海の上の水夫 〜前編〜

「おーい、間切。」
浜辺で年長の水軍達の手伝いをしていた間切は、兵庫第三協栄丸に呼ばれ、パタパタと声
のする方へ駆けてゆく。
「何ですか?」
「今日からうちで面倒を見ることになった網問だ。」
兵庫第三協栄丸の足元には、真っ白な肌と真っ黒な髪。そして、大きな瞳の小さな少年が
第三協栄丸の袴をぎゅっと握りながら立っていた。
「北の生まれで、各地の水軍を転々としてきたそうだ。舳丸には重がいるし、東南風には
航がいる。せっかくだから、お前に面倒を見てもらおうと思ってな。どうだ?弟分が出来
て嬉しいだろ?」
ニカっと笑いながら、第三協栄丸はそんなことを言う。第三協栄丸の後ろに隠れるように
立っていた網問は、その大きな瞳でじっと間切の顔を見上げた。
「・・・・・・。」
(うわあ、可愛い。オレもやっとあにき分になれるんだ。)
そう思うと、嬉しさが込み上げてくる。嬉しそうに笑いながら、間切は網問に手を差し伸
べた。
「オレは、間切。よろしくな!!」
「・・・・・。」
何も言わないが、網問は差し出された手を紅葉のような小さな手で握る。それがまた嬉し
くて、間切は一段と明るい顔で笑う。
「北の方の出身だからな。まだ、分からない言葉が多いみたいなんだ。世話しながら、い
ろいろ教えてやってくれ。」
「はい!!まかせてください!!」
網問の世話を任された間切は、たくさんいろいろなことを教えてあげようと、網問の手を
引いて、海の周りを案内することにした。

何日か網問と一緒に過ごし、間切はだんだん網問のことが可愛くて仕方なくなってくる。
しかし、まだ口数は少なく、網問が喋ってくれることはほとんどなかった。そんな網問に
対して、徐々に慣れていってくれればいいだろうと、間切は焦らずいつも笑顔で接してい
った。
「ここらへんは、岩がごつごつしてて危ないから気をつけろよ。」
今日は少し岩場の辺りを案内しようと、網問の手を引きながら、波打ち際までやってきた。
二人が歩くたびに岩にくっついているフナムシがザザーっと移動する。と、岩場に足を滑
らせ、網問が海に落ちそうになる。
「っ!!」
「あぶないっ!!」
とっさに網問の体を支え、海に落ちるのを防いだ。
「ふー、危機一発。だいじょうぶか?網問。」
「・・・・・。」
しっかりと岩場に網問を乗せ直すと、間切はそう尋ねる。黙っていた網問だったが、くる
っと、間切の方を振り返って、ニコッ笑う。
「まぎり!!」
「えっ?」
「まぎり、まぎりー!!」
突然網問が自分の名前を口にするので、間切は驚いたような反応を見せる。
「網問っ、オマエしゃべって・・・・」
「あとい。まぎりー。」
自分を指差し、網問と言い、間切を指差して間切と口にする。初めて聞いた網問の発する
言葉に間切は嬉しくなる。そんな間切をさらに嬉しくさせるようなことを網問は口にした。
「あとい、まぎりすきー!!」
「あ、網問っ・・・?」
「あとい、まぎりすきー!!」
今度はぎゅーっと間切に抱きつきながら、そう繰り返す。初めて聞いた言葉がそんな言葉
で、間切は胸がきゅーんとする。
「オレも、網問のこと大好き!」
「まぎりー、すきーvv」
5歳児らしく、網問は覚えたての言葉を何度も何度も繰り返す。可愛らしい弟分に自分の
ことが好きだと何度も言われ、間切は言葉には出来ない嬉しさで胸が躍る。このことをき
っかけに網問はだいぶ言葉を発するようになった。

どこに出かけるにも食事の時も眠る時も、いつでも一緒に過ごすようになった間切と網問
であるが、ある時、間切は水夫の訓練に出なければならなくなった。7歳の間切はギリギ
リ大丈夫であるが、5歳の網問はさすがにその訓練に参加することは出来ない。離れたく
ないなあと思いつつも、立派な水軍になる為には訓練はかかせないと、間切は兄貴分の水
夫とともに海に出る。その間、網問は水軍館でお留守番だ。
「はあー、何で俺が子守りなんてしなくちゃならねぇんだ。」
そんなふうに愚痴をこぼしているのは、疾風だ。今日はやらなければいけない仕事がこれ
と言ってなかったので、第三協栄丸に網問の面倒を見るように頼まれた。
「まぎりはー?まぎりどこー?」
「間切は今、船で海に出てる。って、さっきから何度も言ってるだろ!!」
「あとい、まぎりのとこいくー!!まぎり、まぎりー!!」
「あーもう、うるせぇなあ。お前はまだ無理だっての!!大人しく留守番してろ!!」
「うみいくのー!!あといもふねのるー!!」
「もういい加減にしろっ、網問っ!!」
どんなに疾風に怒鳴られても、網問は少しも怯まず自分のしたいことを口にする。そんな
網問にだんだんとイライラが溜まっている疾風のもとへ、一人の若手がやってきた。
「疾風兄ィ、ちょっと来て欲しいんだけど。」
「あ、ああ。網問、そこで大人しくしてろよ!!」
少し頭を冷やして来ようと、疾風はその若手と一緒に部屋を後にする。疾風が部屋から出
て行ったのを確認すると、網問はパタパタと走って部屋を出て行く。もちろん、海に出て
いる間切のもとへ向かったのだ。
「全く、あの程度のことで俺を呼びやがって・・・あ、あれ??」
部屋に戻ってきた疾風は、部屋の中に網問がいないことに気づく。あれほどわがままを言
っていたと言えども、網問はまだ5歳だ。一人で海になど出たら、危険であることは間違
いない。
「ヤッベェ、早く探しに行かねぇとっ。くそ、大人しくしてろって言ったのに!!」
慌てて水軍館を出ると、浜に出たところで疾風は蜉蝣に会った。
「どうした?疾風。そんなに慌てて。」
「網問がいなくなっちまったんだよ!!大人しくしてろって言ったのに・・・・」
「目を離したのか?」
「あ、ああ。ちょっと若手に呼ばれて・・・・」
バツが悪そうにそう言う疾風の言葉を聞いて、蜉蝣は呆れたように溜め息をつく。
「好奇心の強いあの年齢だ。目を離したらどこかに行ってしまうなんて容易に想像つくだ
ろう。」
「だってよぉ、あいつがあんまりにもわがまま言うから・・・ちょっとイライラしちまっ
て・・・」
「仕方ない奴だな。私も一緒に探してやる。何か心当たりはないのか?」
「えー・・・心当たりなんて・・・・あっ!」
「何かあるのか?」
「あいつ、ずっと間切のとこ行くって言ってやがったな。もううるせぇくらいに。」
疾風のその言葉を聞いて、蜉蝣は真剣な表情になる。この海は潮の流れも速く、海の中も
危険なものでいっぱいだ。まだ幼児である網問がそんな海に入ったら、大変なことになる。
「こりゃ早く見つけねぇと、まずいな。」
「どうしよう・・・蜉蝣。」
「とにかく探すしかねぇだろ!!ほら、ぼけっと立ってんな!!」
「お、おう。」
冷静な蜉蝣に協力してもらい、疾風は網問を探すため海に向かって走る。ちょうどその時、
水夫の訓練をしている船が岸に戻ってきた。
「あれ、訓練の船だよな!!」
「ああ。」
「行ってみようぜ!!もしかしたら、あっちの方に行ってるかもしれねぇし。」
「そうだな。」
間切に会いに行ったのなら、あの船のもとへ行くと考えるのが無難だ。二人は走って、浜
に帰ってきた船のもとへ行く。
「おい、お前ら、網問見なかったか!?」
「網問ですか?いや、今帰ってきたばっかりなので・・・」
「あっちから走ってくるの網問じゃないんですか?」
船から降りて来た鬼蜘蛛丸と義丸に疾風は慌てた口調で尋ねる。義丸の言葉に疾風は後ろ
を振り返った。すると、ものすごい勢いで網問が走ってきて、ちょうど船から降りてきた
間切に思いきり飛びつく。
「わっ・・・」
倒れそうになるのを足を踏ん張って堪え、間切は飛びついてきた網問を抱っこするかのよ
うに背中に腕を回した。
「あ、網問・・・?るすばんしてたんじゃなかったのか?」
「あとい、まぎりにあいにきた。るすばんやだー。あとい、まぎりといっしょじゃなきゃ
やなのー。」
「だめだろ?わがまま言っちゃ。」
「まぎりといっしょがいい!!」
そう言いながら、網問はぎゅうっと間切に抱きつく。しょうがないなあと思いながら、間
切は疾風に謝った。
「すいません、疾風兄ィ。」
「別にお前が謝ることじゃねぇよ。目離しちまった俺も悪いんだし。」
「お前にしては、素直に謝ってるじゃねぇか。」
「う、うるせぇ!!もう絶対網問のおもりなんてしねぇからな!!」
ぷんぷんと怒りながら、疾風は水軍館の方へ向かって歩いて行く。態度では怒っているよ
うに見せているが、内心は網問が無事で心底安心していた。
「あいつも素直じゃねーなあ。」
「何がですか?」
網問を抱っこしたまま間切は蜉蝣に尋ねる。疾風が歩いている方を見ながら、蜉蝣にニヤ
リと笑って答えた。
「本当は網問が心配でしょうがなかったんだよ。あれでも結構責任感は強い奴だからな。
だから、網問が無事見つかってホッとしてるんだ。それを悟られたくなくて、あんな態度
とってやがる。」
「へぇ、そうなんですか。」
「本当可愛いよな・・・。それはさておき、今度訓練行く時は、網問も連れてっていいぜ。
そのかわりちゃんと面倒見るんだぞ。」
「えっ?いいんですか?」
「こいつ、結構根性あるみたいだし、ここまでいろんなとこの水軍に育てられたんだから
大丈夫だろ。あとは、間切の力次第だ。」
「わ、わかりました!」
間切に期待をかけるような言葉を言い残し、蜉蝣はその場から立ち去る。そんなやりとり
を見ていた義丸と鬼蜘蛛丸は、間切の頭をポンポンと叩き、笑いながら言葉をかけた。
「頑張れよ、チビ兄。」
「間切は面倒見がいいから自信持って大丈夫だ。網問に好かれてるみたいだしな。」
「兄貴・・・」
「おーい、義丸。ちょっと来てくれ。」
「はいっ!!じゃあ、鬼蜘蛛丸、また後で。」
「おう。」
由良四郎に呼ばれ、義丸もその場から立ち去った。期待されて嬉しい気持ちと緊張する気
持ちが一緒になって、間切は網問を抱きながらドキドキしていた。

その日の夜、今日の不寝番は鬼蜘蛛丸と義丸の予定であった。せっかく二人で一緒にいら
れるのだからと、二人は不寝番をしながら、お月見をする約束をしていた。今日の空は快
晴で、まさにお月見日和であった。しかし、ひょんなことでそれは守られない約束となっ
てしまう。
「鬼蜘蛛丸。」
「義丸、そろそろ時間だろ?早く船に行こうぜ。」
義丸とお月見をするのを非常に楽しみにしていた鬼蜘蛛丸は、笑顔でそんなことを言う。
そんな鬼蜘蛛丸の顔を見て、義丸はズキッと胸が痛む。
「ゴメン、鬼蜘蛛丸。今日のお月見出来なくなっちまった。」
「えっ・・・何でだよ?」
「さっき、由良さんに呼ばれただろ?急遽、町に魚を届けなくちゃいけなくなっちまって。
朝の市で売るらしいから、夜中のうちに行かなきゃならないんだと。」
「そんなの、別に義丸じゃなくてもいいだろ!!」
「もちろんそれは言ったさ。けど、意外と人手が足りないみたいで、やっぱり行かなくち
ゃダメらしくて。不寝番は、間切が代わりに・・・」
仕方がないのは分かっている。しかし、本当にお月見が楽しみだった故、鬼蜘蛛丸はつい
怒りを義丸にぶつけてしまった。
「義丸のバカっ!!もう知らないっ!!」
「お、鬼蜘蛛丸っ!!」
「行くぞ、間切!!」
「は、はいっ!」
鬼蜘蛛丸に腕を引かれ、間切は引きずられるように船に向かった。まさかそんな態度を取
られるとは思っていなかったので、義丸は大きな溜め息をつき、肩を落としながら兄貴分
のいる場所へと戻って行った。

船に乗ると、鬼蜘蛛丸は船の縁にすたすたと歩いていき、両腕に顔を埋めた。そして、そ
のうち肩が小さく震えてくる。心配になった間切は、鬼蜘蛛丸の着物をきゅっと掴み、控
えめに声をかけた。
「兄貴・・・?」
「ひっく・・・ふ・・・・」
まさか鬼蜘蛛丸が泣くとは思わなかったので、間切はビックリしてオドオドしてしまう。
「お月見・・・すごい楽しみにしてたのにっ・・・ひっ・・・く・・・・」
涙声でそんなことを呟きながら、鬼蜘蛛丸は顔を伏せたままだ。そんな鬼蜘蛛丸を慰めよ
うと、間切は見張り台を持って来てそれに乗り、鬼蜘蛛丸の頭を優しく撫でた。
「なかないで、鬼蜘蛛丸の兄貴。義兄もお月見すごくたのしみにしてたんですよ。」
「えっ・・・?」
間切の言葉に鬼蜘蛛丸は顔を上げる。その顔は涙で濡れ、腕に顔を押しつけていたためほ
のかに赤くなっていた。
「由良兄ィのところから帰ってきた義兄、すっごいイライラしてて、今日はずっと鬼蜘蛛
丸の兄貴といっしょにいられるはずだったのにって、ずっと言ってて・・・。オレに不寝
番をたのみに来たときも、兄貴とお月見したかったのにって、すっごくくやしそうに言っ
てました。」
「本当か・・・?」
「はい。義兄も鬼蜘蛛丸の兄貴のこと大好きなんですよ。鬼蜘蛛丸の兄貴が義兄をすごく
好きだって思ってるのと同じくらい。」
間切は、一生懸命義丸が鬼蜘蛛丸のことを考えていたかを伝えようとする。まさか、7つ
も年下の弟分にそんなことを言われるとは思っていなかったので、鬼蜘蛛丸は少し驚きな
がらも、ぐしぐしと涙を拭って笑顔を作った。
「ありがとな、間切。今の話聞いて元気出たぜ。あー、そしたら悪いことしちまったな。
もう知らないなんて言っちまって。」
「だいじょうぶですよ。義兄なら、きっとゆるしてくれますから。」
「そうだといいなあ。」
遠い沖を見つめながら鬼蜘蛛丸はそう口にする。少し元気になった鬼蜘蛛丸を見て、間切
はホッとする。
「そういえば、網問はどうしたんだ?今日は一緒じゃないのか?」
「網問はもうねちゃってます。さすがに不寝番はむりですよ。」
「そうだよなー、まだ5歳だし。お前もまあ、大して変わんねーけど。お前、本当頑張り
屋だよな。」
「へへ、だってオレりっぱな海ぞくめざしてますから!そりゃがんばらなきゃですよ。」
「頼もしいな。よーし、何かすごい元気出てきた!!張り切って見張りしような!」
「はい!」
間切のおかげで、完全に元気を取り戻した鬼蜘蛛丸は目のふちに残っていた涙を完全に拭
い取ると、顔を上げて海の方に視線を移す。とにかく今は自分達に任されている仕事を完
璧にこなそうと、鬼蜘蛛丸も間切も気合を入れて、不寝番を行った。

                     to be continued

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