君島×遠野
君島Side
バレンタインの日、君島のもとへ遠野から用があると連絡が来る。その日は仕事だったの
で、君島は待ち合わせ場所を仕事先の近くにしてもらった。
「すみません。仕事先の近くまで来てもらってしまって。」
「まあ、暇だったしな。つーか、その格好なんなんだよ。仕事なのにいつものジャージじ
ゃねーか。」
「格好?ああ、今日はテニス雑誌のインタビューだったんです。」
なるほどと納得し、遠野は自分の用事を済まそうとする。
「そうかよ。とりあえず、渡すもんは渡しといてやるぜ。しっかり受け取りな!」
「チョコレート・・・さっそくですか。どうもありがとうございます。」
「チョコも渡したし、もういいよな。じゃあな。」
チョコレートは渡したいと思っていたものの、君島が忙しいのは百も承知だった。用事が
済んだので帰ろうとすると君島が引き止める。
「・・・えっ。そう慌てて帰らなくても、時間なら大丈夫ですよ。」
「俺は構わねーけど、お前は誰かに見られたら困るんじゃねーのか?」
「誰かに見られたら?なるほど・・・」
「そうだろ?」
個人的なつき合いはあるが、君島は芸能人だ。バレンタインの日に誰かと一緒にいるとい
う状況を見られたらまずいのではないかと、遠野は気を遣う。
「でしたら、こういうのはいかがでしょう。今からアナタは私のマネージャーです。」
「はぁ?冗談だろ?」
「ええ、もちろん冗談ですよ。ただそういうことにしておくだけで。」
「設定がってことか。何だか面倒くせぇな。」
もし、見られて何かを言われたらマネージャーということにしておこうと、君島は遠野に
交渉する。
「というわけで、このあともつき合ってもらってよろしいかな?」
「そんなに俺といたいのか?仕方ねーなあ、つき合ってやるよ。」
「フフ・・・良かった。では交渉成立です。」
君島としては、遠野とまだ一緒にいたいと思っていたので、遠野のその言葉を聞いて嬉し
くなる。
「スキャンダルにならないといいけどなぁ!」
「スキャンダル?そんな心配は――」
「いらないって?」
「少しは必要かもしれませんね。さて、どこへ行きますか?」
一応、マネージャーということにするつもりではあるが、全くその心配がないかと言われ
れば、少しは注意した方がいいかもしれないと君島は考える。そんな君島の考えを察して
か、遠野はなるべく人目につかない場所を提案する。
「そうだな・・・今日はカラオケで存分に歌いたい気分だぜ。」
「おや、私に歌わせると高くつきますよ?」
「いいぜ。新しい処刑の実験台になってもらうってことで手を打ってやるよ。」
「フッ、冗談です。カラオケなら人目の心配はなさそうだ。」
カラオケであれば、少しは落ち着いて二人で過ごせると君島はそんなことを呟いた。
二時間ほど二人で歌い、どちらも満足して部屋を出る。時間が終わりに近づくと、遠野は
子供向けアニメの歌を歌ってみろと君島にリクエストしていた。
「何でもリクエストしていいとは言いましたが、最後の子供向けアニメの主題歌には驚き
ました。」
「悪くなかったぜ。何だかんだでやっぱ歌上手いからな、お前。」
「アナタの盛り上げ方が上手いせいか、ノリノリで歌ってしまいましたが・・・」
「そうだろ、そうだろ。カラオケなんて盛り上げてなんぼだからなぁ。」
楽しいことは存分に楽しみたい遠野は、カラオケで他の誰かが歌っているのを盛り上げる
ことも得意であった。アイドル活動をしている君島は、盛り上げられれば乗ってしまうの
で、遠野がリクエストした曲もノリノリで歌っていた。
「思い返すと、ちょっと照れますね。2人だけの秘密ということでお願いします。」
「フン、言われなくても俺だけで楽しんでやるよ。しっかり動画も撮ったしな。」
秘密にしてもらえるのは有難いが、思ってもみない遠野の言葉に君島はおやっとなる。
「動画なんて、いつの間に撮っていたんです?」
「せっかくだし、お前が歌ってるとこはだいたい撮ってるぜ。テーブルに置いてだけどな。」
「全く気づきませんでした。盛り上げることに徹しているのかと。」
自分が歌っているときは、盛り上げ役に徹しているように見えたので、動画が撮られてい
ることに、君島は全く気付いていなかった。
「心配しなくても、他の奴らに見せたりSNSに上げたりはしねーから安心しろ。」
「それは助かりますが・・・」
「何だよ?何か不満でもあんのか?」
「いや、遠野くんは私の芸能活動にあまり興味がないのかと思っていたので、そんなこと
しているのが意外と言うか・・・」
芸能活動をしているときは、胡散臭い笑顔などと言ってあまり好きじゃないといったよう
な雰囲気を醸し出している遠野が、歌を歌っているところを動画に撮っているなど、君島
は信じられなかった。しかし、遠野は何を言っているんだと言わんばかりに反論する。
「はあ?今は別に芸能活動の時間じゃねーだろ。」
「確かに今は仕事の時間ではありませんね。」
「だろ?一緒に遊んでて、しかもそれがカラオケとかならあとで見直したくなるじゃねー
か。」
確かに今は完全にプライベートの時間であるし、遠野の前ではファンサービスのようなこ
とはしていない。遠野の言うことも一理あると君島は納得してしまう。
「そうですか。念のため、撮った動画見せてもらってもいいですか?」
「別にいいけど、気に入らないからって消したりすんなよ。」
「分かってますよ。」
一応、遠野が撮ったという動画は確認しておきたいと、君島はそんなことを言う。気に入
らなくても消さないという条件で、遠野は君島にスマホを渡した。
「ほら、満足か?」
「・・・遠野くんの声がうるさいですが、テーブルの上に置いて撮ったわりにはとてもよ
く撮れていますね。」
「俺の声がうるさいは余計だろ。」
遠野の声も当然のことながら入っているものの、動画としてはとてもよく撮れていた。
「一つ交渉したいことがあるのですが。」
「はあ?さっきも言ったが、消すってのはなしだからな!」
「消して欲しいわけじゃないですよ。あとでで構わないので、私にもその動画送ってくれ
ませんか?」
「それはどういう意図だ?」
まさか君島が動画を送って欲しいと言うとは思っていなかったので、遠野はそう聞き返す。
「別に大した意図はありませんよ。今日遠野くんと一緒にいたという記録が、私も欲しい
と思っただけです。」
「へぇ、そういう理由なら構わないぜ。あとで全部送ってやるよ。」
「ありがとうございます。」
思ったよりも単純な理由だったので、遠野は君島に動画を送ることにする。そして、これ
は交渉だと言っていたので、遠野は見返りは何だと尋ねる。
「で、交渉なら俺にも利益がないと成立しないよなあ?」
「そうですねぇ・・・もう少し、私と一緒の時間を差し上げるというのはどうでしょう?」
「フン、しょうがねーなあ。それで手を打ってやるよ。」
「では、次はどこへ行きましょうか?」
一芸能人の時間をもらうというのは、なかなか贅沢な見返りだ。もう少し二人で遊ぼうと、
君島は遠野にどこへ行きたいか尋ねた。
「で、俺はいつまでマネージャーやってりゃいいんだ?」
空が赤く染まってきていることに気づき、遠野はそう尋ねる。
「マネージャー・・・。ああ、そういえばそんな設定でしたね。」
「何だよ、忘れてたのか?」
「ということは、今日の私はアナタにとってただのタレントということになるのかな?」
「さぁ、どうだろうな?」
ただのタレントなのか、それとももっと特別な関係なのか、そう問いかけるが遠野はあえ
て答えなかった。特に答えを求めていたわけでもないので、君島もそれ以上追及すること
はしない。
「フフ・・・答えは聞かずにおきましょう。今日は会えて良かった。」
「俺も結構楽しめたぜ。ちゃんと俺のあげたチョコ食えよな。」
「チョコレートをありがとう。ハッピーバレンタイン。」
「ああ、ハッピーバレンタイン。帰ったら帰ったでまたいろいろ楽しもうぜ。」
部屋は別々であるが、合宿所に帰ってもまだバレンタインデーを楽しむことはできる。ひ
とまず外で遊ぶのはお開きにしようと、二人は合宿所に帰ることにした。
ホワイトデー
「こんにちは。呼び出してしまって、すみません。」
「別に謝られることじゃねーけどな。」
バレンタインから一ヶ月後、今度は君島の方から遠野を呼び出した。
「先月ここで会った時は息が白かったのに、もうすっかり暖かくなりましたね・・・」
「まあ、もう春だからな。お前の誕生日も過ぎたし。」
「フフ・・・、柄にもなく感慨にふけってしまいました。」
ほんの一週間前の誕生日のことを持ち出す遠野に君島は何となく嬉しくなる。君島がなか
なか本題に入らないので、遠野は急かすような言葉を口にする。
「で、用は何だ?用があるから呼び出したんだろ?」
「先月は素敵なチョコレートをありがとう。これ、お返しです。」
「お、ちゃんと忘れず用意してきたんだな。ありがたくもらっといてやるよ。」
今日がホワイトデーということは、遠野ももちろん分かっていたので、君島からお返しが
もらえ、遠野はご機嫌な様子でそれを受け取る。
「タイミングのいい時に、またお出かけの交渉させてください。」
「いいぜ。今度はどこに行くか考えといてやるよ。」
また一緒に出かける約束がしたいといったニュアンスの言葉を聞いて、遠野は嬉しそうに
頷く。今度はどこに行こうかと、遠野は行きたい場所を今から考えることにした。
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遠野Side
遠野が街を歩いていると、君島を見つける。偶然にしてはできすぎていると遠野は声をか
ける。
「お前、こんなところで何してんだよ。」
「ああ、遠野くんを待ってたんですよ。」
「はあ?俺を待ってた?」
「ええ、ちょっと用事がありまして。」
待ち伏せされているような状態に遠野は怪しんで警戒する。
「待ち伏せとは何を企んでやがる。用件次第では――」
「今日の用件なんてこれしかないでしょう。今日はバレンタインですよ。」
「なんだ、この包み。バレンタインのチョコレート?」
今日はバレンタインデーだ。遠野にチョコレートを渡したいと思い、大雑把な遠野の予定
を聞いた上で、君島はこの場所で待っていたのだ。
「私からバレンタインチョコをもらえるのなんて、遠野くんくらいですよ。」
「これを渡すために待ってたのかよ。そういう事は早く言いやがれ。」
君島からチョコをもらい、遠野は少し嬉しそうな反応を見せる。
「言ってしまったら、サプライズにならないじゃないですか。」
「・・・チョコレートは受け取る。あとでじっくり味わってやるぜ。」
「どうぞ存分に堪能してください。」
遠野がチョコレートを受け取ってくれたことにホッとしつつ、ふっと笑いながらそう返す。
「つまらねー用件だったらそのまま置いて帰ろうかとも思ったが・・・」
「別に置いて帰られても困りはしませんがね。」
「気が変わった。少しぶらつくからお前もつき合え。」
「なるほど。それで、目的は何です?」
「目的?」
「ええ。私をつき合わせるなんて、何か目的があるんじゃないですか?」
「そんなもんはねーよ。なんせ急に気が変わったんだからなぁ。」
「いつもの気まぐれですか。」
何か目的があるかと思ったが、特にそんなものはなく、単なる思いつきの行動だと理解し、
少しはつき合ってもよいかと君島は考える。
「特別にお前に行き先を選ばせてやる。さあ、どこに行くんだ?」
「この近くの喫茶店に美味しいものがあるんです。そこに行くのはどうです?」
「美味しいもの、ねぇ・・・」
「きっと遠野くんは気に入ると思いますよ。」
「自信があるって顔だな。何が出てくるか楽しみだぜ。」
行き先は選ばせてくれるというので、君島は前から一度遠野と一緒に行きたいと思ってい
た喫茶店を提案する。美味しいものがあるなら、行ってやってもいいといったニュアンス
で、遠野は君島について行くことにした。
「なかなか落ち着いた店を知ってんじゃねーか。」
君島に連れられて来た喫茶店は、大人の雰囲気漂うシックな喫茶店で、遠野としては好き
な雰囲気の喫茶店であった。
「いい雰囲気でしょう。それにここのアップルパイが絶品なんです。是非一度遠野くんに
食べてもらいたくて。」
「・・・ここのアップルパイが絶品?そういう事なら頼んでみるか。」
「きっと遠野くんも気に入ると思いますよ。」
アップルパイが絶品と聞いて、そこまで顔には出してはいないが、遠野の心の中はわくわ
くとした気分でいっぱいになっていた。
「お前が自分で上げたハードルだ。俺の舌を満足させる事ができるといいけどなぁ。」
「それじゃあ、注文しましょうか。」
遠野がだいぶ楽しみにしているので、君島は店員を呼んで注文をする。
「お、来た来た。ん?お前もアップルパイ頼んだのか?」
注文したアップルパイが運ばれてきたが、二つ運ばれてきたので遠野は君島にそう尋ねる。
「ええ。ここのアップルパイは私もお気に入りなので。」
「へぇ、そこまで言うなら、早速食べるとするぜ。」
「どうぞ。私は紅茶を飲みながらゆっくりいただきます。」
いただきますと手を合わせると、遠野はアップルパイを一口口へと運ぶ。もぐもぐと数回
咀嚼すると、分かりやすいほどにぱあっと顔が明るくなる。
「っ!!」
「どうです?美味しいでしょう?」
「美味いじゃねーか!最高だぜ、君島ぁ!」
「テンションが上がるのは分かりますが、もう少しお静かに。」
テンションが高くなると声が大きくなる遠野を注意しながらも、自分の薦めたアップルパ
イを気に入ってもらえたことを嬉しく思う。
「本当に美味いな。こんなに美味いとすぐに食べきっちまいそうだぜ。」
「喜んでもらえたようで良かったです。」
「いい店知ってるじゃねぇか。」
「前々から遠野くんと来たいと思っていたんですよ。」
きっと遠野は気に入ってくれるだろうと予想していたので、連れて来たいとは思っていた。
今日一緒に来れて良かったと思っていると、遠野が似たようなことを口にする。
「今日はいいバレンタインだな。」
「フフ、そうですね。」
遠野が嬉しそうにアップルパイを食べている姿を、君島は紅茶を飲みながら眺める。最後
の一口を食べきると、遠野は少し物足りないといった表情を見せる。
「はあ、食べきっちまったぜ。」
「おや、まだ満足してないような顔ですね。」
「美味かったからよ、もう少し食べたい気はするが、もう一つ頼むほどかというと難しく
てな。」
「一口二口は食べてしまいましたが、私が頼んだアップルパイ食べますか?」
「いいのか!?」
君島がアップルパイをくれるということを聞いて、遠野は食べたいという気持ちを込めて
そう聞き返す。
「ええ。そこまで喜んで食べていただけるのなら、あげてもいいですよ。」
「何か裏があるんじゃねーだろうなぁ?」
「遠野くんはすぐそういうこと言いますね。裏なんてないですよ。」
「それなら・・・」
うずうずしながら、君島のアップルパイに手を伸ばす。あからさまに嬉しそうな顔になっ
ている遠野を見て、君島はふっと微笑む。
「でもまあ、強いて言うなら、遠野くんが喜んでいる顔をもう少し見ていたいというとこ
ろですかね。」
「フン、ならありがたくもらっといてやるぜ。」
「どうぞ。」
「とりあえず、礼は言っとくぜ。ありがとよ。」
君島からアップルパイを受け取ると、遠野は一口一口しっかりと味わいながら、アップル
パイを食べ進めた。
「急だったわりには、悪くねぇ時間を過ごせたぜ。」
「私も良い時間だったと思います。」
美味しいアップルパイをお腹いっぱい食べることができ、遠野は満足気にそう口にする。
良い表情の遠野が存分に見れたと君島も満足していた。
「もう日が落ちるからここで解散だな。」
「そうですね。」
「・・・いや、待て。1つ言い忘れていた事があった。」
「言い忘れていた事?何ですか?」
すっと息を吸うと、遠野はキッパリハッキリとバレンタインならではの言葉を放つ。
「ハッピーバレンタイン!来月はお返しの血祭りを楽しみにしとけよ。」
「血祭りは遠慮しておきたいですが、来月のホワイトデー、楽しみしておきます。」
こういうところは遠野らしいと苦笑しながら、君島は来月のホワイトデーを楽しみに待つ
ことにした。
ホワイトデー
「ハッピーホワイトデー!」
ホワイトデーの日、君島を呼び出した遠野は待ち合わせ場所に君島を見つけると、そう挨
拶する。
「開口一番それですが。分かりやすくていいですけど。」
「ちゃんと呼び出しに応じたな。」
「今日は時間がありましたし、何の用事かはだいたい想像がつきますしね。」
バレンタインの日にあれだけ楽しみにしておけと言い放っていたのだから、ホワイトデー
に何かがあると君島は予想していた。
「とりあえず、先月のお返しを用意したから受け取れ。」
「ありがとうございます。予想していたものの、やはりもらえると嬉しいものですね。」
遠野から贈り物をもらえるのは素直に嬉しいと君島は嬉しそうにそう漏らす。
「・・・そうあからさまに喜ぶんじゃねーよ。処刑したくなってくるじゃねーか。」
「処刑はいりません。」
君島にキッパリとそう返され、とりあえず処刑をすることは諦めることにする。
「まあ、それは今度にしてやる。また急に気分が変わるかもしれねーがな。」
「気が変わらないうちに、またどこかにお出かけしますか?ホワイトデーも楽しみましょ
う。」
時間があるのならば、またどこかに出かけたいと君島はそんなことを言う。それも悪くは
ないと、遠野は君島の誘いに乗った。