悪い夢のち、うつつの・・・

赤い月が昇り始める頃、伊作は自分の部屋でいつもより早く床についていた。しかし、そ
の表情は穏やかではない。何か悪い夢でも見ているようにかなりうなされている。
「う・・うーん・・・」
夢でも不運な目に遭っているような感じであったが、実際はもっと深刻な夢であった。
『あそこに隠れたぞ!!』
『ちっ、見つかっちまったか。』
『ゴメン、文次郎。ぼくが不運なばっかりに・・・』
『お前の不運は今に始まったことじゃねぇだろ。ほら、逃げるぞ。』
伊作が見ている夢は、忍術学園を卒業して実際に忍者をしてる夢であった。何故か文次郎
と一緒に仕事をしており、しかも、相当ピンチな状態になっている。
『くそ、さっきやられて傷が意外と深いみてぇだな。』
『もう少し落ち着いたら、ちゃんと手当てするから。』
『ああ、頼むぜ、伊作。』
夢の中での文次郎は敵と戦っている中で、肩の大きな傷を負ってしまった。その傷口から
は、絶え間なく血が流れ、普段ならいくら走っても乱れない文次郎の息が、苦しそうに乱
れている。
『っ!!』
逃げている最中、文次郎はどこからか殺気を感じた。それは、自分に向けられているもの
ではなく、明らかに伊作に向けられているものであった。次の瞬間、棒手裏剣やクナイが
伊作に向かって飛んでくる。
ヒュン・・・ヒュン・・・ヒュン・・・・
伊作はそのことに気付いていない。痛む肩を押さえながら、文次郎は伊作をかばうように
動いた。伊作を狙って放たれたそれらの武器は、全て文次郎の背中に突き刺さる。
『くっ・・・』
その痛み、ダメージを堪えながら、文次郎は少しでも安全な場所に移動しようと走り続け
た。その甲斐あって、敵の忍者をなんとか振り切ることが出来た。
『ハァ・・ハァ・・・ここまでくれば、もう大丈夫だろ。』
『ハァ・・・そうだな。』
薄れゆく意識の中、文次郎は伊作の肩に手をかける。
『伊作・・・無事か・・・?』
『うん、大丈夫。文次郎、今、手当てするから・・・』
『よかっ・・た・・・』
伊作が無事なことを確認すると、文次郎は伊作を抱きしめ、そのまま意識を失う。そこで
初めて、伊作は文次郎の背中にたくさんの手裏剣やクナイが刺さっていることに気付く。
『えっ・・・文次郎・・・・?』
それを見て、伊作の顔は一気に青ざめる。肩からも背中からもおびただしい量の血が流れ、
六年間忍術学園で保健委員をしていた伊作には、その怪我が致命傷になるということが一
瞬にして理解出来た。
『嘘・・・文次郎・・・・嘘だろ・・・?』
心臓が押し潰されてしまいそうな程の不安と絶望。恐る恐る伊作は文次郎の脈に触れる。
そこはもう血液を運ぶ動きをしていなかった。そして、こんなにも体が触れ合っているの
に、文次郎の鼓動は全く聞こえていなかった。
『嫌・・・嫌だっ・・・文次郎・・・文次郎っ!!』
どんなに呼びかけても叫んでも、もう文次郎は返事もしないし、反応もしない。認めたく
ない事実。それが今、目の前で起こっている。
『うわああぁぁぁっ!!!!』
悲痛な声を上げ、伊作は泣き叫ぶ。胸がはち切れそうな程の悲しみ。文次郎が死んだ。頭
では理解出来ても、心がそれを理解してくれようとしてくれなかった・・・。

「うわあぁぁ!!」
大きな叫び声を上げ、伊作はがばっと起き上がる。背中にびっしょり汗をかき、開いた瞳
からはとめどなく涙が溢れていた。
「ハァ・・・ハァ・・・ゆ、夢・・・・?」
六年長屋の自分の部屋にいるということは、完全に夢である。しかし、先程まで見ていた
夢の不安感と喪失感はいまだに消えてはいない。
「文次郎・・・」
とにかく今は文次郎に会って安心したいと、伊作はむくっと立ち上がった。そして、ふら
ふらとした足取りで、部屋の外へ出て行く。まずは文次郎の部屋に向かうが、この時間帯
は夜間訓練に出ていて部屋の中にはいなかった。すぐに見つからないとなると、不安感は
募るばかりだ。
「・・・・・どこだよ、もう。」
半泣き状態で、伊作は文次郎の部屋を後にする。文次郎の部屋を出ると、風呂上がりと思
われる長次と仙蔵に会った。
「伊作、こんな時間にどうしたんだ?」
「いや・・・ちょっと・・・」
「顔色、悪いぞ。」
「あ、あのさ、二人とも文次郎見てない?」
「文次郎?長次、さっきまで一緒に夜間訓練してたんじゃないのか?」
「ああ。でも、私が帰るって言っても、まだ続けるようなこと言ってたぞ。」
「そっか・・・」
「気分悪そうだし、部屋に帰って休んだ方がいいんじゃないか?」
「ううん、大丈夫だから心配しないで。じゃあ、お休み。」
『ああ。』
かなり不調そうな伊作を心配しつつ、長次と仙蔵はそれぞれ自分の部屋に戻る。二人を見
送ると、何とか文次郎を見つけようと、伊作は再び歩き出した。すると、夜間訓練から帰
ってきたと思われる小平太と会う。
「あれー?伊作じゃん。もう寝たんじゃなかったの?」
「小平太・・・」
「今さっきまで、長次と文次郎と夜間訓練してたんだけどさぁ、文次郎がな・・・」
「文次郎どこに居るの!?」
「えっ?何?伊作、文次郎に用があるの?」
「・・・ああ。」
少し取り乱してしまったような態度を取ってしまったことを取り繕いながら、伊作は小さ
く頷く。伊作の様子からすると緊急の用事なんだろうなあと思い、小平太は文次郎の居場
所を教えた。
「文次郎なら、さっき厠に行くって言ってたけど。」
「厠だね。ありがとう小平太!!」
走って行く伊作を不思議そうな顔で眺めながら、小平太は首を傾げる。
「こんな時間に何の用なんだろう?まあ、いっか。」
少しは気になるが、別に探ることでもないと、小平太は自分の部屋へと向かう。小平太と
全く逆の方向に走っていった伊作は、一番近い厠に辿り着く。
「ハァ・・・」
ガチャっ・・・
「文次・・・」
開いたドアから出てきたのは、文次郎ではなく食満だった。ばっと顔を上げたため、完璧
に目が合ったが、あまりのガッカリさに声も出なかった。
「何やってんだ?伊作。」
「はぁ・・・留三郎か・・・」
「な、何だ!?その超ガッカリした感じは!!」
「留三郎っ!!」
「お、おう、何だ?」
急に大きな声を上げる伊作に食満は驚いてたじろぐ。
「文次郎、どこに居るか知らない!?」
「はあ?文次郎だと?私が知るか、そんなこと。」
文次郎とあまり仲のよくない食満は、伊作の質問に冷たくそう答える。しかし、伊作は今
どうしても文次郎に会いたいのだ。これ以上、どう探したらいいか分からなくなった伊作
は、目に涙を浮かべ、今にも泣きそうな顔になる。それを見て、さすがの食満も焦り、何
とか取り繕うとする。
「な、何で泣くんだよ!?」
「だ、だって・・・・」
「わ、分かった私が悪かった。文次郎なら、風呂に居るはずだ。厠に来る時、入って行く
のを見たからな。」
「本当・・・?」
「ああ、本当だ。」
「ありがとう、留三郎。」
ぐしぐしと涙を拭うと、伊作は風呂場に向かって走ってゆく。会いたいと思う時になかな
か会えないというのは、より一層会いたいという気持ちを強くする。そんな気持ちを抱き
ながら、伊作は文次郎を目指して走っていった。

風呂場では、ちょうど文次郎が夜間訓練をしてかいた汗や汚れた体を洗って出てくるとこ
ろだった。今日はそのまま寝ようと、着替えは制服ではなく寝巻きの方を用意していた。
褌をつけ、寝巻きを着終わったところで、伊作が脱衣所に飛び込んでくる。探していた文
次郎の姿を見つけ、伊作は何のためらいもなしに抱きついた。
「文次郎っ!!」
「い、伊作っ!?な、何だっ!?どうしたんだ、一体!?」
いきなり伊作に抱きつかれ、文次郎はどうしたらよいのか分からず、慌てふためく。やっ
と文次郎に会えた安心感に、伊作は抱きついたまま号泣する。
「うわあぁぁん、文次郎〜!!」
「ええっ!?な、何なんだよ、お前は!?俺が何かしたか?」
いきなり抱きつかれ、いきなり泣かれ、文次郎は困惑しまくりだ。とにかく、風呂場にと
どまるのはあまりよろしくないと、文次郎は伊作をなだめながら、自分の部屋へと向かっ
た。廊下を歩いている間も、部屋に着いても、伊作は文次郎から離れようとせず、ずっと
泣き続けていた。
「とにかく落ち着け、伊作!!何があったかちゃんと説明しろ。」
とりあえず、何があったかを聞き出そうと、文次郎は伊作を抱いたままそう尋ねる。嗚咽
を漏らしながら、伊作はその質問に答えようとした。
「ふぇ・・・ひっく・・・夢・・・」
「夢?夢がどうした?」
「文次郎がっ・・・死ぬ夢・・・・見た。」
「なんて縁起の悪い夢見てやがる。勝手に俺を殺すな。」
「でも・・・すっごいリアルで、文次郎が・・・ぼくの腕の中で動かなくなっちゃって、
・・・脈も心臓も・・・全部止まっちゃってて・・・・すごく、怖かった・・・・」
いきなり抱きついて泣き出したのが、その夢の所為だと分かると、文次郎は呆れたように
溜め息をついた。
「はあ・・・全くお前って奴は・・・」
「夢だって・・・分かって、文次郎は生きてるって・・・確認したかったのに・・・文次
郎、どこ探してもいないんだもん・・・」
「仕方ないだろう、夜間訓練してたんだからよ。」
「けど、ぼく・・・すっごく不安で、すっごく怖くて・・・・文次郎に会いたいのに、会
えなくて・・・ひっく・・・」
「あー、はいはい、俺が悪かったよ。」
いまだに泣き続け、嗚咽を漏らしている伊作が何だか可哀想になり、文次郎は頭をポンポ
ンと撫でながら謝った。それで少しは落ち着いたのか、伊作の泣き声は小さくなり、文次
郎にしがみついている腕の強さも弱くなる。
「・・・ゴメンね、文次郎。」
「別に謝ることじゃねぇだろ。悪い夢なんて、誰でも見るもんだし。」
「うん。」
「それに、俺はそう簡単には死なねぇよ。そのために毎日鍛えてるんだし、学園長になる
っていう夢もあるんだからな。」
「・・・そうだよね。」
「あとは、まあ・・・あれだな。腕のいい保健委員がこうして側に居てくれりゃ、ちょっ
とやそっとの傷じゃそう簡単には死なねぇだろ。」
少し照れながら、文次郎はそんな言葉を付け足す。それを聞いて、先程までは泣き顔だっ
た伊作の顔に笑顔が戻った。
「腕のいい保健委員ってぼくのこと?」
「当たり前だろ。他に誰が居るって言うんだ?」
「だって、文次郎、いつも保健委員のこと馬鹿にしてるじゃない。」
「ま、まあ・・・それはそうだけどよ。でも、お前の手当ての腕は学園一だと思ってるぞ。
本当に。伊達に六年間、不運委・・・じゃなくて、保健委員やってるだけのことはあるな
あってな。」
「へぇ、文次郎がそんなこと言ってくれるなんて、超意外。」
「悪かったな、意外で。」
「でも、本当嬉しい。ありがと、文次郎。」
「お、おう・・・」
今度は泣き顔ではなく、優しい微笑みを浮かべながら、伊作は文次郎に抱きつく。そんな
伊作の一連の行動に、文次郎はドキドキしっぱなしだった。
「ねぇ、文次郎。」
「何だ?」
「今日は、文次郎と一緒に寝ていい?」
「はあ!?」
いきなりの爆弾発言に、文次郎はかなり動揺してしまう。しかし、伊作はいたって真面目
だった。
「だって、自分の部屋で寝て、またさっきみたいな夢みたら嫌だし。」
「そ、それはそうだけどよ・・・」
「お願い、今日一晩だけでいいからさ。」
「しょ、しょうがねぇなあ・・・」
「ありがとう、文次郎!」
こんなドキドキした状態で一緒に寝るのは、なかなか我慢を強いられることだと思いなが
ら、伊作の可愛さに負け、文次郎は了承してしまう。文次郎自体ももう眠ろうと思ってい
たので、特にそれ以上話をすることなく、二人は一つの布団に入った。
「文次郎と一緒に寝るなんて、久し振りだよね。」
「そうだな。」
「・・・ふふ、なんかちょっとドキドキするね。」
(ちょっとどころじゃないんだけどな。)
文次郎がそんなことを思っていると、伊作が再びぎゅうっと抱きついてきた。
「お、おいっ、伊作!」
「文次郎の心臓、ちゃんとドキドキしてる。・・・よかった。」
「ったく、お前は夢の中でもどんだけ不運なんだよ。」
大きな溜め息をつきつつ、文次郎は伊作の体を強く抱きしめる。その腕の強さに少しドキ
ッとした伊作だったが、心地よい安心感を覚え、ふっと笑う。
「おやすみ、文次郎・・・」
「ああ。」
やっと安心が出来たと、伊作は文次郎の腕の中で、再び眠りに落ちる。意外と世話が焼け
る奴だなあと思いながら、文次郎も目を閉じた。

チュン・・・チュン・・・
次の日の朝、文次郎と伊作は少し寝坊をしてしまった。なかなか二人が起きてこないので、
朝食に行く前に小平太が起こしに来た。
「文次郎ー、朝だぞー!!って、わああっ!!」
まさか文次郎の部屋で、伊作が眠っているとは思っていなかったので、小平太は素直に驚
くような声を上げる。
「朝っぱらから何だ?小平太。」
「い、いや、そろそろ朝飯の時間だから起こしに来たんだけど・・・」
「伊作、もう朝飯の時間だってよ。起きろ。」
「んん・・・もう朝なんだ・・・」
「じゃ、じゃあ、俺、先に食堂に行ってるから!!」
何故二人が一緒に寝ているのか分からないと、小平太はドキドキしながら、食堂まで走っ
ていった。
「なぁ、みんな聞いて聞いて!!」
「朝から元気だな、小平太。」
味噌汁をすすりながら、仙蔵は冷静にそう答える。長次や食満ももくもくと朝食を食べて
いる。
「文次郎と伊作が一つの布団で寝てた!!」
『何っ!!??』
先程までは、落ち着いていた三人がそれを聞いて、大きなリアクションを見せる。
「文次郎の奴、ついにそこまでやってしまったか。」
ふふんと笑いながら、仙蔵はそんなことを言う。
「でも、昨日文次郎を探してたのは、伊作の方じゃなかったか?」
「そういえば、そうだよな。俺も文次郎どこに居るか知らないかって聞かれたし。」
しかし、昨日のことを思い出すと、文次郎を探していたのは伊作の方であり、文次郎の方
から手を出すとは思えなかった。
「伊作が・・・誘った・・・?」
長次の言葉に、他の三人はざわつく。そんな話で盛り上がっていると、話題の張本人、文
次郎と伊作が食堂へとやってきた。
「ふあ〜、まだ、少し眠いな。」
「文次郎がそんなこと言うなんて珍しいね。いつも自分から寝ないでいるのに。」
『文次郎っ!!伊作っ!!』
「あー、おはよう。みんな。」
「何騒いでんだ?」
ただ一緒に眠っていただけなので、二人はいつも通りに振る舞っている。しかし、誤解を
しまくっている四人は興味津津で二人の話を聞こうとした。
「文次郎と伊作、どっちが誘ったの!?」
率直にぶっ飛んだ質問をしたのは、小平太だった。当然何のことだか分からない二人は、
首を傾げて顔を見合わせる。
「何の話だ?」
「とぼけるな。昨日の夜の話だ。」
「昨日の夜は、長次と小平太と夜間訓練をしていたが、それがどうかしたのか?」
『違う、その後っ!!』
「その後は・・・風呂から出た後、伊作が怖い夢を見たって泣きついてきて、一人で寝る
のが嫌だからっつーことで、一緒に寝たくらいだけど。」
「も、文次郎っ!!」
その言い方では、まるで幼い子供みたいだと伊作は顔を赤くして、文次郎に抗議の言葉を
投げかける。
「怖い夢・・・?」
「一人で寝るのが嫌だから・・・」
「一緒に寝た・・・?」
仙蔵、食満、長次は続けてそんなことを言う。何だつまらないとガッカリした顔で、三人
は再び大人しく朝食を食べ始めた。
「何なんだよ、お前達は?」
「あははー、別に何でもないから気にしないでー。」
「変なの。」
他のメンバーの態度を不審に思いながら、文次郎と伊作は食堂のおばちゃんの作った朝食
を食べ始める。他のメンバーより少し離れたところで食べながら、伊作はこそっと文次郎
に耳打ちした。
「文次郎、キスするならちゃんと起きてる時にしてよね。」
「なっ!?お、起きてたのか?」
「んー、ぼくだって、一応忍者の卵だよ?気配で分かるって。」
「・・・分かった。」
伊作が眠ってから、文次郎はこっそりキスをしていた。まさかバレているとは思わなかっ
たので、文次郎は若干動揺してしまう。少し赤くなり、その恥ずかしさを誤魔化すように
もくもくと朝食を食べる文次郎を見て、伊作はくすくすと楽しそうに笑うのであった。

                                END.

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