静かに雨が降り注ぐ夜。跡部と宍戸は一つのベッドに横になり、それぞれ夢の中で時を過
ごしている。
「なあなあ、あとべ。オレのたんじょうび、明日なんだぜ!」
「ああ、そうかよ。」
「9月29日。ちゃんとおぼえとけよな!!」
「おぼえておいて何かオレにりえきがあるのか?」
自分の誕生日をしきりに俺に教えるこいつ。髪が長くて女みたいな容姿をしてやがる。他
の奴らは俺には近寄りがたいと言って、尊敬はするもののこんな風に軽軽しく話しかけた
りはしない。お前の誕生日なんて教えられたところで、俺には少しも関係がない。
「あとべー。」
「何だよ?」
「今年のクリスマスひま?」
「とくに用事はねぇけど。」
「じゃあ、いっしょにパーティーしようぜ!」
「はあ?何でオレがおまえとクリスマスをいっしょにすごさなきゃなんねぇんだ。」
とにかくこいつは事あるごとに俺と何かをしたがる。クリスマスなんて、家で大人しくし
ているだけで充分だろ。わざわざどこかに出かけて、騒ぐなんて真っ平だ。もちろん今の
俺にクリスマスを誰かと共に祝う気なんてさらさらねぇ。
「あとべっ♪」
「今度は何だ?」
「今日はバレンタイン・デーだろ?だから、はいVv」
「・・・・日本のバレンタインは、女が男にチョコをおくる日じゃねぇのか?」
「いいんだよ。」
「何で?」
「バレンタインにチョコあげたら、もらったやつはホワイト・デーに3倍にして返さなき
ゃいけないんだぜ!」
楽しそうにお前は話すが俺はもう呆れて言葉も出ない。お返しを期待してバレンタインの
チョコを贈る奴がどこにいる。まあ、今俺の目の前にいるがな。ふざけたことほざくのも
いい加減にしろ。・・・・そもそもお前は誰なんだ?何故、俺につきまとう?
「なあ、あとべ。」
「・・・・・」
こんな風にポンポンと名前を呼んでくる奴はお前だけだ。これ以上馴れ馴れしい態度で、
俺の名前を気やすく呼ぶんじゃねぇ。
「というか、お前はいつからここにいたんだ?」
「いつからどこに?」
「お前はいつからこんな風に俺のそばでチョロチョロしてんだ?」
「うーん、分かんねぇ。」
「はあ!?お前、本当わけのわからないやつだな。」
「そんなこと言われても・・・・」
強く言った所為かお前の顔は少し曇り悲しそうな表情になる。・・・俺はこの顔を見たこ
とがあるような気がする。何故だ?どこでこの顔を見た?なかなか思い出せねぇ・・・。
俺は必死で思い出そうとその曖昧な焦点を絞った。
「・・・・っ!!」
やっと俺は気がついた。この顔はレギュラー落ちを宣告した時の宍戸の表情と同じだ。容
姿がかなり幼くなっているが、さっきまで俺が話していたのは確かに宍戸だ。そう思った
瞬間、幼い子どもの姿をしていたはずの宍戸は今の容姿に姿を変えた。
「跡部にとって俺はいらない存在なんだな・・・」
またあの悲しげで切なげな顔。違うっ!!俺はそう叫びたかった。レギュラー復帰をしよ
うと必死で努力をしている宍戸を見てきた。初めは確かにレギュラー落ちして当然だと思
っていたが、今はそうじゃねぇ。もうあんな顔はさせたくないと思っている。テニス部の
レギュラーとかそうじゃないなんてことは関係ねぇ。今は宍戸は俺自身にとって、個人と
して必要な存在なんだ!
「じゃあ、俺はここからいなくなる。お前の前にはもう現れねぇ。」
どうしてこんな大事なことを忘れてたんだ。さっき俺はあいつに相当ひどいことを言った。
それに気がついて引きとめようと腕を伸ばした。届かない・・・摑めない・・・・ただ指
先だけが宙を泳ぐ。俺は必死で追いかけようとした。だが、足が重い。追いつけない。ど
んどんあいつの姿が薄れてゆく。俺は、離れていくあいつを見送ることしか出来ないのか?
そんなのは嫌だ!!
「宍戸っ!!」
「ハァ・・ハァ・・・」
夢の中で思わず叫んだと同時にその勢いで跡部は目を覚ました。頬には乾いた涙の跡があ
る。隣では宍戸が眠ったときと同じ状態でいまだに夢の中にいた。さっきのは夢だったと
跡部は一通り周りを見渡した後、もう一度宍戸に目を落とす。そして、静かに一人で笑っ
た。
「夢か・・・」
そう呟いた後、また布団に入る。昨日の夜は行為を終えた後、どちらもそのまま眠ってし
まったので、服は何も着ていなかった。跡部はさっき見た夢で起こった不安を消し去ろう
と素肌が露わになっている宍戸の身体を優しく抱きしめる。宍戸は確かに自分の腕の中に
いる。気持ちも離れてはいない。触れ合う肌から感じる鼓動や温もり、そして、宍戸の匂
いが跡部の気持ちを落ち着かせ、再び跡部を眠りにつかせることになった。今度はあんな
夢は見ないであろう。跡部に包まれても宍戸はなおも夢を見続けている。宍戸が見ている
夢、それはどんなものなのであろうか?
ここはどこだ?砂漠・・・?それにしては、砂がない。日差しが照りつけて地面が焼けて
るみてぇだ。どこ見てもこんな景色だし、見えるのは・・・地平線だけか。一体ここには
何が存在しているんだ?
「あちぃ・・・」
太陽の高さがあんなに低いってことは、夜明けくらいってことか。なのにこの暑さ。一体
何なんだ。
リーンゴーン、リーンゴーン
「鐘の音?」
遠くの方から鐘の音が聞こえる。その音を聞いた瞬間、目の前にあるものが現れた。自分
のラケットとテニスシューズ、そして、氷帝学園のテニス部ユニフォーム・・・。俺はそ
れを取りに行こうとその場から動こうとした。体が動かない。
「何で・・・何で動けねぇんだ?」
ふと気づくと、足にも手首にも太い鎖がつけられている。どこに繋がれているというわけ
でもない鎖。その瞬間、あの感覚が俺の中に蘇った。跡部にレギュラー落ちを言い放たれ
たあの心臓が締め付けられるような・・・泣きたくなるような、苦しい感じ。
「い・・・やだ。」
まるで微熱でもあるかのように頭がぼーっとしてくる。空が歪む。息も出来なくなりそう
だ。何とか意識だけは保とうと俺は浅い息を吐き続けた。目の前にある幻が灼熱の太陽に
焦がされ、だんだんと燃えていく。俺はそれを守るだけの力を求めた。
「こんなの認めねぇ!!俺はもっと強くなる!!だから、消えるな!!俺はそれがないと
俺じゃねぇ!!嫌だ、嫌だ・・・」
どんなに言葉を吐き出してところで、鎖を壊すだけの力は得られない。太陽の光はさらに
強くなり、ちりちりと音を立てて目の前にある自分の大切なものは燃え始めた。必死でそ
れを掴み取ろうと鎖を無視して動こうとする。だが、やっぱり動けねぇ。そんな時、また
あの鐘の音が聞こえた・・・。
「俺はこんなところで諦めねぇ。絶対に、絶対に諦めねぇ!!」
どんなに動けないとしても、目の前でそれが失われようとしていようとも俺は力を求め続
けた。自分と幻との境界線。俺はそこに迷い込んだ。だんだんと大きくなる炎はしばらく
すると今度は小さくなってゆく。たとえこの炎が尽きたって、俺は諦めない。諦めたら全
てがそこで終わる。
「こんな鎖、絶対壊してやる!!俺はテニスを続けるんだ!!どんなに傷ついてもいい!
だから、俺にもっと力を・・・鎖を壊すだけの力を与えてくれ!!」
そんな叫びはかなわなかった。目の前の幻は跡形もなく消えてしまった。たとえようのな
い絶望感と不安感が俺を襲う。頭が真っ白になり涙が頬を伝う。そんな状態になっても俺
はまだ心の中で祈っていた。跡部とテニスを続けたい。何も考えられなくなっている頭で
唯一考えられることだった。そんな時、またあの鐘の音が鳴り響いた。
「宍戸っ!!」
後ろから大きな声で名前を呼ばれる。俺は思わず振り返る。そこには何故だか必死な表情
をした跡部の姿。腕にはさっき全て消え去ったはずのラケットやシューズ、ユニフォーム
が抱えられていた。
「あと・・・べ・・・?」
俺はどうして跡部がここにいるのか理解出来なかった。いまだに流れる涙を抑えられず、
跡部の顔を見上げる。鎖の所為でその場に座っていることしか出来ない俺を跡部はぎゅっ
と抱きしめた。
「俺にはお前が必要だ。」
跡部がそう言った瞬間、あれだけ祈っても壊すことの出来なかった鎖が簡単に崩れ落ちた。
自由になった腕にラケットやシューズを抱えさせると、跡部は再び俺のことを強く抱きし
める。さっきまであれほど強い光しか放っていなかった太陽が、まるで春の日差しのよう
に暖かく柔らかなものになった。
「跡部・・・・」
「お前はずっと俺の側から離れるな。」
「おう。」
さっきまで強い日差しにさらされ、全て焼き尽くされそうになっていた俺の体を優しい雨
が冷やすかのような心地よさを感じる。そんな静かな雨のような透明な愛が確かに俺の中
に降り注いだ。跡部が与えてくれたこの心地よさは俺の全てを包み込む・・・。
宍戸が目を覚ました時にはもうすっかり夜が明けていた。いつの間にか自分の身体は跡部
の腕に包まれている。その感覚が夢の最後の場面の心地よさだけを思い出させた。しばら
くその心地よさに浸っていると跡部も目を覚ます。
「おはよ、跡部。」
「ああ。おはよ。」
一晩中降り続いていた雨は既にやみ、窓からは朝の眩しい光が差し込んでいる。跡部はベ
ッドに座ったまますぐ隣にある窓のカーテンを開けた。
「うわ、眩し・・・」
あまりの眩しさに宍戸は思わず目をつぶる。それを見計らって跡部は宍戸に不意打ちのキ
スをした。
「っ!!」
「さて、今日も一日が始まるぜ。」
「それと、このキスは何か関係があるのか?」
ないとは分かっていても宍戸は思わず聞いてしまう。案の定跡部は笑いながら首を振った。
「あるわけねぇだろ。ただ俺がしたかっただけだ。」
「何だよそれ。お前がしたいと思ったんなら何でもしていいのか?」
「まあ、ほとんどのことはな。この太陽だって俺のためだけに輝いてるんだぜ。」
「んなわけねーだろ、アホ。」
いつものように跡部がわけの分からないことを言うので、宍戸はすかさずつっこんだ。し
かし、今日は何だかそんな跡部のセリフにも呆れる気になれない。ハッキリとは覚えてい
ないにしろ夢であったことがまだ頭の中に残っているのだ。
「跡部。」
「何だよ?宍戸。」
宍戸は何も言わずに跡部の首に腕を回し抱きついた。跡部は意味が分からないというよう
な表情だが、嫌ではないようだ。背中に腕を回してやり、抱きしめ返してやった。
「どうした?朝っぱらからこんなに甘えて。」
「別に甘えてなんかねぇよ。ちょっと夢が微妙だったから、こうしたいだけだ。」
「夢ねぇ・・・。あっ、そういえば俺も夢で何か大事なことを思い出したような気がする
んだが・・・」
「大事なことって?」
「忘れちまった。まあ、今の状況には必要ないことだったと思う。」
「ふーん、そっか。俺は何かものすっごいお前に礼を言いたくなるような夢だったような
気がする。」
「へぇ。じゃあ、俺様に感謝するんだな。」
「そう言われると言う気なくす。」
「何だよそれ?」
お互いの夢の話をするがどちらともハッキリは覚えていないようだ。しかし、その時感じ
た気持ちだけはかすかに残っている。それが今のこの雰囲気を作り出しているのであろう。
いずれにしても、夢の中で跡部が気づいた宍戸が必要だという事実は、宍戸の夢の中で既
に伝えられている。二人が見た二つの夢。それはあからさまにではないにしろ、この二人
によい影響を与えるのであった。
END.