二月に入ってしばらく経ったある日、跡部は宍戸を連れて、街へ繰り出していた。久しぶ
りの外出に、宍戸は尻尾をぴくぴく動かし、街にある様々なものに興味を持っている。
「亮、久しぶりに連れてきてやって嬉しいのは分かるが、もう少し尻尾を動かさないでい
ろ。」
「だってよー、面白いもんいっぱいあるんだぜ。勝手に動いちまうって。」
「せっかく俺様がカモフラージュしてやってるってのに、それじゃ全く意味ねぇじゃねぇ
か。」
四分の一が猫である宍戸は、頭には真っ黒な猫耳が、お尻には同じ色の尻尾が生えている。
それを隠すために、跡部はもともと猫耳がついているような帽子を被らせ、それとセット
であるかのように尻尾を見せているのだ。しかし、その尻尾が今は本物の猫のように興味
のあるものに反応し、動いてしまっている。これではカモフラージュの帽子も何の役にも
立たない。
「なあ、なあ、景吾。」
「何だよ?」
「何で今日はこんなに街のいろんなとこにハートがいっぱいあるんだ?前来た時はこんな
のなかったぞ。」
いたるところにハートが散りばめられていることを宍戸は不思議に思う。それには、二月
ならではの特別な理由があった。
「ああ、もうすぐバレンタインデーだからな。」
「バレンタインデー?」
バレンタインデーという言葉を聞き、宍戸は首を傾げる。今までそんな言葉は聞いたこと
がなかった。
「知らないのか?」
「おう。初めて聞いたぜ、そんな言葉。何だよ?バレンタインデーって。」
跡部のところに来るまでは、半分は猫の慣習に従って生きてきたので、バレンタインとい
うイベントを宍戸は知らない。興味津々と宍戸は跡部の顔を見た。
「バレンタインデーっつーのは、日本では、女が好きな男にチョコレートをあげる日だ。
まあ、他の国では男女関係なしに、好きな奴にプレゼントをあげる日ってことになってる
けどな。」
「へぇー、そうなんだ。跡部ももらったことあるのか?」
「当然だろ?毎年、トラック数台分のチョコレートがうちに届くぜ。」
「すげぇ!それ全部食うのか?」
「バーカ。食えるわけねぇだろ。俺、甘いものそんなに好きじゃねぇしな。」
面白いイベントだなあと宍戸は、目を輝かせる。『好きな人にチョコレートをあげる日』
宍戸の頭にはそんなふうに、バレンタインはインプットされた。
「じゃあさ、バレンタインには、俺も景吾にチョコレートあげなきゃだな!」
「は?」
宍戸の一言に跡部は唖然とする。
「だって、バレンタインって、好きな奴にチョコレートをあげる日なんだろ?俺、景吾の
こと好きだぜ!」
道のど真ん中で堂々と告白をする宍戸に跡部はたじたじ。確かに自分も宍戸のことは好き
だが、ここまでハッキリと何の照れもなしに言われると、自分の方が恥ずかしくなってし
まう。
「気持ちは嬉しいが、そういうことは外では言うな。」
「何でだ?」
「何でもだ。」
「うーん、よく分かんねぇけど分かった。」
何故そういうことを言ってはいけないかは分からないが、宍戸は跡部の言ったことに頷く。
跡部からしても、外で言われるのは別に嫌なことではないのだが、宍戸にそういうことを
言われるといつもの冷静な自分ではいられなくなる。それが、跡部にとっては困ることな
のだ。
「あっ、でも、景吾って、そんなに甘いもん好きじゃねぇんだよな?」
「まあな。」
「じゃあ、チョコじゃない方がいいよな?どんなのなら食えるんだ?」
宍戸はもう跡部にチョコレートをあげる気満々らしい。道端でこんな話をするのも恥ずか
しいが、跡部はそんな宍戸の言葉が嬉しくて仕方がなかった。
「そうだな・・・ビターなショコラケーキとかなら食えるかもしれねぇ。」
「ビター?ショコラ?」
聞き慣れない言葉を聞き、宍戸は頭にハテナを浮かべる。
「ビターは苦い、まあ、甘さ控えめくらいの意味でとっときゃ問題ねぇよ。ショコラはチ
ョコレートのことだ。」
「なるほどな。確かに景吾が好きそうなケーキだな。」
跡部の説明に納得して、宍戸は頭の中で説明をリピートする。跡部の喜ぶものをあげたい。
宍戸の頭はそんなことでいっぱいになっていった。
それから数日後、跡部が私用で外出している時、宍戸は長い屋敷の廊下を歩き、跡部の家
専属のコックを訪ねた。
「こんにちは。」
「こんにちは、亮様。どうなされたんですか?」
「えっと、バレンタインデーにな、俺、景吾にケーキを作ってやりたいんだ。だから、ケ
ーキの作り方を教えて欲しくて・・・」
跡部以外の者と話すことはそう滅多にないので、宍戸はかなり緊張している。そんな宍戸
の様子を察してか、コックは穏やかな口調で頷いた。
「いいですよ。どんなケーキがよろしいですか?」
「えっと、苦くなくて・・・?じゃなくて、甘くなくて、ビターな、チョコラケーキ?あ
れ、何か違うような気がする・・・何だっけ?」
慣れない言葉のオンパレードで、宍戸はかなり混乱している。そんな宍戸の言葉を聞いて、
くすくす笑いながらも、コックはどんなケーキを作りたいのかしっかりと把握した。
「甘くないビターなショコラケーキですね。」
「そ、そう!それだ!」
「景吾様の好みを考えると、生クリームなどのクリーム系は使わない方がよいですね。ガ
トーショコラなどはいかがです?」
「ガトー・・・ショコラ?」
「今、亮様が言った条件にピッタリのケーキですよ。」
「じゃあ、それにする!」
「分かりました。それじゃあ、作りましょうか」
「おう!」
跡部の喜ぶケーキが作れると宍戸は、実に嬉しそうな顔でケーキ作りに取りかかった。初
めてのことばかりで失敗も多かったが、コックのフォローでそれは何とか切り抜けられた。
手も顔も粉だらけになりながら、一生懸命作業を進める。
「亮様、これはバレンタインのプレゼントなんですよね?」
「おう。バレンタインデーは好きな奴にチョコをあげる日なんだぜ。でも、景吾は甘いも
んがあんまり好きじゃないから、ビターなケーキにするんだ。」
「それなら、型はハート型にしましょうか。その方が気持ちが伝わりやすいですよね。」
「ハートのケーキなんて作れるのか?」
「ええ。この型にさっき作った種を流し込むんですよ。」
そう言いながら、コックは食器棚からハート型の型を出した。見たこともない道具を見て、
宍戸の尻尾はふよふよと動く。
「これに入れるとハートになるのか?」
「このままの形でケーキが出来るんです。やってみますか?」
「おう!」
コックの指示に従いながら、宍戸はハートの型にケーキの種を流し込む。とろっとした種
はハートの形に広がっていった。
「こんなちょっとでいいのか?」
「大丈夫ですよ。ケーキは焼くと膨らむんです。」
「へぇ。すげぇな。」
型の半分より低い高さまでにしか広がっていない種を見ながら、宍戸は感心する。これが
この上まで膨らむとはとても信じられない。
「あとは焼くだけですから、少し休んでてもいいですよ。疲れたでしょう。」
「おう。でも、景吾にうまいケーキ食わせてやりたいからな!これぐらいどうってことな
いぜ!」
そう言いながら、宍戸はキッチンにある椅子に座った。ケーキが焼けるには数十分かかる。
しばらくはオーブンの前に行ったり、戻ってきたりと動き回っていた宍戸だったが、慣れ
ないことをしたために疲れて眠くなってしまう。そのうち、テーブルにつっぷしてぐっす
りと眠り込んでしまった。
宍戸が眠って、しばらくすると外出していた跡部が戻ってくる。部屋に宍戸がいないこと
に気づくとどこに行ったのかと屋敷の中を探し回る。
「亮、どこだ?いるなら返事しろ!」
跡部の声を聞き、コックはそっと廊下に出る。
「お帰りなさいませ、景吾様。」
「亮がいねぇんだ。見てねぇか?」
「亮様なら・・・」
宍戸を探している跡部をコックはキッチンへ入れる。椅子に座ったまま眠り込んでいる宍
戸を見て、跡部はほっとした。
「こんなところにいやがったのか。」
「バレンタインデーにプレゼントするケーキを作っていたんですよ。」
「ケーキ?誰にやるんだよ?」
「景吾様です。景吾様に美味しいケーキを食べさせるんだとはりきって作っていらっしゃ
いました。今は疲れてお休みになってますが、さっきまでは本当に一生懸命に作業をなさ
ってたんですよ。」
穏やかに微笑みながら話すコックの話を聞き、跡部は眠っている宍戸に目をやる。手も顔
も粉で真っ白になっているのを見て、跡部はふっと口元を緩ませた。
「マジで作ってくれるとはな。」
「亮様はきっと景吾様のことを驚かせたいはずです。ですから、私がこのことを教えたこ
とは黙っていてください。」
「ああ。分かってる。それじゃあ、俺は部屋に戻ってるから、亮が起きたら帰ってきたこ
とだけ伝えてくれ。」
「分かりました。」
ほくほくとした気分になりながら、跡部はキッチンを出てゆく。
(やるじゃねーの、亮の奴。美味かろうが不味かろうがちゃんと食べてやらなきゃな。)
今までは、ただもらうだけもらってほとんどバレンタインのチョコレートなど食べたこと
のなかった跡部だが、今年はそうはいかない。宍戸が一生懸命作ったショコラケーキ。ど
んな出来になるかは分からないが、跡部はそれをもらうのが楽しみでしょうがなかった。
跡部が出て行ってから、五分ほど経つとチンっというケーキの出来上がりを知らせる音が
キッチンに響く。その音を聞いて、宍戸はパチッと目を覚ました。
「出来たのか?」
「はい。綺麗に焼きあがってますよ。」
オーブンからケーキを出し、コックをそれをテーブルの上へと置く。出来上がったケーキ
を見て、宍戸はキラキラと目を輝かせた。
「うわあ、すげぇ!本当に膨らんでる!」
「亮様がいい種を作ったからですよ。トッピングはなさいますか?」
「トッピングって何だ?」
「飾りつけのことです。このままでも十分ですが、せっかくのバレンタインのケーキです
し、景吾様へのメッセージなどを書いてみるのもよいんじゃないですか?」
「そうだな。でも、どうやってこれに文字を書くんだ?」
ケーキにペンや鉛筆を使って文字は書けないと宍戸は首を傾げながらコックに尋ねる。コ
ックはケーキ用の材料が入っている引き出しから、白いチューブのようなものを出した。
「これで書くんです」
「何だ、それ?」
「ホワイトチョコレートです。これなら、文字を書いても何の問題もないでしょう?」
「へぇー、そんなので字が書けるのか。」
これもまた不思議だと、宍戸はそのチューブを手に取り、マジマジと眺める。そして、少
しの間何を書くか考え、それが決まると、ハート型のケーキの上に文字を書き始めた。
「あー、これなかなか難しいな。うまく書けねぇ。」
白いチョコレートが紡ぎ出す文字は、宍戸の素直な気持ちであった。幼い子供が書いたよ
うなその文字を見て、コックはふっと微笑む。
「これならきっと気持ちがよく伝わりますよ。」
「何か失敗しちゃったけど、大丈夫かな?」
「大丈夫です。ちゃんと読めますよ。」
濃いチョコレート色のケーキに書かれたメッセージ。それは『けーごだいすき』という文
字であった。チョコレートで書いてあるために、それほど綺麗な文字ではないが、宍戸の
気持ちは溢れんばかりにつまっていた。
「よーし、これで完成だよな!ところで、バレンタインデーっていつなんだ?」
「バレンタインデーは明日です。知らないで作ってらっしゃったんですか?」
「あー、おう。早く作った方がいいかなあと思って。」
「よかったですね、明日がバレンタインデーで。何日も置いておいたら、さすがに腐っち
ゃいますよ。」
「あっ、そっか。でも、明日がバレンタインなら何の問題もねぇよな。」
「はい。それじゃあ、明日まで冷蔵庫に入れておきますね。」
「ああ。」
バレンタインがいつかを知らないで宍戸がケーキを作っていたという事実を知り、コック
はビックリ。よくもまあ、前日というちょうどよいタイミングで作りたいと言ってきたも
のだ。何はともあれ、明日プレゼントするケーキはバッチリ出来た。早く明日にならない
かなあと、宍戸はウキウキしながら、冷蔵庫の扉を閉める。
「あっ、そういえば、先程、景吾様がお帰りになりましたよ。」
「本当か?今どこにいるんだ?」
「たぶん、御自分のお部屋だと思います。」
「そっか。今日はありがとな!おかげでうまく景吾好みのケーキが作れたぜ。」
「どういたしまして。また何かあれば、いつでも相談してください。料理のことでしたら、
何でも相談に乗りますよ。」
「おう!ホントに今日はあんがと。また明日ケーキ取りに来るな!」
「はい。」
コックにお礼を言い、宍戸は元気よくキッチンを出て行った。
跡部の部屋まで行くと宍戸は勢いよくそのドアを開ける。
「景吾、おかえりー!」
「亮か。今までどこ行ってたんだ?」
何も知らないふりをして、跡部はそんなことを尋ねる。そんな質問に宍戸はニコニコしな
がら答えた。
「へへへー、ちょっとな。」
「ちょっとって何だよ?」
「内緒。」
「顔も服も随分汚れてんな。本当何してきたんだよ?」
服や顔が汚れているということを指摘されて、宍戸はあっと焦る。このままだとバレてし
まうと慌てて宍戸は服を払った。
「な、何でもねぇよ!俺、風呂入ってきちゃうな。」
「一人で入れるか?」
「入れんよ!子供扱いすんじゃねぇ!」
そんなことを言いながら、宍戸は跡部の部屋をそそくさと出て行ってしまった。そんな宍
戸を見送った後、跡部は思わず声を立てて笑う。
「ホーント、可愛い奴だな。明日が楽しみだ。」
宍戸の着替えを用意しながら、跡部は明日のバレンタインのことを考える。
宍戸にとっては初めてのバレンタインデー。自分が楽しむのは当然だが、宍戸も存分に楽
しませてやろうと跡部は密かに様々な計画を練っていた。
そして、バレンタインデー当日。今日は朝から快晴で空は水色の絵の具で塗りたくったよ
うに真っ青だった。
(想像通り絶好の天気じゃねぇの。これなら一つ目の計画はうまくいきそうだな。)
真っ青な空を見上げながら、跡部は満足気に口元を上げる。窓を開けたために入ってきた
光で、まだ夢の中だった宍戸は目を覚ました。
「んー、まぶしい〜・・・」
「起きたか、亮。」
「あー、景吾・・・?」
ぼけーっとした表情で、宍戸は跡部の顔を眺める。
「まだ寝ぼけ眼だな。ほら、いい天気だぜ。そろそろ起きろ。」
わしゃわしゃと宍戸の髪を撫で、跡部は宍戸の目をハッキリと覚まさせようとする。跡部
が動いたことで見えた青空に、宍戸は一気に目を覚ました。
「わー、本当だ。超イイ天気じゃん!」
「だろ?せっかくこんなにいい天気なんだしよ、久々にテニスでもするか?」
「するする!よっし、じゃあ、さっさと着替えて、朝飯食って、外行こうぜ!」
「そんなに慌てんなよ。ほら、着替えだ。」
「サンキュー。へへー、久しぶりのテニスだ。激楽しみだしー。」
テニスをすると聞いて、宍戸は大はしゃぎ。跡部から受け取った着替えに早速着替えて、
朝食を食べる用意をする。そんな上機嫌な宍戸を見て、跡部はふっと笑った。
朝食を終え、軽く食休みをすると、二人は屋敷の外へ出て、敷地内にあるテニスコートに
向かった。
「亮。」
「何だよ?景吾。」
「ちょっとだけ目つぶって、手出せ。」
「おう?」
言われた通りに宍戸は目をつぶり、跡部に向かって両手を差し出した。すると、そこへあ
る程度重みのある何かが乗せられる。何だろうと不思議に思いながら、目を閉じたままで
いる。
「まだ開けちゃダメか?」
「もういいぜ。」
パッと目を開けると、手の上に真新しいテニスシューズが乗っていた。今まで、宍戸専用
の靴はあったが、テニスシューズはなかった。今日はバレンタインデーということで、跡
部はプレゼントとして買っておいたのだ。自分専用のテニスシューズを見て、宍戸の顔は
パッと花が咲いたように笑顔になる。
「これ、俺がもらってちゃっていいのか?」
「ああ。テメェ用に買ってきたんだぜ。今日はこれを履いてやってみろよ。」
「ありがと、景吾!早速履いてみるな!」
跡部にもらったテニスシューズを宍戸は履いてみる。サイズもピッタリ、フィット感は最
高。いつも履いている靴とはちょっと違う感じに宍戸はウキウキしてくる。
「激ピッタリだぜ、景吾!これならいつもより速く動けそうだ。」
「なら、ちゃっちゃと準備運動しちゃって、試合してみるか?」
「おう!」
軽く柔軟をしたり、コートの周りを走ったりして、準備運動を済ませると、二人は揃って
コートの中に入った。
「サーブ権、テメェにやるよ。」
そう言いながら、跡部は持っていたテニスボールを宍戸に向かって投げる。それを宍戸は
しっかりと片手でキャッチした。
「よっし、じゃあ行くぜ!」
真っ青な空に向かって黄色いボールを投げ、落ちてきたところをラケットで叩く。ラケッ
トのちょうど真ん中に当たったボールは、跡部に向かって勢いよく飛んでいった。
「いいサーブじゃねぇの。ほらっ。」
宍戸が打ったサーブを跡部は、余裕で打ち返す。宍戸を試すかのように、宍戸が今いる場
所とは全く逆の方向へ返した。それに気づいた宍戸は、ぐっと地面を蹴って、その方向に
向かって走り出した。
(うわっ、すげぇ!超走りやすい!)
新しいテニスシューズは、宍戸の瞬発力を存分に発揮させる。普通の人なら追いつかない
ようなそのボールを宍戸はいとも簡単に返す。
「おらあっ!」
「へぇ、なかなかやるじゃねーの。」
思った以上に宍戸がよく動いてくれるので、跡部も楽しくなってくる。初めは少し手加減
していた部分があったが、あまりにも宍戸が本気で向かってくるので、跡部もある程度本
気でやらざるを得なくなった。
「おらっ。」
「うわっ・・・くっそぉ、次は絶対打ち返す!」
もちろん跡部の本気には全く敵わないのだが、それでも宍戸は、一生懸命対抗しようとす
る。人間にはない反射神経と瞬発力。それが跡部の目には見てとれた。
「どらあっ!」
「くっ・・・」
絶対取れないだろうと思っていたボールを返され、跡部はラケットに当てたものの、その
ボールはネットに引っかかってしまった。
「やりぃ!」
「ふっ・・・こっからは手加減なしだぜ、亮。」
打ち返せなかったことが悔しくて、跡部は思わず本気になってしまう。
「ほらよ!」
「わっ!」
「おら、どうした!」
いきなり本気になる跡部に少々戸惑う宍戸だったが、これはこれで面白い。どれだけ自分
が対抗出来るかを試してみようと、必死になってボールを追いかける。どちらも必死なの
だが、その顔は厳しい表情というよりは、ひたすらにテニスを楽しんでいるような笑顔だ。
もう何点取ったかなんて分からないほど続けていると、二人は汗だくになり、息もかなり
あがってくる。
「これで終わりだ!」
最後の一発と言わんばかりに、跡部は高い位置からスマッシュを決めた。
スパーンっ・・・!
打ち込まれたボールは、ずば抜けた動体視力を持った宍戸にも見えず、いつの間にかコー
トに吸い込まれていっていた。
「・・・・・・」
「ゲームセット。何点取ったかなんて覚えちゃいねぇがな。」
「疲れたー。」
ゲームセットという言葉を聞き、宍戸は息を乱しながら、その場に大の字に寝転がる。跡
部も腕についたリストバンドで額の汗を拭い、水分を補給しようとベンチへと向かった。
「亮、喉渇いただろ?こっちに飲み物あるぜ。」
「飲む飲む!こんなに寒い気温なのに、すっげぇ汗だくだぜ。」
へとへとになった体を起こし、宍戸もベンチへと向かう。跡部が飲んでいたスポーツドリ
ンクを受け取ると、宍戸もそれをごくごくと飲み、渇いた体を潤した。
「はあー、うまい。久しぶりにやったから、激疲れたけど、すっげぇ楽しかった!」
「お前、やっぱ、やるたびに上手くなってるよな。こっちも思わず本気になっちまうぜ」
「へへへ、そうか?」
照れ笑いを浮かべながら、宍戸はタオルで汗をふく。そんな宍戸の頭を跡部はぐりぐりと
撫でる。
「何だよ?」
「別に。ただ何となく撫でたくなっただけだ。」
「撫でるのは別にいいけどよ、耳にあんまり触んなよ。」
「ああ。」
そう言われると触りたくなるものだ。ニヤニヤ笑いながら、跡部はふにふにと黒い猫耳に
触れた。
「うにゃっ!だから、触んなって言ってんだろ!人の話ちゃんと聞けよ!」
「悪ぃ悪ぃ。」
素直に反応してくれる宍戸を本当に可愛いなあと思いながら、跡部はくすくす笑う。と、
跡部は耳に触れるのをやめ、じっと宍戸の顔を見た。
「な、何だよ?」
「お前さ・・・」
「おう・・・」
「テニスしてる時、すげぇイイ顔してるよな。」
「へっ?」
全く予想していなかった言葉に宍戸はポカンと口を開ける。
「いろんな奴と試合とかしてきたけどよ、お前程、俺と試合してて楽しそうにしてる奴い
ないぜ。テニスしてる時のお前の顔、俺はすげぇ好きだ。」
率直に好きと言われ、宍戸は激しく照れる。顔を赤く染めて、何も言えなくなってしまっ
た。
「え、えっと・・・えっ?あっ・・・?」
「なーに、そんなに動揺してんだよ?」
「だ、だってよ、景吾がその・・・好きとかいきなり言うから・・・」
「テメェも昨日、俺に向かって言ってたじゃねぇか。」
「そうだけどぉ・・・」
跡部に好きと言われると、ドキドキしてしまうんだと宍戸は心の中で続けた。それを口に
出すのは何だか恥ずかしい気がしたのだ。自分だけドキドキしているのが悔しくて、宍戸
は同じようなことを跡部に言ってみた。そうすれば、跡部もドキドキしてくれるだろうと
思ったのだ。
「お、俺もな、テニスしてる時の景吾の顔、すっげぇ好きだぜ!何かいつもと違う顔で、
カッコイイし、綺麗だし・・・」
「へぇ、嬉しいこと言ってくれるじゃねーの。テメェに綺麗と言われるとは思ってなかっ
たけどな。」
余裕な笑みでそう返され、宍戸はやっぱり自分の言葉では跡部はドキドキしないのかなあ
と、少しへこむ。しかし、表面上は普通を装っている跡部も、内心動揺しまくっていた。
(マジ予想外のことばっか言ってきやがるし。ヤベェな。顔がニヤけちまう。)
心の中の動揺を隠しながら、跡部はベンチから立ち上がる。
「そろそろうちの中、入らねぇか?汗が引いて体が冷えちまう前にシャワー浴びちまおう
ぜ。」
「おう。」
うちに入るという言葉を聞いて、宍戸はふと昨日作ったケーキのことを思い出した。コッ
クは今日がバレンタインデーだと言っていた。テニスをしてすっかり忘れていたが、せっ
かく作ったケーキを跡部に渡さないわけにはいかない。
「あっ!」
「どうした、亮?」
「今日ってバレンタインデーだよな?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「い、いや、別に・・・」
まだ跡部には内緒にしておきたいという気持ちから宍戸はそんな返事をする。
「それより、早く戻ろうぜ!ちょっと寒くなってきちまった。」
「そうだな。」
宍戸が必死で隠そうとしてる様が面白くて、跡部は笑いを堪えながら頷く。家の中は外と
違って暖かい。そんな中では、きっと雰囲気も暖かいものとなる。バレンタインらしい何
かを期待しつつ、跡部は胸を躍らせながら、前を歩く宍戸の後をゆっくりと歩いていった。
シャワーを浴びて、部屋に戻ってくつろいでいると、ドアをノックする音が聞こえる。
コンコン
「どうした?」
「今年も例のものが届きました。」
「分かった。今、行く。」
執事に呼ばれ、跡部はソファから立ち上がる。何かがこの屋敷に届いたらしい。
「景吾、届いたって何が届いたんだ?」
「昨日言ったろ。バレンタインデーにはたくさんのチョコが届くって。」
「あー、そういや言ってたな。でも、食わないんだろ?どうすんだ、それ?」
「捨てはしねぇよ。それをこれからどうにかしに行くんだ。テメェも来るか?」
「おう。どっか行くのか?」
「ああ。結構時間かかるけど、いいか?」
「一人で待ってるよりは全然いい。俺も行く。」
どこかへ行くと聞いて、宍戸は跡部についていくことにした。どこへ行くは分からないが、
何だか楽しそうだ。部屋を出て、再び玄関から外に出ると、門のところに数台のトラック
が止まっていた。
「なあ、あのトラックん中って、もしかして全部バレンタインのチョコレート・・・?」
「ああ。食えねぇだろ?あんなにたくさん。」
「ああ、絶対食えねぇ。それであれをどうすんだ?どこかに売るのか?」
「そんなことはしねぇよ。もっと有意義に使うんだ。」
もらったチョコレートを使うというのもおかしな話だが、跡部は何かに使うらしい。トラ
ックの前に止まっているリムジンに跡部は乗り込み、その隣に宍戸を座らせる。どこへ行
くのかとわくわくしながら、宍戸は後ろに止まっているトラックを見る。
「どこ行くんだ?景吾。」
「行ってからのお楽しみだ。と言っても一ヶ所にそんなに長く止まってないけどな。」
「ふーん、じゃあ何ヶ所か回るんだな。よく分かんねぇけど楽しみー。」
ニコニコとご機嫌な宍戸を見て、跡部もふっと微笑む。宍戸にとって楽しいところになる
のかは分からないが、なかなか出来ない経験は出来るはずだ。後ろの準備も整ったような
ので、跡部はパチンと指を慣らし、車を発車させる。黒いリムジンを先頭に何台かのトラ
ックは跡部が指示する場所へと向かって走り出した。
まず一番初めに到着した場所は、一見すると学校か何かに見えるような大きな建物であっ
た。しかし、中に入ってみると学校ではないようで、広い庭では年齢の違う何人かの子ど
も達が、楽しそうに遊んでいる。
「まずはここだ。」
「俺も行っていいか?」
「ああ。たぶんあいつらも喜ぶと思うぜ。」
一台目のトラックからチョコレートの入った大きな袋をいくつか出し、宍戸にも持たせて
その子ども達のもとへと持ってゆく。それに気づいたエプロンをした女性が、二人のもと
へ駆け寄ってきた。
「あら、跡部さん!今年もこんなにたくさん持ってきてくれたんですね。」
「ああ。あいつらは元気か?」
「ええ。毎年楽しみにしているんですよ。なかなか全員にお菓子を買ってあげられる機会
なんてないので。」
「こっちもこっちで大助かりだぜ。せっかくもらったもんを全部捨てるってわけにもいか
ねぇからな。」
話が掴めない宍戸は、ただただ二人の話を聞いているしかないが、どうやら毎年跡部はこ
の場所へもらったチョコレートを持ってきているらしい。二人が話しているのに気づいた
のか、庭で遊んでいた子ども達が跡部や宍戸のもとへ走ってきた。
「あー、チョコのお兄ちゃんだ!」
「ホントだー!」
『わーい!』
跡部が来ていることに気づいて、子ども達は大喜び。わらわらとその周りに群がる。
「おら、そんなに騒ぐんじゃねぇ。もう少し大人しくしてろ。」
「お兄ちゃん誰?チョコのお兄ちゃんのお友達?」
「えっ・・・あ・・・」
こんなにたくさんの子ども達に囲まれたことは初めてなので、宍戸はたじたじ。思わず跡
部の後ろに隠れてしまう。
「すいません。ほら、ちゃんとご挨拶しなさい」
女性にそう言われた子ども達は、素直に二人に対して挨拶をする。
初めはおどおどしていた宍戸も笑顔で挨拶され、少し落ち着いて子ども達を見れるように
なる。
「は、初めまして。」
「こいつは宍戸亮。俺の・・・」
跡部は宍戸のことをどう紹介するか、一瞬迷った。ほとんど人間の形をしている宍戸のこ
とを『ペット』などとは言えない。しかし、『友達』というのもまた違うし、こんな小さ
な子ども達に『恋人』とも言えないであろう。
『お兄ちゃんの?』
「俺の・・・今一番大事だと思ってる奴だ。」
しばらく考えた結果、出てきた言葉がそれだった。それを聞いて、子ども達は素直に納得
する。
「へぇ、そうなんだ。亮兄ちゃん、一緒に遊ぼー。」
「えっ・・・でも・・・」
『遊ぼ、遊ぼー!』
「少しの間だけなら待っててやる。行って来い。」
「お、おう」
子ども達に手を引かれ、宍戸はちょっとの間、その子ども達と遊ぶことになった。
しばらく鬼ごっこやなわとびなど子どもらしい遊びを子ども達と一緒にした後、宍戸は跡
部のもとへパタパタと戻ってくる。宍戸自身も子ども達も満足ゆくまで遊べたようだ。
「ハァ、楽しかった!」
「あいつらとは仲良くなれたのか?」
「おう!あっ、そういえば他のところも回るんだよな。遅くなって悪ぃな。」
「別にそんな問題はねぇよ。じゃあ、行くか。」
袋いっぱいのチョコレートを置いて行くと跡部は宍戸を連れて、乗ってきたリムジンへと
戻る。二人が帰ろうとしていることに気づいて、庭に出ていた子ども達は二人のもとへ再
び集まってきた。
『ありがとう、お兄ちゃん。チョコレート、みんなで食べるね!』
「ああ。たくさんあるからな。ケンカすんじゃねぇぞ。」
『うん!亮兄ちゃんもバイバイ!』
「ああ。じゃあな。今日は楽しかったぜ。」
ぶんぶんと元気良く手を振る子ども達に別れを告げ、二人はリムジンへ乗り込む。次の場
所へ向かう車の中で、跡部はさっきの子ども達について、宍戸に話した。
「楽しかったか?宍戸。」
「おう!あいつらみんないい子だな!素直だし、可愛いし。」
「あいつらな、みんな何らかの理由で親がいねぇんだよ。つまり、あの施設はそういう奴
らが住んでる施設ってわけだ。」
「マジで・・・?」
跡部の話を聞き、宍戸は信じられないというような顔をする。
「まだあんな小せえのに可哀想だよなあ。俺も小さい頃から親はそんなに家にいなかった
からよ、少しあいつらの気持ちも分かるってわけよ。だから、せめて何かしてやれること
があればと思ってな。さっきみてぇに毎年チョコレートを持って行ってやってるってわけ
だ。」
たんたんと話す跡部だが、話している内容はなかなかすごいことである。
「景吾って、すっげぇ優しいんだな。」
「は?べ、別にそんなことねぇよ。」
本当に感心した様子で、そんなことをを言われ、跡部は柄にもなく照れる。自分で話した
のだが、何だか今まで隠していた一面を見られたような気がして、恥ずかしくなったのだ。
「そんなことなくねぇよ。あいつらも言ってたぜ。景吾は、バレンタインデーに来るサン
タさんなんだってよ。チョコあげてあいつらすげぇ喜んでたじゃねぇか。そういう子ども
達をあんなに笑顔にさせられるって、やっぱりすげぇことだと思うぜ。」
追い打ちをかけるかのように、宍戸はニパっと笑いながら、そんなことを言う。
「わ、分かったから、もうそういうこと言うんじゃねぇよ。」
「何でだよー?」
「何かそういうこと言われるとくすぐってぇんだよ。」
普段言われないようなことを言われまくって、跡部はもう照れまくりだ。顔を真っ赤にし
て、頬づえをつきながら窓の外に視線をやる。
「もしかして、景吾、照れてる?」
「別に照れてなんかねぇよ。」
「でも、顔真っ赤だぜ?」
「うるせーな。ちょっと車の中の温度が高すぎんだよ。」
誤魔化すようにそんなことを言う跡部だが、そんなのはもう言い訳にしか聞こえない。意
外な跡部の一面を見たような気がして、宍戸は何となく嬉しくなって、くすくす笑った。
その後もいくつかさっきと同じような施設を回り、袋いっぱいのチョコレートを配ってゆ
く。そんなことを夕方近くまで繰り返していると、いつの間にかトラックいっぱいのチョ
コレートは空っぽになっていた。
屋敷に戻ってきたのは、もう日がすっかり暮れてからであった。跡部の部屋に向かって廊
下を歩いていると、宍戸はふと昨日作ったケーキのことを思い出す。
「あっ、そうだ!」
「アーン?どうした?」
「景吾、ちょっと先部屋に戻ってて。俺、用事思い出した。」
「すぐ終わんのか?」
「おう。すぐ追いかけるから、先行ってろ。」
「分かった。」
宍戸が昨日ケーキを作っていたことは知っているので、跡部は特に深く詮索することもな
く行かせてやる。どんなケーキが出てくるのか楽しみだと思いながら、跡部は自分の部屋
へと向かった。一方宍戸は、パタパタと廊下を走って、コックのいるキッチンへと向かう。
バタンっ
「昨日作ったケーキ、取りにきたんだけど・・・」
「お帰りなさいませ。ショコラケーキ、ラッピングしておきましたよ。」
跡部や宍戸が出かけている間に、コックは昨日作ったケーキを箱に入れ、丁寧にラッピン
グを施していた。いかにもプレゼントらしくなったケーキを見て、宍戸は目をキラキラと
輝かせる。これならきっと跡部も喜んでくれる。そんなことを思いながら、パッとその箱
を手に取った。
「どうもありがと。これ渡して、景吾喜んでくれると思うか?」
「はい。きっと喜んで頂けますよ。」
笑顔でそう言うコックの言葉を聞いて、宍戸はニコっと笑う。絶対跡部に喜んでもらうん
だという気持ちを胸に抱きながら、宍戸はキッチンを出て行った。
跡部の部屋の前までくると、宍戸は何だか緊張してきてしまう。ドキドキする心臓を落ち
着けようと、ゆっくりと深呼吸をした後、ドアノブに手をかけた。
「よし。」
カチャ・・・
「遅かったな。用事は終わったか?」
「お、おう。」
緊張を誤魔化そうとするが、尻尾は正直で、毛が逆立って、いつもより膨らんでいるよう
に見える。そんな様子に気づかないふりをして、跡部は自分の座っている横に宍戸を招い
た。
「そんなところにいつまでもつっ立ってねぇで、こっちに来いよ。」
「ああ。」
跡部の隣に座ると、宍戸の緊張は最高点に達する。そんな緊張から早く解放されたいと、
宍戸は持っていたケーキを何も言わずに跡部に差し出した。
「何だよ?」
「きょ、今日はバレンタインデーだからっ・・・俺、景吾にケーキ作って・・・だから、
これ、そのケーキ。」
あまりの緊張から、たどたどしい日本語になりつつ、宍戸は差し出したものの説明をする。
もともともらえるのは知っていた跡部だが、どんなケーキが出来上がっているかは分から
ない。渡された箱に巻かれているリボンをしゅるしゅると解き、ゆっくりふたを開けてみ
た。
「字、ぐちゃぐちゃになっちゃったけど、何て書いてあるか分かるか・・・?」
「ああ。分かるぜ。」
思った以上に綺麗な形と思ってもみないメッセージに跡部は感動。まさかこんなに嬉しい
と感じるものをもらえるとは思っていなかった。
「食ってみてもいいか?」
「おう・・・」
コックは箱の中にフォークもしっかりと入れてくれていた。箱を広げ、そのフォークを使
い、一口大に切って口に運ぶ。冷蔵庫の中にあったために冷たくなっているが、その冷た
さがまた心地よい。噛めば広がるカカオの香り。甘すぎず、しかし、味がないわけではな
い。そんなショコラケーキを跡部はしっかりと堪能する。
「うめぇ。マジでこれ、お前が作ったのか?」
「結構コックに手伝ってもらっちゃったけどな。ほとんど俺がやったぜ。」
「すげぇ美味いぜ。サンキューな亮。」
跡部の口から美味いという言葉を聞いて、宍戸は緊張が一気に解れ、顔いっぱいに笑顔が
こぼれる。
「このメッセージも嬉しいぜ。子どもが書いた字みてぇだけどな。」
「だ、だってよ、チョコで書くのってすっげぇ難しいんだぜ!」
「でも、お前らしくていい。本当にありがとな。」
嬉しそうに微笑む跡部の顔を見て、宍戸はドキドキしてしまう。真っ赤になりながら、う
つむいていると、ふと猫耳に触れられるのを感じる。
「うにゃっ!だから、耳には触るなって・・・」
弱い耳に触れられ、思わずがばっと顔を上げると、その瞬間、唇を奪われる。あまりにも
近すぎる跡部の顔に、宍戸は目をパチクリさせ、固まってしまう。
「チョコケーキ味のキスだ。悪くねぇだろ?」
「なっ・・・い、いきなり何すんだよ!」
「感謝の気持ちを行動に表してみただけだぜ。お気に召さなかったか?」
冗談っぽくそんなことを言ってくる跡部に、宍戸は言い返す言葉が見つからない。
「・・・べ、別に嫌じゃねぇけどよ。」
そう答えるしかないのを少々悔しく思いながらも宍戸はそう口に出す。あまりにも素直な
反応を示してくれる宍戸が可愛くて、跡部は肩を震わせて笑う。
「な、何で笑うんだよ!」
「いや、マジでお前、可愛いなあと思ってよ。」
「む〜。」
笑われることが気に入らないらしく、宍戸はぷぅっと頬っぺたを膨らませる。
「そんな顔すんなって。今日はバレンタインデーだしな。テメェが喜ぶようなこと存分に
してやるよ。」
「さっきから、俺をからかうようなことばっか言ってるじゃねぇか。」
拗ねるように宍戸がそう言うと、跡部は宍戸の体をぎゅっと抱き締める。
「わっ・・・」
「ここからが、本当のバレンタインデーの始まりだぜ。俺だって、テメェのこと好きなん
だ。テメェに何かあげたいと思うのは当然だろ?」
「で、でも、昼間テニスシューズくれたじゃねぇか。」
「バーカ。本当のプレゼントってのはモノで表すもんじゃねぇんだよ。」
「えっ・・・?」
モノではないのならどんなプレゼントが適切なのかということを、跡部は宍戸の耳元で囁
いてやる。それを聞いて、宍戸の顔はぼっと火がついたように赤くなった。
「た、確かにそりゃたくさん気持ちは伝わるかもしれねぇけどよ・・・」
「俺はそんなふうにテメェにプレゼントをしたいと思うんだが、どうよ?そんなプレゼン
トはいらねぇって?」
「・・・いらなくねぇ。」
真っ赤になったまま宍戸は小さな声でそう呟く。
「ならテメェが満足するまで、たくさん心のこもったプレゼントしてやるぜ、亮。」
抱き締められたままそう囁かれ、宍戸はぎゅっと抱き返しながら、コクンと頷く。
心のこもったプレゼントを贈り、たくさんの想いを跡部から受け取る。初めてのバレンタ
イン、宍戸は心の底からこのイベントを楽しんだ。二人が想いを伝え合う中、チョコレー
ト色の闇が、ゆっくりと溶け出し、甘い甘いバレンタインの夜は更けていった。
END.