゆっくりと上体を起こす。
「それじゃ、元気でな。存分に可愛がってもらえよ。」
「みゃあ・・・」
「それじゃあ、このへんで失礼します。本当にありがとうございました。」
飼い主がもう一度ぺこりと頭を下げると、宍戸はニッコリと笑って、最後の別れの言葉を
口にする。
「じゃあな、お前と遊んだ数日間、絶対忘れないからな!」
「みゃあー。」
宍戸の言葉に返すかのように、子猫も一際大きな声で鳴く。飼い主と子猫が見えなくなる
まで、宍戸は手を振り続ける。子猫も宍戸が見えなくなるまで、ずっと宍戸と跡部の方に
視線を向けていた。
「行っちまったな。」
「おう・・・・」
飼い主と子猫が完全に見えなくなってしまうと、宍戸は手を振るのをやめ、ゆっくりと手
を下ろす。そして、今まで黙って二匹の猫の様子を見ていた跡部は、ポムポムと宍戸の頭
を優しく撫でてやった。慰められるかのような跡部のその手に、今まで必死で我慢してい
た寂しさが一気に込み上げてくる。
「せっかく・・・我慢してたのにぃ・・・・」
そう呟く宍戸の目には大粒の涙が溜まっていた。
「俺の前で我慢する必要はねぇだろ。泣きたきゃ存分に泣けばいい。」
「うぅーー・・・・」
そう言われてしまうと、もう堪えることは出来なくなってしまう。跡部に抱きつきながら、
宍戸は声を殺して涙を流した。そんな宍戸の背中を跡部は優しくさすってやり、ぎゅっと
抱きしめてやる。
「今日は・・・俺が景吾に甘えてやるんだからな!」
涙声で宍戸はそう言い放つ。子猫がまだ幼かったために、遊んでいる間は宍戸が甘えさせ
てやるという図式であった。その子猫がいなくなってしまった今、今度は自分が甘えたく
なってしまう。
「好きなだけ甘えさせてやる。思う存分甘えろよ。」
「うー、景吾ぉ・・・・」
一度爆発してしまった寂しさはなかなか治まることがなく、宍戸はしばらく跡部の胸を借
りて泣いた。宍戸が泣きやむまで、跡部はその体をぎゅうっと抱きしめたままでいてやる。
どこか自分達と似たところを持つ子猫との出会いと別れ。それは、宍戸と跡部の心に淡く
甘い思い出を刻み込むのであった。
END.