ここは都内にある「氷帝病院」。今日は大きな交通事故があり、数名の重軽傷患者が運ば
れて来た。そのため外科医の跡部は重傷患者の手術のため、病院内を走り回らなければな
らなかった。だが、天才的な腕を持った跡部のこと。手術は全て成功し、患者の命が危険
にさらされるということは見事になくなった。患者の容態もだいぶ安定してきたので、跡
部は休憩室に行き、ソファに座りながら休んでいる。そこへ、真っ白なナース服を身にま
とい、コーヒーを持った宍戸が入って来た。
「お疲れさん。」
「宍戸か。」
跡部は宍戸の顔を見る。その表情は疲れた様子で、さっきまでの手術の疲労が今まさに表
れてますという感じだ。そんな跡部の隣に宍戸はポスっと腰掛けた。
「やっぱ、すげぇよな。今、さっき手術した患者さん達の家族が来て、お前のこと探して
たぜ。一言お礼を言いたいとか言ってたけど。」
「手術を成功させるのは当然のことだ。でも、わざわざ今行く気にはなれねぇな。俺は今、
すげぇ疲れてるんだ。」
「やっぱりな。だから、俺が断っておいたぜ。今は疲れてるはずですので、また後日お越
しくださいって。」
「へぇ、お前にしては気がきくじゃねぇか。」
宍戸が入れてきたブラックコーヒーをすすりながら、そして、コーヒーが喉を通り過ぎる
と大きな溜め息をつく。
「はあ・・・」
「本当、だいぶ疲れてるみてぇだな。ちょっと休んだ方がいいんじゃねぇ?横になってさ。
今は特に仕事ねぇだろ?」
「あと、カルテのチェックが残ってる。」
また、仕事に行こうと立ち上がった瞬間、跡部の体は傾いた。相当、疲れが溜まっている
らしい。今日はもちろん忙しかったが、昨日は昨日でいろいろあり、最近は睡眠時間が大
幅に削られていた。こうなってしまうのは当然であろう。倒れかける跡部の体を宍戸は慌
てて支える。
「ほら、言わんこっちゃねぇ。疲れてるんだったら素直に休め。」
「・・・・これくらいなんともねぇよ。」
「なんともなくねぇから言ってんだろ!!カルテのチェックぐらい日吉にでも頼めばいい
じゃねぇか。ほら、今はここに横になれよ。」
宍戸はもう一度ソファに腰掛け、自分の膝をポンポンと叩いた。跡部は驚いたような顔を
する。
「今日は特別だからな。俺の膝貸してやるから、今はゆっくり休めよ。」
「宍戸・・・・」
穏やかな笑顔を浮かべて宍戸はそう言う。思ってもみないことを言われ、跡部は少し感動
した。
「お前が倒れたりなんかしたら、たくさんの人に迷惑がかかるんだぜ。自分の体の管理も
医者の仕事だろが。」
「はん、テメーに言われたかねぇよ。」
「何だと!?せっかく人が親切に・・・・」
「冗談だ。サンキュー宍戸。それじゃあ、少しだけ休ませてもらうぜ。」
つっかかるようなことばかり言っているが、結局跡部は素直に宍戸の膝を借りて休むこと
にした。宍戸の膝に頭を置いて、ソファに横になる。あまりにもその状態が落ち着くので、
跡部はそのままぐっすり眠ってしまった。
「本当、お疲れさん跡部。」
微笑みながらそう呟くと、宍戸は優しく跡部の頬にキスをした。
「なーんか、微妙な時に来ちゃったね。」
「ここがみんなの休憩室だってこと、あの二人完璧に忘れとるな。」
「どうする?入る?」
「うーん・・・今はやめといた方が・・・・」
休憩室に入ろうとしたが、こんな状況で入れないのは研修医の滝と忍足だ。二人が話をし
ていると、そこへ日吉がやって来た。日吉もこの病院の医師でかなりの腕前を持っている。
「ここに居たんですか、二人とも。302号室の鳳と向日さんが呼んでますよ。」
「えっ、何かあったの!?」
「容態でも急変したんか?」
「違います。とにかく行ってやって下さい。あなた達、その二人の担当医なんでしょう?」
かなりの不機嫌顔で日吉は二人にことのしだいを話す。おそらく病室の鳳や岳人に二人を
呼んでくるように無理やり頼まれたのであろう。滝と忍足は理由が分からないまま、とに
かく鳳と岳人の病室へと向かう。それを見送ったあと、日吉は何のためらいもなしに休憩
室の中へと入って行った。
「あっ、日吉。」
「何やってるんですか、こんなところで。」
「いやー、跡部が疲れてたみたいだからさ、少し休ませてやった方がいいと思って。」
「そうですか。」
宍戸が跡部に膝枕をしているという状況を見ても、日吉は何も感じないらしい。二人の向
かい側のソファに座り、入れてきた紅茶をすすった。
「あっ、そうだ!日吉、カルテのチェック・・・・」
「終わらせてあります。」
「そ、そっか。」
跡部に言われる前に日吉はしっかりと今日入って来た患者のカルテをチェックしていた。
静かな沈黙が二人を包む。宍戸が気まずそうにしていると、日吉の方から声をかけてきた。
「跡部先生、本当に疲れてるみたいですね。こんなところで熟睡してるなんて。」
「最近、事故とか多くて、手術いっぱいしてたからな。」
「でも、跡部先生の外科医としての腕は本当にすごいですよ。悔しいけど、それは認めざ
るを得ない。」
「跡部は常人離れしてるからな。でも俺、日吉もかなりいい腕持ってると思うぜ。」
屈託のない笑顔で宍戸は言う。その表情に宍戸は何故か戸惑った。こんなことを言われた
のは初めてだったのだ。この病院には跡部がいる。そのため、少しくらい腕がたったとし
ても、特に誰も気にしてはくれない。だから、日吉は宍戸のこの言葉に戸惑いを覚えたの
だ。
「俺、もうそろそろ戻ります。」
「ああ。じゃあ、またな。」
日吉はその部屋にいるのがなんとなく気まずくて、紅茶を一気に飲み干し、ドアの方へ向
かった。ドアノブに手をかけながら、ふと二人の方を振り返る。跡部はまだ気持ちよさそ
うに眠っていた。
(確かに跡部先生のことを下剋上したいが、もうしばらくは無理そうだな。跡部先生があ
そこまで自信満々で、尚且つ腕がいいのは実力もあるけどそれだけじゃない。あの人が側
にいるからだ。あんなにリラックスしてる跡部先生の顔、初めて見たもんなあ・・・)
心の中で静かな悔しさを感じながら小さく溜め息をつき、日吉は休憩室から出て行った。
日吉が出て行くと、宍戸も溜め息をつく。
「はあ・・・」
すると突然顔の横に手が伸び、髪を引っ張られた。抵抗すると痛いので、必然的に顔を下
に下がる。宍戸の顔が目の前に来たのを見計らうと跡部はその柔らかい唇に自分の唇を重
ね合わせた。
「うわっ・・・!!」
いきなりキスをされ、宍戸は目を見開く。あまりにも近くにある跡部の顔に驚いて、とっ
さに目を閉じることを忘れてしまったのだ。ゆっくりと顔を離されると宍戸は目をパチク
リさせたまま固まっている。
「ふっ・・・あははは、すっげぇ顔!!」
「あ、跡部ー!!」
目を覚ました跡部は、いきなり宍戸にキスをし、その反応を見て爆笑する。そんなことを
されて、宍戸が怒らないはずがない。さっきのお返しだと言わんばかりに、宍戸は膝の上
の跡部の髪を思いきり引っ張った。
「いでででっ・・・、離せ!!宍戸!!」
「テメーがあんなことするからいけねぇんだろ!!」
跡部が本当に痛がり、涙目になってきているのでさすがに可哀想だと思い、宍戸は金色の
髪から手を離す。その瞬間、宍戸の体はソファに倒れた。今の行動が跡部の怒りを買い、
押し倒されてしまったのだ。
「おわっ!!ちょ、ちょっとたんまっ!!」
「宍戸〜、今のは少しばかりやりすぎだよなぁ?」
力だけで考えれば、跡部の方が数倍上。細い腕をしっかりと掴まれ、見下ろされれば、も
う抵抗は出来ない。さっきとは逆の状態で顔が近づいてくるのを感じ、宍戸はぎゅっと目
をつぶった。顔が近づいていき、唇がもう少しで触れるというところで・・・
ピンポンパンポーン♪
『跡部先生、跡部先生、至急診察室までお戻り下さい。』
「ちっ、何だよ、こんな時に。」
放送を聞いて、跡部は宍戸から離れる。このままヤられてしまうのかと思っていた宍戸は
心底ホッとした。ドキドキと速くなっている心臓を必死で抑えながら、少し乱れたナース
服を直す。
「宍戸っ。」
ドアに向かう跡部に声をかけられ、宍戸はギクっとする。
「な・・・何だよ?」
ビクビクしながら返事をすると、跡部はいったん宍戸の元へと戻って来て、肩に手を置く。
そして、これ以上ないくらい低い声で、耳に唇が当たるか当たらないかくらいの場所で妖
しく囁いた。
「今日の夜、覚悟しとけよ。」
「・・・・・っ!?」
それだけ言い残すと跡部は休憩室から出て行ってしまう。一人残された宍戸はヘナヘナと
その場に座り込んだ。
(あんなこと言うなんて反則だ〜。くそ・・・体に力が入んねぇ。)
このままここにいてもしょうがないので、宍戸は立ち上がり、休憩室をあとにした。だが、
体の熱はまだ冷めない。涼しい風に当たろうと宍戸は病院の外に向かった。
to be continued