海に夕日が沈む時分、疾風は水軍館から少し離れた岩場で一人膝を抱えていた。今日街に
出た際に、同じ年頃の数名と喧嘩になり、帰ってからこっぴどく叱られたのだ。
「悪いのはあいつらじゃねーか。俺は悪くねーもん。」
そんな言葉を呟く疾風の側にふと影が落ちる。何かと思って見上げてみると、そこには同
い年の仲間の姿があった。
「蜉蝣。」
「何、こんなところで拗ねてんだ?」
「べ、別に拗ねてるわけじゃねーし。」
隣に腰を下ろす蜉蝣からふいっと視線をそらし、疾風は不機嫌そうな声でそう答える。し
ばらく沈んでいく夕日を眺め、蜉蝣はぽつりと言葉を放つ。
「どうして喧嘩になんてなったんだ?」
「・・・あいつらが」
「あいつらって、喧嘩相手のことか?」
「おう。」
「で、そいつらがどうしたって?」
「あいつらが、お前のことを馬鹿にしたから・・・ついカッとなって・・・・」
「えっ・・・?」
予想していなかった喧嘩の原因に、蜉蝣はポカンとしてしまう。まさか喧嘩の原因が自分
だとは思っていなかった。
「お前はすごく強いのに、あいつらお前のこと陸に上がったら何にも出来ない腑抜けだっ
て言うんだぜ!!確かに蜉蝣は陸酔いするけど、それは海の男だからだし、海の上じゃす
げぇ強くて、頼りになって、俺と同い年なのにすげぇ落ち着いてて・・・だから・・・」
「疾風・・・」
「なのにお頭達は、そんなことでキレて手を出したお前が悪いって言ってさぁ。すっげぇ
怒られて、今日は飯抜きだって言われて・・・」
そう言いながら疾風は次第に涙目になってくる。いったん感情が高ぶってしまうと、もう
止められなくなってしまう。ぐしぐしと涙を流しながら、疾風は言葉を続けた。
「確かに俺はもう十六だから、子供じゃねーかもしれないけど・・・・自分の一番大事な
仲間を馬鹿にされて、怒らないでいられるほど、大人になんてなれねーよ。なあ、やっぱ、
俺が悪いのか?」
自分が原因で喧嘩をして、それで怒られたと聞いて、疾風が悪いとは蜉蝣には言えなかっ
た。むしろ、そんなことを疾風が思っていてくれたのかということに気づいて、言葉にな
らない感動を覚えていた。
「俺は・・・お前が悪いとか悪くないとかは判断出来ないけど・・・・ただ、一つ言える
のは・・・」
この気持ちをどう表現したらよいのか分からず、蜉蝣はたどたどしく言葉を紡ぐ。涙で濡
れた目でしっかりと蜉蝣を見据えながら、疾風は次の言葉を待った。
「今の話を聞いて、俺はすごく嬉しいと思った。疾風がそこまで俺のこと考えてくれてる
とは思ってなかったから・・・」
「本当か?」
「ああ。ありがとう、疾風。」
ふっと笑みを見せてお礼の言葉を述べる蜉蝣を見て、疾風はドキッとしてしまう。蜉蝣相
手にこんなにドキドキするのはおかしいと思いつつも、その胸のときめきは止まらなかっ
た。その胸のドキドキを抑えようと海の方へ視線を移すが、涙で滲んでいるその景色はい
つも以上に綺麗に見え、高揚感を高めるだけであった。
「疾風。」
「な、何?」
「ほんの少しの間だけ目をつぶっててくれるか?」
「へ?何で?」
「いいから。」
よく分からないがとりあえず従っておこうと、疾風はぎゅっと目を閉じる。一瞬、何かが
唇に触れた後、力強くその体を抱きしめられる。
「えっ!?ちょっ・・・蜉蝣っ!?」
「ずっと、こうやって触れたかった。」
「なっ、それって・・・どういう・・・・」
「好きだ、疾風。」
「っ!!」
まさかの蜉蝣の告白に、心臓が止まりそうなほど驚く。しかし、その言葉が嬉しいと感じ
るのは確かであった。
「蜉蝣・・・俺も・・・・」
そこまで言って、疾風の言葉は途切れた。
「・・・て、疾風っ!!起きろ!!いつまで寝てやがる。もう休憩時間はとっくに終わっ
てるぞ!!」
「へっ・・・?」
「全く休憩時間に仮眠とるのは構わねぇが、ちゃんと時間になったら起きれるようにしと
けよな。」
「あー、さっきの・・・夢かぁ。」
蜉蝣に起こされ、疾風は体を起こす。随分昔のことを夢に見たなあと、大きなあくびをし
ながら目を擦る。
「どんな夢見てたんだ?」
「えっ・・・いや、別にちょっと昔の夢を・・・・」
「ほぅ、何だ?夢の中で誰かに怒られたりしたのか?」
「えっ!?な、何で?」
「俺は悪くないー・・・て唸ってたぞ。」
ニヤニヤと笑いながら、蜉蝣はそんなことを言う。そんなに寝言を言ってたのかと疾風は
少し恥ずかしくなる。
「お前の所為だからな!そんな寝言言ってたの。お前の所為で怒られたんだからよ。」
「俺の所為かよ。怒られる夢ってことはどちらかと言えば、悪夢だな。あんな場所で寝て
るから、そんな夢見るんだぜ。」
「いや、いい夢か悪い夢かって聞かれたら、圧倒的にいい夢だけどな。」
「怒られるのがいい夢って、それはどうなんだ・・・?」
「違ぇーよ!!怒られたのはお前を馬鹿にした奴と喧嘩した所為で、その後そのことお前
に話したら、嬉しいって言って、それから・・・・」
勢いでポンポンと夢の内容を話す疾風であったが、その後どんなことになるかを鮮明に思
い出し、一気に恥ずかしくなってしまう。そういえば、昔にそんなことがあったなあと、
蜉蝣もその時のことを思い出した。
「ああ、あの時の夢か。」
「そ、そーだよ!だから、悪い夢じゃねぇだろ?」
「まだ、今の年齢の半分くらいの時の話じゃねぇか。随分懐かしい頃の夢見てんだな。」
「まあな。」
「この後の仕事が終わったら非番だし、久しぶりにあそこ行ってみるか?」
「おー、悪くねぇな。どうせだったら、日が沈むくらいの時間に行きたいな!」
「そうだな。じゃ、さっさと仕事終わらせなきゃだな。」
「おう!」
疾風が見た夢の場所に久しぶりに行ってみようと、二人は楽しげにそんなことを話す。仕
事が終わるまでは後数刻。その後は、昔話したあの場所で思い出話に浸ろうと、疾風も蜉
蝣もご機嫌な様子で次の仕事に取り掛かるのであった。