メルト

ピピピ・・・ピピピ・・・
目覚ましの音で目を覚まし、宍戸は眠たそうな目を開く。朝はそれほど得意ではないが、
テニス部の朝練のためには、朝が苦手などとは言ってはいられない。
「さーてと、さっさと用意して学校行くか。絶対あいつより早く行ってやる!!」
宍戸の言うあいつとは入学初っ端からぶっ飛んだ行動をしまくっている跡部のことだ。跡
部のやること為すこと腹が立つのだが、宍戸は初めて会った当初から跡部のことが気にな
って仕方がなかった。今日も今日とて朝起きてまず頭に思い浮かぶのは、跡部のこと。自
分ばかり跡部を気にしているのは不公平だと、宍戸はとあることで跡部の感心を自分に向
かせようと考えた。
「前髪結構伸びて来ちまったし、ちょっと切るか。あと、ゴムはこれで。」
肩近くまで伸びていた前髪を耳のすぐ下あたりまで切り、いつもの赤いゴムではなく、小
さな花のついたピンク色の髪ゴムで髪をまとめる。
「こんだけしとけば、何かつっこんでくるだろ。」
鏡を見ながらよしっと頷き、宍戸は出かける用意を始める。しっかりと朝食を食べ、制服
を着ると、宍戸は元気よく玄関を出ていった。

かなり早く家を出たため、テニス部の部室にはまだ誰も来ていなかった。今日も一番乗り
になれたと、嬉しそうな顔で宍戸はテニス部のジャージに着替え始める。
ガチャ
ポロシャツを着ようとしたところで、部室のドアが開く。部室の中に入ってきたのは、跡
部であった。
「あっ・・・」
「よう、宍戸。随分早いじゃねぇか。」
「テニス部の部長のくせに、俺より後に来るなんて腑抜けてんじゃねぇの?」
ケンカ腰の言葉は、宍戸にとっては挨拶だ。そのため、跡部はこの程度のことでは、腹を
立てない。
「まあ、俺様のテニス部の朝練に、こんなに早くやる気を持って来るのは悪いことじゃね
ぇな。」
「ふん、別にお前のテニス部だからってわけじゃねぇよ。俺はただテニスがしたいから、
早く来てるだけだ。」
そんなトゲトゲした言葉を返しても、跡部は余裕の笑みを浮かべるだけだ。その態度が気
にいらないと、宍戸がムスッとした顔をしていると、跡部がじっとこちらの方を見ている
ことに気づく。真っ青な瞳で見つめられ、宍戸の鼓動はどういうわけか速いリズムを刻み
始める。
「な、何だよ?」
宍戸がそう口にすると、跡部は何も言わずにつかつかと宍戸に近づき、すっと手を伸ばす。
そして、優しく宍戸の前髪に触れると、さっきから気になっていたことを口にした。
「前髪切ったんだな。急にどうしたんだよ?」
「べ、別に意味なんてねぇよ。ただちょっと伸びてきてるなあと思ったから。」
「それにその髪ゴムもいつものとは違うじゃねぇか。」
「こ、これは、いつものゴムが切れちゃって、家にこれしかなかったから・・・」
わざとそうしたのだが、いざ指摘されるとどう返したらよいか分からない。ドギマギとし
ている宍戸の反応が面白いと感じた跡部は、ふっと笑いながら、とどめの一言を放つ。
「その前髪いいんじゃねぇの?その可愛らしい髪ゴムも似合ってるぜ。」
思ってもみない跡部の言葉に宍戸の胸はきゅんとときめき、顔が熱くなるのを感じる。ど
うしてこんなにドキドキするのか、それが自分で理解出来ず、宍戸はくるっと跡部に背を
向け、ぎゅうっと胸のあたりの布を握った。
(な、なんで俺、こんなにドキドキしてんだよ・・・)
なんとか胸の高鳴りを抑えようと小さく深呼吸をしていると、ぽむっと頭に手を置かれる
のを感じる。
「ほら、さっさとコート行くぞ。もう用意終わってんだろ?」
「さ、触るな!!」
いきなり頭に触れられ、宍戸は顔を真っ赤にして、跡部の手を振り払う。少し驚いたよう
な反応をする跡部だが、すぐにいつもの自信に満ちた表情に戻り、鞄の中のラケットを手
にした。
「じゃ、先に行ってるからな。」
せっかく一番初めに来たのに、跡部に先を越されてしまう。そう理解していても、宍戸が
感じているのは、悔しさよりもむしろ嬉しさであった。
(ムカつくのに・・・なんでこんな嬉しいとか思ってんだよ、俺っ!!)
宍戸にとって、跡部に髪型を褒められたことは非常に嬉しいことであった。跡部が髪を切
ったことにすぐに気づき、髪ゴムが違うことにも気づいてくれた。それは紛れもなく跡部
が自分を気にかけてくれている証拠だ。そう考えると、顔が自然に緩んでくるような嬉し
さが心の底から込み上げてくる。その感覚に気づいた時、宍戸は自分が跡部に抱いている
そうすぐには認めたくない感情に気づいた。
(もしかして俺・・・跡部のこと、好きなのか?)
そう思った途端、急に恥ずかしくなる。絶対そんなことはありえないと、ブンブンと首を
振ると、宍戸はラケットを握り、勢いよく部室を飛び出した。

朝練でも放課後の部活の時間にも宍戸は跡部と目を合わすことが出来なかった。あの気持
ちに気づいてから、以前よりも跡部のことが気になって仕方がない。跡部のことが好きだ
なんて、絶対にそんなことは言えないし、認めたくなかった。しかし、一度気づいてしま
った感情は、もうどうにも止めることは出来なくなっていた。

一年はコートの片付けがあったために、他の学年よりも帰りが遅くなってしまった。特に
宍戸はかなり丁寧に片付けを行うため、一年の中でも一番遅くに部室に戻ることになった。
「みんなもっと丁寧に片付けろよな。」
そんなことをぶつぶつ言いながら、部室に入ると、跡部が机に向かって何かを書いていた。
跡部の姿を見て、ドキッとする宍戸だが、興味がないふりをして、着替えを始める。跡部
に声をかけることなく、帰る準備を終わらせ、部室を出ようとすると、宍戸はあることに
気がついた。
「マジかよ・・・」
外に続くドアを開けると、ザーザーと音を立て、土砂降りの雨が降っている。天気予報で
は、雨が降るなど一言も言っていなかったのにと、鞄に入ったままだった折り畳み傘を出
し、宍戸は溜め息をついた。
「こんなに雨が降るだなんて、聞いてねぇぞ。」
「っ!!」
突然すぐ隣で言葉を発され、宍戸は心臓が止まるのではないかと思うほど驚く。いつの間
にやってきたのか、隣には跡部が鞄を持って立っていた。
「傘持ってきてねぇっつの。」
「そりゃ残念だったな。」
跡部の顔を見られないまま、宍戸はいつもの口調でそんなことを言う。さっさと帰ろうと
折り畳み傘を差すと、すっと傘の柄に跡部の手が伸びる。
「しょうがねぇから入ってやる。」
「はあ!?」
「俺様と相合い傘が出来るんだ。光栄に思えよ?」
いつも通りの笑顔で、跡部はそう言う。認めたくはないが、言葉にされてしまうとどうし
ても意識してしまう。跡部と相合い傘をしなければならないという状況に、宍戸は嬉しさ
と戸惑いが混じり合い、体温が一気に上昇していくのを感じていた。

駅の方に用があるということで、結局跡部は駅まで宍戸の傘に入らせてもらうことになっ
た。学校から駅までの帰り道、宍戸の胸のときめきは最高潮に達していた。
(どうしよう・・・ドキドキしすぎて、まともに息が出来ねぇ。)
あまりの動悸に宍戸は息が詰まりそうになっていた。折り畳み傘ということで、その傘の
大きさは普通の傘よりはいくらか小さい。それゆえ、互いに濡れないようにするためには
かなり近づかなければならなかった。
「そんなにこっちに傾けてたら、お前が濡れちまうだろ?」
そう言いながら、跡部は傘を持っている宍戸の右手に自分の手を重ね、ほんの少し宍戸の
方へ傘を傾ける。
「っ!!」
跡部の手に触れ、宍戸の右手はわずかに震える。半分に分けた小さな傘の中、宍戸の胸は
ひどく高鳴っていた。
(ちょっと手を伸ばせば、すぐ跡部に届く。どうしよう、どうしよう・・・)
跡部が好きだということに気がついてしまうと、宍戸にとってこの状況はもう嬉しくて嬉
しくて仕方がなかった。この想いに気づいて欲しい気持ちと気づいて欲しくない気持ちが
交錯する。そんなことを考えているうちにも、次第に駅までの距離が縮まってゆく。
(そろそろ駅に着いちまう。あー、このまま時間が止まってくれればいいのに・・・)
跡部ともうすぐ別れなければいけないことを考えると、宍戸はどうしようもなく寂しくな
ってくる。なんとなく泣きそうな気分になっていると、ふと跡部が言葉を紡いだ。
「なあ、宍戸。」
「・・・何だよ?」
「お前、ずっと黙ってるけど、そんなに俺のこと嫌いなのか?」
「は・・・?」
突然何を言い出すのかと、宍戸は唖然としてしまう。嫌いかと聞かれても、今は跡部が好
きだということに気づいてしまって困っているのだ。
「嫌だったら、無理矢理傘に入っちまって悪かったな。」
「・・・・・・」
そんなことはないと言いたかったが、何故か言葉が出てくれない。何も言えないでいるう
ちに駅まであと数十メートルというところまで来てしまった。
「そろそろ駅だな。」
「・・・ああ。」
「お前は俺のこと嫌いかもしれねぇけど、俺はお前のこと結構好きだぜ?」
いつもの口調でそんなことを言う跡部の言葉に、宍戸は驚いたような顔をして跡部を見る。
「えっ・・・今、なんて・・・?」
「俺はお前のこと、好きだっつったんだよ。」
「好き・・・?」
跡部に好きと言われ、宍戸は思わず立ち止まってしまう。それに合わせて、跡部も歩みを
止めた。
「どうした?」
「・・・・駅に着いたら、跡部と離れなくちゃいけなくなる。」
「その方がテメェにとっては好都合なんじゃねぇの?俺のこと嫌いなんだろ?」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ!!勝手に決めんな!!」
「ほう、じゃあ、お前は俺のこと好きなのかよ?」
からかうような笑みを浮かべ、跡部はそう宍戸に問う。その瞬間、宍戸の顔はかあぁと真
っ赤に染まった。あまりにも素直な宍戸の反応に、跡部は嬉しくなってしまう。
「お前、素直なんだか素直じゃないんだか分からねぇな。」
「ウルセー・・・」
「俺と駅で別れるのが嫌でこんなとこで立ち止まってんだな。」
「・・・・・。」
図星を指され、宍戸は黙ったままうつむく。否定しないあたり素直だなあと思いつつ、跡
部は宍戸から傘を取り上げ、人の行き交う道の方に傾け、自分達の姿を隠した。そして、
ほんの少しかがみながら、顔を傾け、ちゅっと小鳥が嘴を合わせるように宍戸の唇にキス
をする。
「こうしときゃ、駅で別れても寂しくねぇだろ?」
「な・・・あ・・・・」
「ほら、俺様は用事があるんだ。さっさと行くぞ。」
跡部のしたことに驚き、文句を言いたい宍戸であったが、あまりの衝撃とドキドキ感で何
も言葉が出てこなかった。跡部に促され、駅の前まで移動すると、跡部は何事もなかった
かのように宍戸の傘から屋根のある部分に出る。
「傘、入れてくれてありがとな、宍戸。」
「お、おう。」
「じゃあな。また明日。」
じゃあなと手を振る跡部に、軽く手を振り返すと、宍戸はその手を自分の唇へと持ってい
き、さっきのことを思い出す。
「もう、マジでありえねぇ・・・」
跡部と相合い傘をし、しかも、好きと言われ、キスまでされてしまった。その事実に頭が
追いついていかないと、宍戸は火照る顔をどうにかしようと、傘を閉じ、パタパタと改札
の方へと駆けて行った。

あの時と同じ土砂降りの帰り道、跡部と宍戸はあの時よりも少し大きな傘の中に、肩を並
べて歩いていた。
「なんかこの状況、なつかしいな。」
「なつかしい?」
「俺らが中一の時にこういうことがあった気がする。俺が折り畳み傘を持ってて、跡部が
傘持ってなくてって状況で。」
そういえばそんなこともあったなあと、跡部は遠い日の記憶を思い出す。今日はあの時と
全く同じで、土砂降りの雨の中、一つの傘に二人で入り、学校から駅に向かっている。
「あの時はまだ跡部と会ったばっかだったからさ、気になるなあって思ってても、なかな
か素直に話せなくて。一つの傘で駅まで一緒に行くってのに、何にも話せなかったんだよ
な。」
「いつもケンカ腰だし、マジであの時はお前に嫌われてると思ってたぜ。」
「本当は気になって気になってしょうがなかったんだよ。いい意味でな。だから、あの時
は、こんなにすぐ近くに跡部がいるのに、なんかすごい遠いなあって感じだった。」
当時の気持ちを思い出し、苦笑しながら宍戸はそんなことを語る。駅に近づくにつれて、
あの時は心の中で思っていても絶対に口に出来なかった気持ちを宍戸は思い出す。
「駅が近づいてくるにつれてさ、なんか急に寂しくなってきてよ、駅に着いたら跡部と別
れなきゃいけないんだと思ったら、すげぇ手繋ぎたいとかそういうことばっか考えてた。」
「へぇ、そんなこと考えてやがったのか。」
「跡部が俺のこと好きだって言った時は、本当心臓止まるかと思うくらいビックリしたけ
ど、かなり嬉しかったんだぜ?」
恥ずかしそうに笑いながらそんな話をする宍戸に、跡部はすっかり心を奪われ、今ここで
抱きしめてやろうかという衝動に駆られていた。
「今の俺だったら、どうしてたかなあ。今すぐ俺を抱きしめろ!!とか言ってみたりした
かもな。」
冗談っぽく言ったにも関わらず、跡部は傘を持った宍戸の体をその場でぎゅうっと抱きし
める。そうしたいと思っていたところで、そんなことを言われれば、我慢も出来なくなっ
てしまう。まだ人通りの多いところには出ていないが、宍戸はかなり動揺したような様子
で、跡部を引きはがそうとした。
「ちょっ・・・こんなとこで何してんだよ!?」
「お前が抱きしめろって言ったんじゃねぇか。」
「あれは例えの話だ!!こんな道端でふざけんな!!」
「全く、今も昔も変わらず素直じゃねぇなあ。」
「素直だとか素直じゃないとかの問題じゃねぇ!!とにかく離れろー!!」
ばたばたと暴れる宍戸の身体をしっかりと抱きしめたまま、跡部はなかなか離れようとし
ない。今も昔も変わらず可愛らしいなあと思いつつ、跡部は宍戸が嫌がるのを気にもとめ
ず、その溶けるように宍戸から溢れてくる素直な気持ちをその腕の中に抱えるのであった。

                                END.

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