2月3日。今日は節分だ。岳人や忍足はテニス部部室に遊びに来ている。鳳は部活を終え
て着替えている途中だ。
「なあ、鳳。今日何の日か知ってるか?」
「知ってますよ。節分でしょう?」
「そうそう。だからさ、豆まきしようと思って豆いっぱい持って来たんだ。」
岳人は鞄の中から豆の袋をいくつか出した。おもしろそうだと鳳はなかなか乗り気だ。そ
の時、滝がドアを開け、部室に入って来た。
「長太郎、部活終わった?一緒に帰ろう。」
「あっ、滝先輩。これから豆まきやろうと思うんですけど一緒にどうですか?」
「豆まきかあ。楽しそうじゃん。やるやる。」
滝も加わり、豆まきをする準備を4人は始めた。
「問題は誰が鬼をやるかやな。」
「そうだね。誰かやりたい人いる?」
「嫌ですよ。鬼って豆当てられる役じゃないっスか。」
「俺も嫌だぜ。」
「俺も嫌だし・・・。どうしようか?」
「じゃあ、次に部室に入ってくる人に強制的にやらせるってのどうだよ?」
「可哀想ですけど、俺、それに賛成です。」
「ええんやないかそれで。」
というわけで鬼役は次に部室に入って来た人ということに決定した。4人はワクワクしな
がら誰か入ってこないかなあと豆を構えて待つ。
カチャッ
部室のドアが開いた。入ってきたのは・・・・
『跡部!!』
そう跡部だ。4人は一瞬豆をぶつけていいものかどうか迷ったがさっき決めたことは全員
一致だったので、思い切って当てることにした。
「お前ら樺地知らねぇか?」
「樺地ならまだコートに。」
「そうか。サンキュー。」
「ちょっと、待った跡部!」
部室を出ていこうとする跡部を岳人は呼び止めた。
「何だよ?」
面倒くさそうに跡部は振り向く。その瞬間、いくつもの豆が跡部にふりかかった。
「鬼は外!福は内!」
「なっ・・・痛ってぇ!何すんだ!?」
岳人も忍足も鳳も滝も容赦なく跡部に豆を投げつけた。跡部は何で自分に豆が当てられて
いるのか理解できず、怒りをそのまま顔に出す。
「俺達、豆まきしたいなあと思ってたんだけど、鬼役がいないから次に部室に入ってきた
奴にそれをやらせようを思ってたんだ。そしたらお前がちょうどよく入ってきたから、跡
部が鬼って言うことに決まったのー。」
「何だよそれ!?俺、そんなの認めねぇぞ。」
「認めなくたってやるもんねー。行くぞみんな。」
『おう!』
「うわっ・・・」
豆を当てられイライラモードになっていく跡部だが、さすがに4対1ではかなわない。テ
ニスだったら勝てたかもしれないが、今はそうはいかないのだ。4人で投げていたのであ
っという間に豆はなくなってしまった。
「あーあ、もう豆なくなっちゃったあ。」
残念そうに岳人は言う。それを聞いて跡部は心底ほっとしていた。今度こそ部室を出るぞ
とドアノブに手をかけ後ろを向くとさっきよりも大きな衝撃を背中に感じる。
「だっ・・・!」
「豆がなくなっちゃたから、ボールでいいや。」
「さすがにそれは痛いんとちゃう?」
「いいよ別に。跡部だし。この際だから今までの恨み全部晴らしちゃおうぜ。」
「そうだなー。何気に跡部にはいろいろバカにされたり、意地悪されたもんな。」
豆がなくなってもまだ当てる気満々。テニスボールを持ち、跡部に投げつける。さっきは
テニスだったら勝てると言ったがラケットを持っていなければ全く持って意味がない。投
げつけられるまま、跡部はボールをよけられないでいた。
(こいつらマジむかつく!!何で俺がこんな目にあわなきゃいけねぇんだよ。こんなの普
通にイジメじゃねぇか。あー、もうどうすりゃいいんだ!?)
顔には当たらないようにと跡部は必死で腕でかばっていた。その時、投げている側でさら
に恐ろしいことをしようとしている。
「さすがにそれはちょっとヤバイんじゃないっスか?」
「一回くらいなら大丈夫だって。はい、ラケット。」
滝が鳳にラケットを渡している。なんとあの殺人サーブを跡部に向けて打とうというのだ。
その瞬間、さすがに跡部は恐怖を感じ、逃げようと後ずさりした。ところが足元にあった
ボールを誤って踏んでしまい。後ろにこける。その結果、壁に後頭部を強打してしまった。
「うっ・・・」
「一球・・・入魂!!」
(うっ・・・痛ってぇ・・・・って、本当にあいつ打ちやがった。このままだと俺マジで
ヤベェぞ。うわっ、もうダメだ・・・。)
後頭部を打ったせいで跡部の意識は朦朧として、とてもボールをよけられる状態ではない。
跡部はもう諦めようと目をぎゅっと閉じる。
バシィッ
鳳の殺人サーブは跡部に当た・・・らなかった。鳳がノーコンだったためではない。跡部
に当たる直前、宍戸が部室に入ってきてそのボールを素手で受け止めたのだ。
「テメェら何やってんだ!!当たったら危ねぇだろアホッ!!」
(宍戸・・・よかった・・・。にしてもあいつら絶対許さねぇ!!みんなまとめて泣かし
てやる!・・・・そうだ!!)
跡部は後頭部を押さえながら、ギリギリ働く頭でどうやって岳人達に仕返しをしてやろう
か考えた。宍戸を見た瞬間、いい案を思いつく。
「おい、大丈夫か跡部?」
「・・・・お前、誰だ?」
「えっ?」
『・・・・・!?』
宍戸に声をかけられ、初めに発した一声がこれ。岳人や忍足、鳳や滝は言葉を失った。も
ちろん宍戸はその跡部の言葉を理解できない。
「な、何言ってんだよ?」
「助けてくれてサンキューな。で、お前誰だっけ?」
「おい、何言ってんだよ跡部。どう見ても宍戸じゃねぇか!!」
「宍戸?俺、そんな奴知らねぇぞ。」
宍戸大ショック。岳人達も大慌て。
「どうしよう・・・。跡部、記憶喪失なっちゃったのかな?」
「俺達のこと分かるか聞いてみましょうよ。あと、自分が誰だか分かるかも。」
「そうやな。」
「跡部、俺達が誰だか分かるか?それからお前が誰だかも。」
「分かるに決まったんだろ。お前は滝で、お前は岳人。そっちが忍足で、俺にボールを当
てようとしたテメーは鳳だ。俺はこの学園で最強の跡部景吾だ。」
「・・・・じゃあ、こいつは?」
恐る恐る宍戸を指差し、岳人は尋ねる。跡部は首を傾げて再び同じ言葉を繰り返す。
「だから、そいつ誰だよ?」
「・・・・・。」
宍戸はあまりのショックに部室を飛び出した。本当は監督が跡部を呼んでいることを知ら
せに来たのだがそんなことは頭の中から消えてしまった。目に溢れそうなほど涙を浮かべ
て、跡部からできるだけ離れようと走った。
「跡部、本当に覚えてないのかよ?」
「覚えてるも何も初めから知らないぜあんな奴。」
「あんな奴って、宍戸さんは跡部さんの恋人じゃないっスか!?」
「あーん?何言ってんだ。何で俺の恋人が男なんだよ?」
「跡部・・・」
どうやら宍戸のことだけを忘れているようで、4人はどうしたらいいのか分からなかった。
「どうしましょう・・・・」
「跡部、完璧に宍戸のことだけ忘れてるで。」
「宍戸、大丈夫かな?」
「大丈夫なわけないだろ。一番大事な人に自分のことだけ忘れられちゃうなんて俺には耐
えられないよ。」
滝の目に涙が浮かんだ。それを見て鳳の目にも涙が浮かぶ。
「宍戸さん、跡部さんに忘れられたからって、自殺とかしませんよね?」
どうしようもない不安が鳳の胸をよぎる。その瞬間、たまっていた涙が一気に溢れた。
「ヤダ!!そんなの!跡部!!思い出してくれよぉ・・・」
岳人も泣き出してしまう。3人がボロボロと泣き出してしまい、忍足も堪えられなくなっ
て、思わず涙を流す。
「跡部、ホンマに思い出してぇな。思い出してくれんと宍戸が・・・・」
「俺のせいだ。俺がサーブ打ったから・・・。」
「長太郎のせいだけじゃないよ。俺だって悪い。ねぇ跡部、お願い。思い出して。」
「ゴメン、跡部!!ホントにホントに謝るから・・・」
4人とも泣きながら、跡部につかみかかった。涙で顔はぐしゃぐしゃ。宍戸のことで4人
とも大泣きだ。跡部は少し宍戸に嫉妬しながらも全員泣かすという目的を達成したので、
不敵に笑ってバカにした口調で4人に言い放った。
「ふふ・・・・あははは、お前らバカか?冗談に決まってんだろ。そんなにボロボロ泣き
やがってバッカじゃねぇの?」
『なっ・・・!?』
「さてと、宍戸のとこに行かないとな。」
跡部は泣き顔の4人を尻目にさっさと部室を出ていってしまった。岳人達はくやしい〜と
ドアに向かって落ちていたボールを思いっきり投げた。そのころの宍戸はあまりのショッ
クにメチャクチャ落ち込んでいた。
「ひっく・・・ひっく・・・何で跡部・・・うわっ・・・!!」
泣きながら歩いていると何かに足を引っ掛け、思いっきり転んだ。
「ん〜・・・何ぃ?あれ?宍戸、どうしたの?」
「ジロー・・・うわあああ・・・!!」
宍戸が足を引っ掛けたのは寝ていたジローの足だった。目を覚ましたジローに宍戸は思い
っきり抱きつき、大声で泣いた。
「ちょっ・・・本当にどうしたのさ。」
いきなり泣きつかれて、ジローは困惑する。
「跡部が・・・跡部が・・・」
「跡部がどうしたの?」
宍戸はさっきあった出来事を涙ながらジローに話す。ジローはうんうんと頷きながら、真
剣に宍戸の話を聞いてあげた。
「そっかー。跡部がねぇ。でも、よくあるよね。自分の一番大事な人のことだけ忘れちゃ
う記憶喪失って。」
「俺、どうしたらいい?跡部に忘れられたら生きていけねぇよ。」
「きっと、何かのはずみに思い出すよ。そんなに泣かないで。」
「でも・・・もし、思い出さなかったら・・・・」
宍戸は再び不安にかられ、泣き出す。そんな宍戸をジローは精一杯なぐさめた。その時、
ジローの目にある人の姿が映った。
「あっ、樺地!!」
樺地になんて興味はないと宍戸は未だに泣き続ける。ジローはとてとてと樺地の方へ歩い
て行き少し話をした。あることを樺地から聞き、ジローは宍戸の方へ走っていく。
「宍戸、聞いて、聞いて!!」
「何だよ・・・?」
「今ね、樺地に聞いたんだけど、跡部が宍戸のこと探してるって!」
「えっ・・・うそ・・・」
「ホント、ホント。まだテニスコートのあたりにいるみたいだから行ってみたら?」
宍戸はジローの言葉が信じられなかったが、もし跡部が自分を探しているのが本当なら記
憶喪失はなかったことかもしれない。不安と期待を胸に抱き、テニスコートに向かって宍
戸は走る。そのあとをジローと樺地はゆっくりと追いかけた。
「あ・・・跡部。」
テニスコートに跡部の姿があった。恐る恐る宍戸は声をかける。跡部はゆっくりと宍戸の
方を振り向いた。
「宍戸。よかった。探してたんだぜ。」
「跡部、俺が分かるのか・・・?」
「あー、さっきのな。本当ゴメン。お前をまきこむつもりなかったんだけどな。あいつら
を懲らしめようと思ってしたことなんだ。」
「じゃあ・・・・」
宍戸は顔を上げ、跡部をじっと見た。跡部は宍戸に近づき、ぎゅっと抱きしめ耳元で囁く。
「お前のこと忘れるわけねぇだろーが。こんなに好きなのによ。」
「それはうそじゃねぇよな?」
「お前にうそついてどうすんだよ。本当に決まってんだろ?」
「よかったあ・・・・」
宍戸は再び泣いた。今度はうれし泣きだ。背中に回した手で制服を掴み、顔を肩に押しつ
ける。
「本当にゴメンな、宍戸。お詫びに何かお前の好きなことしてやるよ。」
「じゃあ、今ここでキスしてくれよ。軽いのじゃダメだかんな。」
「了解。」
跡部は深々と宍戸にキスをする。宍戸はさっきまでの不安を全て消し去ろうと必死で舌を
絡ませた。そんな光景を陰から見てるものが二人・・・。
「なんだ。跡部、宍戸のことちゃんと分かってんじゃん。ねぇ樺地。」
「ウス。」
「でも、よかった。宍戸、あんなうれしそうな顔してる。さっきまで大泣きしてたのに。」
宍戸の心配していたことが解決したことを知って、ジローも笑顔になった。部室の4人は
跡部にみごとに騙され不機嫌気味だが、ある意味ホッとしている。跡部が宍戸のことを忘
れていなくてよかったと。何だかんだ言ってみんな宍戸のことが大事なのだ。この一件に
関係がなく見えて、一番被害を被っているのは跡部を呼ぶように宍戸に頼んだ太郎であろ
う。
END.