東の果ての向こうへ 〜前編〜

天上と言われる一つの国の東の果て。そこには黒い翼の天使が住んでいた。父が天使で、
母が悪魔であるこの一風変わった天使は、この国では存在を認められない天使であった。
幼い頃から城の敷地を出ることは許されず、他の天使と交わることさえ認められない。し
かし、ある時この黒い翼の天使の運命は、一人の天使との出会いにより大きく変わるので
あった。

朝の日差しを浴びながら、跡部はいつものように城内の庭を散歩していた。城の周りには
切り立った崖にも似た大きな堀がある。絶対に越えることの出来ないその堀まで歩いて来
るのが、跡部の毎朝の日課になっていた。そんな堀を恨めしそうに眺め、跡部は小さく舌
打ちをする。
「ちっ、俺が何したって言うんだ・・・。」
ここから出ることが許されないことにイラ立ちを覚え、思わずそんなことを呟く。ここに
居てもそんな思いが強くなるだけなので、そこを立ち去ろうとした時、跡部の耳に本当に
小さな呻き声が聞こえた。
「何だ?」
自分以外が居るはずのないこの場所で、他の者の声が聞こえるはずはない。空耳かとも思
ったが、やはり気になる。跡部は耳に全神経を集中させ、もう一度耳を澄ませてみた。
「ぅ・・ぅう・・・」
確かに呻き声は聞こえる。しかも、この切り立った崖の下からだ。向こう側に行くことは
許されないが、下に下りる分には特に問題ない。跡部は思いきって堀の下の向かって黒い
翼を羽ばたかせた。
「どこだ?」
声がするもとを探しながら、跡部は深い堀の壁を見渡す。中腹あたりまで下りてくると、
突き出した岩の部分に一人の天使が傷を負って倒れていた。初めて見る天使に跡部の心臓
はドクンと高鳴る。黒曜石にも似た真っ黒な髪に、見たこともない程美しい白さを持った
翼。自分とは全く違う姿をした天使を前にし、跡部の鼓動は異常な程に速くなる。
「助けなきゃ・・・死んじまうよな?」
その天使はどこもかしこも傷だらけだ。しかも、ここまで落ちたとなれば、手当てをしな
ければ、死んでしまうだろう。
「あんな決まり、くそくらえだ。」
『他の天使と交わってはいけない』そんな決まりが頭をかすめたが、今はそんなことは言
っていられない。傷だらけの天使を腕に抱き、跡部は自分の城へと戻って行った。

自分の部屋にその天使を連れて行くと、跡部は傷一つ一つに手をかざしてゆく。天使と悪
魔の力、どちらも受け継いでいる跡部は、他の天使よりも持っている力が何倍も強いのだ。
そのおかげで、傷を負った天使の傷はあっという間に消えてしまった。
「う・・・ぅん・・・・」
「気がついたか?」
傷が癒えたことで目を覚ました天使は、今の状況を理解出来ず、しばらくぼーっとしてい
た。しかし、昨日自分に起こったことを思い出したのか、突然大きな声を上げる。
「あーー!!」
「何だよ?急に大声出して。」
「俺、昨日、力を使う特訓してたらよ、爆発してあのデッカイ堀に落ちちまったんだよな。
お前が俺のこと助けてくれたのか?」
「あ、ああ。一応な。」
天使の力を思い通りに使うというのは、なかなか大変なことなのだ。その特訓をしている
途中で爆発が起こり、この天使はあの深い堀に落ちてしまったらしい。爆発と落ちた時に
出来た傷で動けなかったと、ケラケラ笑いながらこの天使は跡部に話す。
「助けてくれてあんがとな。俺、宍戸亮ってんだ。お前は?」
「俺は、跡部景吾だ。」
「へぇ。跡部か。あれ?お前、変わった色の羽だな。」
「母親が悪魔なんだ。父親は天使だけどな。」
「あー!!もしかしてお前、東の果てに住んでるっつー堕天使か?」
名前は知らなくとも、母親が悪魔である堕天使が東の果てに住んでいるという話は知って
いるようだ。そんな言い方をされ、跡部は少々カチンとくるが、この天使に怒っても仕方
がないので、その怒りはぐっと自分の中へ抑え込んだ。
「他の天使達はそう言ってるらしいな。」
「へぇー、俺が聞いた噂だとな、その堕天使って、もろ悪魔みてぇな顔してて、性格も残
虐非道だって話だったんだけど、全然違うじゃねーか。お前、すっげぇ綺麗な顔してるし、
俺のこと助けてくれて、しかも傷の手当てまでしてくれて、すげぇイイ奴じゃん!」
自分のことを全く恐れず、へらへらと笑いながらそんなことを言う宍戸に跡部はしばし唖
然とする。面白い天使もいるもんだと思わず跡部も口元を上げた。
「まあ、他の天使にはねぇ力や性格を持ってるっつーのは確かにあるかもしれねぇな。と
ころで、お前、この後どうするんだ?向こうへ帰るのか?」
「へっ?」
「こっちに留まってるのは、あんまりよくねぇと思うぞ。実際、俺は他の天使と交わるこ
とは禁じられてるしな。」
「そうなのか?でも、せっかくお前みたいな奴に会えたのにすぐ帰っちまうなんて勿体ね
ぇなあ。なあ、何日かだけこっちにいちゃダメか?」
長い黒髪を肩に垂らしながら、宍戸は首を傾げてそう尋ねる。その仕草に跡部は今まで感
じたことのない胸の高鳴りを感じる。天使は自分のことを傷つけることしか考えていない
存在だと思っていた跡部にとって、宍戸のこの言葉は意外で信じられない言葉であった。
「お前が迷惑だったら、すぐ帰るけどさ、別に迷惑だと思わないなら、もう少しお前と話
してたいなあと思うんだけど・・・。」
「俺は・・・」
当然跡部も初めて会ったこの天使ともっとたくさんのことを話したいと思っていた。しか
し、決まりを破れば何をされるか分からない恐怖とそのためにこの天使を傷つけてしまう
のではないかという不安もある。そんな対立する思いが、跡部をひどく迷わせた。
「俺は・・・」
「おう。」
「・・・・・お前ともう少し一緒に居てぇ。」
最終的に出した結論は、決まりを破っても宍戸ともう少し一緒に過ごしたいということだ
った。そんな跡部の言葉を聞き、宍戸は純粋無垢な笑顔を跡部に見せる。その笑顔は、跡
部を虜にさせるには十分すぎるものであった。
「よかった。じゃあ、しばらくよろしくな、跡部♪」
「ああ・・・」
先程まで感じていた恐怖や不安が全て吹き飛んでいくのを跡部は感じた。その代わりに感
じる嬉しさとトキメキ。今まで一人で過ごすことが多かった跡部にとって、この出会いは
運命の出会いとなった。

たった数日間一緒に過ごしただけで、二人の心はぐんぐん近づいていった。意識とは違う
もっと深い部分が、惹かれ合っている。そんな感覚を感じながら、朝も昼も夜も、二人は
同じ時間を共に過ごした。
「ほら、入って来いよ。」
「おう。」
大きな月が透明な膜を照らすある晩、跡部は城の裏庭にある温室に宍戸を招き入れる。そ
こには数十種類のバラが咲き乱れていた。
「うわあ、すげぇ・・・」
「綺麗だろ?初めは暇つぶしに育ててたんだけどよ、やってるうちに面白くなってきちま
って。」
「ほとんど見たことねぇのばっかだ。」
「軽く手を加えてやってな、ほとんどが俺様オリジナルのバラだぜ。」
「すげぇ・・・」
宍戸はただただ驚嘆するしかない。何種類ものバラが織り成す心地よくなるような甘い香
りを嗅いでいると、宍戸は何だか不思議な気分になる。
「何か・・・ここの匂い嗅いでるとふわふわした気分になるぜ。」
「いい気分だろ?」
「ああ。」
「ここにあるバラにはそれぞれいろんな効果があるんだ。リラックスさせたり、自分の心
の中にしまってる思いを吐き出させたり、気分を高揚させたり・・・共通点はここにいる
と嫌なことは全て忘れちまうってことだ。」
一人であることの孤独感やストレスを発散させるために、この場所は跡部にとってなくて
はならない場所であった。そんなバラの力が二人にお互いの素直な気持ちをすんなりと出
させる。
「なあ、跡部・・・」
「何だ?」
「俺な、この数日間でお前のことすげぇ好きになっちまった。」
「・・・・・」
「跡部といるとな、ドキドキしたり胸がきゅんとなったりして、変な感覚なんだけど、す
げぇいい気分なんだよ。一緒に居ると楽しいし、落ち着くし、何よりも離れたくねぇって
思うんだ。これって、俺がお前のこと好きだからだと思うんだよな。」
「そりゃ嬉しいな。俺もお前と居ると似たような感覚になるぜ。これって好きってことな
んだな。」
「本当か!?うわあ、嬉しいー。」
頬を赤らめながらニッコリ笑う宍戸は、ここにあるどのバラよりも、跡部にとっては魅力
的なものであった。そんな宍戸を見て、跡部は今まで抑えていた感情を少しずつ外に出し
ていった。バラがなければ、爆発していたこの感情。それは、相手を好きだと思うが故に
沸き起こる感情であった。
「宍戸。」
「何だよ?」
ハッキリと名前を呼んだ後、跡部は宍戸の体をぎゅっと抱き締める。そんな跡部の行動に
宍戸はドキっとするが、その感覚はとても心地がよかった。
「跡部・・・?」
「好きだからしたくなることって・・・あるよな?」
「えっ?」
「俺はお前にそれをしてぇ。だが、お前が嫌がるのにするわけにはいかねぇ。お前はどう
思う?」
「悪ぃ。よく意味が分からねぇんだけど。」
「こういうことだ。」
言葉ではうまく伝わらないため、跡部は宍戸の唇に自分の唇をそっと重ねた。初めは驚い
たような表情を見せる宍戸だが、それは決して嫌がっているという表情ではなかった。跡
部の唇が離れると、恥ずかしさから宍戸はうつむいてしまうが、蚊のなくような声で何か
を呟く。
「・・・いぜ。」
「えっ?」
「いいぜ。跡部のしたいこと、どういうことか分かった。ちょっと怖いけど、相手が跡部
なら俺は構わねぇ。」
「サンキュー、宍戸。」
もう一度キスをして、跡部は微笑む。咲き乱れるバラに囲まれ、二人はお互いを思い合う
恋人達だけに許された秘密の遊戯を心ゆくまで楽しんだ。

次の日の朝、心地よい朝の光と跡部のぬくもりを感じながら宍戸は目を覚ます。昨日の出
来事はまるで夢のようであったが、今の自分の格好と他では感じたことのない充足感から
それは確かに現実であったのだと宍戸は実感する。しばらくぽーっとしていると、隣で眠
っていた跡部も目を覚ました。
「おはよ、跡部。」
「ああ。おはよう。」
「今、俺、激気分いいぜ!」
「俺もだ。」
そんなことを確認し合いながら、二人は顔を見合わせ笑い合う。温室の外へ出ると、空は
快晴で、二人の今の気分を表しているようであった。
「あっ、あのさ、跡部。」
「何だ?」
「俺、いったんあっちに戻って必要なもんをここに持ってきたいんだけど、いいか?」
「えっ・・・?」
城の向こう側へ戻るという言葉を聞き、跡部の顔は一瞬曇る。しかし、宍戸は跡部のもと
へ戻ってくるつもりなのだ。必要なものを取りに行くのなら仕方がないと、跡部は微笑み
ながら頷く。
「そうだよな。いいぜ。」
「俺、跡部とずっと一緒に居たいと思うからさ、それなりな用意はしなきゃなあと思って。」
「分かった。だが、必ず戻って来いよ。俺はあっちへは行けねぇが、お前がこっちに来る
ことは出来る。」
「おう!!すぐに戻ってくるから、待ってろよな!」
そう言いながら、宍戸は真っ白な羽を羽ばたかせ、城の外へと飛んで行った。そこで、跡
部は自分の目を疑う。純白だった宍戸の羽の一部が、自分と同じように真っ黒になってい
るのだ。
「宍戸っ!!」
大声で呼び止めようとするが、もう声が聞こえないような場所まで宍戸は飛んで行ってし
まった。宍戸の姿が見えなくなると、跡部に言いようもない不安感が襲う。宍戸はもう戻
って来ないかもしれない。そんなことが頭をよぎる。ただひたすら青しか見えない空を見
上げ、跡部はその場に呆然と立ち尽くした。

跡部の考えていた通り、いったん向こうへ戻った宍戸は再び跡部のところへ戻るというこ
とが出来ない状況になってしまった。羽の変色から、跡部と会ったということがばれ、親
や兄弟を初め、周りの天使達に延々と説教を受けた。その上、跡部のことを異常に忌み嫌
っているものからは、暴力を振るわれ、家族からは外出を禁止された。もちろん、跡部が
そんなに悪い奴ではなく、自分は助けられ、ケガを治してもらったという話も何度もした
のだが、聞く耳を持つものは誰もいなかった。周りの天使の思い込みはあまりにも激しす
ぎたのだ。
「くそっ、何でだよ!!」
跡部が住む東の方を見つめながら、宍戸は目にいっぱいの涙を浮かべ、開くことのないド
アを叩く。すぐに戻ると約束したのに戻ることが出来ない。何度も脱走を試みたが、すぐ
に他の天使に捕まってしまい、部屋に連れ戻されるだけであった。そんな状況が何日か続
き、宍戸の心の中は跡部に会いたいと思う気持ちでいっぱいになる。
「跡部・・・会いてぇよ。」
東を向き、膝を抱えながら宍戸は涙を流す。自分では変えることの出来ない状況への腹立
たしさ、跡部に会いたいのに会えない寂しさ、そして、切なさ。いくら涙を流してもそれ
は少しも減ることはなかった。日が経つにつれ、その思いはますます大きなものとなる。
ひたすら跡部のいる方を見つめ、宍戸はただ跡部にもう一度会いたいと願うことしか出来
なかった。

宍戸が向こう側へと渡ってから、跡部は何もすることが出来なくなっていた。自分の所為
で宍戸は苦しい思いをしている。あの翼の変色が咎められないはずがない。不安と後悔と
とが跡部の全てを支配する。
「宍戸・・・」
名前を呟けば、会うことの出来ない切なさはさらに増大する。自分以外の者のことを思い、
ここまで胸が苦しくなるのは跡部にとって初めてのことであった。向こう側に行くことが
出来ないという制約が跡部をさらに苦しめる。どうすればいいのか分からず、悩んでいる
と部屋の隅に置いてある鏡が突然強い光を放った。
「やっほー、跡部、元気してる?」
鏡に映っていたのは、人間界に住んでいる滝であった。滝は黒魔術師であり、跡部や宍戸
が住んでいる世界との交信が可能なのだ。特に跡部の住んでいるところは、空間の境に近
い部分にあるので、他の部分に比べて人間界との交信がしやすいのである。
「滝か・・・?」
「久しぶりー。ちょっと波長がいい感じだったからさ、そっちの様子どうかなあと思って
さ。・・・何か死にそうな顔してるけど、どうしたの?大丈夫?」
鏡の向こうの跡部の顔見て、滝はすぐその異変に気がつく。今頼れるものがない跡部は、
わらにも縋る思いで、滝に宍戸のことを話した。
「そっか。跡部にもそういう子が出来たんだね。」
「滝、俺はどうすればいいんだ?俺はこの城の敷地内から出ることは出来ねぇ。だが、俺
はどうしても宍戸に会いたい。あっちに行けるものなら、今すぐにでも行って、連れ去り
てぇ。」
「・・・・城の向こう側に行けないってことは、結界か何かでもはってあるってこと?」
「いや、そんなことはねぇと思う。ただ、この黒い翼であっちに行ったら、見つかった時
点で確実に殺される。」
「ふーん、じゃあ、羽が白くなればいいわけだよね。」
確かに理論的にはそうなるが、しっかりと体から生えている羽の色を変えることなど不可
能だ。もとが黒であるため、染めるにしてもそこまで真っ白に染めることは出来ない。そ
んなことは考えるだけ無駄だと跡部が溜め息をついていると、滝は自信ありげな笑みを浮
かべ、香水のような瓶に入っている真っ赤な薬を手に取った。
「これ、一時的に色素を変える薬なんだけど、かなり強力なんだ。これを使えば、数時間
は絶対に白い羽でいられると思うんだけど使ってみる?」
「俺にも効くのか?」
「思いが強ければね。中途半端な気持ちで使ったら、全く染まらない。こういう魔術って
さぁ、結構メンタルな部分で効果が左右されちゃうんだよね。ただ、すごい賭けだよ。ど
んなに思いが強くても、時間的な限界があるから。それでも使いたいと思う?」
「ああ。今は宍戸にもう一度会えればそれでいい。」
「それだけの覚悟があるなら平気だね。それじゃあ、この薬、長太郎に持って行かせるか
ら、樺地かジローに扉を開けてもらって。」
「・・・・サンキューな、滝。」
「今の跡部の気持ち、すごくよく分かるもん。俺も長太郎のこと、本当に大事だと思って
るから。跡部なら絶対大丈夫。頑張って。」
滝の励ましを受け、跡部は希望を取り戻す。宍戸にもう一度会うために、何でもしてやる。
そんな決意を胸に抱き、跡部は城の外へと出ていった。

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