真夜中の潮騒

もう丑三つ時も近い真夜中、水軍館の一室で重はゴロンと寝返りを打った。もう一時間以
上も前から布団に入っているのだが、全く眠れないのだ。
(全然寝付けない・・・今何時くらいなんだろうなあ・・・・)
眠りたいのに眠れないというのは、なかなか辛いものである。他の者を起こさないように
小さく溜め息をつくと、隣からぼそっと問いかけるような声が聞こえた。
「眠れないのか?重。」
突然声をかけられ、重はドキっとしてしまう。隣で寝ていたのは、同じ水練の者の舳丸で
あった。
「ゴメン、起こしちゃった・・・?」
「いや、ずっと起きてた。お前が眠れないみたいだったからな。」
「えっ?」
「無理矢理寝ようとしても、眠れないだろう。少し散歩にでも行くか?」
「う、うん・・・」
まさか舳丸も起きているとは思わなかったので、少々戸惑いながら重は舳丸の誘いに頷く。
他の者を起こさないように、そっと二人は部屋を出て行く。館の廊下を歩きながら、二人
は小声で言葉を交わす。
「舳丸が起きてたのって、俺が眠れないのに気づいてたから?」
「まあな。いつもならすぐ寝付いちまうのに、いつまでも寝返り打ってて、眠れなさそう
だったから、気になってな。」
「ごめん。」
「別に謝ることじゃない。誰しもそういうことはあるさ。」
自分の所為で舳丸も寝付けなかったということを聞いて、重はしょぼんとしながら謝る。
しかし、舳丸は全くそんなことを気にしてはいなかった。それどころか、重の気分を和ら
げてやろうと、笑いながらポンポンと頭を撫で、優しい口調で言葉をかける。
「海に出りゃ少しは気分も落ち着くだろ。」
「・・・うん。」
「いつまでもそんな暗い顔してるなよ。夜の散歩ってのもたまにはいいもんだぞ。」
自分に気を遣ってくれている舳丸の言葉が嬉しくて、重はきゅっと舳丸の手を両手で握る。
「・・・ありがと、舳丸。」
「ああ。」
重の両手の熱さを感じながら、舳丸はふっと笑った。こういうところは本当に可愛らしい
と、自然と頬が緩んできてしまう。そのままの状態で、舳丸は重を連れて館の外へ出た。

水軍館は海のすぐ近くにあるため、外に出るとザザーっと、波の打ち寄せる音が耳に入っ
てくる。もっと海の近くへ行こうと、舳丸は浜辺に向かって歩き始めた。波打ち際までく
ると、舳丸は重の方を振り返り、あることを尋ねる。
「海の中、入るか?」
「えっ?」
「浜辺を散歩するもよし、海の中を散歩するもよし。お前のしたい方でいいぞ。」
夜の海は確かに危険な部分もあるが、それほど沖に出なければ、この二人にとっては何の
問題もない。どうせここまで来たのなら海の中に入りたいと、重はそう口にした。
「海の中、入りたい。」
「了解。」
重の要望を聞くと、舳丸は迷うことなく海の中へと入って行く。それを追うようにして、
重も海の中に体を浸けた。昼間より少し温度の低い海水が、肌に触れ、服にしみ込む。水
練の二人にとっては、その感覚がとても心地よく感じられた。
「少し冷たいな。」
「うん。でも、気持ちいい。」
もう少し体全体を海に触れさせたいと、二人は少し沖の方まで泳いで行く。足がつかなく
なるくらい深いところまでくると、二人はその場に体を浮かせた。
「やっぱり、海はいいな。」
「舳丸。」
「ん?どうした?」
舳丸が答えると、重は黙って舳丸の前に手を差し出した。口では言わないが、目が何をし
て欲しいかを訴えている。その重のして欲しいことをしっかりと理解した舳丸は、ふっと
笑いながら、差し出された手を取った。
「夜の海は確かに危ないからな。こうしていた方が安心だろう。」
「うん。」
舳丸に手を握ってもらい、ほっとしたような表情で重は笑う。しばらく穏やかな雰囲気の
中で、二人はたくさんの星が浮かぶ夜空を見上げていた。今日は霧もなく、海も穏やかで、
大きな月がぽっかりと空に浮かんでいた。
「綺麗だな。今日の空は。」
「本当に。月も綺麗だし、星もいっぱい見えるし。」
「夜の海は、ウミボウズや船幽霊が出たりして、少し怖いところもあるが、こんな日は怖
いとは感じないもんだよな。」
「そうだね。」
夜の海の怖さを忘れるくらい、今日の景色は絶景だった。大きな海に抱かれ、たくさんの
星を眺める。自然と一体となっているような感覚に、舳丸も重もうっとりとしていた。そ
んな何とも言えない心地よさを感じながら、舳丸は重に視線を移す。
「ふと思ったんだけどな。」
「何?」
「あんなにたくさんの星があったら、それだけたくさんの人とか動物がいるってことにな
るだろ?」
「うん。」
「わたし達がいるこの星も同じようなもんだと思うんだよ。他の星からこの星を見れば、
あんな小さな点の光にしかならないんじゃないかって。」
「あー、確かにそうかもしれないな。」
「他の星からは小さな点にしか見えないような場所で、こんなふうに同じ場所で一緒に居
られるって、ちょっとすごいことだと思わないか?」
そう言われて重の胸はトクンと高鳴る。舳丸の言っていることは少し難しくて、全部は理
解出来ないが、こうして舳丸と今一緒に居ることが、とてもすごいことだということはハ
ッキリと感じられた。
「しかも、わたし達が生まれる前にも平安時代とか鎌倉時代があったわけだろ?きっと、
これから違う時代になったりもするんだろうし。それなのに同じ時代に生まれて、同じ場
所に居て、しかも、同じ水練としていつでも一緒に行動出来る。そう考えると、わたし達
が今ここに一緒に居るっていうのは、本当すごいことなんだよな。」
「・・・・・。」
夜空を見上げながら、そんなことを話す舳丸の言葉に、重は言葉を失う。触れ合う手がじ
んわりと熱くなっていくのが感じられた。それと同時に、ドキドキと心臓の音が大きくな
る。重にとって、舳丸がいつも側に居てくれることは当たり前のことであった。しかし、
今の舳丸の話で、その当たり前のことが想像も出来ないくらい低い確率で起こる奇跡的な
ことだと気づいてしまった。そのことに気づいた感動は、簡単に言葉に出来るようなもの
ではない。
「み、舳丸・・・」
「ん?どうした、重?」
「何か俺・・・泣きそう・・・・」
「えっ!?な、何でだよ!?」
「分かんない・・・分かんないけど、今の舳丸の話聞いてたら・・・・」
「おいおいっ・・・」
何故だか分からないが、重は胸が熱くなって自然と涙が込み上げてきた。いきなり訳も分
からず目の前で泣かれ、舳丸は困惑してしまう。なんとか重をなだめようと、舳丸はぐい
っと自分の方へ重を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめてやった。
「全くいきなりどうしたんだよ?」
「分かんない〜。」
「変な奴。とりあえずしばらくこうしておいてやるから、少し落ち着け。」
「・・・うん。」
舳丸に抱きしめられ、重はひどく安心する。自分でもよく分からずに流れる涙はしばらく
流れ続けた。その涙が止まると、重は顔を上げ、舳丸の顔を見る。
「舳丸。」
「な、何だ?」
「舳丸は、ずっと俺と一緒に居てくれるよね?」
突然そんなことを確認したくなり、重は尋ねる。いきなり何を言い出すんだと思いつつも、
舳丸は笑いながら言葉を返してやった。
「当たり前だ。わたしと一緒に海に潜れるのは、お前だけだろ?」
「舳丸〜!!」
どうしてこう自分の欲しい言葉を的確に言ってくれるのだろうと、重はぎゅむーっと舳丸
に抱きついた。こういうところはまだまだ子供っぽいなあと思いつつ、舳丸は苦笑しなが
ら、重の頭を撫でた。
「ったく、甘えん坊め。」
「いいんだもん。まだ俺子供だし。」
「そろそろ戻るか。これだけ動けば少しは寝やすくなってるだろ。」
「うん。」
二人にとって海は一番リラックス出来る場所だが、眠るとなればやはり床で眠るしかない。
気分も休まったし、動いたことで寝付きはよくなっているだろうということを期待しなが
ら、二人は水軍館へ戻っていった。

水軍館に戻ると、二人は濡れた服を脱ぎ、井戸の水で軽く体を洗い流した。いくら水練の
者だからと言っても、濡れた服のまま布団に入るわけにはいかない。部屋に戻ると寝巻き
に着替えようと思ったが、まっさらな寝巻きは上下一組で一着しかなかった。
「あれ?寝巻き、一つしかないや。どうするミヨ?」
「わたしは別になくても構わないぞ。重が着ればいい。」
「でも、褌一丁で寝るのって微妙じゃない?」
「誰も気にしないだろ。」
「俺が気にするし。じゃあ、半分こにするか。」
「半分こ?どういうことだ?」
「俺、上だけもらうから、舳丸は下だけ着ればいいじゃん。それだったら平等だろ?」
「平等かどうかは微妙だけど、まあ、いいか。」
重の案が良いか悪いかはよく分からなかったが、何も着ないで寝るよりま少しはマシだろ
うと、舳丸はその案を飲む。上下半分だけの寝巻きに着替えると、二人はもともと敷いて
あった布団の中に入る。向かい合うような形で横になっていた二人だが、重の方がそっと
布団から起き上がった。
「重、ちゃんと寝ないと明日辛いぞ。」
「んー、分かってるんだけど・・・・なあ、ミヨ。」
「何だ?」
「今日だけ、ミヨと一緒に寝ちゃだめ?」
もうちょっと舳丸に甘えていたいと、重は控えめにそんなことを言う。首を傾げてそんな
ことを言ってくる重を前にし、舳丸が断れるはずがない。
「しょ、しょうがないなあ。今日だけだぞ。」
「ありがと、舳丸!」
舳丸の承諾を得ると、重はもそもそと舳丸の布団に入った。そして、嬉しそうに顔を緩ま
せながら、ピッタリとくっついてくる。
「おやすみ、舳丸。これならちゃんと寝れそうだ。」
「あ、ああ。」
上半身は何も着ていないため、重の髪の柔らかさや穏やかな吐息が直接肌に触れる。そん
な感触にドキドキしながら、舳丸はそっと重の背中に腕を回した。
(これじゃ、わたしの方が眠れなくなりそうだ。)
そんな舳丸の気持ちに全く気づかず、重はすやすやと穏やかな寝息を立て始める。こんな
にすぐに寝付かれるとは思っていなかったので、舳丸は小さく溜め息をついた。
「ま、重がちゃんと眠れるんならそれでいっか。」
「ZZzzz・・・」
ドキドキが治まらないなあと思いつつ、舳丸は重の寝顔を見て苦笑する。明日は寝不足覚
悟で仕事をしなければならないなあということを考えながら、舳丸はゆっくりと目を閉じ
た。

次の日の朝、水練の二人はかなり遅く寝たということもあり、他の水夫が起き始めてもな
かなか目を覚ますことが出来なかった。早々と朝の支度を終えた間切や網問はまだ寝てい
る二人を起こしにかかる。
「あれー?重がいないよ。」
「本当だな。航、厠に重居たか?」
「いや、居なかったと思うけど。」
「まあ、重を探すのは後にして、ミヨ兄先に起こしちゃおうか。」
「そうだな。」
重の布団の中が空っぽなことを、網問や間切は不思議に思いながらも、先に舳丸を起こし
てしまおうと、舳丸の布団を剥ぎ取る。
「ミヨ兄、朝だよー!!」
布団を剥がすと、そこには上半身裸な舳丸と上着は着ているが下は褌しかつけていない重
が一緒に寝ていた。そんな格好で一つの布団で眠っているのを見れば、変な誤解をするの
はまぬがれない。
『!!!???』
この部屋で二人より早く起きてメンバーは、声にならない驚きの声を上げる。布団を剥が
され、舳丸は重たい目を開けた。
「んー、もう朝か・・・・」
「キャー、ミヨ兄のエッチー!!」
「はっ?」
「ミヨ兄、この部屋でそういうことするって、すごい度胸すぎるでしょう。」
「えっ、ちょっ・・・何の話だ!?」
網問や間切がキャアキャア騒いでいるのを聞いて、舳丸は意味が分からないと困惑した態
度をとる。
「朝っぱらからうるさいなあ・・・」
あまりにも周りの者が騒ぐので、重も目を覚ます。重の着乱れた上着と、褌しかつけてい
ない下半身を見て、舳丸は他の者が何を誤解しているかに気づいた。
「こ、これは違っ・・・誤解だっ!!」
「うっそだあ。そんな格好でそんなこと言ったって全然説得力ないしー。」
「そうっスよ。これは義兄とかに知らせなきゃー。」
「いや、マジで違うんだってっ!!」
あまりにも舳丸が必死で否定するので、これは確定だと他の者はニヤニヤする。何の話を
しているのかさっぱり分からない重は、ハテナを頭に浮かべて首を傾げた。
「舳丸の兄貴。」
網問や間切とは違って、非常に冷静な東南風に声をかけられ、舳丸はすがるように弁解の
言葉を述べようとした。
「東南風、これは・・・・」
「もう諦めて認めた方がいいですよ。」
ふっと笑いながら、舳丸の肩にポンと手を乗せ、東南風は呟く。自分の次に年長の東南風
にまで誤解されたら、もう弁解の余地はない。しかし、誤解は誤解だ。それを何とか分か
らせようとするのだが、他の者は聞く耳を持たなかった。
「だーかーらー、違うって言ってんだろ!!」
「へへへ、おい、間切、今から義兄と鬼蜘蛛丸の兄貴のとこ行って、知らせて来ようぜ。」
「了解っ!!じゃ、行くぞ。」
「おー!!」
「おー、じゃねぇ!!お前らー!!」
バタバタと部屋を出て行く網問と間切を追いかけ、舳丸はかなり必死になりながら走って
行く。事情の呑み込めない重は、ポカンとしたまま、三人の出て行ったドアを見つめてい
た。
「いやー、みんな朝から元気だなー。」
「お前って、妙なとこで本当天然だよな。」
「へっ?何が?」
「分かってないならいいよ。ほら、そろそろ朝飯だし、さっさと着替えちまえ。」
「うん。」
同い年の航にそう言われ、重はいつもの服に着替え始める。舳丸が大変なことになってい
るにも関わらず、重は昨日はよく眠れたなあと、機嫌よく鼻歌まじりに朝の支度をするの
であった。

                                END.

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