ほんのり日が傾き始める申の刻。忍術学園へ出かけていた兵庫第三協栄丸が兵庫水軍の海
へと帰ってきた。
「今帰ったぞ。」
『おかえりなさい。』
浜辺で仕事をしていた兵庫水軍の面々は、第三協栄丸の姿を見つけると、そう声をかける。
「今日はみんなここにいるよな?」
「はい。さっきまでは、蜉蝣さんや由良さんが海で作業してましたけど、今は全員ここに
戻ってきているはずです。」
鬼蜘蛛丸の言葉に、第三協栄丸は今そこにいるメンバーの顔を一人ずつ見る。一人も抜け
がないことを確認すると、第三協栄丸はよしと頷き、声を上げる。
「みんな注目!」
第三協栄丸がそう口にすると、浜辺で作業をしていた者はいったん手を止め、第三協栄丸
のもとへ集まる。全員が集まると、第三協栄丸は先程忍術学園で聞いてきた話を兵庫水軍
の面々に話し始めた。
「今日忍術学園に行ったらな、学園長の思いつきとやらで、忍術学園と兵庫水軍の交流会
をすることになった。」
『交流会?』
「交流会って、具体的にはどんなことするんですか?」
誰もが思っている疑問を由良四郎が尋ねる。いきなり交流会をすると言われても、何をす
るのかは全く予想がつかないので、そんな疑問を持つことはごく当然のことであった。
「お互いのことをよく知れるようなことをやってくれって言われてなあ、具体的にどうす
ればいいのかって聞いたら、芝居でもやったらどうだって言われた。」
「お芝居ですか?」
「また、なかなか難易度の高いものですね。」
鬼蜘蛛丸や義丸はいきなりやるにしては難しいのではないかと、少々困惑したような反応
を見せる。しかし、水夫や水練のハイティーンメンバーはそれは面白そうだとひどく盛り
上がる。
「お芝居とかすごい面白そう!」
「俺、やってみたい!」
「俺も俺も!」
「陸の上でだとキツイかもしれないけど、海の上でっていうんなら、俺もやりたいな。」
網問の言葉をきっかけに、航、重、間切も賛成するような言葉を口にする。
「それはいつやる予定なんですか?」
お芝居をやるのであれば、練習が必要だろうと舳丸は冷静にそんなことを尋ねる。
「んー、とりあえず三週間後くらいを目安にって言ってたかな?忍術学園はテスト期間に
入るらしいから」
「三週間あるなら、出来なくはなさそうだな。」
「そうだな。確かに大変だろうけど、俺は結構興味あるし。」
「試しにやるのもいいかもしれないな。」
三週間あれば、何とか出来るかもしれないと蜉蝣や疾風、由良四郎の年長者メンバーも賛
同するような言葉を漏らす。とりあえず、そこにいるメンバーがみんなやってもいいとい
うような意思表示を示したので、第三協栄丸は次の議題を持ちかける。
「それじゃあ、交流会で芝居をやるってのは決定だな!芝居をやるが決まったら、次はど
んな内容の芝居をやるかを決めないと。三週間あるとは言えども、ちゃんとやるためには
それなりに練習しなきゃダメだからな。」
それはそうだと、水軍の面々はどんなお芝居をするか考える。少し考えて、まず初めに案
を出したのは網問であった。
「お頭海の妖怪とか詳しいし、うみ坊達にも協力してもらって、海の妖怪の話とかどうで
すか?」
「それ、結構面白そう!」
「あっ、でも・・・」
重は網問の提案に賛成するような言葉を放つが、間切はちらっとある人物の方に目をやる。
「お、俺は反対だ!そんな話の芝居して、本物の妖怪が出て来ちまったらどうすんだよ!」
間切の想像通り、その人物は網問の提案に真っ向から反対した。その人物とは、お化けや
幽霊が苦手な疾風であった。
「お前はそういう話苦手だもんな。」
「し、仕方ねぇだろ!」
「あー、そっか。疾風兄ィは怖い話はダメですもんね。」
「うるさい!」
蜉蝣にからかうようにそう言われ、網問にも納得されてしまい、疾風は若干怒り口調で言
葉を返す。海の妖怪の話が使えないとなると、どんなものがあるだろうと、再びそこにい
るメンバーはどんな題材がいいかを考えた。
「あっ、鶴姫伝説の話とかどうですか?」
そう口にしたのは、義丸であった。
「鶴姫伝説か。悪くなんじゃないか。話の内容的にも、芝居としての立ち振る舞い的にも。」
「俺、鶴姫伝説って知らないんですけど・・・」
「俺も知らないです。」
義丸の意見に即座に賛同した蜉蝣に、間切や航は『鶴姫伝説』がどんな話かを問う。間切
や航だけでなく、網問や重もその話がどんな話が知らなかった。そんな若い衆に、蜉蝣は
簡単に『鶴姫伝説』の概要を説明してやった。
「少し昔のこの近くにいた水軍の話なんだがな、鶴姫という女性でありながら、水軍をま
とめていた者がいたんだ。もともとは彼女の兄が陣代を務めていたのだが、他の水軍との
戦いで、討死してしまってな。一度は退けた敵側の水軍がその二年後に、今度はもっとた
くさんの兵を集めて襲ってきた。この時はその強大な兵力に、鶴姫側の水軍は劣勢になり、
その戦いで鶴姫の恋人も討死にしてしまう。その日の夜に鶴姫は生き残った兵を集め、雨
風に紛れて敵側へ奇襲をかけた。それが功を奏し、鶴姫側の水軍は勝利するのだが、恋人
を失った鶴姫は、その後を追い、一人海に身を投げる。そんな鶴姫の武勇と悲恋の話が鶴
姫伝説だ。」
そんな蜉蝣の説明を聞き、若い衆はなかなか壮絶な話だと、溜め息をついてしまう。
「何かすごい話ですね。」
「でも、それをお芝居でやったら・・・」
「すごい迫力あるし、感動するかも。」
確かに辛く悲しい話ではあるが、水軍としての戦いの場面も多く、海の上のお芝居として
やるには持って来いの話だと、ハイティーンメンバーはその話に大きな魅力を感じる。
「俺もその話はいいと思うぞ。」
「海の妖怪の話よりかは、何倍もマシだな。」
第三協栄丸も『鶴姫伝説』の話に好印象を覚え、疾風もそれなら全然構わないといったニ
ュアンスの言葉を口にする。
「なら、それで決定でいいんじゃないか?他の奴もそれでいいよな。」
『はい!』
特に意見の言っていない鬼蜘蛛丸、舳丸、東南風に由良四郎はそう尋ね、尋ねられたメン
バーは声をそろえて頷いた。全員が納得したので、忍術学園との交流会で行うお芝居の演
目は『鶴姫伝説』に決まった。
「蜉蝣、お前その話に詳しいだろ?俺達で出来るように芝居の台本書いてくれ。監督は俺
がやるから。」
「あまり自信はありませんが、やってみます。」
とりあえず台本がないと何も進められないということで、第三協栄丸は蜉蝣に脚本を作る
ように頼む。交流会の演目が決まり、脚本を蜉蝣に託した第三協栄丸は、今決めなければ
いけないことは決め終わったと、そこにいるメンバーを解散させ、仕事に戻らせた。
次の日、蜉蝣は台本を完成させ、仕事の合間に他のメンバーに見せる。台本が出来たこと
で、登場人物がある程度確定したので、配役を早めに決めてしまおうと提案したのだ。
「まず、主役の鶴姫だが・・・」
まずは立候補で配役を決めようと思ったのだが、主役である鶴姫は女性の役なので、誰一
人として立候補するものはいなかった。まあ、そうだろうなと予想していた蜉蝣は、推薦
で鶴姫を募る。
「なら、推薦で決めるか。主役の鶴姫は誰がいいと思う?」
「鬼蜘蛛丸でいいんじゃねぇか。」
そう言ったのは、疾風であった。
「ええっ!わ、わたしですか?」
「だってお前、女装似合うだろ。少なくとも俺とか由良四郎よりは。銭忘れて町出かけて、
きり丸のアルバイト手伝うってことになった時、女装させられたけど、お前だけ妙に違和
感なかったよな。」
「いや、そんなことは・・・」
町でそんなことがあったのかと驚きつつ、若い衆は疾風の意見に賛成する。
「俺達も鬼蜘蛛丸の兄貴が鶴姫でいいと思います!」
「立場としても、ベストでしょうしね。」
「えっ、ちょっ、お前らっ!」
「じゃあ、鶴姫は鬼蜘蛛丸で決定だな。」
網問の言葉に頷く他のメンバーと、舳丸の一言で、鬼蜘蛛丸が鶴姫役をやることが決定す
る。主役を務めるなんて、プレッシャーが大きすぎると思いつつも鬼蜘蛛丸は断ることが
出来なかった。
「それじゃあ、次は鶴姫の恋人の越智安成役だが・・・」
「それはもう言わずもがなでしょ。」
『義兄ィ!』
ハイティーンメンバーは示しを合わせたかのように、義丸を鬼蜘蛛丸の恋人役に推薦する。
もちろん義丸もそれを喜んで受け入れた。
「あと、メインどころで残っているのは、敵側の大将の陶晴賢と鶴姫の兄の安房だな。」
「なら、俺、敵側の大将やるぜ!」
敵側の大将に立候補したのは、疾風であった。目立ちはしたいと思っていたが、鶴姫はや
りたくなかった。だったら、敵側の大将しかないだろうと、立候補したのだ。
「なら、疾風は陶晴賢と。」
「メインどころ以外だとどうなるんだ?」
台本に配役を書き込んでいる蜉蝣に、由良四郎はそんなことを尋ねる。
「それぞれの側の兵の役をやってもらおうと思っている。あとはナレーションだな。」
「あっ、だったら、俺はナレーションやるぜ。」
「了解した。お前達は、それぞれの軍の兵をやってもらおうと思うんだがいいか?」
『構いません!』
「そうしたら、俺は安房か。出番もそんな多くないし、ちょうどいいな。」
役のバランスとしては、かなり良い感じで配役が決まる。若い衆は、鶴姫側に水練の二人
が、陶晴賢側に水夫の四人がつくことになった。
その日の夜、鬼蜘蛛丸は船の上で見張りをしながら、蜉蝣の書いた台本に目を通していた。
主役ということで、台詞も多く、登場していない場面はないほどであった。そんな役を任
され、本当に自分に出来るんだろうかという不安に押し潰されそうになりながら、鬼蜘蛛
丸は大きな溜め息をつく。
「はぁ・・・」
「何をそんなに悩んでるんだ?鬼蜘蛛丸。」
海を眺めながら、憂鬱な顔をしている鬼蜘蛛丸に声をかけたのは、次の見張り当番の義丸
であった。
「義丸。まだ交代の時間じゃないぞ。」
「分かってるよ。お前と少し話がしたくて、早めに来たんだ。」
「そうか。」
そう返事をすると、鬼蜘蛛丸は再び台本に目をやり、少し読んでは溜め息をつく。
「不安か?」
「当たり前だろ。芝居なんて、見たこともそんなにないし、やったことなんて全くないん
だから。」
「それは俺達だって同じだ。」
「けど、お前達は鶴姫ほど、出番もないし・・・」
「疾風さんや若いメンバーが、自分達が鶴姫をやりたくないから、鬼蜘蛛丸に押し付けた
と思ってるのか?」
「それは・・・」
そんなことはないと思ってはいても、心のどこかでそうではないかという気持ちもあった。
そうではないとも、そうだとも言えなくなっている鬼蜘蛛丸を見て、義丸は静かな口調で
言葉を紡ぐ。
「俺も鶴姫は、鬼蜘蛛丸が適役だと思ってるぞ。強くて、気高くて、気丈な心を持ちなが
らも、どこか儚い。女性であったというところを除けば、鬼蜘蛛丸がうちの水軍の中では
一番鶴姫に近いと思うけどな。」
「俺は、そんなイメージなのか?」
「少なくとも俺の中では。」
「出来ると思うか?俺に、鶴姫役が。」
「出来るさ。みんな鬼蜘蛛丸ならちゃんとやってくれると思っているから、推薦したんだ。」
穏やかに微笑みながら、そんなことを言ってくる義丸の言葉に、鬼蜘蛛丸はほんの少し心
が軽くなったような気がした。
「そっか・・・」
「ちなみに、鶴姫の恋人の安成は、鶴姫の恋人であり、右腕であったとも言われているら
しいぞ。」
「へぇ、そうなのか。」
「何だか、そのあたりも少し似てるよな。」
「似てる?」
「俺達に。」
さらっとそう口にする義丸に、鬼蜘蛛丸はぷっと吹き出して、顔をほころばせる。
「確かにそうだな。」
「だから、ちゃんと演じられるさ。俺達なら・・・」
そう言いきる義丸の言葉に鬼蜘蛛丸は元気づけられ、自信を取り戻す。先程までは、あれ
ほど不安でいっぱいだった顔に、笑顔を浮かべ、鬼蜘蛛丸は義丸にお礼を言う。
「ありがとな、義丸。何か出来そうな気がしてきた。」
「礼を言われるようなことはしてないぞ。」
「いや、そんなことはない。お前の言葉で、すごく心が軽くなった。」
「それはよかった。交流会、頑張ろうな。」
「ああ。」
やる気になった鬼蜘蛛丸の顔を、白く輝く月明かりが照らし出す。そんな鬼蜘蛛丸の顔に
見惚れながら、義丸はお芝居の中でも鬼蜘蛛丸の恋人役となれることを、心から嬉しいと
思うのであった。
お芝居の練習をし始めてから一週間後、練習の甲斐あり、だいぶ形になってきていた。話
のほとんどが海上での戦いなので、お芝居の練習をすることで、普段の戦いの訓練にもな
っている。
「攻撃!」
『おー!』
ヒュンヒュンっ
風を切る音を立て、いくつもの矢が木の盾に刺さる。
「行くぞー!」
弓矢を使った戦いだけでなく、お互いの船に乗り込み、木刀で打ち合ったりもする。誰も
が役になりきっているため、本物の戦のような緊迫感が漂っていた。
「おーい、お前達。」
その緊迫感を破るような声で、アヒルさんボートに乗った第三協栄丸が声をかける。
「忍術学園の山本シナ先生が来てくれたぞー。」
舞台用の化粧を教えてもらおうということで、時間がある時に来て欲しいと頼んでいたの
だ。第三協栄丸のその言葉を聞いて、水軍の面々はいったん練習をやめ、山本シナ先生の
待つ浜辺へ戻っていった。
「こんにちは、練習中ごめんなさいね。」
「いえ、こちらこそ無理言ってしまって、すいません。お越し頂いてありがとうございま
す。」
今回一番化粧の仕方を教えてもらわなければいけない鬼蜘蛛丸は丁寧に頭を下げてそう挨
拶をする。陸酔いをすると、化粧の仕方を教えてもらうどころではなくなってしまうので、
鬼蜘蛛丸は海水に足を浸しながら、山本シナ先生に教えを請うことにした。
「鬼蜘蛛丸さんのやる役は、強い女性の役なんですよね?」
「はい。」
「だったら、もともとの男らしい凛々しさは残して、でも、ちゃんと女の人に見えるよう
に・・・」
鬼蜘蛛丸に鏡を持たせ、どのようにすればいいかを確認させながら、山本シナ先生は化粧
を進めていく。鏡の中の自分の顔がみるみる変わっていくのを見て、鬼蜘蛛丸は言葉を失
う。
「こんなものかしら。」
最後に赤い紅を唇に引くと、山本シナ先生は紅用の筆を化粧品入れの中にしまった。
「別人みたいですね。」
「でも、鬼蜘蛛丸さんらしさは残しておいてあるつもりよ。」
化粧を終えたニュアンスの言葉を聞き、浜辺で休憩をしていた他のメンバーがわらわらと
集まってくる。
「わー、本当に女の人みたいになってる!」
「あの時の女装なんかと全然比べ物にならないな。」
「せっかくですから、衣装も合わせてみましょうよ。」
化粧をした鬼蜘蛛丸の顔を見て、そこにいるメンバーは思い思いの感想を言い合う。せっ
かく顔を作ったのだから、鶴姫の衣装を着たところも見てみたいと、義丸は衣装係である
水夫の面々が用意した衣装を持って来る。少し恥ずかしいなあと思いつつも、鬼蜘蛛丸は
義丸に鶴姫の衣装を渡されると、その衣装を身に纏った。
『おお―っ!』
鶴姫の衣装は、着物の上に鎧を身につけなければならないため、パッと見は男の兵士と大
差ないものだ。しかし、今の鬼蜘蛛丸はどう見ても、女性が鎧を身につけているという感
じになっていた。そんな鬼蜘蛛丸の姿に、他の水軍メンバーは感嘆の声を上げる。
「へ、変じゃないか・・・?」
「すっごい似合ってますよ!」
「本物の鶴姫みたいですよ。」
「確かにこれは想像以上ね。」
重や舳丸だけでなく、山本シナ先生にまで似合っているというようなことを言われ、鬼蜘
蛛丸は嬉しいようなそれでいて恥ずかしいような何とも言えない気分になる。
「こんなに素敵な鶴姫さんだと、交流会のお芝居が楽しみだわ。忍術学園の子達にも頑張
ってもらわなくちゃね。」
「忍術学園の生徒達は何をやるんですか?」
「それは内緒。交流会の日のお楽しみよ。」
ウインクをしながら、山本シナ先生は思わせぶりなことを言う。きっと、忍術学園の生徒
達もすごい出し物を考えているんだろうなあと思い、兵庫水軍の面々は自分達も負けてい
られないと、さらに練習に励むのであった。
お芝居の練習と日々の仕事を終え、お腹いっぱいご飯を食べる。ゆっくりとお風呂に入り、
疲れた体を癒すと、水軍の面々はそれぞれ寝巻きに着替え、いつもより少し早めに水軍館
の自室へと戻って休むことにした。鬼蜘蛛丸と義丸も普段自分達が寝ている部屋で、布団
に座りながら、台本をペラペラとめくっていた。
「鬼蜘蛛丸、すごく鶴姫っぽくなってきたよな。」
「そうか?」
「ああ。本当惚れ直しちゃいそうなくらい。」
「鶴姫っぽくなったから、惚れ直すってどうなんだよ?」
「だって、俺は鶴姫の恋人役だぞ?惚れ直して当然じゃないか。」
「ああ、確かにそうだな。」
義丸が鶴姫のような女性が好みなのかと思い、ほんの少しだけヤキモチを焼く鬼蜘蛛丸で
あったが、義丸の言葉を聞き、クスクスと笑いながら、納得してしまう。そんな鬼蜘蛛丸
につられて、義丸の顔もほころぶ。
「鶴姫を演じてて思うんだけどな、鶴姫は本当に安成のことを愛していたと思うんだ。練
習すればするほど、鶴姫の気持ちが分かって、それはそれで楽しいんだけど、それ以上に
物凄く辛い気持ちでいっぱいになる。」
台本を読み返しながら、ふと鬼蜘蛛丸はそんなことを呟く。それを聞いて、義丸は鬼蜘蛛
丸の肩を抱き、自分の方へ引き寄せた。
「それはきっと安成も同じだ。鶴姫のことを尊敬し、心から愛していた。だからこそ、鶴
姫と自分達の海を守りたかった。自分の命をかけてでもね。」
まるで安成の気持ちを聞いているようで、鬼蜘蛛丸は妙な気分になる。今自分を抱いてく
れているのは確かに義丸なのだが、その影に安成が見えるようであった。
「義丸もすっかり安成になりきってるな。」
「そうか?」
「ああ。今の言葉、本物の安成が言ってるみたいだったぞ。」
「それなら、お芝居としてはとてもいいものが出来るかもしれないな。」
「そうだな。」
お互いの役のなりきり具合に、二人は顔を見合わせて笑う。鶴姫と安成は悲しい運命を辿
ったが、自分達はこの穏やかな時間をこうして共に過ごすことが出来る。いつも通りのこ
とがかけがえのないことに思え、二人はいつも以上にお互いのことを愛しく感じていた。
「鬼蜘蛛丸。」
「何だ?」
「愛してる。」
さらっとそう言われ、鬼蜘蛛丸の顔は真っ赤に染まる。劇中でも言われる台詞ではあるが、
今の義丸の台詞は義丸自身の気持ちとして、自分に向けられて放たれた言葉であった。恥
ずかしさと嬉しさで、何も返せないでいると、悪戯な笑みを浮かべながら、義丸は鬼蜘蛛
丸の顔を覗き込む。
「鬼蜘蛛丸は言ってくれないのか?」
「わ、俺はお前と違って、そういうこと言うのは苦手だから・・・その・・・」
顔を真っ赤にして、あわあわしている鬼蜘蛛丸が可愛すぎると、義丸は顔を緩ませる。別
に言葉にされずとも、その態度で十分に伝わるため、義丸としてはそれで満足であった。
ところが、どうにかして義丸に気持ちを伝えようとしている鬼蜘蛛丸は、義丸が予想だに
していなかった行動を起こした。
ぐい・・・ちゅっ
「!」
「お、俺だって・・・義丸のこと・・・義丸の・・・」
寝巻きを引っ張り、いきなり口づけをしておきながら、義丸が好きだという言葉が出てこ
ない。一生懸命に言葉を紡ごうとしているその姿に、すっかり心を奪われた義丸は、ぎゅ
うっと思いきり鬼蜘蛛丸の体を抱きしめた。
「もう十分だ。もう十分すぎるほど、鬼蜘蛛丸の気持ちは伝わったから。」
「えっ・・・でも・・・」
「言葉だけが伝える方法じゃないんだよ。鬼蜘蛛丸はその瞳が、その表情が、そして、そ
の態度が・・・俺のことを好きって言ってくれているんだ。」
「そ、そっか・・・」
「でも、まあ、どうしても言葉にしたいと言うのなら・・・」
少し間をおいてから、義丸はあることを鬼蜘蛛丸に尋ねる。
「鬼蜘蛛丸は、俺のこと好きか?」
「もちろん!」
「ほら、ちゃんと言葉に出来ただろ?」
「今ので、いいのか?」
「いいんだよ。ちゃーんと俺のココに響いてるから。」
そう言いながら、義丸は鬼蜘蛛丸の手を自分の胸に持っていかせる。鬼蜘蛛丸の手のひら
には、速いリズムを刻んでいる義丸の心臓の音がしっかりと伝わっていた。
「すごいドキドキしてるな。」
「な、言った通りだろ?」
「ああ、そうだな。」
ふっと笑いながら、鬼蜘蛛丸は頷く。自分も義丸以上にドキドキしているということは口
にせず、義丸の腕の中、義丸の鼓動をいつまでも聞いていた。
そして、ついに交流会の日がやってきた。兵庫水軍の出し物である『鶴姫伝説』のお芝居
は、舞台が海の上なので、忍術学園の生徒や先生達を乗せた大きな船が観客席として沖に
出る。海の上には、舞台のような袖がないので、物語中で使う船の他に舞台袖の役割を果
たす二隻の船が用意された。
「忍術学園の皆さん、本日は兵庫水軍の海へお越し頂きありがとうございます!これから
お見せしますのは、涙なしでは見られぬとある水軍の武勇と悲恋の物語です。短い時間で
はありますが、どうぞお楽しみ下さい!」
そんな口上を述べているのは、第三協栄丸ではなく、第四協栄丸だ。海の上が舞台である
ため、第三協栄丸は船酔いをしてしまい、とても口上を述べられる状態ではなくなってい
た。第四協栄丸の口上が終わると、物語の進行はナレーションである由良四郎に任される。
「時は今より少し昔、この瀬戸内の海を守る水軍の中に、大祝という一族がいた。もとも
とは神職につく一族であったが、この海で戦が起こった場合、彼らは一族の者を水軍の頭
として派遣していた。・・・・」
物語の初めは、鶴姫の兄、安房が陣代となる話から始まった。安房が陣代となった戦いで
は、敵軍を撤退させることは出来たものの、その戦いにおいて、安房は命を落としてしま
う。そんな安房の戦いの場面を、安房役である蜉蝣は見事に演じ切った。緊迫した戦いの
場面に、忍術学園の面々は息を飲む。安房が討たれ、海に落ちる場面では、ああっという
小さな悲鳴にも似た声も上がった。
「安房が戦で倒れた後、水軍の新たな頭になったのは、安房の妹である鶴姫であった。鶴
姫は安房が討死した年に再び攻めてきた敵軍を見事に撃退する。女性でありながらも、優
れた才能と武勇で、水軍を率いる。そんな鶴姫にも、将来を誓い合った恋人がいた。」
鶴姫の説明の後、鶴姫に扮した鬼蜘蛛丸が登場する。鶴姫が登場する初めの場面は、恋人
越智安成との何気ない日常の場面であった。小さな船の上、鶴姫は戦いで使う武器の手入
れをしている。そんな鶴姫の後ろから、義丸扮する安成がやってきて、鶴姫の目を両手で
塞いだ。
「わっ!」
「誰だか分かります?」
「分からないわけないだろう。こんなことするのは、お前だけだぞ、安成。」
「正解です。さすがですね。」
「全く・・・武器持ってるんだから危ないだろ。」
「大丈夫ですよ。鶴姫は目をつぶっていても武器を扱えるんですから。」
「まあ、そうだが・・・って、そういう問題じゃないだろ!こんなどうしようもない悪戯
ばかりして、一体何の用だ?」
「鶴姫が構ってくれないんでちょっかい出しに来ました。」
「今は仕事中だ。お前、自分の仕事はどうした?」
「とっくに終わってますよ。だから、鶴姫に会いに来たんです。」
にっこりと笑いながらそう言う安成に、鶴姫は図らずもときめいてしまう。しかし、今は
仕事中である。いくら恋人同士とは言えども、仕事をおろそかにするわけにはいかない。
「私の仕事、手伝ってくれるなら、後で構ってやらなくもないぞ。」
「それなら喜んで手伝いますよ。」
「じゃあ、これを・・・」
すまるを手渡そうとすると、安成はすまるではなく、鶴姫の腕を掴み、ぐいっとその腕を
引いて、軽く頬に接吻をする。
「なっ・・・」
「間違っちゃいました。掴まなきゃいけないのはこっちでしたね。」
「お前、わざと・・・」
「何のことです?ほら、早く仕事終わらせましょう。」
とぼけるようなことを言いながら、安成はすまるを受け取り、それを磨き始める。安成の
行動にドキドキしながら、鶴姫は自分の仕事をさっさと終わらせてしまおうと、先程より
集中して手にしている武器を磨き始めた。鬼蜘蛛丸と義丸の演じる鶴姫と安成のやりとり
を見て、今は出番のない若いメンバーは、舞台袖代わりの船の上でこそこそと話をする。
「あれ、どう見ても、普段の義兄ィと鬼蜘蛛丸の兄貴だよねー。」
「ああ、間違いない。演技に見えないもんな。」
「リアリティがあっていいじゃん。」
「若干ありすぎ感は否めないけどね。」
網問、間切、重、航がそんな話をしていると、後ろから東南風と舳丸が声をかける。
「見たい気持ちは分かるが、そろそろ俺達も出番だぞ。」
「ちゃんとすぐ出られるように用意しとけよ。」
『はーい。』
若い衆の中でも兄貴分の二人にそう言われ、ハイティーンメンバーは次の場面の用意を始
めた。
鶴姫と安成の日常的なやりとりの場面が終わると、物語は再び戦いがメインの話となる。
「安房との戦い、鶴姫との戦い、一年に二度の敗北に業を煮やした敵方は、陶晴賢を大将
とし、今までにないほどの勢力で、瀬戸内の海の覇権を握ろうと侵攻を謀る。鶴姫率いる
水軍はその侵攻を食い止めようと、全力で迎え撃った。しかし、その強大な勢力を前に、
鶴姫側の水軍は劣勢となり、苦戦を強いられることとなる。」
由良四郎のナレーションをきっかけに、物語は非常に緊迫した戦いの場面へと変わる。鶴
姫側の水軍は追いつめられ、このままでは侵攻が防げない。そんな状況で、鶴姫の恋人で
ある越智安成は、自分がこの戦いの最前線に立って戦いたいということを鶴姫に伝えた。
「この状況でそれは危険すぎる。」
「そんなことは百も承知です。それでも、私は戦いたい。」
「だが・・・」
あまりにも危険が伴うため、鶴姫は安成を止めようとする。しかし、安成は真剣な眼差し
で鶴姫の顔を見つめた。
「鶴姫、私はこの海が好きです。ここに住む人も、この水軍も・・・そして、あなたも。
だから、この手で守りたいんです。」
「安成・・・」
「この海に散って逝けるのなら、それは本望です。」
それは紛れもなく安成の心からの言葉であった。そんな安成の言葉を聞いて、鶴姫は唇を
噛み、必死で涙がこぼれそうになるのをこらえる。しかし、すぐに笑顔を作り、安成が最
前線で戦いに出ることを許可するような言葉を口にした。
「全く・・・本当に頼もしいな、お前は。行って来い。」
「ありがとうございます。」
頭を下げてお礼の言葉を述べた後、安成は鎧で包まれた鶴姫の体を強く抱きしめる。
「すいません・・・鶴姫・・・」
「・・・っ」
「・・・・さようなら。」
鶴姫にしか聞こえないような声で安成はそう囁く。そして、敵軍に向かって、決死の突撃
へと出ていった。敵船に乗り込み、刀で相手に斬りかかる。しかし、多勢に無勢、安成は
返り討ちに合ってしまう。たくさんの矢が体中に刺さり、血が滴る。そして、とどめと言
わんばかりに、晴賢が刀を振り下ろし、その鎧共々安成の上半身を切り裂いた。
ザクッ・・・
鎧にちょっとした細工が施されていたため、まるで本物の血が吹き出しているかのように、
鮮やかな赤が辺りに飛び散る。そのあまりのリアルさに刀を下ろした疾風も切られた義丸
も驚いたが、本当に切れているわけではないので、筋書き通り、そのまま義丸は海へと落
ちた。その光景を見て、鶴姫になりきっている鬼蜘蛛丸は本当に心臓が止まってしまうの
ではないかというほど、ショックを受け、硬直してしまう。あまりのショックに頭が真っ
白になり、叫びたい衝動に駆られるが、ここは叫ぶ場面ではない。
(ダメだ・・・泣くな。ここは泣いちゃいけない場面だ。)
泣き叫びたい衝動を必死で抑えながら、鬼蜘蛛丸はぎゅっと拳を握り、涙がこぼれ落ちそ
うになるのをこらえる。小さく震えながら、涙をこらえる表情は、あまりにもリアルで、
見る人全てに愛する人を目の前で失った鶴姫の大きな悲しみと辛さを伝えていた。
安成の討死の場面を越えると、今度は鶴姫の最大の武勇を表す嵐の中の奇襲の場面となる。
「昼間の戦いで、安成を失い、たくさんの将兵を失った鶴姫側の水軍だが、それでも諦め
るということをしなかった。日が沈むとどこからともなく雲が立ちこめ、風が吹き始める。
それは、鶴姫達にとってはまさに神風と言ってもよいものであった。」
昼間の戦いでかなりの痛手を負った鶴姫側の水軍であるが、鶴姫は戦わなければならなか
った。それはこの海を守るため、この海に散った安成、そして、他の兵の為にも必要なこ
とであった。
「昼間はたくさんの者が討たれ、この海に沈んでしまった。敵は強い。確かに我々は圧倒
的に不利だ。しかし、我々は負けるわけにはいかない。」
『鶴姫様・・・』
残った兵はわずかではあるが、彼らも戦う意志はあった。そんな彼らにとって、鶴姫は最
後の希望であった。
「我々はこの海を知り尽くしている。どんな暗闇の中でも、どんな荒い波の中でも、我々
は自由に動ける。今なら・・・倒せる。」
雨の降りしきる夜空を見上げながら、鶴姫はそう呟いた。必ず勝ってみせる。そんな決意
の表情が鶴姫の顔には浮かんでいた。
「この雨も、この風も、この暗闇も・・・全て我々の味方だ。お前達、私と共に戦ってく
れるか?」
鶴姫の言葉に、残った兵は皆頷く。そして、嵐の吹き荒れる中、鶴姫率いる水軍は夜襲を
かけに、海へと繰り出した。
「晴賢様!敵船がこちらへ向かっております!」
「何!?この嵐の中何を考えているんだ、あいつらは!」
雨と風が吹き荒れる中、鶴姫達の船は晴賢側の船団を攻める。予想だにしていなかった攻
撃に、疾風扮する晴賢は非常に慌てた素振りを見せ、晴賢側の兵士である水夫の面々は変
わる変わる自分達の軍の状況を報告する。
「大変です!次々にこちらの船がやられています!」
「この嵐で舵が自由に取れません!」
「この船にもいくつもの火矢が打ち込まれています!」
風雨も大きな波も物ともせず、鶴姫が率いる水軍は次々に攻撃を仕掛けていく。一方、晴
賢率いる水軍は、嵐で自由に身動きが取れず、鶴姫達の攻撃に為すすべがなかった。
「撃て――っ!」
鶴姫の掛け声と共に、次々に放たれる投げ焙烙や火矢は、晴賢側の船に火をつける。大き
な炎は上がらないものの、多くの船が白い煙で包まれた。鶴姫側の奇襲に、どうしようも
なくなり敵軍は敗走せざるを得なかった。鶴姫達は勝利したのだ。撤退して行く船を見て、
鶴姫は未だに荒れ狂う波間を眺め、静かに呟いた。
「仇はとったぞ・・・安成。」
昼間の戦いで命を落とした者達に思いを馳せつつ、鶴姫と生き残った兵達は、自分達の帰
るべき場所へと帰って行った。
「全ての戦いが終わり、生き残った兵士はその疲弊した体を少しでも癒そうと、深い眠り
につく。しかし、鶴姫だけはまどろむことなく、一人まだ夜も明けぬ暗い海へと漕ぎ出し
た。」
由良四郎のナレーションで、物語は最後の場面へと移る。ここからは、鬼蜘蛛丸が演じる
鶴姫しか登場しない。それ故、鬼蜘蛛丸にとっては、この場面が最大の見せ場であった。
戦いを終え、鎧を脱いだ鶴姫は、小舟を漕ぎとある場所までやってくる。目的の場所に到
着すると、それ以上櫓を漕ぐのをやめ、その場に舟を留まらせた。
「ここが・・・安成の沈んだ場所。」
そう呟きながら、鶴姫は舳先に手をかけ、海面を覗く。海に雨が注ぐように、鶴姫は今ま
でこらえていた涙をこぼした。
「どうしてあの時・・・行くなと言えなかったのだろう。本当は行って欲しくなどなかっ
た・・・」
大きな滴を海へ落としながら、鶴姫は本当の気持ちを口にする。安成が戦いたいと言った
時、許してしまえば、命を落とすかもしれないことは分かっていた。しかし、あの時は送
り出すことしか出来なかった。胸を締めつける後悔の念が涙となり、とめどなくその瞳か
ら溢れる。
「確かに私達は勝った。だが、あの戦いに意味はあったのか?兄様を亡くし、多くの仲間
を亡くし、そして、安成までも失った・・・。残るものなど、空しさとこんなにも辛く悲
しい気持ちだけではないか。」
そう言って、鶴姫は嗚咽を漏らしながら、しばらく口を閉ざす。悲しい泣き声だけが響き、
辺りは何とも言えない重い静寂に包まれる。そんな静寂を破るように、鶴姫は再び口を開
いた。
「安成・・・もう一度、お前に逢いたい。いつものように笑って、私のことを抱きしめて
愛していると・・・っ・・・」
叶わぬ思いを口にしたことで、鶴姫の胸はさらに大きな悲しみに包まれた。言葉が詰まり、
口から漏れるのは嗚咽ばかり。身を裂かれるような深い悲しみに、ひとしきり涙を流すと、
鶴姫はゆっくりと立ち上がった。
「わが恋は・・・三島の浦のうつせ貝・・・むなしくなりて・・・名をぞわづらふ・・・」
鶴姫は想いの内を歌に込める。鶴姫にとって、安成はなくてはならない存在であった。恋
人として、水軍の中での自分の右腕として、いつも側に居てくれたかけがえのない存在で
あった。これからも共にあろうと、契りを交わし、将来を誓い合った。しかし、安成はも
うこの世にはいない。
「お前がいない場所でなど、生きていたくはない。たとえ戦に勝利したとしても、お前が
側にいてくれなければ、そんなものは意味はない。そんな名声など私にとっては、何の価
値もない。安成・・・お前の名前を口にするだけで、その名を心に思い浮かべるだけで、
こんなにも、胸が苦しい。どうして、私を置いて死んでしまったんだ。全てが空しい。お
前が恋しい。私も、お前のところへ逝きたい・・・」
あまりに切なすぎる鶴姫の言葉に、忍術学園の面々も水軍のメンバーも涙をこらえられず
にいた。静かな海に鶴姫だけではなく、何人もの鼻をすする音や嗚咽を漏らす音が響く。
そんな誰もが鬼蜘蛛丸の演技にもらい泣きをしているような状況の中、鬼蜘蛛丸は最後の
台詞を口にする。
「母様、私を安成のところへ連れて行って下さい」
母の形見の鈴を胸に抱き、鶴姫は暗い海へと身を投げる。
チリン・・・チリン・・・チリン・・・
鶴姫が海の底へと沈んでいくのを示すかのように、小さな鈴の音がいつまでもいつまでも
鳴り響いていた。
『うわあぁん!』
網問や重、航の水軍年少メンバーは舞台袖の船から、最後の場面を見て号泣していた。
この三人ほどではないが、他の水軍メンバーも、鬼蜘蛛丸のあまりに感情のこもった演技
にもらい泣きをせずにはいられなかった。
「鬼さん、やっぱすごいな。」
「そうですね。これはさすがに泣かずにはいられないです。」
「何かもう胸がぎゅうってなりますよね。」
軽く鼻をすすりながら、舳丸、東南風、間切の三人は鬼蜘蛛丸の演技に心から感動してい
た。恋人を失った鶴姫の辛い気持ちが痛いほど伝わると、涙ながらに感想を言い合った。
「お前、絶対泣かないって言ってたのに、すごい泣いてるじゃないか。」
「う、うるせー!鬼蜘蛛丸の奴が鶴姫になりきってやがるから、つられちまったんだよ!
てか、お前だって泣いてるじゃねぇか。」
「俺は別に泣かないなんて言ってないからな。まあ、ここまで泣かされるとは思ってなか
ったけどな。」
涙声になりながら、蜉蝣と疾風もそんなやりとりを交わしている。舞台袖のメンバーが皆
涙に濡れていると、海の潮で濡れた鬼蜘蛛丸が、最後の場面を終えてそこへ戻ってきた。
「はあー、やっと終わった。」
「お疲れ様。最後の場面、本当感動したぞ。」
「そうか、それならよかった・・・って、うわ!何かみんな泣いてるし!」
「だから、鬼蜘蛛丸の演技に感動して泣いてるんだって。俺もあの場面は、本当見ていて
胸が痛かったからな。」
安成を思って悲しみにくれている場面なので、安成役の義丸は鶴姫の言葉を聞くたびに、
すぐに出て行って抱きしめてやりたい衝動に駆られた。だが、物語上それは出来ない。そ
れ故、義丸は鬼蜘蛛丸の放つ悲痛な言葉に胸を痛めることしか出来なかった。
「おー、鬼蜘蛛丸も戻ってきたな。感動して泣きたい気持ちはよく分かるが、まだ最後の
挨拶が終わってないぞ。ほらほら、いつまでも泣いてないで、忍術学園の皆さんに顔見せ
に行くぞ。」
話自体は終わったが、まだ挨拶が済んでいないと、由良四郎は舞台袖の船に待機していた
メンバーを呼びに来る。とりあえず、涙を拭い、『鶴姫伝説』を演じ切った兵庫水軍のメ
ンバーは、笑顔で最後の挨拶に向かうのであった。
忍術学園側の出し物も終わると、兵庫水軍・忍術学園双方のメンバーでバーベキューパー
ティーを行う。新鮮な魚や貝を焼き、食堂のおばちゃんの料理を食べながら、交流会に参
加したメンバーはそれぞれ思い思いに会話を楽しんだ。
「安成が死んだ場面は、本当迫力があって驚きました。刀で切られたときの、血の飛び散
り方がリアルで。あれ、どういう仕掛けなんですか?」
そんなことを安成役の義丸と陶晴賢役の疾風に尋ねたのは、五年生の鉢屋だった。その近
くには、同じ学年の雷蔵や六年生の文次郎や伊作が座っていた。
「あれは確かに気になりますね。本物じゃないですよね?」
鉢屋に続けるように質問をする文次郎に、義丸は笑いながら答えた。
「あれが本物だったら、わたしは本当に死んでいるよ。」
「あの仕掛けは、たぶん網問や間切の若い奴らが考えてくれたんだぜ。衣装や小道具を用
意したのはそいつらだからな。」
「そうなんですか?」
すぐ側に網問と間切が座っていたので、雷蔵はそう尋ねる。食堂のおばちゃんが作った料
理を口いっぱいに頬張りながら、網問は頷くような言葉を返す。
「ふぉうれす。ふぉれたちが・・・」
「網問、何言ってるか全然分からないぞ。ちゃんと飲み込んでから話せ。」
何を言ってるかさっぱり分からない網問の言葉に、疾風は呆れたようにそう言葉を挟む。
「網問の代わりに俺が話しますよ。あれは鎧の中に赤く染めた水をパンパンにつめた袋を
詰めていて、少し衝撃を与えると破裂するような仕掛けになってたんです。鎧も衣装なん
で、そんなに丈夫に作ってるわけじゃないですしね。まあ、考えたのはやま兄ィなんです
けど。」
『へぇー。』
そんな仕掛けになっていたのかと、忍術学園のメンバーは感心するような声を漏らす。
「敵を油断させるということには使えそうだな。」
「文次郎、さっそくギンギンに忍術に反映させるつもり?」
「当然だ。」
その仕掛けを忍術に反映しようとしている文次郎の言葉に、伊作はクスクス笑いながら、
からかうような口調でそう尋ねる。そんな伊作の問いに、文次郎は大真面目に答えた。
「人を驚かすのにも使えそうだな。下級生に剣術の練習しようって誘って、ちょっと当た
ったら血がブシャーみたいな。」
「やめなよ三郎。一年生とか二年生にそれやったら、マジ泣きされるよ」
「そうか?面白いと思うんだけどなあ。」
人を驚かせるのが大好きな鉢屋にとってはその仕掛けはひどく魅力的なものであった。自
分達のやったお芝居をこんなふうに他の部分で反映させようと考えている忍術学園の生徒
のやりとりを見て、義丸や疾風はさすがだなあと感心していた。義丸達よりさらに海に近
い場所に座っている鬼蜘蛛丸や蜉蝣の周りには、さらに多い忍術学園の生徒が集まってい
た。
「鬼蜘蛛丸さん、本当すごかったです!もう最後の場面は号泣でした。」
「女性の役なのに、全く違和感なかったですしね。」
感動しましたと素直に語るのは五年生の久々知で、役について話しているのは、六年生の
仙蔵だ。
「ぼくも感動しちゃいました。鶴姫がどれだけ安成のことを好きだったかってのが、物凄
く伝わって。」
「鶴姫の辞世の歌の・・・演出、よかったと・・・思います。」
久々知や仙蔵の言葉に続けて、タカ丸や長次も感想を述べる。とにかく褒められまくって
いる鬼蜘蛛丸は、恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべていた。
「いやあ、そこまで褒められると何だか照れるな。」
「そういえば、最後に鶴姫が詠んでた歌ってどういう意味なんですか?」
「小平太、分からないで感動してたのか?」
「いやー、あんまりそういうのは得意じゃなくてな。」
鶴姫の辞世の句の意味があまりよく分からなかったという小平太の言葉に答えを示したの
は蜉蝣であった。
「あの歌の後に、鶴姫の少し長い台詞があっただろ?あれが、その歌のおおよその意味だ。」
「安成がいないと戦に勝っても意味がないとか、名前を思うだけでも辛いとか、全てが空
しいというところですか?」
小平太の代わりにそう尋ねたのは、四年生の滝夜叉丸であった。ある程度理解はしていた
ものの、滝夜叉丸も正確な歌の意味はよく分からなかったのだ。
「そうだ。まあ、台詞に崩してしまっているから、ちゃんとした訳かと言われれば、そう
とは言い切れないけどな。」
「さすが、蜉蝣さんですよね。お芝居の中に自然に意味を入れるなんて。」
『どういうことですか?』
「あのお芝居の台本を書いたのは、蜉蝣さんなんだ。『鶴姫伝説』をわたし達でも出来る
ようにってね。」
それはすごいとそこにいた忍術学園のメンバーは、尊敬の眼差しで蜉蝣を見る。それが何
となく照れくさくて、蜉蝣はそっぽを向いてしまう。
「俺はあくまでも知っている話を文章に起こしただけだ。あの話で感動出来たなら、それ
は鬼蜘蛛丸や他の奴らが上手く演じてくれたからだぞ。」
「兵庫水軍の方々は本当に芸が多彩ですね。」
「私達も・・・見習わなくては・・・」
「いろんなことを出来るようになれってことだな!」
六年生の面々がそんなことを言うのを聞いて、五年生や四年生のメンバーも頷く。そんな
忍術学園の生徒達を見て、自分達のしたことがちゃんとプラスになっているのだなあと、
鬼蜘蛛丸と蜉蝣はその顔をほころばせた。
バーベキューパーティーも終わり、夜もだいぶ更けた頃、忍術学園の生徒や先生は忍術学
園へと帰り、兵庫水軍の面々も水軍館へと戻って行った。慣れないことをした疲れとバー
ベキューパーティーで酒を飲んだこともあり、兵庫水軍のほとんどのメンバーは、水軍館
に戻るとすぐに眠りにつく。しかし、鬼蜘蛛丸はいまだに鶴姫を演じていた時の感覚が抜
け切っていないため、眠ることが出来なかった。少し気分を変えようと浜へと出てみるが、
夜の闇に包まれる静かな海は、『鶴姫伝説』の中の最後の場面を連想させる。悲しみにく
れていた鶴姫の心が鬼蜘蛛丸の中で蘇り、何となく泣きたい気分になってしまう。
「鬼蜘蛛丸。」
そんな気分で海を眺めていると、後ろから声をかけられる。声の主は、義丸であった。
「義丸・・・」
「随分暗い顔をして、どうしたんだ?交流会は大成功だったじゃないか。」
いつも通りの笑顔で話しかけてきてくれる義丸に、鬼蜘蛛丸は安心する。
「何だか鶴姫が俺の中から抜けてくれなくてなあ。」
苦笑しながら鬼蜘蛛丸は義丸にそう答える。義丸はすぐ近くにいるはずなのに、心の奥底
で感じる漠然とした不安感。それをどう表現したらよいか分からず、鬼蜘蛛丸は鶴姫が自
分の中から抜けてくれないという表現を使った。
「まあ、あれだけ長いこと練習して、しかも、あんな完璧に演じてたら仕方ないことかも
しれないな。」
「もう自分は鶴姫でなくていいって分かってるんだけどな、話の内容が、すごく身近なこ
とだろ?していることも抱いている思いも、何ら今の俺達と変わらない。そう思うとさ、
俺達の間でも、あーいうことがありえるんじゃないかと思って・・・」
そう話しながら、鬼蜘蛛丸の目からは一筋の涙がこぼれ落ちる。確かに鬼蜘蛛丸の言うこ
とは間違ってはいなかった。今自分達の行っている仕事は、鶴姫や安成が行っていた仕事
と大きな差はない。お互いに抱いている思いも、鶴姫や安成が抱いていた思いとほとんど
変わらない。いつか義丸も安成と同じように、自分の目の前からいなくなってしまうかも
しれない。そんな思いが鬼蜘蛛丸の心を不安にさせていた。
「確かに俺達が行っている仕事は、危険が伴う仕事だし、全くそういうことがないとは言
い切れない。」
「・・・・っ。」
「でも、俺は鬼蜘蛛丸を悲しませるようなことは絶対にしない。」
そうきっぱりと言いながら、義丸は鬼蜘蛛丸の体を強く抱きしめる。
「義丸・・・」
「本物の安成は、自分が死んだ後、鶴姫がどんな気持ちでいたかを知らないだろ?でも、
俺は知っている。鶴姫がどんな思いをして、どれだけ悲しんでいたかを。そんな思いを俺
は鬼蜘蛛丸にはさせたくない。」
強く抱くその腕の力から、鬼蜘蛛丸は義丸がどれだけ真剣に心の底からその言葉を放って
いるのかを感じ取っていた。
「さっき言った通り、我々の仕事は危険なことも多い。絶対にならないということはない
が、そうならないように努めることは出来るだろ。」
「ああ。」
「だから、俺は鬼蜘蛛丸を置いて一人で死ぬなんてことはしない。鬼蜘蛛丸の悲しむ顔は
見たくないからな。」
「でも、死んだら俺の顔は見れないんじゃないか?」
そんなことを言ってくる鬼蜘蛛丸に、義丸は苦笑する。
「幽霊は人の顔は見れないのか?」
「うーん、見れるから、きっと船幽霊とかは襲ってくるんだろうなあ。」
「なら、見れるじゃないか。鬼蜘蛛丸が悲しんでいたら、俺はいつまでたっても成仏でき
ないからな。」
冗談交じりにそう言う義丸の言葉に、鬼蜘蛛丸は思わず笑ってしまう。いつの間にか、鶴
姫の気持ちは鬼蜘蛛丸の心の中から消えていた。
「俺が死ぬ時は、鬼蜘蛛丸が死んだ時だ。」
「えっ・・・?」
「それなら、鬼蜘蛛丸は悲しまずに済むし、俺もすぐに鬼蜘蛛丸のところへ行くから、悲
しむのはほんの一瞬だ。」
それはどうなのだろうと鬼蜘蛛丸が困惑したような反応を見せると、義丸はふっと笑って
言葉を続ける。
「俺を長生きさせたかったら、鬼蜘蛛丸が長生きしてくれ。」
そういうことならと、鬼蜘蛛丸は笑って義丸の言葉に頷いた。
「それじゃあ、うんと長生きしなきゃだな。」
「そうだぞ。その分俺達は一緒にいられるんだから。」
義丸の言葉は、心の中のもやもやを全て取り去ってくれる魔法の言葉だと思いながら、鬼
蜘蛛丸はぎゅうっと義丸の体を抱きしめ返す。そして、少し離れて、義丸の顔を見ると、
今一番伝えたい言葉を口にした。
「義丸、愛してるぞ。」
にっこりと微笑みながら、そう言う鬼蜘蛛丸に、義丸の胸は愛しさと嬉しさでいっぱいに
なった。自分達の部屋で鶴姫と安成のことを話していた時は、言えないと言っていたその
言葉を、今はいとも簡単に自然に口にしている。そんな鬼蜘蛛丸の言葉に、義丸は心を込
めて、返事を返す。
「俺もだ。鬼蜘蛛丸。」
そう言いながら、義丸は抱きしめていた腕を解き、鬼蜘蛛丸の頬にその手を添える。義丸
のそんな仕草に、鬼蜘蛛丸は瞳を閉じた。ほんの少し速くなる鼓動に、近づく吐息。その
吐息が感じられなくなったと同時に、互いの唇が触れ合った。言葉では伝えきれない思い
が、重なり合うそこから伝わる。胸の奥がじんわりと温かくなるような心地よいその感覚
に身をゆだね、二人は今共にある喜びを、しっかりと噛みしめるのであった。
END.