大会まであと数週間となったころ、跡部率いるメンバーは全員で少し遠くにある健康ラン
ドに行くことになった。バス停が集合場所となっていたのだが、跡部がそこに到着した時、
そこには誰もいなかった。
「あん?何で誰もいやがらねぇんだ。集合場所はここっつったじゃねぇか。」
ピピピピ・・・
少しイラつきながらそんなことをぼやいていると、ポケットに入っていた携帯電話が鳴る。
「俺だ。」
電話の主は宍戸。かなり不機嫌そうな声で、跡部に文句を言う。
『テメェ、何やってんだ?約束の時間も守れねぇのかよ。俺ら先に行ってるからな。テメ
ェもさっさと来いよ!』
「何だと・・・?」
宍戸の言葉を聞いて、跡部は驚いた。それが本当かどうか確かめるためにスケジュールの
書いてある手帳を開く。そこには、集合時間9時と書かれていた。今の時間は10時少し
前。跡部は完全に10時集合だと思い込んでいた。
「くっ、俺様としたことが、1時間間違えちまった・・・。」
かなり初歩的なミスにヘコみつつ、跡部は10時ちょうどに来たバスに乗り込む。絶対他
のメンバーにバカにされると思いながら、跡部は自分の失敗に軽く舌打ちをした。
宍戸達が9時半すぎくらいまで待っていたこともあり、到着時刻のズレはそれほど大きく
なかった。宍戸や滝、鳳が目的地に到着してから、およそ10分後に跡部は到着した。
「あっ、来た来た。」
「おはようございます、跡部さん。」
「遅ぇーよ、跡部!」
「ちょっとした勘違いだ。許せ。」
悪びれる様子もなく、そんなことを言う跡部に宍戸はカチンとくる。遅刻したんだから素
直に謝れと少々怒ったような口調で跡部につっかかっていった。
「勘違いって何だよ?遅刻したんだから、素直に謝れよ。俺達、30分以上テメェのこと
待ってたんだからな!」
「アーン?悪かったな。遅刻してよ。」
全く気持ちのこもっていない謝罪の言葉に宍戸はさらに腹を立てる。滝と鳳はそれほど気
にしていないのだが、宍戸はこんな跡部の態度が気に入らないらしい。
「もっと気持ちを込めて謝れよな。へっ、リーダーのくせに時間間違えるなんて、激ダサ
だぜ!」
「何だと?テメェ、ケンカ売ってんのか!?」
「テメェが素直に謝れば済むことだろうが!!」
「そんな態度の奴に謝るつもりなんて、さらさらねぇな!」
またいつものように他愛もないケンカが始まろうとしてるのを見て、滝は呆れながら止め
に入る。
「ほら、二人とも、こんなとこでケンカしないでよ。今日は日頃の疲れを癒すためにここ
に来たんでしょ。ケンカなんかしてたら楽しいことも楽しくなくなっちゃうよ。」
『でもっ!!』
「宍戸ももう跡部のこと許してあげな。で、跡部も宍戸にちゃんと謝る。それで、いいだ
ろ?」
滝の言っていることが正論なので、二人は反論出来ず、黙ってしまう。しばらく睨み合い
ながら、何も言わない二人だったが、跡部がゆっくりと口を開いた。
「・・・遅刻して、悪かった。」
「ああ。もうそのことはいい・・・。」
「よし、これで一件落着♪さてと、中に入ろうか。」
滝の計らいで強制的に仲直りさせられた二人は、不機嫌そうな顔をしながらも施設の入り
口に向かって歩き出す。その一部始終を見ていた鳳は感心した様子で、滝の隣を歩いた。
「さすがですね、滝さん。」
「あの二人、素直じゃないだけだからねー。本当は跡部も普通に謝りたかったと思ってた
んだろうし、宍戸も跡部が遅刻したことに対してはそれほど怒ってはないと思うよ。実際、
9時半過ぎまで跡部を待ってようって言ったのも宍戸だしね。」
「ですよね。あの二人は本当ケンカするほど仲がいいって感じですね。」
「確かに。あの二人にとっては、ケンカするのも一種の愛情表現なのかもしれないよねー。」
まだ少しお互いに怒っていながらも並んで歩いている跡部と宍戸を見て、滝と鳳の二人は
くすくす笑いながらそんなことを話す。健康ランドの中に入るころには、二人のイライラ
はだいぶおさまっていた。
四人がまず向かったのは温泉ゾーン。そんなに多くの種類があるわけではないが、疲労回
復の湯に、ジャグジー風呂、足湯にサウナなど、お決まりのものは一通りそろっていた。
「そんなに広くはないけど、なかなかいい感じじゃない?」
「そうですね。滝さん、まずどれから入ります?」
「やっぱ、疲労回復の湯じゃない?ここのところ、練習で筋肉使いまくってるからねー。」
滝と鳳はスタンダードに疲労回復の湯から入ることにする。見かけは何ら普通のお湯と変
わらないが、その温度は普通のお風呂よりかいくらか高かった。
「あっつー。でも、超効きそう。」
「ずっと入ってるとのぼせちゃいそうですけどね。確かに疲れは取れそうです。」
「そういえば、跡部と宍戸は?」
「宍戸さん達はサウナに行くとか行ってましたよ。」
「いきなりサウナ!?あの二人もやるねー。」
サウナも悪くはないが、初っ端から入るものじゃないだろうと滝は感心する。しばらく疲
労回復の湯で温まると、二人はすっかり熱くなった体を湯船から出した。
「ふー、だいぶ温まったね。」
「はい。ちょっと温まりすぎな気もしますけど。少しのぼせちゃいました。」
「本当?じゃあ、ちょっと体を冷やしに行った方がいいね。」
鳳がのぼせてしまったということを聞き、滝は鳳を水があるところまで連れてゆく。桶で
軽く水をすくうと、何の予告もなしに鳳の体に向かってバシャッとその水をかけた。
「ひゃっ、冷たっ!!」
「ふふ、ビックリした?」
「もー、いきなりかけるなんてひどいですよ〜。お返しです!」
自分だけかけられるのは納得いかないと、鳳も水をすくって滝にかける。
「うわっ、冷たいっ!!やったなー。」
「負けませんよ。」
子供が水かけ遊びをするように、二人はお互いに水をかけあう。何度か水を浴びていると
さっきまでは冷める気配のなかった体の熱もすっかりひいていた。
「はあー、面白かった。だいぶ冷めたね。」
「そうですね。次はどこ行きます?」
「そうだなぁ・・・足湯なんてどう?」
「いいですね。足湯って足だけしかつからないのにすっごい体が温かくなるんですよねー。」
「うん。今ので体の熱もだいぶひいたし、きっとちょうどいいよ。」
冷めた体をのぼせない程度にまた温めようと、二人は今度は足湯へと向かった。
滝と鳳の二人が足湯に向かっているころ、跡部と宍戸はまだサウナでねばっていた。どち
らが長く入っていられるかというお決まりの勝負をしているのだ。
「へぇ、なかなかやるもんだな。」
「これくらいはまだ全然余裕だろ。何だよ?もうへばってきてんのか?」
「そ、そんなことねぇぜ!跡部こそ、すごい汗だぜ。全然余裕とかいいながら、本当は結
構キてんじゃねぇの?」
かなり長い時間入っているので、二人とも汗だくで、そろそろキツくなってきていた。し
かし、負けたくないのでどちらも余裕なふりをしている。少しでも楽になろうと、宍戸は
持っていた手ぬぐいを口元にあてた。
「テメェ、それ、反則だぞ。」
「な、何でだよ!?」
「それすると、熱い空気を吸わなくてすむから少し楽になんだよなあ。ここはやっぱ俺の
勝ちか?」
「うっ・・・跡部もしろよ。」
「するわけねぇだろ。ふん、この勝負、やっぱり俺様の勝・・・」
そう言いかけた瞬間、跡部は手ぬぐいで口を塞がれる。しかも、先程まで宍戸が口にあて
ていた手ぬぐいでだ。宍戸としては、跡部も同じと言って引き分けにさせたかっただけな
のだが、跡部からすればそれどころではなかった。
「こ、これで、条件は同じだからな!勝負は引き分けだ!!」
「・・・・・」
宍戸の吐息で濡れている手ぬぐいを自分の口に押しつけられているのだ。しかも、宍戸自
らそんなことをしてきている。跡部にとっては嬉しいことこの上なかった。
「あ、跡部・・・?怒ったか?」
何も言わずに黙ったままでいる跡部に、宍戸は恐る恐るそう尋ねる。宍戸の手ぬぐいを自
分の手を外すと、跡部はふっと笑いながら宍戸を見た。
「フン、随分大胆なことしてくれるじゃねぇか。」
「は?何が?」
「これ、さっきテメェが思いっきり口にあててた手ぬぐいだよな?しかも、モロにその面
を俺の口にあてやがって。そんなに間接キスがしたかったのか?」
そんなつもりはさらさらなかった宍戸は、そのことを指摘され、顔をカッと赤く染める。
「ち、違っ!!そんなつもりはっ・・・」
「この勝負、引き分けにしといてやるよ。さてと、そろそろ他のところに移動するか。ず
っとサウナにいたって疲れるだけだしな。」
「ちょっと待てよ、跡部!今のは誤解だってっ!!」
「別に誤解だろうが何だろうが関係ねぇんだよ。テメェがそうしたことは事実なんだから
な。」
「っ!!」
すっかり上機嫌になっている跡部を宍戸は止めることが出来なかった。サウナですっかり
熱を持った宍戸の体は恥ずかしさからさらに火照る。顔を真っ赤にして、うつむきながら、
宍戸はサウナを出てゆく跡部の後を追うのであった。
温泉ゾーンを出た四人は、今度はリラクゼーションゾーンに向かった。リラクゼーション
ゾーンは、マッサージ椅子やアロマグッズ、座椅子やテーブルが用意されていて、自由に
くつろげる空間となっている。
「はあー、気持ちよかった。」
「だいぶ疲れ取れましたね。」
「あれ?どうしたの、宍戸?随分疲れた顔してるね。」
「別に大したことじゃねぇよ。」
サウナでのことがあり、宍戸は精神的に疲れていた。そんな宍戸をからかってやろうと跡
部はさっきあったことを滝と鳳に話そうとする。
「こいつな、サウナで自分の口につけたタオルを俺の口に・・・」
「わああっ!!な、何言ってんだよ、跡部!!」
「へぇー、宍戸、やるねー。」
「だから、違うって!!あ、跡部、俺がマッサージしてやるからこっち来い!」
これ以上余計なことを言われては困ると、宍戸は人がマッサージする用の小さなベッドに
跡部を招く。大慌てな宍戸を見て、滝と鳳は顔を見合わせ笑った。
「宍戸さん、必死ですね。」
「なんかサウナですごいことがあったみたいだね。後で宍戸がいないときに跡部に詳しく
聞いてみよーっと。」
「あっ、滝さん、喉渇きません?俺、何か買ってきますよ。」
「本当?ありがとう。じゃあ、お茶かなんか買ってきてくれる?」
「分かりました。ちょっと待っててください。」
温泉に入って喉が渇いてしまったと、鳳は飲み物を買いに行く。パタパタと室内着で駆け
てゆく鳳を見送ると、滝は視線を跡部と宍戸の方へ移した。
「ほら、さっさとうつぶせになれよ。」
「それが人にものを頼む態度か?まあいい。」
言い方が気に入らないとぼやきながらも、跡部は素直に真っ白なシーツの上にうつぶせに
なった。その体を跨ぐように宍戸はベッドの上に膝をつく。
「んじゃ、始めるぜ。」
「ああ。」
両手を跡部の背中に置くと、宍戸はゆっくりマッサージを始める。ちょうどいい力加減に
跡部は思わず溜め息をもらした。
「ハァ・・・なかなかいいぜ、宍戸。」
「そうか?どのへん凝ってる?お前、テニスもしてるけど、本とかも結構読んでるからな。
肩凝ってんじゃねぇ?」
肩から背中の中心にかけて、解すようにマッサージをしてやれば跡部は満足そうな声でそ
の感想を言う。
「あー、そこいいぜ。でも、もう少し下の方もして欲しいもんだな。」
「ここらへんか?」
「ああ。テメェうまいじゃねぇか。」
「へへ、俺、こういうの結構得意なんだぜ。」
「そうか。じゃあ、もっと俺を満足させてみせろ。」
「おう。すっげぇ気持ちよくしてやるから、楽しみにしてな。」
二人の会話を聞いて、滝は面白いことに気づく。と、ちょうどそこへ鳳が帰ってきた。
「お待たせしました。滝さん、これでいいですか?」
「あ、うん。ありがと。それより長太郎、あの二人の会話、超面白いよ。」
「何がですか?」
鳳が興味を示してくれたので、滝は先程の二人の会話をそのまま鳳に話す。
「ね、何かマッサージじゃなくて、他のことしてるときの会話に聞こえない?」
「確かに聞きようによってはそう聞こえるかもしれませんね。」
「でしょ?しかも、マッサージされながらのセリフだからさ、跡部の言い方がまた妙に息
が混じってて、よりそういう雰囲気を醸し出してるんだよねー。」
「あー、分かるかもしれないです。宍戸さんの返事もまたそんな感じに聞こえちゃうのが
すごいですよね。」
「うんうん。本当、あの二人飽きさせないよねー。」
もう一度二人に視線を戻すといつの間にか、マッサージをする方とされる方が入れ替わっ
ていた。どうやら宍戸から跡部へのマッサージは終わり、今度は跡部が宍戸にマッサージ
してもらうことになったようだ。
「テメェの弱いところはどこだ?しっかり解さねぇとこれからのことに影響するからな。」
「自分じゃあんまりよく分かんねぇな。跡部、そういうの詳しいんじゃねぇの?」
「まあ、そういうとこを見つけるのは得意だぜ。まずはこのあたりからしてみるか。」
背中の中心より少し外側にあるツボを跡部はぐっと押した。想像以上に肩が凝っていたよ
うで、そのツボを押された瞬間、宍戸は思わず声を上げる。
「うあっ・・・痛っ!」
「結構溜まってるみたいだぜ。初めは少し痛いかもしれねぇが、少し我慢してりゃ、すぐ
によくなる。」
筋肉の疲労が溜まっているということを言っているのだが、少し離れたところから聞いて
いる滝と鳳からすれば、それこそ全然違う状況でしている会話に聞こえてしまう。
「うっ・・・あ・・・跡部、もうちょっと優しくしろよ!」
「アーン?こういうのは、少し激しくやるくらいがいいんだぜ。ほら。」
「いっ・・・ちょ、ちょっと待てってば、マジ痛いって。」
あまりにもあからさまな会話に、これは跡部が図って言っているのではないのかと疑って
しまう。
「さっきより、もっとまんまじゃん。」
「すごいですね。本当にそういうときの会話に聞こえちゃいますよ。」
「ただ普通にマッサージしてるだけなんだけどねぇ。さすが跡部。」
マッサージが進んでいくと、二人の会話はさらにおかしなものになる。笑いを堪えながら
滝と鳳は二人の様子を眺めつつ、会話を一言も逃さずに聞いた。
「あっ・・・確かに少しよくなってきたかも。」
「だろ?あとはどこをして欲しい?ここらへんはどうよ?」
「うあっ、そこ、超イイっ・・・」
「だったらもっとしてやるぜ。俺様の美技に酔いな。」
「あー、激気持ちいいー・・・そこ、もっと・・・」
さすがに耐えられなくなり、滝と鳳は声を出して笑い出す。いきなり何なんだよ?と跡部
と宍戸は不思議そうな顔で二人を見た。
「あはは、超面白い!!二人ともそれはヤバイって。」
「この状況見ないで、声だけ聞いてたら他の人達ビックリしちゃいますよ。」
「はあ?何言ってんだよテメェら。」
「宍戸、マジで気づいてないの?」
「だから何が?」
跡部自身も今回は本当に意識してやっていたわけではないので、初めは宍戸と同じような
反応を見せていたが、二人の言葉を聞いて、何が言いたいのかにすぐに気づいた。
「あー、確かに聞きようによってはそんなふうに聞こえてたかもしれねぇな。」
「は?」
「さっきの俺とテメェのやりとり、アレをしてるときの会話に聞こえてたらしいぜ。」
「はあ!?何でだよ!?」
「軽く思い出してみろよ。テメェのセリフもだいぶそういうふうに聞こえるぜ。」
跡部に言われ、先程自分が口にした言葉を思い出してみる。よくよく考えてみると確かに
そう聞えなくはない。ついでに跡部の言ったことも思い出してみると、それはもう恥ずか
しくなるくらいにそう聞こえることに気がついた。
「確かに・・・そう聞こえてたかもしれねぇ。」
「だから聞こえてたんだって。いやー、面白いもん聞かせてもらった。」
「べ、別にただマッサージしてもらってただけだぜ!そんな変なことはしてねぇよ!」
「それは分かってますよ。でも、だから面白いんです。違うことしてるのに、あそこまで
そのままに聞こえるってことが。」
「長太郎〜。」
「でも、まあ、しっかり疲れは取れたからな。テメェらにどう聞こえてようが、俺は満足
だ。」
「だって。よかったね、宍戸。」
「全然よくねぇ!!あー、もう。何か今日は恥ずかしいことばっかだ!」
跡部の所為でさっきから赤面しっ放しだと宍戸は文句を言う。しかし、普段の練習では、
出来ないこんなやりとりが、気分転換になり、四人の日頃のストレスと溜まった疲れを解
消させていた。
「はあー、今日は楽しかったー!」
「そうですね。疲れも取れたし、楽しかったですし、一石二鳥ですよ。」
「もうあと数週間しかねぇからな。明日からはもっと練習メニューを増やしていくぜ。」
「おう。まあ、いろいろ気に入らねぇこともあったけど、確かに気分転換にはなったかも。
明日からまた練習頑張るぜ!」
「いい心意気だ。それじゃあ、今日はここで解散だ。気をつけて帰れよ。」
『はーい。』
朝、待ち合わせたバス停まで戻ってくるとそこで四人は解散する。大会まではあと数週間。
ここが気合の入れどころだと確認しながら、四人はそれぞれの家へと帰っていった。
to be continued