夏真っ盛りの8月。跡部は宍戸を連れて、プライベート・ビーチに来ていた。白い砂浜に
青い海。照りつける太陽はキラキラと水面を輝かせている。
「うわあ、これが海かあ!!」
初めて海を見る宍戸は、目を輝かせて砂浜に躍り出る。海水パンツに真っ白なパーカーを
羽織るというような格好で、波打ち際まで駆けて行った。寄せ来る波と戯れる宍戸を見て、
やはり連れてきてよかったと跡部は満足気に笑った。
「景吾ー、景吾も早くこっち来いよ!!」
「ああ。今行く。」
羽織っていた上着を脱ぐと、跡部は宍戸のもとまで歩いてゆく。そして、海の中へと入り、
宍戸のに向けて腕を伸ばした。
「ほら、海の中に入った方が涼しくて気持ちいいぜ。来いよ。」
しかし、宍戸は首を振って海の中に入ろうとしない。先程までは、あれほどはしゃいでい
たのに、突然どうしたのだろうと、跡部は首を傾げる。
「どうした?」
「ここらへんで遊ぶのはいいけど、中に入るのはヤダ。」
「何でだよ?」
「だって、怖ぇーんだもん。俺、泳げねぇし。」
四分の一が猫である宍戸は、基本的にはそれほど水が好きではない。お風呂や温泉程度な
ら大丈夫だが、海やプールなど完全に足がつかなくなる可能性がある場所には出来れば入
りたくないのだ。
「だったら、俺が泳ぎを教えてやる。せっかく海に来たのに、泳がねぇなんてもったいね
ぇじゃねぇか。」
「う〜・・・」
確かにそうだが、やはり海に入るのは怖い。波打ち際で動けなくなっている宍戸を見て、
跡部は可愛いなあと思いつつ、近づいてゆく。そして、ひょいっとその体を抱えて、その
まま海へ入っていった。
「うわっ、た、たんま、景吾っ!!」
「大丈夫だ。いきなり足のつかねぇ場所に連れてったりはしねぇからよ。」
「で、でも〜、わっ、待て、下ろすな!!」
腰くらいの深さのところで、跡部は宍戸を下ろす。いきなり海の中に入れられ、多少パニ
ックになっている宍戸は、足がつくにも関わらず、跡部にぎゅうっとしがみついたままだ。
「落ち着けって。ちゃんと足つくだろ?」
恐る恐る目を開けると、確かに水は腰くらいまでしかなく、完璧に足は地面についている。
これなら何とか大丈夫だと、宍戸は跡部からゆっくり手を離した。
「ほ、本当だ・・・。」
「まずはここで、少し泳ぎの練習しようぜ。」
「お、おう。」
あまり乗り気ではないが、せっかく跡部が教えてくれると言っているのだ。断るのも何だ
と思い、宍戸は頷く。ここなら大丈夫と何度も自分に言い聞かせながら、宍戸は跡部の手
を取った。
「よし、じゃあまず、顔をつけるとこから始めようぜ。それくらいは出来んだろ?」
顔をつけるくらいなら、お風呂でもやったことあるしと、宍戸は思いきり息を吸って、バ
シャンと顔を海面につけた。10秒くらいつけた後、顔を上げる。
「ぷはっ!!」
「なかなか好スタートだな。いいぜ。」
「うえ〜、何かしょっぱい。」
「当たり前だろ。海なんだからよ。」
「海の水はしょっぱいのか?」
「ああ。塩水だからな。」
「ふーん、そうなんだ。じゃあ、飲まないように気をつけなきゃだな。」
「まあ、美味くはねぇからな。よし、それじゃあ次はバタ足の練習行くか。顔上げたまま
でいいからよ、俺の手に掴まって、うつ伏せに浮いてみろ。」
海の水がしょっぱいことを初めて知った宍戸は、感心しながら跡部の言うことを聞く。口
に海水が入らないように気をつけながら、言われた通りにしてみる。顔を上げたまま浮く
なんて無理だと思ったが、意外と簡単に浮くことが出来た。
「おー、すげぇ。」
「そしたら次は足を動かしてみろ。交互に水を叩くんだ。」
人が泳ぐのを見たことがあるので、宍戸はそれを思い出しながら足を動かす。すると、少
しずつだが体が前に進んだ。そのスピードに合わせ、跡部はゆっくりと後ろに下がる。
「上手いじゃねぇか。その調子だ。」
「て、手ぇ、離すなよっ、景吾!」
「大丈夫だ。離しはしねぇよ。」
ここで離すと宍戸はまたパニックになるだろうと思い、跡部は手を離さなかった。10メ
ートルほど、そのままバタ足で移動すると宍戸はいったん足をつく。
「はあ、疲れたぜ。」
「なかなかいい感じじゃねぇの?全く泳げなかったにしちゃあ、いい筋してるぜ。」
「本当か!?」
「ああ。もう少し頑張れば、俺が手を取らなくても泳げるようになる。」
「よっし、それじゃあもうちょっと頑張るぜ!!」
跡部に褒められ、俄然やる気になった宍戸は、泳ぎの練習を続けようとする。そんな宍戸
の練習に付き合い、跡部は適切に泳ぐためのコツを教えていった。飲み込みが早い宍戸は、
跡部の言う通りに体を動かし、そのコツを掴んでゆく。
「亮、ここまで泳いで来い!」
何メートルか離れた場所に跡部は立ち、宍戸を呼ぶ。まだある程度の不安はあるが、思い
きって宍戸は砂を蹴り、跡部に向かって泳ぎ始めた。
バシャバシャ・・・
「いいぜ!もう少しだ!!」
必死でバタ足をし、苦しくなったら顔を出して息を吸い、跡部のところまで何とか辿り着
こうとする。もうそろそろ限界だと思ったその瞬間、跡部の手に触れた。
「ぷはっ!」
「泳げたじゃねぇか。よくやったぜ、亮!」
「お、泳げたっ!!俺、泳げたぜ!!」
一生泳げないと思っていた宍戸だが、跡部の指導のおかげであっという間にある程度泳げ
るようになった。その喜びは半端ではない。思わず跡部に抱きつき、尻尾でパシャパシャ
と水を叩いた。
「だいぶ長い間泳いだからな。疲れただろ?」
「ううん、全然平気だぜ!!なあ、景吾、もっと遊ぼうぜ!」
泳げるようになったことが嬉しくて、宍戸はバシャバシャと水で遊ぶ。そんな宍戸に付き
合い、跡部も海水を宍戸にかけたりしながら、海遊びを楽しんだ。しばらく遊んでいると、
潮が満ち、深さがだいぶ変わってくる。
「亮、潮が満ちてきた。もう少し浅瀬に移動するぞ。」
「へっ?」
「テメェはまだ泳げるようになったばっかだ。あんまり深いところで泳ぐのは危ねぇ。」
ずっと同じところで遊んでいるのにどうして移動しなければならないのだろうと、宍戸は
不思議に思う。しかし、ふと視線を下に落とすと、腰くらいまでだったはずの海水は、胸
のところまで増えていた。
「うわっ、何でこんなに深くなってんだ!?」
「だから、潮が満ちてきてるんだ。移動するぞ。」
「お、おう!」
これは大変だと、宍戸は跡部の言葉に素直に従う。もっと浜辺に近いところに移動しよう
と思った瞬間、大きな波が後ろから迫っていることに跡部は気づいた。
「亮、目つぶって、息を止めろ!!」
「えっ・・・」
あまりに大きな声で跡部が叫ぶので、宍戸はとっさに目を閉じ、息を止める。次の瞬間、
体が跡部の腕に包まれるのと同時に、大量の海水が頭の上をかすめていった。
ザバーンッ!!
(うわっ!!)
突然の出来事で何が起こったか分からない宍戸はとにかく跡部に縋る。波が引くと、跡部
は宍戸の体を抱き締める腕の力を緩め、気遣うように声をかけた。
「大丈夫か?亮。」
「ビ、ビックリしたぁ。」
「平気みてぇだな。やっぱり、ここにいるのは危ねぇ。さっさと上がるぞ。」
「おう。」
宍戸の手を引き、ザバザバと跡部は浜辺へ向かって歩く。とっさのことで、何が起こった
かまだ理解出来ていないが、さっきの跡部がとてもカッコイイと感じたのは確かだった。
ドキドキと胸を高鳴らせながら、宍戸は跡部の手をぎゅっと握り返す。
「少し一休みしようぜ。」
「そうだな。」
若干疲れた様子の跡部は、パラソルの下に入り、ゆっくりと腰を下ろす。プルプルと真っ
黒な猫耳を震わせ、水をはじきながら、宍戸もその隣に腰を下ろした。
「疲れたか?景吾。」
「まあ・・・少しな。」
「泳ぎ方教えてくれて、ありがとな。本当感謝してるぜ。」
「礼を言われるほどのことじゃねーよ。」
「いや、マジで嬉しかったんだぜ!!俺、絶対一生泳げねぇって思ってたからよ。」
「水嫌いは少しは克服出来たか?」
「おう!バッチリだぜ!!」
「そうか。それならよかった。」
ふっと微笑む跡部に、宍戸はドキンとしてしまう。そんな跡部に何かしてあげたいと、宍
戸は頭をフル回転させた。そして、とあることを思いつく。
「なあ、景吾・・・」
「どうした?」
「景吾、疲れてるんだよな?」
「まあな。でも、大したことねぇよ。」
「えっとな・・・」
正座をするように座り直し、宍戸はたどたどしく言葉を紡ぐ。
「何だよ?言いたいことがあるならハッキリ言え。」
「膝・・枕・・・してやるよ。」
「ほぅ。」
思ってもみない宍戸の言葉に跡部は顔を緩ませる。言葉だけ聞くとあまり嬉しそうな感じ
がしなかったので、宍戸は不安そうな表情で尋ねた。
「・・・嫌か?」
「いや、是非してもらおうか。テメェの膝枕で寝れるんだったら、疲れなんてすぐにぶっ
飛んじまうぜ。」
「そっか。それならよかった。」
ホッとしたような表情になり、宍戸はふっと笑う。
「よし、じゃあ、ここに寝ていいぜ!景吾。」
「サンキュー、それじゃあ、少し休ませてもらうぜ。」
むき出しの太腿を叩くと、宍戸は笑顔で跡部にそう言う。いい感じに休めそうだと、跡部
はそこに頭を乗せ、ゴロンと横になった。心地よい柔らかさと温もりで、跡部はすぐにま
ぶたが重くなる。
「・・・亮。」
「ん?何だ?景吾。」
「・・・お前は、もうちょっと・・・俺に甘えろ・・・じゃねぇと、・・・俺が、つまん
ねぇ・・・だろう・・が・・・」
「へっ?」
「・・・俺が起きたら・・・甘えさせてやる・・・」
頭が半分寝ている状態で、跡部はボソボソとそんなことを呟く。いきなりそんなことを言
われ、宍戸は何だか恥ずかしくなってしまう。しかし、恥ずかしいながらも、跡部のその
言葉は宍戸にとっては、嬉しくてたまらなかった。跡部はそのまま眠ってしまったが、宍
戸はへらっと顔を緩ませて、跡部の寝顔を眺める。
「俺としては、結構甘えてるつもりなんだけどなあ。」
「んん・・・」
「へへ、景吾が起きたら思いっきり甘えてやろーっと。」
ふにふにと跡部の頬を突っつきながら、宍戸はそんなことを言う。本当に熟睡してしまっ
ているようで、そんなことをしても跡部は全く起きようとしない。しかし、しばらくする
とパタパタと手を動かし始めた。
「どうしたんだろ?」
不思議に思って、すっとその手を取ってやると、跡部はぎゅっと宍戸の手を握る。そして、
穏やかな微笑みを浮かべながら、ボソッと一言寝言を言う。
「りょ・・う・・・」
「俺を探してたのか。俺の膝枕で寝てんのに。何か可愛いかも。」
意外な跡部の一面を見たという感じで、宍戸はくすくす笑う。あまりにもそんな跡部が可
愛かったので、ちょっとばかり悪戯をしたくなる。
「マジで熟睡しちまってるから、気づかねぇよな?」
ドキドキとしながら、宍戸は顔を下げ、跡部の額にそっとキスをする。少し塩味のあるそ
のキスは、宍戸の心臓を非常に高鳴らせた。
「たまには、こういうのも悪くねぇかも。」
跡部の寝顔を見ながら、宍戸は頬を軽く染め、口元を緩ませる。早く起きて欲しい気持ち
ともう少し寝ていて欲しい気持ちが胸の中で入り混じる。そんな矛盾した気持ちを抱きな
がら、宍戸はこの状況を楽しむのだった。
太陽がオレンジ色に染まり始めた頃、やっと跡部は目を覚ました。思った以上に長い間眠
ってしまったと、跡部は頭を振って目を覚ます。
「おはよ、景吾。」
「・・・今、何時だ?」
「うーん、分かんねぇ。でも、もう夕方だぜ。」
「マジか。ふあー、悪ぃな、長い時間放っておいちまって。」
「別に気にしてないぜ。ずーっと、景吾の寝顔を見てたしな。」
普段は自分の方が早く寝て、跡部の方が早く起きるので、寝顔を見る機会などそうそうな
い。それが今日は存分に跡部の寝顔を見ることが出来たのだ。宍戸にとっては、楽しいこ
とこの上なかった。
「足とか痺れてねぇか?」
「おう。全然余裕だぜ!!」
「そうか。それならよかった。」
長時間の膝枕は相当大変であっただろうと、跡部は宍戸のことを気遣う。そんな跡部の気
遣いに、宍戸はいつもの笑顔で大丈夫だと答えた。
「なあ、景吾。」
「何だ?」
「もっとくっついていいか?」
先程の跡部の言葉を思い出し、宍戸は無性に跡部に甘えたくなった。唐突な宍戸のお願い
に少し驚く跡部だったが、こんなに可愛らしいおねだりを断るわけがない。軽くニヤつき
ながら、足を伸ばし腕を差し伸べる。
「いいぜ。ほら。」
快く跡部が頷いてくれたので、嬉しそうな様子で宍戸は本物の猫のように四つん這いで跡
部に近づき、足を跨いで、ぎゅうっと跡部に抱きついた。思った以上に宍戸が自ら密着し
てくるので、跡部はドキドキしてしまう。
「暑くねぇか?景吾。」
「あ、ああ。平気だぜ。」
「そっか。へへー、やっぱこうやってると落ち着く。」
妙に甘えてくる宍戸に、跡部は胸が躍るのを抑えられない。跡部自身、眠りにつく前に自
分が放った言葉を覚えていないのだ。
「景吾ぉ。」
「アーン?どうした?」
「頭、撫でて?」
かなり近距離で、瞳を見つめられながらそんなことを言われ、跡部は撃沈。これは反則だ
と、顔を赤くして、思わず視線をそらしてしまう。
「テメェはどうしてそう・・・」
「ダメか?」
たて続けに甘えたいオーラで攻撃され、跡部はもうノックアウト寸前。意識しなくとも、
右手が勝手に宍戸の頭に触れていた。髪を梳くように撫でてやれば、宍戸はへらっと嬉し
そうな笑顔になる。
「そ、そんなに俺に頭を撫でられて嬉しいのかよ?」
「おう!激嬉しいぜ♪」
(ヤベェ、マジで可愛すぎだ・・・)
あまりの可愛さに跡部は耐えられなくなる。顎をくいっと上げ、キスをしようとする。す
ると、宍戸は自ら目をつぶり、今か今かと唇に跡部の口が触れるのを待つ。そんなふうに
されれば、跡部のやる気も高まる。少々塩味なのが気になるが、心ゆくまで跡部は宍戸の
唇を味わった。
「ふはぁ・・・」
「今日のテメェは、可愛すぎる。マジで犯罪すれすれだぜ?」
「そうか?いつもと変わんねぇと思うけどな。」
「無意識かよ。ったく、本当まいるぜ。そろそろ日も沈んできたし、戻るか?」
「そうだな。景吾、続きしてぇんだろ?今日はいろいろ楽しかったから、俺的には大歓迎
だぜ。」
誘いともとれる言葉を聞いて、跡部の脳内はもうそういうことでいっぱいになる。浜辺の
すぐ近くにある別荘に帰れば、もうしたい放題だ。
「じゃあ、行くか。」
「おう!!」
パラソルなどの片付けは執事やメイドに任せ、跡部と宍戸は手を繋いで別荘へ向かって歩
き始める。夕焼けが足元を照らす中、これからのことに胸を弾ませ、二人は顔を綻ばせる
のであった。
END.