宍戸と暮らし始めて、跡部は最近になって気づいたことがある。二週間に一度くらい、宍
戸の様子がいつもとはあからさまに違う日があるのだ。本物の猫のような仕草を見せると
いうか、少なくとも普段の宍戸なら起こさない行動や態度を示す。それが跡部は不思議で
たまらなかった。しかし、ついこの間その理由が分かった。宍戸の様子がおかしくなる日。
それは、必ず満月の夜か新月の夜なのだ。
「亮。見ろよ、綺麗な満月だぜ。」
「ホントだ。すっげぇ、真ん丸だな。」
ちなみに今日はその問題の満月の夜だ。金色に輝く満月を見て、宍戸の瞳はキラキラして
いる。
「お前さ、満月の夜になると雰囲気変わるよな。」
「そうか?そんなことねぇと思うけど。」
宍戸自身は気づいていないらしい。しばらく月の光を浴びた後、宍戸は跡部のベッドの上
へと戻る。跡部の横にゴロンと転がると、跡部の着ている服の袖をきゅっと掴む。
「どうした?」
「別に。」
無意識でしてしまう行動なので、何かと聞かれても何も答えられない。しかし、こんな時
宍戸は何をして欲しいかということを跡部はしっかりと理解していた。掴まれた方の手で
優しく頭を撫でてやる。そうすると、宍戸は実に気持ちよさそうな表情で、跡部に体をす
りよせてきた。
「もっと撫でて欲しいのか?」
「おう・・・」
跡部の質問に宍戸は何のためらいもなしに答えた。頭を撫でてやると、首をもたげるので
首の方も撫でてやる。ゴロゴロとはならないものの、その仕草はまるで本物の猫。そんな
宍戸の仕草に跡部はもうメロメロだった。
「気持ちいいか?」
「ああ。」
「お前、本物の猫みてぇだな。」
「俺、猫だぜ?」
「でも、完璧な猫じゃねぇだろ。こうしてると確かに変わんねぇけど。」
「うーん、何か月が丸いとなすっげぇ気分よくなんだよ。猫の血が騒ぐっつーのか?そう
いう感じ。」
「お前のじいさんは逆だったのにな。」
宍戸の話によれば、宍戸の祖父にあたるのは満月と新月の夜には人間になれるという猫だ。
おそらくそれとは逆の現象が宍戸の中で起こっているのだろう。しかし、宍戸にはそれほ
ど強い魔力もなく、猫の血も4分の1という中途半端な割合である。そのため、姿・形は
変わらず、行動と態度のみ猫化してしまっているようだ。
「尻尾、立ってるな。」
「あー、おう。」
「甘えてぇんじゃねぇの?」
「・・・・・・」
猫の尻尾が立っているというのは、甘えたいというサインなのだ。特に意識はしていなか
ったが、指摘されるとそういう気分になってしまう。照れからなのか、宍戸はしばらくの
間、うつむいて黙っていた。
「あ・・のさ、跡部。」
「何だよ?」
「甘えていい・・・?」
こういうふうに聞いてしまうあたりは、まだ人間の心が残っていると言えるだろう。そん
な宍戸のオネダリに跡部はすっかり気分をよくして顔を緩ませていた。
「いいぜ。お前がここまで甘えてくるのは月が丸い夜くらいだからな。」
跡部の言葉を聞いて宍戸は体を起こした。そして、跡部の伸ばされた足を跨ぐような形で
座る。
「もっとくっついてもいいんだぜ?」
まだ少し照れが残っているのか、宍戸はおずおずと跡部の体に自分の体をくっつける。そ
んな宍戸の体を跡部はぎゅっと抱きしめてやった。跡部の腕に包まれて、宍戸はすっかり
リラックスした様子で肩に顔を埋めた。
「景吾・・・」
「あーん?」
「景吾、風呂入った時石鹸使ったよな?」
「当たり前だろ。」
「猫に近くなると・・・石鹸の匂いダメっぽい・・・」
宍戸の言うこのダメっぽいというのは、嫌いだとか不快だというダメとは違う。むしろ、
その逆なのだ。まるでアルコールに酔ったような表情で宍戸は跡部の顔を見る。どうやら
猫にとって石鹸の匂いはマタタビのような効果があるらしい。
「離れた方がいいか?」
「嫌だ。このままが・・・いい。」
どこか恍惚とした表情の宍戸に、跡部はドキリとさせられてしまった。しかも、もっとそ
の匂いを嗅ぎたいと、パジャマの襟元に顔を埋めてくる。そんなことをされ、跡部の心臓
は爆発寸前だ。
「亮・・・?」
石鹸の匂いにすっかり酔ってしまった宍戸は、うっとりと跡部の顔を眺める。そして、思
いもよらぬことを口走った。
「景吾・・・俺、変な気分になってきちまった。」
「だ、だから、何だよ?」
「キスしてくれよ。」
「はぁ!?」
「今、してもらったらなぁ、すっげぇ気持ちイイと思うんだ。なあ景吾ぉ、キスしろよ。」
ありえないほど色っぽさ全開の笑顔を浮かべて、甘えるような口調で宍戸はねだる。こん
なふうにねだられてしまっては、跡部も我慢が出来なくなる。求められるまま、自らの唇
を与え、息もつかせぬほど激しい接吻を繰り返ししてやった。
「ぅ・・ん・・・・っ・・・」
いつもより何倍も激しいキスに初めは少し戸惑うような素振りを見せていた宍戸だったが、
すぐに自ら舌を絡めてきた。お互いの味を確かめ合うかのように口の中を探る。溢れてく
る蜜を自分のものと同じように飲み込む。それは不思議なくらい心地よく、全てが満たさ
れるような錯覚を起こさせた。
「ん・・・にゃ・・ぁ・・・・」
時折、唇の隙間から漏れる声は限りなく猫に近くなっている。そんな声も跡部にとっては
気分を高める一つの要素になっていた。
「ハァ・・・満足か?亮。」
「ん・・・・ヤダ、もっとぉ・・・」
「マジかよ?」
驚きの声を上げながらも跡部の顔を実に嬉しそうだ。それならば、満足するまでしてやる
と跡部は再び唇を重ねる。
「にゃ・・ぁん・・・」
気持ちいいのか宍戸の声はだんだんと艶めいたものになってゆく。そんなことに夢中にな
っているうちに時間はあっという間にすぎ、初めてから30分以上が経っていた。
「もう・・・ダメ・・・」
「結構長い時間してたよな。」
さすがにどちらも満足したようで、息を切らしながらベッドの上へと倒れ込んだ。
「でも、激気持ちよかった。景吾って、キス上手いよな。」
「当然だろ?俺様を誰だと思ってんだ?」
「俺の飼い主?」
「まあ、確かにそうだが・・・それは別に関係ねぇだろ。」
呆れながらも跡部は笑う。横になったまま、宍戸は再び跡部に体をよせてくる。
「また、石鹸にやられるぜ。」
「んー、もう大丈夫っぽい。景吾の匂いの方が強いし。」
「あんだけ甘えたのに、まだ甘え足りねぇのか?」
からかうように跡部がそう言うと、宍戸はぷぅっと怒ったような顔を浮かべた。しかし、
そこで怒るのではなく、開き直ったように顔をぐりぐりと跡部の胸に押しつける。
「いいんだよ。俺は猫だから。甘えたい時はずっと甘えさせてろ。」
「何だよそれ?」
くすくす笑いながら、跡部は自分の体に押しつけられている宍戸の頭を撫でる。何だかん
だ言いながら、跡部は宍戸が甘えることを拒まない。それは宍戸にとって、この上なく嬉
しく安心出来ることだった。
「なあ、景吾。」
「どうした?」
「・・・・別に何でもねぇ。」
「何だよ?何か言いたいことがあるんじゃねぇのか?」
「べ、別にねぇよっ。」
今、何となく跡部に伝えたいことがあるのだが、それが照れくさくて口に出せない。どう
しようかと悩んでいるうちに宍戸はふといつもとは違う言葉を口にした。
「景吾・・・」
「言う気になったのか?」
「ニャア、ニャン。」
「・・・・・・」
突然の猫語に跡部は言葉を失った。宍戸自身も何故ここで猫の言葉が出たのか分からなか
った。これじゃあ、何も伝わらないと自分の口から出た言葉を恥ずかしく思う。しばらく
唖然としていた跡部だったが、ふっと口元を緩ませ、頭にある猫の耳の近くで優しく囁く。
「俺も、亮のことすっげぇ好きだぜ。」
「っ!?」
跡部の言葉に宍戸の心臓は止まるってしまうのではないかというほど高鳴った。猫の言葉
になってしまったにも関わらず、跡部は自分の伝えたいと思っていたことを理解していた。
(俺、景吾のことすっげぇ好きだぜ!)
宍戸はこう跡部に伝えたかったのだ。驚きと感動で宍戸の鼓動は速くなり、顔はだんだん
と紅潮してゆく。
「景吾、猫の言葉・・・理解出来るのか?」
「いいや。そんな特殊能力はねぇよ。ただな、猫の言葉だろうが人間の言葉だろうがお前
の言いたいことは何となく分かる。言葉の前に伝わってくんだよ。」
「マジで?」
「ああ、こういうのをきっと以心伝心って言うんだろうな。」
「すげぇ・・・」
感動のあまり宍戸は跡部の顔に見惚れてしまう。こんなにドキドキすることは今までにな
かった。跡部と出会ってからは毎日がドキドキの連続だ。しかし、こんな毎日が楽しくて
仕方ない。この何とも言えない気持ちを伝えようと宍戸はぎゅうっと跡部に抱きついた。
「おいおい、そこまですると子猫だぜ?」
「いいんだよ!俺がこうしたいんだから。」
「わがままなにゃんこだな。」
「ウルセー。」
文句の言い合いに聞こえるこんなやりとりも、顔はずっと笑顔だ。どちらも今の状況を楽
しんでいる。しばらくすると、急に宍戸が大人しくなってしまった。跡部に抱きついたま
ま眠ってしまったのだ。
「亮?」
「Zzzz・・・」
「そのまま寝る奴があるかよ。」
あまりにも自由奔放な宍戸に苦笑しながら、跡部はしっかりと布団をかけてやる。
「まだまだ甘えん坊な子猫だな。本当、可愛いにゃんこだぜ。」
微笑みながら額にキスをし、優しく髪に触れる。それでも宍戸は寝息を立てたまま、何の
反応も示さない。
「早く新月にならねぇかな・・・」
窓から差し込む満月の光を見ながら、跡部はぼそっと呟いた。二週間に一度だけ現れるひ
どく甘えん坊な宍戸。跡部はかなり気に入っている。そんな宍戸を抱きながら、跡部は瞳
を閉じ、夢の中へと落ちてゆくのだった。
END.