授業のない晴れた午後、孫兵は大きな木の下でアリの観察をしていた。何も言わず行列を
成すアリをただただ眺める。そんな孫兵の側を火薬委員の上級生二人が通りかかる。
「あれ?あれって、生物委員の・・・」
「ああ、伊賀崎孫兵だな。あんなところで何してんだ?」
地面に伏してじっと何かを見つめている孫兵に二人は近づいて声をかける。
「孫兵、何やってるんだ?」
「あっ、久々知先輩にタカ丸さん。こんにちは。」
「何か面白いものでもあるの?」
タカ丸が興味津津に孫兵の見ている先に目をやると、黒い小さな何かが長い列を成してい
た。
「アリの行列だ。」
「これを見てたのか?」
「はい。」
「本当に虫が好きなんだね。」
アリの行列を眺めている孫兵にタカ丸は笑顔でそんなことを言う。さすが生物委員だなあ
と思っていると、久々知はふと委員会対抗の山賊退治の時に竹谷に言われたことを思い出
す。
「そういえばさぁ、委員会対抗の低学年限定山賊退治があっただろ?」
「はい。ありましたね。」
「あの時、八左ヱ門にすごい怒られたんだよな。」
「どうしてですか?」
「生物委員会がなくなれば毒虫なんて飼育しなくてすむからいいんじゃないって言ったら
さー。」
それを聞いて孫兵は苦笑する。確かに好きで毒虫を飼育するのなんて自分くらいだ。久々
知の言うことも一理あるなあと、孫兵自身は否定はしなかった。
「でもさ、あの時竹谷くん生物委員会が活動出来なくなったら、竹谷くんと伊賀崎くんと
で虫さん達の世話しなきゃいけなくなるって言ってたよね。生物委員会の生き物ってほと
んど伊賀崎くんのペットなんでしょ?」
「そうだな。孫兵のペットなのに、何で八左ヱ門も世話しなきゃいけないのかなあとは俺
も不思議に思ってた。八左ヱ門はいったん生き物を飼ったら最後まで面倒をみるのが人と
して当然だろうっって言ってたけどさ。」
タカ丸と久々知にそう言われ、孫兵は少し考えた後、困ったような顔で答える。
「んー、今までそうだったから・・・としか言いようがないですかね。」
「今まで?」
「今までって、いつから今まで?」
「ぼくが竹谷先輩に会ってからです。」
立て続けに質問を重ねる久々知とタカ丸に、孫兵は自分と竹谷が初めて会い、仲良くなる
までの話をし始めた。
孫兵がまだ一年生だった頃、飼っていた毒虫が死んでしまったため、校舎の裏にお墓を作
ってしくしくと泣いていた。大事にしていたペットであったが、ちょっとした温度変化に
耐えられず、何匹か死んでしまったのだ。
「ふっ・・・ひっく・・・」
ボロボロと涙を流し、嗚咽を漏らしている孫兵のすぐ側を当時三年生であった竹谷が通り
かかる。一人校舎の裏で泣いている後輩を見かけ、竹谷は声をかけずにはいられなかった。
「おい、どうしたんだ?」
「ふぇ・・・?」
「そんなに泣いて、どこか痛いのか?」
初めて会う先輩に声をかけられ、少し戸惑う孫兵であったが、竹谷の質問に首を横に振り、
自分が泣いている理由を答えた。
「飼っていた虫が死んでしまったんです。」
振り返った孫兵の首には、まだそれほど大きくないジュンコが巻きついていた。飼ってい
た虫という言葉と首に巻いているヘビを見て、竹谷は今目の前にいる一年生が、最近上級
生の間で噂になっている毒のある生物をたくさん飼っている一年生であることに気づいた。
毒のある危険な生物ばかり飼っていて、しかもしょっちゅう脱走させている。飼っている
本人自体も無愛想で怖いとの話であったが、実際会ってみると、そんなことはない。幼い
ながらも整った顔立ちに、無愛想という言葉とは程遠い悲しみに頬を濡らす泣き顔。そん
な孫兵を見て、竹谷は何だかきゅんとしてしまう。
「そっか、ペットが死んじゃったのか。それは悲しいなぁ。」
いまだに涙を流している孫兵の頭を優しく撫で、竹谷はそんなことを口にする。飼ってい
るペットが毒虫や毒のある爬虫類ばかりなので、たとえ死んでしまったということを話し
ても、そんなことを言ってくれる人は今まで誰一人としていなかった。竹谷の言葉に孫兵
は素直に頷き、嗚咽を漏らす。
「ひっく・・・すごく・・・・悲しいです。」
「このお墓はお前が作ってやったのか?」
「・・・はい。」
「優しいんだな。」
「すごく・・・すごく・・・大事な子達だったから・・・・」
相当悲しいようで、孫兵の涙はいつまでも流れ続ける。本当に生き物が大好きで、大事に
していたんだなあということが伝わり、竹谷の胸はじんわり熱くなる。
「お前みたいな優しい奴に世話してもらってたこいつらは、すごく幸せだったと思うぞ。」
「えっ・・・?」
「お前は一生懸命こいつらの世話をしてたんだろ?死んでしまった後もしっかりお墓を作
ってもらって、悲しいとこんなに泣いてもらえてるんだ。お前が大事にしてたって気持ち
はちゃんとこいつらに伝わってると思うぞ。」
「本当・・・ですか?」
「ああ。」
そんな竹谷の言葉を聞いて、孫兵の涙は止まる。孫兵が泣きやんだのを見て、竹谷は自己
紹介を始めた。
「やっと、泣きやんでくれたな。俺は三年ろ組、竹谷八左ヱ門だ。」
「竹谷・・・先輩。」
「お前は?」
「ぼくは、一年い組、伊賀崎孫兵です・・・」
「孫兵か。で、その首に巻いてるそいつは何ていうんだ?」
「ジュンコです。」
まさかジュンコの名前を聞かれるとは思っていなかったので、孫兵は少し驚きながらも、
竹谷の質問に答える。孫兵とジュンコの名前を聞いて、竹谷は笑顔で手を差し出した。
「よろしくな、孫兵、ジュンコ。」
そんなことを言われたのは初めてなので、孫兵はドギマギしながら、差し出された竹谷の
手を握る。自分の手よりも二回りほど大きな手に自分の手を包まれ、孫兵の胸はひどく高
鳴っていた。
「そこの虫やジュンコの他にも何か飼ってるのか?」
「はい。」
「そしたら、今度お前の飼ってるペットに会わせてくれよ。」
思ってもみない竹谷の言葉に孫兵は驚き、目を丸くした。
「えっ、でも、ぼくの飼ってるペットは毒とかげとか毒蛙とか毒のある生き物ばっかりで、
みんな嫌がりますよ。」
「知ってる。上級生の間じゃ有名だからな。けど、そいつらはみんなお前の大事にしてる
ペットなんだろ?」
「もちろんです!!」
「じゃあ、会わせてくれよ。お前の大事にしてるペット、俺も見てみたいし。」
「はい!!」
毒のある生き物という話を聞いても、会ってみたいと言う竹谷に、孫兵は初めて笑顔を見
せる。泣いたり、驚いたり、笑ったりとコロコロと表情の変わる孫兵を見て、竹谷は無愛
想なんてのは全くの嘘で、こんなに可愛い後輩にあったのは初めてだと言わんばかりに胸
をときめかせる。孫兵も初めてこんなにも親しげに話しかけてくれた先輩に、今まで大事
なペット以外には感じたことのなかった好意を持ち始めていた。
一度孫兵のペットに会うと、竹谷はちょくちょく孫兵のところにやってくるようになる。
孫兵が好意を持っていることを感じとってか、毒のある危険なペット達も竹谷にはよく懐
いていた。
「竹谷先輩っ、ジュンコがどこか行っちゃって見つからないんです・・・」
「そっか。じゃあ、探しに行くぞ!!」
孫兵のペットが脱走したり、行方不明になってしまったら、竹谷は見つかるまで一緒に探
す。たくさんのペットの世話もいつも間にか竹谷も一緒に行うようになっていた。
「竹谷先輩、毒蜘蛛の赤ちゃんが生まれたんですよ!!ほら、こんなにたくさん!!」
「おー、よかったな。あはは、すっごい元気な赤ちゃんだな。」
自分のペットの子どもが生まれれば、孫兵は真っ先に竹谷に知らせ、可愛らしい満面の笑
みを見せた。その笑顔を見るのが楽しみで、大変なペットの世話も、竹谷にとっては何の
苦もないことになっていた。
「・・・・という感じで、竹谷先輩はぼくが一年生の頃から、ぼくのペットの世話を一緒
にしてくれているんです。」
『へぇ、そうなんだ。』
明らかに慣れ染めにしか聞こえない話に、久々知とタカ丸はニヨニヨしながらそう返す。
「今の話聞いてて思ったんだけど、伊賀崎くんは本当に竹谷くんのことが好きなんだね〜。」
いつものほわわんとした口調でそんなことを言うタカ丸に、孫兵は真っ赤になって、慌て
た様子を見せる。
「へっ!?な、何でそうなるんですか!?」
「だって、竹谷くんの話してるときの伊賀崎くん、ペットの話してるときみたいにすごく
イキイキしてて、楽しそうなんだもん。」
「そ、そりゃ・・・竹谷先輩のことは・・・その、好きですけど・・・・」
恥ずかしそうに口ごもりながらも、孫兵は竹谷が好きだということを口にする。それを聞
いて久々知はニヤニヤと笑いながら、目線を木の上に向けた。
「だってよ、八左ヱ門。」
「あれ〜?竹谷くん。いつからそんなところにいたの?」
「え、ええっ!?」
久々知の言葉を聞いて、孫兵はバッと上を見上げる。そこには昼寝をするが如く、竹谷が
枝の上で寝そべっていた。竹谷がいることに気づいた孫兵は、恥ずかしさのあまり口をパ
クパクさせながら、真っ赤になっていた。
「よっと。」
孫兵が観察していたアリの行列を踏まないように気をつけながら、竹谷はひょいっと木か
ら飛び降りる。竹谷を目の前にし、孫兵はどうしても聞いておきたいことを質問する。
「いつからそこにいたんですか?」
「お前がアリの観察始める前からいたぞ。アリの観察をしてる孫兵を観察してた。」
冗談じみた口調でそう言う竹谷の言葉に、孫兵はもういても立ってもいられなくなる。こ
の場にいるのは恥ずかしすぎると、孫兵はだっと竹谷の前から逃げ去った。あまりに勢い
よく走り出したので、そのはずみにジュンコが孫兵の肩から落ちる。
「逃げられちゃった。」
「伊賀崎くんは照れ屋さんだね〜。」
「追いかけなくていいのか?あと、ジュンコがどっか行こうとしてるぞ。」
「おっと、それはまずいな。よし、ジュンコ。孫兵を追いかけるか。」
ジュンコを抱き上げると、竹谷はそんなことを言う。竹谷の言葉を理解しているのか、ジ
ュンコは竹谷の首に巻きつき、頷くような仕草を見せた。
「じゃ、ちょっと孫兵探しに行ってくるわ。」
『いってらっしゃい。』
じゃっと、片手を上げて、竹谷は駆け出す。そんな竹谷を久々知とタカ丸はくすくす笑い
ながら見送った。
「おーい、孫兵、どこだー!!」
大きな声で孫兵の名前を呼びながら、竹谷は孫兵を探す。竹谷はまだ見つけられていない
が、竹谷からそれほど離れてはいないところに孫兵は身を隠していた。
(思わず逃げちゃったけど、別に逃げる必要なかったかも。ジュンコも落としてきちゃっ
たたし・・・。でも、あんなの聞かれちゃったら、恥ずかしくて顔合わせられない!)
そんなことを考えながら、竹谷の様子をうかがっていると、ふと立ち止まる。
「どこ行っちゃったんだろうな?な、ジュンコ。」
「シャー。」
「あ、そうだ。」
ジュンコを見ていて竹谷は何かを思いつく。それは、もし孫兵が近くにいて自分達の様子
をうかがっているとしたら、絶対に出て来ざるを得ないだろうということだった。
(あれ?竹谷先輩何やって・・・・っ!?)
孫兵が自分達の様子を見ていることを期待しながら、竹谷はジュンコとキスをしようとす
る。あくまでもフリなのだが、そんな場面を見せられ、孫兵は思わず竹谷の前に飛び出し
た。
「浮気ダメー!!」
そう叫びながら目の前に現れる孫兵に、竹谷は笑いながら尋ねた。
「今のは俺とジュンコ、どっちに言ってるんだ?」
そんな竹谷の質問に、孫兵は困ったような顔で考える。
「あぅ・・・えっと・・・・どっちも。」
しばらく考えて出した結論がそれだった。それを聞いて、竹谷は思わず吹き出してしまう。
「あはは、どっちもか。」
「だ、だって・・・・」
「今のはお前を見つけるための作戦だ。」
「なっ・・・!!」
騙されたということが分かって、孫兵はぷーっと頬っぺたを膨らませ、拗ねたような表情
を見せる。そんな孫兵が可愛くて仕方ないと、竹谷はぐりぐりと孫兵の頭を撫でた。
「安心しろ。俺もジュンコも孫兵のことが一番好きだから。」
笑いながらそう言う竹谷の言葉に、孫兵の顔はボムっと火がついたように赤くなる。ジュ
ンコや他のペット達が自分を好いてくれているのは分かっているが、好きだということを
ハッキリと言葉にして言ってくれるのは、当然のことながら竹谷だけである。
「また、そんなに真っ赤になって、本当可愛いなあ孫兵は。」
「た、竹谷先輩が・・・恥ずかしくなるようなこと、たくさん言ってくるから・・・」
「だって、孫兵のこと大好きだからな!」
「それがっ、・・・だから、もう・・・・」
恥ずかしいが、竹谷に好きと言われるのは孫兵にとってはかなり嬉しいことであった。も
ういいやと、続けようと思った言葉を孫兵は飲み込む。そして、竹谷の首に巻きついてい
るジュンコを自分の首に移し、くるっと竹谷に背を向けた。
「そろそろジュンコ達のご飯の時間です。飼育小屋に行きましょう。」
「ああ、もうそんな時間か。」
「・・・・それに、今日は委員会はないんで、二人きりになれますからね。」
「えっ?」
「何でもないです。ね、ジュンコ。」
ジュンコにはハッキリと聞こえていた言葉も、竹谷にはぼんやりとしか聞こえていなかっ
た。誰に見られてるか分からない外よりは、二人きりになれる飼育小屋の方が孫兵にとっ
ては都合がよかった。飼育小屋でなら、もっと素直に竹谷に気持ちが伝えられるはずだと
思いながら、孫兵は少し早足で竹谷の前を歩いた。
「見てるこっちが恥ずかしくなるくらいのイチャつきっぷりだな。」
「だね〜。もうどっちも好き好きオーラが溢れてるって感じだし。」
「まあ、いい暇つぶしにはなったな。」
「暇つぶしって。何かあの二人見てたら、ぼくも兵助くんとイチャイチャしたくなっちゃ
ったなあ。」
冗談じみた口調でそんなこと言うタカ丸に、久々知は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、
言葉を返す。
「なら、二人きりになれる火薬庫にでも行くか?」
「えっ!?」
「なーんてな。」
クスクスと笑いながら、久々知はそんな言葉を続ける。冗談だと分かってもタカ丸の心臓
はドキドキと少し速くなっていた。
「もうそんなこと言われたら、期待しちゃうじゃん!!」
「期待しても何もないぞ?」
「ひどいなー、兵助くん。」
全てを冗談っぽくしながら会話をしている二人であったが、その足はしっかりと火薬庫の
方に向かっていた。何がかんだでどちらも竹谷と孫兵に感化され、イチャイチャしたいと
いう気持ちにさせられているのであった。
END.