想詩 〜壱〜

忍術学園を卒業してから数年。伊作はとある村の外れに住んでいた。いつも通りの毎日。
医者と忍者の仕事を兼業しながら、毎日充実した日々を送っている。しかし、伊作の心に
は、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
「久し振りだな、伊作。最近の調子はどうだ?」
「いつもと変わらないよ。いまだに不運なのが玉に傷だけどね。」
「ははは、そりゃ伊作らしいな。」
「仙蔵と長次も相変わらずみたいだね。二人とも忍術の腕はすごいから、難しい忍務もた
くさんこなしてるんだろう?」
「まあな。忍務においては、長次は最高のパートナーだぞ。な、長次。」
「ああ・・・」
忍術学園で共に学んだメンバーは、今はバラバラになっているが、仙蔵と長次のように双
忍を組んで忍務を行っているものもある。そんな二人と笑顔で話をしている伊作だが、胸
の奥では、今抱えている大きな傷がズキズキと痛んでいた。
「そういえば・・・」
「何?」
「あいつはやっぱり戻っては来ていないのか?」
仙蔵の言葉を聞いて、伊作の心臓は跳ね上がる。名前を聞かなくても分かる。仙蔵の言う
あいつとは、文次郎のことであった。
「・・・・うん。」
「そうか。あいつがそう簡単に死ぬとは思えないけど、これだけ月日が経っても戻って来
ないとなると、やはり・・・・」
「仙蔵。」
仙蔵の紡ぐ言葉を聞いて伊作の顔色が悪くなっていることに気づき、長次はその言葉を遮
る。伊作の顔を見て、仙蔵はしまったと思い、口をつぐむ。
「悪い。今のは不用意な発言だったな・・・」
「ううん、気にしないで・・・。僕は大丈夫だから。」
無理矢理笑顔を作り、伊作は二人にそう答える。その笑顔があまりにも痛々しく、長次と
仙蔵は顔を見合わせ、真剣な顔になる。
「伊作、辛いならちゃんとそう言った方がいいぞ。」
「私達に出来ることなら・・・力になる。」
「本当に大丈夫だから。心配しないで。ほら、学園に居る時も僕相当不運だったから、こ
れくらい何ともないって。」
何ともないはずはないと分かっているが、それ以上長次も仙蔵も何も言うことが出来なか
った。文次郎は、三年程前から行方知れずになっている。とある忍務に向かったまま、戻
って来ることもなく、誰とも連絡が取れなくなり、音信不通になってしまったのだ。忍務
が忍務である故、生きているかどうかも分からない状態である。そのことは、同級生や学
園関係者は皆知っていた。そして、そのことで一番ショックを受けているのが、伊作であ
るということも。
「伊作、それじゃあ我々は次の忍務があるから、そろそろ出発するぞ。」
「うん。また、遊びに来てね。」
「ああ、忍務を終えたら必ずまた立ち寄る。」
「今度は土産を持ってくる・・・」
「本当?嬉しいな。それじゃ、忍務頑張ってね。仙蔵、長次。」
いつも通りの笑顔を見せながら、伊作は二人を見送る。それが二人の胸を痛いくらいに締
め付ける。仲間に手を差し伸べたくても差し伸べられない無力さを感じながら、二人は伊
作に背を向け、忍務に向かった。

長次と仙蔵が見えなくなると、伊作は一人、木漏れ日の差す木の下に座り、その幹にもた
れかかる。キラキラと揺れる葉の隙間から洩れる日の光を眺めながら、伊作は学園に居た
頃に、思いを馳せた。
忍術学園に居た頃、今よりももう少し寒い季節に、伊作は寒さを堪えながら保健委員の仕
事をこなしていた。手はかじかみ、あまりの寒さに震えも止まらない。そんな状況の中、
少しでも日の当たる場所を歩こうと、影を避けて進んでいると、一本の木の上から聞き慣
れた声が聞こえた。姿が見えないので、まるで木漏れ日が言葉をかけてくれているように
伊作には感じられた。
『誰?』
伊作の問いかけに、声の主は木の上から飛び降り、その姿を現す。伊作の前に下り立った
のは、文次郎であった。
『文次郎。こんなところで何してるんだい?』
『自主練だ。』
『さすがだね。それで、ぼくに何か用?』
『ああ。お前があんまりにも寒そうだったからな。忍者たるのも健康管理も大事だ。そん
な格好では風邪をひいてしまうだろう。』
そう言いながら、文次郎は自分のしていたマフラーを伊作の首に巻いてやり、本当に寒く
なった時のために持っていた肩掛けを貸してやった。マフラーは文次郎の体温でだいぶ温
かくなっており、寒さで凍えていた伊作にとっては、又と無い防寒具となった。
『ありがとう、文次郎。でも、これじゃ文次郎が寒くなっちゃうよ。』
『俺は大丈夫だ。訓練のおかげでだいぶ体が温まっているからな。ほら、手もこんなに熱
いんだぞ。』
手の熱さを伊作に確かめさせるため、文次郎は伊作の手を取る。かじかむ程冷えた手に、
文次郎の熱はひどく心地よく感じられた。
『あったかい・・・』
『お前の手、冷たすぎるぞ。』
『しょうがないだろ。こんなに寒い中で委員会の仕事してるんだから。』
『保健委員も大変なんだな。仕方ない。お前の手が温まるまで、少しこのままにしといて
やるよ。』
冷たすぎる伊作の手を温めてやろうと、文次郎はしばらくその手を握ったままでいる。本
当に何気なく自分に気を遣ってくれている文次郎の行動が嬉しくて、伊作の顔は自然とほ
ころんだ。
『ありがとう。』
『別に礼を言われるほどのことではない。・・・ただ、どうもお前は放っておけないとい
うか・・・まあそんな感じだ。』
『嬉しいよ、文次郎。すごくあったかい・・・』
ニッコリと笑って伊作は文次郎に向かってそう言う。少し照れたような顔をする文次郎で
あったが、それを何とか隠そうとしていた。それがまた嬉しくて、伊作はしばらく文次郎
の与えてくれたぬくもりに包まれていた。
木漏れ日の下で、体よりも心の奥からぬくもりを感じられたあの日。そんなことを思い出
し、伊作は今の寂しさを何とか紛らわそうとしていた。

(ああ、まただ・・・)
日が落ち、外が夕闇に包まれると、伊作は今住んでいる家に籠り、大した灯りもつけずに
壁に寄りかかっている。文次郎が帰って来なくなってから、伊作は毎晩涙を流していた。
夜になり、一人になると、自然と溢れてくる冷たい雫。生きているのか死んでいるのかも
分からない文次郎に想いを馳せ、伊作は涙を流し続ける。
「文次郎・・・・」
その名を口にすると、胸に刀を突き立てられたような痛みと、耐え難い切なさが伊作を襲
う。一人で抱えるには、あまりにも大きすぎる悲しみ。もちろん学園時代の仲間は、伊作
の悲しみを理解しているが故に、力になりたいと手を差し伸べようとはしていた。しかし、
伊作は誰にすがることも出来なかった。
(胸が痛い・・・。逢いたいよ、文次郎。君は今、どこに居るの・・・?)
伊作の心の隙間を埋められるのは、文次郎本人だけであった。他の誰を頼ったとしても、
この胸の痛みと悲しみを消し去ることは出来ない。他の人に迷惑をかけるのであれば、涙
が枯れるまで、一人で泣き続けた方がマシだと伊作は思っていた。
(早くこの涙が枯れてくれればいいのに・・・)
とめどなく溢れる涙を止めることが出来ず、伊作は一人闇の中にうずくまる。今日もまた、
悲しみに覆われた夜がゆっくりと更けていった。

それから数ヶ月の月日が流れ、新しい季節が巡り来ようとしていた。外に出れば、蝉が声
が聞こえ、南風が長い髪を揺らすように吹き抜ける。また、あの時と同じ季節が巡って来
たことを感じ、伊作は一層大きな切なさを感じる。忍術学園に居た頃は、長い休みに入る
ために、毎年楽しみだったこの季節。過ぎ去ってしまった鮮やかな時間を胸に、伊作は三
年前の夏の日のことを思い出していた。

伊作が文次郎と最後に会話を交わしたのは、三年前の夏の日の黄昏時であった。
『今回の忍務は、どれくらいかかるの?』
『そうだな・・・順調にいけば、一週間以内には帰って来れるはずだ。』
『一週間かあ。うーん、短いようで長いよなあ。』
『何言ってるんだ。たかが一週間だろ。子供じゃねぇんだから、それくらい自分の仕事し
て待ってろ。』
『分かってるよ。あっ、忍務が終わったら、一緒に旅行に行くっていう約束忘れないでよ。』
『忘れるわけないだろ。俺だって楽しみにしてるんだからよ。』
『あはは、だよねー。じゃ、気をつけてね文次郎。文次郎がすごい忍者だっていうことは、
よーく分かってるけど、やっぱり忍務には危険が伴うものだから。』
『それは重々承知だ。それじゃあ、行って来るからな。』
『うん。いってらっしゃい。』
夕焼け色に染まる空の下、二人はほんの一時の別れの言葉を交わす。夕日に向かって歩き
出す文次郎に向かって、伊作は笑顔で手を振り、大きな声で言葉を放つ。
『文次郎、僕、文次郎が帰ってくるの待ってるから!!』
『ああ、じゃあな!!』
『うん!またね!!』
黄昏に滲む文次郎の影を見送り、伊作は高く上げていた腕を下ろす。帰ってきたら、二人
で仕事を忘れ、少し長めの旅行に出る約束をしていた。少しの間離れていても、その約束
があるために、繋がっていられる。そんな想いを胸に、伊作は微笑みを浮かべながら、い
つまでも文次郎の後ろ姿を見つめていた。

しかし、文次郎はそれを最後に伊作の前から姿を消した。一週間経っても、二週間経って
も、一ヶ月経っても、そして、一年経っても、文次郎は伊作のもとへは帰って来なかった。
文次郎の身に何があったのか分からず、不安でいっぱいになっていると、伊作の耳に不吉
な噂が飛び込んでくる。
「この村の忍者が、ある城に捕らえられたって話知ってるか?」
「ああ、知ってる知ってる。あそこの城主ってすごく気性の荒い奴だから、敵方のくせ者
は容赦なく拷問し倒すって噂だろ?」
「そうそう。で、その捕らえられた忍者ってのも相当ヤバイ拷問受けたらしいぜ。」
「うわあ、本当かよ。で、その忍者どうなったの?」
「その拷問自体では死にはしなかったらしいんだけど、ほぼ瀕死状態で、山の中に放置だ
ってよ。」
「そんなことされたら九割助からないよな。あー、怖っ。」
「まあ、死体は見つかってないらしいけどな。でも、山の中だし、獣とかもたくさん居る
わけだから、生きてはないだろ。」
「だよなあ。うー、俺、忍者じゃなくてよかった。」
どこの誰かも分からない者が話している話を聞いて、伊作は頭を鈍器で殴られたような衝
撃を受ける。この村で行方不明になっている忍者など、文次郎ただ一人しかいない。
(嘘だ・・・そんな話・・・・嘘だっ!)
心の中で自分にそう言い聞かせるが、実際に文次郎は帰って来ていない。そんな噂を信じ
ずに、数日間過ごしていた伊作だったが、他の者からも似たような話を聞かされることが
次第に多くなってきた。
「久し振りだな、伊作。」
「ああ、留三郎。久し振り。」
たまたま伊作の村に立ち寄った食満は、少し挨拶をして行こうと伊作を訪ねる。久し振り
に会った旧友に、ほのかに元気を取り戻す伊作であったが、食満の話を聞いて顔色を変え
る。
「そうだ、伊作。文次郎の話、聞いたか?」
「えっ・・・?」
「文次郎の奴、とある忍務でしくじったらしくてな、忍務先の城主に捕まったらしい。」
「あの噂は・・・やっぱり本当だったんだ・・・・」
信じたくなかった噂を旧友から聞かされれば、信じないわけにはいかない。不安感に押し
潰されそうになりながら、伊作は震える声でそんなことを呟く。
「わたしとしては、あいつがあの程度の拷問でどうにかなるなんて思えないんだがな。こ
れだけ長い期間行方知れずになっていると、最悪の状況もあり得ないとは言い切れない。」
「・・・嘘・・だ・・・」
「えっ、伊作・・・?」
「嘘だっ!!そんなの嘘だっ!!文次郎が・・・文次郎が死ぬなんて・・・そんなこと絶
対にあり得ないっ!!」
「お、おい・・・伊作!?」
「文次郎、帰ってくるって・・・僕、待ってるからって・・・・」
ずっと信じないでいたことが、本当かもしれないと思った途端、伊作の中で今まで堪えて
いた何かが弾ける。胸が張り裂けそうな程の不安感と絶望感。それらをもう自分の中だけ
で留めておくことが出来ず、伊作はその場で泣き崩れた。
「うわああぁ――!!」
まさか伊作がこんな状況になっているとは思っていなかったので、食満は慌てる。いつも
は冷静な伊作が人目もはばからず泣き崩れている。あまりに悲痛なその泣き声に、食満の
胸も切り裂かれんばかりに痛んだ。
「落ち着け、伊作!今のはあくまでも可能性の話だ!!別にそれが現実に起こっているわ
けじゃない!!」
「文次郎・・・文次郎っ・・・・」
「・・・・っ。」
どんなになだめようと声をかけても、伊作は文次郎の名を呼び、泣き続ける。そんな伊作
を見て、伊作の文次郎に対する想いがどれだけ大きいかを、食満は初めて知った。それ故、
今自分が安易に放ってしまった言葉を言うべきではなかったと、食満は後悔した。伊作が
落ち着いてくれるのをただ待つことしか出来ず、食満はぎりりと自分の唇を噛み締めた。

それから何度か季節が巡り、今に至る。文次郎が死んでいるかもしれないという話を聞か
されてから、伊作の目から涙が零れ落ちない日はなかった。今日もまた、伊作は暗い部屋
で一人、悲しみの涙を流す。もういつ枯れてもおかしくないその涙は、切なさや悲しみの
強さだけその量を増やし、いつまでも流れ続けた。

                     to be continued

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