サイレント・ベビー (1)

「長太郎、誕生日プレゼント何欲しい?」
滝と鳳、この二人が同棲し始めてから二回目の誕生日が近づいてきた。そこで、滝は鳳に
何かをプレゼントしようとふと尋ねる。
「そうですね・・・俺、滝さんとの子供が欲しいです。」
その答えに滝はちょっと困惑。いくら好き合っていても男同士じゃ子供はどう考えてもで
きない。だが、滝にはそれが本気だとしたら、前からしてみたいと思っていたことをしよ
うと考えていた。
「長太郎、それ本気?」
「できないのはもちろん分かってますよ。でも、子供がいたらいいなあと思いません?」
「そうだね・・・。あのさ、それが本当の本当に本気で、長太郎がいいと思うならちょっ
と考えがあるんだけど・・・。」
「はい。」
滝は自分の考えていたことを全て話した。最近知った“サイレント・ベビー”という赤ん
坊のこと。もし、よかったらそういう子供を引き取り、本当の子供のように育てたいとい
うこと。それはもちろん簡単なことではない。普通の夫婦でも出来ないだろう。だが、滝
はあえてそれを望んだ。どうしても、そういう子供達を助けたかったのだ。
「というわけなんだけど。どう思う?長太郎。」
「そうですね・・・・」
確かに子供は欲しいけれど、これは一筋縄ではいかないことだ。鳳はしばらく黙って考え
た。しかし、やはり心の優しい鳳。そんな話を聞いて、黙ってはいられない。滝の意見に
賛成だった。
「とても・・・大変なことかもしれません。でも、俺もそういう子供を少しでも助けてあ
げたい。滝さん、一緒に育てましょう。」
滝はこの鳳の言葉を聞いて、ニコッと笑った。
「長太郎ならそう言ってくれると思った。本当に大変なことだと思うけど二人で頑張って
いこう。」
「はい!」
鳳の誕生日をきっかけに二人が決断したとても重大なこと。プレゼントなど安っぽい言葉
では絶対に表せないものだが、二人にとってこの決断はこのあとに待つ壮大なドラマの始
まりだったのだ。

2月14日 萩之介
今日は長太郎の誕生日だ。俺にとっても、長太郎にとってもとても大切な日。この大切な
日に俺達は一人の赤ちゃんを引き取った。サイレント・ベビーと呼ばれる赤ちゃんを。サ
イレント・ベビーは乳児期に親に無視されたり、世話を十分にされなかったことが原因で
感情表現が出来なくなってしまった赤ちゃんのことだ。俺達が引き取った子はかなり重症
らしい。その施設にいた赤ちゃんはみんなそうだったが、とてもおとなしく、泣きもしな
い。施設の人がいくらあやしても全く笑わない。赤ちゃん特有の感情表現が何も出来なく
なってしまっているのがよく分かった。この子達の親はどうしてこんなに可愛い子をほお
っておいてしまったのだろう?どんな理由があろうとも俺はそのことがとても許せないと
思った。俺達が引き取った赤ちゃんには名前があったが、施設の人に相談し、変えること
にした。『豊』表情が豊かになってくれるようにという意味を込めてこの名前にした。単
純かもしれないが、この子にとってそれが一番大切なことだと思う。時間はかかるかもし
れないが、俺達は必ずこの子を幸せにする。普通の子と同じように泣いたり、笑ったり、
怒ったり出来るようにしたい。これから、よろしくね豊。

 3月17日 長太郎
豊がうちに来てから一ヶ月とちょっとが経った。まだ、目も合わせてくれない。もちろん
笑ったり、泣いたりするなんてもってのほかだ。だけど、まだ始まったばかり。そんなに
焦ることはない。少しずつ、少しずつ、変わっていってくれればいい。俺達は君のことが
大好きだからね。
「豊、高い高い。」
「・・・・・。」
「いない、いないばあ。」
「・・・・・。」
鳳が高い高いをしたり、いないいないばあをしてもほとんど反応しない。普通の子供なら
喜ぶにしろ怖がるにしろきゃっきゃっと声を上げたり、笑ったり、泣いたりするものだ。
だが、豊はどんなことをしても無表情のままだった。それでも、二人は諦めることもなく
豊とふれあい、出来るだけスキンシップをとった。乳児期の時に全く相手にされなかった
時間を埋めるように。だが、そう簡単にその時出来た傷は癒されない。本能的な部分につ
いてしまった深い傷は・・・。
「豊ー、まんまだよ。あーんして。」
「あー。」
食事の時だけはほんの少しだけ声を発する。それが、滝や鳳にとってはとてもうれしいこ
とだった。表情が変わらないがご飯はちゃんと食べてくれる。そんな豊を二人はたくさん
褒めてあげた。
「いい子だねー。エライよ豊。」
「・・・・・。」
「まんま、ちゃんと食べれてエライ、エライ。」
「・・・・・。」
どんなに褒めてもやっぱり無表情。だけど、本当に本当に少しずつだが豊の心の中で何か
が変わり始めているのは確かだった。

 4月15日 萩之介
今日は寝ているときにベッドに頭をぶつけるという行為がとてもひどかった。施設にいる
子供にはほとんどこの行為が起こるらしい。たぶん、自分を傷つけることにより、不安を
誤魔化しているのだろう。だけど、そんな姿は俺は見たくなかった。自分を傷つけ不安を
誤魔化すなんて辛すぎる。俺は豊を抱き上げて、ずっと声をかけてあげた。まだ、心を開
いてくれていないので、顔を背け嫌がる仕草をみせる。でも、もう大丈夫、君のことを無
視したりはしないということをどうしても教えてあげたくて、俺は豊を抱き続けた。その
うち眠ってしまった。その顔は赤ん坊らしい寝顔でとても可愛いと思った。どうして、こ
んな天使のような赤ちゃんを無視し続けたのだろう、俺には絶対に出来ないと心の底から
思う。
ガン・・・ガン・・・
豊が寝ながら頭をベッドにぶつけ始めると滝はすぐに豊を抱き上げた。その行動で豊は目
を覚ますがやっぱり無表情で、眠たさからか目は空ろになっている。
「大丈夫、大丈夫だから。俺はここにいるよ。」
滝は優しく声をかける。しばらく、首を振り嫌がる素振りを見せる豊だったが、真夜中と
いうこともあり、また眠りについた。滝は眠ってしまってもずっと豊を抱き続ける。
「滝さん。」
「あっ、長太郎。ゴメン、起こしちゃった。」
滝が起き、豊をあやしているのに気づき、鳳も目を覚ました。
「長太郎は寝てていいよ。明日も会社だろ?」
「そうはいきませんよ。いくら春先だからって、そんな格好でずっと座ってたら風邪ひい
ちゃいますよ。」
そう言って鳳は自分は毛布を背中にかけ、滝を後ろから抱きしめた。
「あったかい・・・。」
「俺だって、豊の親です。滝さんだけにはつらい思いさせられません。」
「長太郎。・・・ありがとう。」
鳳の優しさが滝にはとてもうれしかった。豊が本当に自分達と血がつながった子供だと思
えるくらいの絆がここにはある。どんなにつらくても、悲しくても二人なら乗り越えられ
ると心から思える瞬間だった。

 5月21日 長太郎
今日はすごい変化が豊にあった。一緒にお風呂に入ろうと思って抱っこをしたら、なんと
服を握ってきてくれたのだ。今までは抱っこしても自分から寄りかかったり、しがみつい
たりしてきてくれたことは一度もなかったので、とてもうれしい!それから、ほんの少し
の間だけど、俺と目を合わせてくれた。すごいことだ。だんだんと豊が変わってきてくれ
ている。まだ、表情は変わらないけれど、もっと、もっと、いっぱいふれあって、笑って
くれるように頑張りたいと思う。
「豊、お風呂入るよー。」
「あー。」
鳳が声をかけると、豊は小さく声を上げた。これだけでも、ものすごい成長だ。今までは
声をかけても反応すらしなかった。豊を抱いて鳳はお風呂場に向かおうとした。抱き上げ
た瞬間、豊の小さな手が鳳の服を握った。
「!!」
鳳はメチャメチャ驚く。豊が服を掴んでくれたことにとても感動していた。
「滝さん!滝さん!」
「どうしたの?長太郎。」
「豊が、豊が俺の服握ってきてくれたんスよ!!」
「本当!?」
滝も洗い物を途中で止め、鳳と豊のもとへ駆け寄った。
「わあ、本当だー!!エライよー、豊。いいこいいこ。」
あまりのうれしさから滝は豊の頭を優しくなでた。本当に少しの変化でもこの二人にとっ
ては、何よりもうれしくて感動できることなのだ。滝にいいこいいこされ、豊は滝の方を
見る。その時、ふと目が合った。普段ならすぐにそらしてしまうのだが、この日は数秒間
目を合わせ、それからそらした。
「長太郎、今、豊俺と目合わせてくれたよ!」
「ホントですか!?わあ、今日はすごいですね。」
笑顔が二人に溢れる。サイレント・ベビーに笑いかけること。それは、その子が笑えるよ
うになるためにとても大切なことなのだ。滝と鳳の二人はこれを自然に実践している。お
風呂に入った鳳はずっと豊のことを抱っこしていた。洗うときも湯船に入る時もずっと自
分の体から離さない。これも直接が肌が触れ合うということで、赤ちゃんに安心感を与え、
表情を出せるようにするにはとても重要なことだった。

 6月18日 長太郎
今日は跡部さんと宍戸さんが俺達の家に遊びに来た。豊とも遊んでくれて、とても楽しい
日になった。宍戸さんはおとなしくていい子なんだなと言ってくれたけど、俺はもっと手
がかかってもいいから、もっと元気でいて欲しい思う。赤ちゃんは手がかかって当たり前。
おとなしいのは、この時期だとあんまりいいことじゃないと思う。だから、豊には手がか
かる赤ちゃんになって欲しい。大泣きして俺達を困らせるくらいがちょうどいい。少しで
も笑ってくれれば、それだけで俺達はすごく幸せになれる。だから、もっと感情を出して
欲しいな豊。
「滝ー、長太郎ー、遊びに来てやったぜ。」
「あっ、宍戸に跡部。ちょっと、待って。」
突然、跡部と宍戸が遊びに来たので、滝はちょっと焦った。豊と遊んでいたせいで部屋が
少し散らかっていたのだ。
「少し散らかってるけどいい?」
「ああ、全然構わないぜ。あがっていいか?」
「うん。」
二人が部屋に行くと、鳳が豊と遊んでいた。今日は会社自体が休みなのだ。だから、跡部
も鳳も家にいる。
「よお、長太郎。豊、どうだ?」
「あっ、宍戸さん。こんにちは。豊、元気ですよ。」
「跡部も宍戸もそこのソファに座ってて。今、お茶入れてくるから。」
「ああ。サンキュー。」
滝がキッチンへ行っている間、宍戸は豊と遊び出した。いないいないばあをしたり、抱っ
こしたりする。あーあーと声は出すが笑ったりはまだしない。
「やっぱ、可愛いな赤ん坊って。なあ、俺達も子供欲しくねぇ?跡部。」
「あーん?確かに可愛いけどよ、大変だぜ。お前に育てられるのかよ。」
「でも、これくらいおとなしけりゃ楽だろうな。なあ、長太郎。」
そう言われて、鳳は微妙な表情を見せた。宍戸は豊がサイレント・ベビーだということを
知らない。だから、手のかからないいい子に見えるのだ。
「大変ですよ、いろいろと。それに、宍戸さんはよくても跡部さんが耐えられないんじゃ
ないですか?」
鳳は少しからかうような口調で二人に言った。
「は?何が?」
「赤ちゃんがいるとほとんどできませんよ。跡部さん、何ヶ月間もやらないなんて耐えら
れないでしょ?」
『う゛っ・・・』
「俺、やっぱ子供いらないかも・・・」
「俺もたぶん無理だな。」
苦笑いをして二人は顔を見合わせた。そして、やっぱり、滝と鳳はすごいなあと感心する。
「跡部も宍戸もおまたせー、はい、食べて。」
滝はお菓子と紅茶を持ってきた。四人で紅茶を飲みながら、いろいろと話をする。
「滝、やっぱすげぇよな。長太郎が会社に行ってる間一人で世話してんだろ?大変じゃね
ぇ?」
「確かに大変だよ。でも、豊がいろんなことができるようになってくれるのがすごくうれ
しいんだ。このうれしさは子育てしないと分からないよ。」
「そっかー。俺には出来そうもねぇな。」
豊を抱きながら、うれしそうに話す滝に宍戸は尊敬の眼差しを向ける。自分には絶対出来
ないことを楽しいと言ってこなしているのだ。やっぱり、滝も鳳も自分達よりしっかりし
ているのだなあと宍戸は心底感じた。

 7月24日 萩之介
もうそろそろ豊が来て、半年になる。少しずつは変わってきているが、まだ、全然表情は
変わっていない。泣きもしないし、笑ってもくれない。最近、自信がなくなってきた。俺
にはやっぱり無理なのかなあという不安が頭の中をよぎることが多くなって、時々、どう
しようもなく泣きたくなる。でも、泣いちゃいけない。豊の前では笑わなくちゃ、豊が不
安になっちゃう。頑張らなくちゃ。ゴメンね、長太郎。長太郎の前では少しだけ泣かせて
・・・。
「はぁー・・・」
「最近、元気ないですね。滝さん。」
豊が寝ついてから、滝と鳳はベッドに入りしばらくの間、話をしていた。最近、滝は本当
に不安を覚えていて、かなり精神的に疲れていた。
「最近ね、すごい不安なんだ。豊、確かに変わってきてくれてるけど、まだ、全然泣かな
いし、微笑んでもくれないじゃん。だから、俺じゃあ、やっぱ役不足なのかなーって、思
うようになって・・・すごく泣きたくなる。」
それを聞いて、鳳はしばらく黙っていた。自分だって豊の親なんだから、滝だけが悩むの
はおかしいと。だけど、昼間は会社に行っているので豊の世話は滝の仕事になってしまう。
だから、余計に滝だけが責任を感じてしまっているのだと頭の中では分かっていた。だが、
どうすればいいのか分からなかった。そう考えていると自分まで悪い気がして胸が痛くな
った。
「滝さん。」
泣きそうな顔の滝を鳳はそっと抱き寄せた。自分にはこうすることしかできないと感じた
からだ。
「俺、昼間は会社に行かなくちゃいけなくて、豊の世話全然できないけど、確かに豊は変
わってきてると思います。そんなに自分を責めないで下さい。それだったら俺だって悪い
ですよ。だけど、もう少ししたら絶対豊は笑ってくれると思います。ほんの少しの変化で
も俺達が気づいてあげれば、豊だって俺達を信頼してくれるはずです。だから、慌てない
で豊を信じてあげましょう。」
「長太郎・・・」
微笑みながら鳳は滝に囁いた。それを聞いて、滝を胸に熱いものが込み上げてきた。どう
して鳳は自分の言って欲しかったことをこんなにも簡単に言ってくれるのだろうと涙が目
に滲んでくる。
「泣いてもいいんですよ。豊の前で泣けないなら俺の前で泣いてください。俺にはこんな
ことしか出来ないですけど、それで滝さんの気持ちが少しでも軽くなってくれれば、うれ
しいです。自分の中だけに不安をためないでください。こんなふうに話してくれれば、俺、
できることはなんでもします!だから、つらいことは何でも俺に言ってください。」
そう言う鳳の目にも涙が滲んでいるのが分かった。滝は鳳の胸の中で声を殺して泣いた。
不安やつらさを全て洗い流してしまおうと。今はつらいし、大変だけど、いつか豊が笑っ
てくれればそんなことはすべて吹っ飛んでしまう。そんなことを胸に秘め、滝は明日から
また頑張ろうとプラスな気持ちを湧き立たせた。ある程度、落ち着きを取り戻すと滝は涙
を吹き、笑顔になって鳳に言った。
「ありがとう、長太郎。すごく元気でたよ。明日からまた頑張ろうね。」
「はい!!」
鳳も笑顔になって、元気よく返事をした。軽くキスを交わして、眠りにつく。次の日から
二人はまた新たな気持ちで豊と接するのであった。

                     to be continued

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